第20話 実家
——母親の実家、K家はS県にあった。孝道が不登校になるまでは毎年正月をそのS県の家ですごした。思い出してみれば幼少の彼は正月を家ですごした記憶がなかった。いつもU市のあの小汚い家で出前やら、買い集めの御節を食わされていたような気がした。
「そういえば最近Uの家に行かないけどどうして?」
「もう行かないよ、あの家には——」
この時も父は語気を荒立てて幸助に言っていた。
「あそこのオヤジ、俺になんて言ったかわかるか? 帰りがけに俺に向かって〝あの馬鹿がって〟言い捨てやがったのだぞ。お前も聞いていただろ?」
「そんなこと一々聞いちゃいないけど? 俺は爺さんとはあまり話したことがないし」
K家のことで覚えているのは、毎日一度キャロットジュースが出たことと、元日の夜に出前の寿司がたくさん並んだことだけである。それは幸助の幼いころの話で、ほとんど記憶には残っていなかったが、寿司のネタにマグロやイクラ、イカなどを口にしては喜んでいたが、どうしてもあの塩辛い数の子を食べろだの、脂の濃いあっさりとしていないアナゴを食べろなど言われると、どことなくその時点で食欲を失くして、お腹は減っていても食べる気にならなくなったことを思い出すばかりであった。そして一番記憶に残ているのは、食事をして1時間もたたないうちに爺さんは顔を真っ赤にして胡坐をかいたままうなだれるようにして眠ってしまうことだ。父と爺さんが横並びになって大きな黒い瓶を前にグラスを片手に酒を飲む姿はどことなく楽しそうにしているような気がしていたが、実際はそうでもなかったらしい。父は爺さんを妙に毛嫌いしていた。
「母親が俺に離婚を言ってくる話、知っているだろう? あれはあそこのオヤジがすすめているんだ。普通嫁いだ先の家にはとどまるように親は言うものだろ? それを訳もなく諦めさせるような法があるのかよ」
「でも成田離婚とかって流行りだけど」
「そういう問題じゃないんだよ。あんなのは、はしたない人たちのすることだよ。お前だって母親がいなくなったら困るだろう?」
このころの幸助にとって、それは難しい話だった。彼には何で母親が離婚しようなどと考えているのかさっぱりわからなかったし、父が母親の家をあんなに悪く言う理由もわからなかった。ただ、どうしてもっと平和にできないのかと思うのだ。彼はいつもこうした陰険な暗い話ばかりの家が嫌いだったし、母親がいようがいまいが、食事として食べていたもののほとんどがレトルト食品やファストフードであったから、何も困るようなことはなかった。
この時幸助は私学に通っていた。幼少のころの友人たちとは別れてしまっていたが、新しい学校にはあまりなじめていなかった。この頃の幸助は学校もつまらなければ、家もつまらなかった。
幸助は、正確な話をすれば、中学では苛めを受けていた。と言うより、そういう認識になっていた。ある日彼に先生が話しかけてきた。それは昼休みの時だった。幸助は教室でひとり、時計を見ていた。時間が過ぎるのをずっと見ていた。彼が中学にあがって楽しみにしていたのは時間が過ぎて行くことだけだった。時間が流れて行くことが喜びだった。勉強なんていうのも周りの人間が何か楽しそうにしているのも全然理解ができなかった。理解はしなくても、彼は知っていた。勉強もほとんど塾で済ませて来てしまったことだったから、今更もう一度やり直されても面白くなかったし、周りで話している流行りのテレビ番組の話とか、流行りの服を買っただとか、あの娘は可愛いだとか言う話、全部いい加減どうでも良いだろうと思っていた。みんな自分のことだけを話して、あとは何があるのかわからなかった。私学でお金がある人たちばかりで、別に自分で買った訳でもないのに、持っているもの身につけている物をああだこうだ言って、自慢話が好きな人ばかりがいた。それをお互いに褒め合って、彼には何がそんなに面白いのかよくわからなかった。




