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けむりの家  作者: 三毛猫
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第24話 罵声

 あの頃――、中学から帰宅する際、幸助は電車を利用していた。彼はこれから帰宅するということを考えるだけで、抑えきれない感情のために待ち時間はプラットホームを端から端へ歩いて考え事をした。ほかの人は目につかなかった。これから先、まるで頭に狂気を抱えて、途方に暮れた路を行かなければならなかった。彼のその狂気というのは家で聞く、陰惨な台詞の数々を思い出すためだ。

 電車が滑り込む瞬間、騒音を聞いて、彼はハッとした。ヘッドライトがレールと並行にしかれたプラットホームのラインの奥で結ばれると、彼の心はそれに魅せられた。誰かのために警笛が鳴らされたのだとしたら、それは自分のためではなかっただろうか、と彼は思った。

 しかしその瞬間、また凄惨なあの言葉を思い出す。

 ——ふざけんなよ。

 それは苦痛の種であるはずなのに、我を忘れた時に不思議と彼の境遇を吹き飛ばす台詞にも聞こえた。

 家に帰ればほこりだらけの部屋に高校から帰宅した孝道がいて、ずっとリビングのテレビを占領している、昼間に録画した競馬の中継を見てホットカーペットの上でまるでブタのように寝ているのだ。母親は黙ったまま料理を作り、帰った彼には一言も話さない。何か物音を立てれば、孝道がまた喚きだすからだ。帰宅するといつもこんなにピリピリとした関係を彼は目にしなければいけない。そうでなくとも孝道は母親に対して嫌悪感をムキ出しにする。

「飯はまだか」「いつまで時間をかけてるんだ」「こんなヘタなもの食えやしない」「あんなもの誰でも作れる」「バカにしやがって」「オマエがオレに何をしてくれた」「オマエなんかいてもいなくても変わらない」「ジャマだから消えろ」「オマエがここにいても無駄だ」「ロクに家にもいないクセに母親ズラしやがって」「ふざけんなよ」……

 彼はその罵声の中、ヘッドホンをかぶり、音楽を聴いて外界でおこること全てをなかったことにしていた。あからさまに母親と孝道のふたりのあいだの事情が見えるが、どう関係する術もない。口を出せば「テメエにはカンケーねえ」と喚かれるだけだ。なにかしようとすればそれも「うるせえ」といって孝道は咎める。家にいて、彼も母親も何ができるかといえば、孝道の機嫌を伺いながらヒッソリと生活をすることのほか、プライベートはほぼ孝道の思うままに支配された。まるで飼い慣らされた奴隷のようにこの監守に監視されているのだという意識で、じっとしているまでだ。

 勤めに行って日昼家にいない父親にはこの孝道の抑圧的な態度がわからない。父が帰ればどうせ母親は「なんとか言ってよ」というのだろうが、そんなことを説明もなしにいきなり言われたとして、父が何を理解するのだろう。父は頭ごなしに孝道を責めはじめ、兄は「お前に何がわかってるって言うんだ!」と喚きだし、結局何にもならない口論が毎晩続く。父の要領を得ない言葉が彼をいつまでも嫌にさせた。揚句父が言うのは「――近所迷惑だ」とそのことだけに尽きた。しかし、何が悪いのかと言えば本当のところは孝道が悪い訳ではない。父にはこどものことが分からない。母親にはこどもをどうしてやればイイかわからない。こんなしようもない親の相手をしていたら気が狂うのも当然だ。孝道は甘えたいという心が消えないだけだ。あの時、中学の教諭からもう来なくていいと言われた時、誰も助けてくれなかったという事実がトラウマとして孝道の中で延々と繰り返されている。そして幸助自身にもこの理解し難い状況のしようもない家族関係をどうする気にもならない。何にしても家にいる時間がどれだけ彼にとって無駄だったか、それだけでも彼をイライラさせる。孝道の言うように食事はロクなものでない。食べられない料理が食卓にたくさん並ぶ。炒めきれていない半なまの野菜炒め、表面だけ焦げて中身の赤いハンバーグ、塩のふられていない焼き魚、醤油漬けの煮もの、出汁の入っていない味噌汁――。何カ月も掃除されていないほこりだらけの部屋、ゴミ箱周りは異臭が漂い、流しには一週間の洗われていない食器が山積みになっている。風呂も3か月に一度しか洗われない。誰も湯船には入らずシャワーだけで1日の疲れを取る。ウジの湧いた食器棚、照明周辺はコバエや蛾が飛び回っている。そして彼は眠ろうにも眠れない。埒のあかない親子喧嘩のあとは孝道が朝まで悪態を叫び続ける。「バカ」「何なんだよ」「おかしいのはお前らの方だろう」「死ねよ」「言いたい放題言いやがって」「頭おかしいんじゃねえのか」「殺すぞ」――まともに眠れる時間はない。彼は何度も夢の中で孝道を殺した。ときに母親がそうするように夢見た。彼にはこの異常な生活をどうにもできない親がひどくつまらないものに見えていたし、いまさら「家」や「世間体」などと父親がいうような理由でどうにか出来る話ではないこともわかりきっていた。それにもともと会話のない家族だったのだから。――


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