輝く夏の日、天使みたいな君と出会った。
第13回ネット小説大賞へ応募したところ、ネット小説大賞運営様から感想サービスを頂きました。
力を入れた心理描写や情景描写を評価して頂き、とても嬉しかったです!
ありがとうございました!
※2025.9.1
少しだけ改稿致しました。
強い日差しが降り注ぎ、汗が額を滑り落ちていく。
首にかけているタオルでそれを拭き取るが、足の動きは決して止めない。
黒のリュックサックを背負い、一眼レフカメラを片手に欠片島着のフェリーを降りたのが、つい二分前のこと。
そして今は今日からお世話になる宿へ一刻も早く着き、この笑えてすらくる暑さから解放されようと、重たい足を一歩一歩と進めている最中だ。
視線を前髪の向こうの大海原に向ける。
日光を反射し白く輝いている波がダイヤモンドのようで、少し足の運びが軽くなった……気がするようなしないような。
しかし長時間日光を浴びているコンクリートは当然熱を持っており、上からも下からも暑さに挟まれて気が遠くなる。
自分を守るための長めの髪も、今だけは鬱陶しい。
リュックサックだって中には衣服程度のものしか入っていないのに、大量の石ころが入っているかのように重く感じられ、後ろにひっくり返りそうだ。
宿まであとどのくらい足を動かせばいいのかと太陽に尋ねていると、数メートル先に坂が見えてきた。
今からこれっ……登らないといけないのかぁ……
今すぐその場に座り込むか、すぐそこに広がっている海に飛び込んでしまいたい。
でも、欠片島に行こうと決めたのは自分自身であり、またそれは自分自身の目的を果たすためなのだ。
だから諦めてしまってはいけない。
それは本心に変わりないのに、今はそれよりも諦めたいという気持ちの方が大きくなりつつあるため、思考を止めて足を動かすことに神経を注ぐことにした。
そうして汗を流すこと三分。
なんとか坂を登りきり、道は左右の二手に別れた。
宿は確か右手にあったな。
そのことを思い出し、体の向きを九十度右に向け再び歩み始める。
そうして五十メートルほど進んだかと思われる地点で、道の続く先は左へと曲がっていて、目の前には木の看板が現れた。
そこには、
『この先すぐ
宿 海の里あり』
と、筆で書いたであろう太く黒い文字が並んでいた。
海の里。
それこそ俺が到着を切望する宿である。
やっと休めるのかと思うと同時に、暑さと疲れに我慢しきれずつい荷物を下ろしてしまった。
体がフッと軽くなり、安心と嬉しさを胸に顔を上げ、宿の様子を伺うため左を向く。
そんな時だ。
一瞬だけ潮の香りが強くなり、風は涼しさを帯びて風鈴の音と共に去っていく。
俺の瞳に映ったのは。
「ふふん〜……ふんっふふ〜♪……」
「っ……」
ラムネ瓶を片手に鼻歌を歌う、
天使みたいな女の子──。
カラン、という瓶とビー玉が触れた涼しげな音が世界に響き、それはまるで恋が始まる音のように思えた。
五メートル先、宿の前のベンチに座っている彼女から目が離せない。
心臓もうるさく音を立てて仕方がない。
それはきっと、彼女の容姿があまりにも美しいから。
長いまつ毛は彼女の瞬きをより魅力的にし、その先に見える大きな瞳はなぜか甘みを感じる向日葵色。
筋の通った鼻に、可愛らしい印象を持たせる小さな口。
唇には艶があり、血色の良い桃色だ。
緩やかにウェーブしている白髪は先の方がベンチに横たわっており、日光を反射しているせいか絹の光沢のように輝いている。
そして日焼けを知らないほど白い肌に、少しぶつかれば怪我をさせてしまいそうなほど、華奢な体。
身長もあまり高くないだろう。
俺とは三十センチも差がありそうだ。
そんな彼女は今、ふわりと風に揺れる白のシフォンワンピースを身にまとっている。
そして右手をベンチについて、左手でラムネ瓶を持ち、足は地面につかないから無邪気に揺らす。
その様子がなんとも絵になっていて、「お人形さんみたい」というセリフは、正に彼女のような人に向かって言うのだろうと思った。
