第1話 祖母
「幸助、本当にいいのか」
「いいよ、その方が楽だから」
彼はどうとも思っていなかった。
父は彼がひとりになることを心配していた。家には祖母のほかに誰もいなくなった。彼には母と兄がいたが、家を出て行ってしまって、もういない。
「じゃあ、行ってくるから――」
父も、簡単にこう言って出て行った。
彼は〝ああ〟と言っただけだった。 この時の彼には、毎日の生活の端を明るくするに出来なかった。すべてやめてしまったことを、もう一度やりなおすということは難しかった。
彼は家に残った。祖母とふたりきりの生活だった。 祖母は彼の帰りを待つ人だった。帰り来る人を待っているのが、家にいる責任だと思っていた。
このころ彼は大学に通っていた。帰りが遅くなるのは当然のようによくあることであった。けれども祖母は夜遅くなって、どこの家も寝静まってしまっても、眠らずに彼の帰りを待っていた。
「さき、寝て良いからね」
「そう――?」
彼がそう話しても、翌日はまたおなじように彼を待っていた。
祖母はいつも彼に笑顔をみせて話した。その顔は馴染み深い顔だ。彼が保育園通いのころから迎えにきては、その顔を見せた。彼にとってそれは良かったことを思い出せる唯一の顔だった。
彼はしばらくして、はやく家に帰るようにした。どこかでまた彼は、しがらみからぬけ出せなくなっていた。家族というしがらみに救いを求めていた。
彼ははやく家に帰るようにしてから、友人とのつきあいを減らした。それは、彼自身の生活と友人たちとの間柄がうまくリンクしなくなっていったからであった。そうした生活がつづいて、家にいる時間が多くなると、彼には考える時間が増えるようになった。彼の頭の中では、ながい時間で起きたまとまりきらない記憶がわきあがってきた。