第16話 話し合い
*
長い間、感慨にふけっていた。祖母はいつの間にか風呂から上がっていた。客間の暗闇が照らし出されて、畳の奥行きを見出した。祖母の寝室から明かりが漏れたからだ。幸助もそれを見て風呂に入ることにした——。
孝道が無理をして学校なんかに来なくていいと言われてから、しばらくして孝道の担任と、学校長が家に来て、父と何かを話し合っていた。それは今後のことだという話だったが父はこう言っていた。
「同じ公務員同士、争うのは宜しくないでしょうからとか言って、ここは穏便になんてぬかしやがったんだぞ、あそこの校長――。フザケタことがあるもんだな、それをええまあとか軽はずみなこと言ったら、テープレコーダーで録ってやがった――。なんだあれは、否があるのはあっちなのに、俺たちの言い分を通さないつもりだぞ――」
このふたりの教員のやったことは、法に反する行為だろうと幸助も思っていた。父は訴えるとまで言っていたが、結局そのふたりを訴えることはしなかった。本当のところであればその教師は懲戒免職のはずだった。しっかりと訴え出ていればこちらが正しいことは明白であったはずなのに、父は肝心なところでいつも臆病だった。けれどもそこを責めていくというのは確かに根気のいることだったし、時間が必要だった。解決までに何年になるか分からない事件を起こすようなものなのだから――。父はあの時泣き寝入りするような形で何もしなかった。そのことに関して幸助はどうしようもない親だと思っていたし、もう少し孝道が学校にいけない理由を孝道本人から聞き出して問題として取り上げてもらうべきだと幸助は思っていた。そして、そうしない限り孝道は救われることはないだろうとも感じていた。
そして、こうした事実はひとつの真実味を帯びて世間が知らせてくれるようになった。孝道のいた中学は孝道がいたころが一番荒れた時期だった。有害図書の持ち込みや生徒の喫煙など、非行の蔓延で校舎の施設が所々で使用禁止になり、部活動をしている生徒たちは更衣室から締め出された。保護者の中でも部活動をする生徒たちの外での着替えや、校舎の便所で着替えを余儀なくされていたりと、学校の対応を問題視していた。生徒側の抵抗も強くあり、校門を爆破するなどの電話や校舎への投石など、学校側への嫌がらせや生徒の授業時間中の徘徊が目立つようになったりして地域からも対応を迫られる事態に発展していた。
普段から勝気な振る舞いで孤立していた孝道のことであるから、菊池の事件以来、学校側に睨まれてしまったのはわからない話ではなかった。 実際に臭いものには蓋と言うような教職員側の対応が、孝道が不登校に至る原因なったことも事実だっただろう。孝道は完全に悪者として扱われたのだ。担任の教師は学校に行こうとしている兄を、行かせなくしてしまったのだから――。
結果的に翌年校長は定年で辞め、担任の教員も同時に転勤していった。もともと問題の多い教師だった。そして孝道のことはそれで葬られてしまった。孝道は学校に行かなくなってから家で自由に暮らした。自由と言うか好き勝手に、であった。競馬にのめりこみだしたのもこのころだった。毎日、専門のチャンネルの放送を聞きながら、レースを詠むことばかりするようになった。競馬場にも行き出して、そのうち馬券も買いだした。最初は可愛いものだったが、小遣いで足りるうちはなにもいわなかった。しかし段々それは脅迫めいたものに変わっていった。小遣いが足らなければ、母親に金のむしんを始めた。居間で孝道が母親に向って暴言を喚くのを何度も見た。それは父親には全く隠されたことだった。幸助はそのことで母親をとがめたことがあった。けれどもそれは全く効力のないやり方だった。孝道は時に云十倍を当てると未成年であるにもかかわらず、酒を飲んで帰った。そのことで父親に酷く怒られていたが、孝道は取り合わなくなっていた。