見惚れてその場に立ち尽くす俺。
時の流れがとても遅く感じられたが、実際に彼女がこちらに気がついたのはそのわずか二秒後。
彼女と目が合う。
すると彼女は口を閉じたまま、花開くように笑った。
「……きれい……」
無意識のうちにそう呟くほど、前髪の隙間から見えた笑顔は“とびきり”で。
俺は余計に目を離せなくなった。
しかし彼女はそんな俺に呆ける暇は与えてくれない。
「おっ、お客さんか、いらっしゃい。どこから来たんだ?」
初めて聞いた彼女の声は予想以上に可愛らしく、口調は想定外のものだった。
人見知りな上に緊張しいな俺は、彼女の問いかけに答えることが出来ず背を丸くする。
興味や好奇心で溢れているあの瞳が眩しすぎて、いつもより余計に。
このまま答えられなかったら、彼女をガッカリさせてしまうだろうか。
あの瞳を濁らせてしまうだろうか。
そう思うと、口が勝手に動いてくれた。
「たっ、立崎の方から……」
「そうなのか、結構近いところから来たんだな!この島は観光客が多いから、遠くから来る人も多いんだ」
そう、この欠片島は自然が綺麗なことで有名なため、人気観光スポットとしてたくさんの人に訪れられている。
俺がこの島にやってきたのも、その自然をお目当てとしているからだ。
彼女はラムネ瓶を一旦置いて、また尋ねてくる。
「なんでこの島に来たんだ?観光か?にしては荷物が多いようだが」
「あえ、えと……写真撮りに……一泊二日……」
俺は二年ほど前から写真を撮ることを趣味としていて、現在俺の住んでいる町ではフォトコンテストが開催されているのだ。
だから高校一年生の夏休みである今、それに応募するための写真を撮りに欠片島へやってきたのである。
俺は身長が無駄にでかいだけで地味だし根暗だ。
そんな俺には、写真なんて合わないと言われてしまうだろうか。
今までたくさん言われてきたからもうとっくに慣れたつもりでいたけど、なぜか彼女には言われたくないと思い耳を塞ぎたくなる。
それを我慢することには成功したが、代わりに俺は下を向いてしまった。
俺が知っているのは、笑顔の君だけ。
だからそのままでいて、お願いします。
“あの”冷たい目線を、君に向けられたくないんだ……
嫌だ、怖い、とこの数秒で何度呟いたか分からない。
パニックにすらなりかけていた時、彼女は、俺の脳内を埋め尽くす雑念をかっさらっていく漣のような声で言った。
「そうなのか!いい趣味だなぁ、憧れるぞ!」
その一言が、本当に心の底から嬉しくて。
俺はバッと顔を上げて言う。
「!う、うんっ!写真を撮るのは、楽しいよっ。だからっ、この綺麗な島の写真が撮りたくて……!っあ……」
調子に乗って喋りすぎてしまった。
段々と顔がほてっていき、後悔をする。
でもやっぱり、彼女は満面の笑みを浮かべて。
「アタシこの島のこと大好きなんだっ。だからそうやって言われんの、すげぇ嬉しいっ」
俺と会話をして、彼女が笑っていることがとても嬉しい。
胸が熱くなっていくのを感じていると、彼女は何か閃いたように「そうだ!」と声を上げて。
「アタシ、オススメのスポットたくさん知ってるから、案内してやるよ!」
「え……え!?」
それは俺にとって予想外すぎる言葉で、つい大きな声で驚いてしまう。
「何をそんなに驚いてるんだ?嫌なのか?」
そんなわけないと、思いっきり首を振る。
すると彼女は「じゃあいいな!」と仕切り直し、俺のすぐ目の前までやってきて自己紹介を始めてしまった。
「アタシは美波透羽!透羽でいいぞ、よろしくな!」
「あ、あああの、えっと………です……」
「……?声が小さくて聞こえないぞっ」
か、顔が近い……っ
「い、今井蒼空っ、です……」
「そうか蒼空、いい名前だ!じゃあ早速『秘色の滝』に行くぞ〜!」
「え!?ちょ、ちょっと待っ……」
でも彼女にその声は届いていないようで、俺は小さな手に左手を引っ張られる。
ちっちゃい……って、そうじゃなくて!
