第19話 家族
祖母は日記をたたむと、静かに立ち上がってすり足でゆっくりと歩きだした。幸助はいまだテレビの画面に見入っていた。しばらくすると祖母の呼ぶ声がした。彼はテレビを切り、祖母の部屋に行った。祖母は折り畳みベッドの上に座って最近着替えるのにもとても時間がかかってしまうというようなことを言った。
「そこから寝巻きと、靴下を出してちょうだい」
祖母は言葉を発しながら鏡台の脇の引き出しを指さした。
祖母の着替えを箪笥から出して、服を脱がせ、寝間着を着せていた。
「あの人は女を知らないのよ」
「フ、フ」
父のことを言っていた。幸助は祖母に靴下を履かせるところだった。
「ちょっとまって、――これ貼ってくれない?」
祖母はベッドの横の引き出しにゆっくり手を伸ばし、取手を何度か掴みかえながらゆっくり引いて、貼り薬を取り出した。それからまた続きを話した。
「アナタのお父さんも、でも可哀想なものよね。アナタのお母さんに追い出されちゃって、一階の客間で寝かされていたのだから――」
「それは孝道が喚くのを、母親が親父の所為にしていたから――。だけど、母親が言ったって、孝道は喚いたのだけどね。――俺には孝道が何を考えていたのか、わからないね」
孝道が高校に通っていた三年間は、孝道が最も安定していた時期だった。おかしかったのは母親だった。母親は孝道のことで執拗に父を責めていた。何がそうさせているのかは誰にもわからなかった。とにかく母親は父に対して「アンタの所為で――、アンタの所為で――」と繰り返し言った。それは孝道と母親の関係が中学のころから変わらず、喧嘩ばかりだったからだ。そのことで母親が父に言うと、父は『好きにさせればいい』の一点張りで母親には取り合わなかった。母親は何が不満だったのか孝道にあたったり父にあたったり、勝手に家の中を散らかしていった。そしていよいよ母親は家にいるだけでヒステリーを起こした。その原因は孝道が母親に罵声を浴びせるようになったからであった。孝道のそれは簡単なことだった。母親にうるさく干渉されることが許せなかったし、母親は昔から家事ができない人間だったから、孝道は母親からうるさく言われることに反発して、母親の家事の不能ぶりに対して、責めはじめたのだ。孝道は母親の作る食事に文句ばかりをつけて、母親の作ったものは食わず、自分で作って食べるようになった。洗濯も母親がするのとは別で自分のものだけをするようになった。休日を家ですごす時は、母親がいること自体を邪魔だと言って、度々母親に対して怒りをぶつけるようになった。そして母親は父と毎晩のように喧嘩をした。それは孝道のことであったかも知れないし、離婚の話であったかも知れなかったが、とにかく孝道に苦しめられるだけ苦しめられて、母親は父を苦しめるだけ苦しめるようになった。しかしそれは母親の家によるところの問題があっただろう。




