<後編>
今回はほぼ三人称。最後だけ詩音莉さんの一人称です!
ヒロインの涌井詩音莉さん
ドラッグストアから戻って来た“オトコオンナ” 涌井詩音莉は幼い姉弟の待つリビングでリュックを広げた。
「これは熱の風邪に効く薬なんだけど、お兄さん、今は?」
「寝てるみたい」と綾
「じゃあ、こっちのレトルトのお粥と一緒に摂取させたいから……オレもしばらく居ていいかな?」
そう問いかける詩音莉のパーカーの裾を幼い孝夫はギュッ!と掴み、綾はそんな弟を窘めつつも目で詩音莉に縋る。
「お兄さん、お仕事平気なの?」
「お仕事はもう済んでるよ。それより、あなた方は大切なお兄さんの事を考えてあげて! そしてご飯も食べないといけない。無理にでもね! ペットボトルのお茶やジュースもあるから飲みたい物をリュックから出しなさい。レンジ借りてもいいかな?」
詩音莉は二人をリビングのテーブルに就かせて出前で持って来た中華丼を温めて出してあげる。
「万一、あなた方が風邪をひいてしまったら、お兄さんはきっと物凄く悲しんで自分を責めると思うんだ。だから、あなた方は充分栄養を摂って体に気を付けないと……」
綾は出された中華丼の前で両手を膝の上に置き、キチンと頭を下げた。
「私は綾と言います。糸偏の“あや”です。弟は孝夫!『考える』に似た感じの“たか”に『二』を書いて『人』と書きます。お兄さんのお名前は?」
綾から尋ねられた詩音莉は一瞬困った顔をしたが、決心した様に頷いて“地声”に戻り、
「私の名前は涌井詩音莉です」と言いながらメモに自分の名前を書いた。
驚いたのは綾と孝夫だ。
「ええええ!!!??? お姉さんだったの??!!」
「おねえさん!おねえさん!」
「騙してごめんなさい。私、女性として人のお家を訪ねるのが怖くて……男の子になってお仕事してるの」
「でも、声まで!!」
「私、昔、アニメの声優をやっていてお稽古していたから……」
「それでなんだ! きっとお兄もお姉さんの事、男の人だって思ってるよ! だって抱っこされてたし……」
この綾の言葉に詩音莉は両手で顔を覆う。
「それ、勘弁して!! 私、その後も物凄く恥ずかしい事をしてしまったから!!」
◇◇◇◇◇◇
「しおり姉さん!お願いがあるんです!」
詩音莉と並んでキッチンに立ち、洗い物を手伝っていた綾は詩音莉を見上げる。
そんな綾に詩音莉は微笑み掛ける。
「私にできる事なら喜んで」
「ありがとう! あのね! お兄はね! ママ以外の女の人から看病された事がないの! だからしおり姉さんが看病してくれたら、とても喜ぶと思うの!」
「えっ? ええ……」
「だからお願いね!」
こう言い残すと綾は孝夫と一緒にパタパタとリビングダイニングを出て行く。
詩音莉は慌ててキッチンを片付け廊下に出ると二人の姿はない。
と、奥の部屋のドアが細く開いていて、近付くと綾の声が聞こえる。
『いい?! 私がペン入れするから孝夫は消しゴム掛けてね』
この言葉に詩音莉はビックリして部屋に飛び込んだ。
「待ちなさい!子供達!!」
振り向いた綾は目の前にマンガの原稿を持ち、手にはGペンを握り締めている。
「―とにかく!Gペンを置きなさい!」
「ダメ!お兄が言ってた!『原こうは落とせない!』って!!お兄が出来なきゃ私たち家族がやるしかない!」
詩音莉は二人の必死の形相に思わず零れそうになる涙をグッ!と堪えた。
「いくら家族でも……例えその責任を負いたくてもできない事があります」
「でも、やるしかないじゃん!」
「お兄さんに叱られてもですか?」
「しかられてもやる!」
「だったら私が叱られましょう」
「どうしてしおりお姉さんが?!!」
「それは、私がプロのアシスタントだからです」
「お姉さん!マンガ家なの?!」
「プロのマンガ家にはなれませんでしたけど、プロのアシスタントにはなれました」
詩音莉がそう言うと綾の目から涙がポロポロと流れた。
「私がしおりお姉さんの代わりにしかられるから!どうかおねがいします!!」
「いいえ、その時は、一緒に叱られましょう! でも、ただでは叱られませんから」
詩音莉がウィンクして原稿を手に取ると、その手が凍り付いた。
「この絵は!! “ながいやすこ先生”……」
「そうだよ!お兄の名前は永井やすお!ペンネームは本名をもじったの!」
『ああ!! 私の人生最後のアシ先が!!大ファンのながいやすこ先生だったなんて!!』
詩音莉は万感の思いを込めてGペンを握った。
「私の全身全霊を込めて仕上げて見せます!!」
◇◇◇◇◇◇
「お兄!起きて! しおり姉さんが助けてくれたよ!」
綾の声で気が付き、薄っすらと目を開けた靖夫は心配そうに覗き込む三人の顔を見た。
「……キミは『うーぱーミーツ』のお兄さ……」
「涌井詩音莉と申します」
「……女性だったんですか……スミマセン」
「とにかく、お粥とお薬を!」
「はい、ありがとうございます……あの、助けていただきありがとうございます」
「そうじゃないの! それだけじゃないの! ホラっ!これ見て!!」
綾が靖夫に示したのは……枠線すら引いていなかった元原稿が、ペン入りベタ塗りはおろか精緻な背景まで描き込まれた完成原稿だった。
「これは??!!」と驚く靖夫に
「しおり姉さんは『神アシ』だよ!」と得意気に話す綾と「いかがでしょうか?」と心配そうに尋ねる詩音莉。
でも靖夫は大きくため息をつく。
「オレより素晴らしいです!でも……オレにはそんなにバイト料は支払えないんです……」
その言葉に詩音莉は激しく頭を振った。
「お金なんかいいんです!!私が一番好きなマンガ家のながいやすこ大先生の……しかもオールアナログのお仕事をさせていただけるなら!! もう悔いはございません!!」
「大先生だなんて!! でも一体、どういうご事情なんですか? できましたら教えていただけませんか?」
「分かりました。お話させていただきます。でもどうかその前に……レトルトで申し訳ないのですが、お粥とお薬を……」
◇◇◇◇◇◇
「そうなんですか。田所あんな先生の所でアシを……で、代表作の『ストロベリーアイスにミントキス』の山路みゆきちゃんの声を演ったんですね。」
「はい! あの事件の後……田所あんな先生だけじゃなくお弟子さんの杏ともみ先生のアシもダメになったんです」
「酷い話ですね」
「ええ!アニメに携わる人であんな事をする人が居るなんて思いもよらなかったものですから……でも私がダメなんでしょうね……私、本当に世間知らずだから」
「そんな事はないでしょう?!」
「いいえ!自分で言ってしまって恥ずかしいのですが、私、地方の素封家の長女で、地元の高校を卒業するまでは姫と呼ばれていました。その『姫』はマンガやアニメが大好きで中学高校は漫研に所属、夢を叶える為に卒業後は親の大反対を押し切って東京の声優専門学校へ入学しました。それから後はさっきお話した通りです。」
「しおりお姉さんの夢って何だったの?」
「私の夢はね。大ファンのながいやすこ先生のアシをして……ヒロインのリシアナッサ姫のペン入れをする事! そして、アニメ化された姫の声をアテる事! 今日はその夢の一つが叶ったのですもの!! もう思い残すことはございません。国に帰って……お嫁に行きます」
「しおりお姉さん!お嫁さんになっちゃうの??!!」
「ええ、親の決めた政略結婚で……お相手は随分歳が離れてますけど『AVまがいのビデオに出演するくらいの“こなれた女”がいいとおっしゃって……』」
「詩音莉さんは……そんな事はありませんよね?」
「当たり前です!男の人に触れたのはさっき、先生を清拭したのが初めてです!」
「それは申し訳ございません」
と、詩音莉と靖夫はお互いに真っ赤になる。
「そうだ!しおりお姉さんの夢、叶うよ! さっき描き上げた来月号の原稿!リシアナッサ姫の声をアテればいいじゃん! どうせだからお兄がアラディン王子やってさ!」
こうして即興の読み合わせが始まったのだが、詩音莉が演じるリシアナッサ姫の声に綾の目から大粒の涙が零れ落ちる。
「えっ?! どうしたの?」と驚く詩音莉にやはり目を潤ませる靖夫が応える。
「あなたの演じる声が……母そっくりだったから……リシアナッサ姫のモデルはオレ達の母親なんです」
「そうだったんですね……ごめんなさい。思い出させてしまって」
「いいえ!違うの! ママに逢えたみたいで……とても嬉しいの……」
涙混じりで訴える綾を詩音莉は深く抱きしめた。
◇◇◇◇◇◇
「ねえ、しおりお姉さんはどうしても“国”へ帰らなければいけないの?」
「ええ、仕送りを完全に断たれてしまうから……東京はアパートのお家賃が高くて払いきれないの」
「だったら、ウチに住めば!」
「えっ?!」
「どうせ部屋は空いているんだし、ここでお兄と一緒にアニメ化の夢を叶えてよ!! いいでしょ?!お兄!」
◇◇◇◇◇◇
お引越しして初めての夜……
私は綾さんと孝夫くんと川の字で寝ている。
「お兄のおふとんもしく?」って綾さんが悪戯っぽく聞いた時は、私も靖夫さんも思わず照れてしまったけど……まだ、“通い”だった時は、締め切り間近の夜、仕事部屋で靖夫さんと枕?を並べて爆睡してしまった事もある。
二人の教育上、良くなかったのかしら??
今、こうして両側から寄り添ってくれる二人の温もりを感じて……私の心は無限の幸せに包まれる。
神様!
私に希望をお与え下さり本当にありがとうございます。
私、もう一度、女の子の夢を持たせてもらっていいですか?
また、昔の様に髪を伸ばして……この子達を抱きしめていいですか?
それから……
その言葉の先を
頭の中で思い浮かべて
私は真っ赤になって
お布団を被った。
おしまい
二日間お付き合いいただきありがとうございました<m(__)m>
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