「ね、ねぇ、ちょっとっ……〜〜っ透羽!」
「ん?なんだ?」
名前で呼ぶと、透羽はやっと足を止めてくれた。
「流石にちょっと、休ませてっ……このままだと俺、熱中症になるよ……っ」
「おっと、そうだった」
というわけで、荷物も地面に置いたままだったので流石に一度宿へ入ることにした。
そして予約しておいた部屋でアイスクリームなどを食べながら、一時間ほど休憩。
と言っても、透羽がずっと隣にいるから気は休まらなかったけど。
午後三時。
俺と透羽は宿を出て、いよいよ写真を撮りに向かう。
─────
「蒼空、こっちだぞっ」
「う、うん」
透羽はこれから向かう方向の道を指さしたあと、俺に手招きをし微笑む。
俺は急いで透羽の方へ行き、隣ではなく少し後ろを歩く。
なんとなく会話は無く、話したいけどどんな話題を上げればいいのかも分からないからもどかしく感じていると透羽が鼻歌を歌い出したので、俺は海を眺めていることにした。
「………」
新鮮な夏の日。
聞こえてくるのは、波の音と足音と、透羽の鼻歌だけ。
潮風に揺られるのがとても心地良い。
まさかこんなことになるなんて、思いもしなかったな……
先程の一時間で、俺と透羽はたくさんの話をした。
俺と透羽は同い年の十六歳で、誕生月も同じく五月であること。
透羽にはお兄さんが二人いること。
透羽の口調はそのお兄さんや周りの人たちから移ったものであること。
透羽は欠片島で生まれ欠片島で育ったこと。
透羽の好きな食べ物はスイカであること、などエトセトラ。
クラスでは空気も同然、話しかけられたとしても吃るし声が小さい。
こんな俺に友達なんているはずもなく、こうして同年代の人と他愛のない会話をしたのは初めてなのだ。
きっと俺は今、自分が思っている以上に浮かれている。
新鮮な経験を振り返りながら、たまに足取りを遅くして海の写真を撮ったり、鼻歌に聞き惚れたりすること約十五分。
森の中へと続く小道と、『秘色の滝』と書かれた看板が現れた。
「こっち行くぞっ」
「う、うん」
この先に、欠片島の絶景スポットの中でも一番だと言われる『秘色の滝』がある。
そう思うとカメラを持っている手に力が入った。
木々の間に降り注ぐ光、
いくつか下がる気温、
微かな風と土の香り、
段々と大きくなる水の音。
感覚が研ぎ澄まされていくように思うのは、きっと、気のせいじゃない。
地面が土から石へと変わる。
手すりと柵も設置されていて、人が来ることを前提にしているのが明らかな少し開けた場所までやってきた時。
「よ〜し、到着っ」
透羽の声に反応し、視線を足元から前方へ移したら、俺はついに『秘色の滝』を目視した。
遥か高い位置から落ちてくる大量の水。
着水すると辺りに白い飛沫が飛び、川の中へと消えていく。
ここまでは至って普通の滝だ。
でも、全体を見ると明らかに違うものがある。
それは滝の“色”だ。
水色と言うにはまだ淡く、薄い緑も混ぜたかのような優しい色。
正に『秘色の滝』。
水飛沫は白いのに、実に不思議で神秘的だ。
この滝の美しさには、日光の加減も関わっているのだろうと思う。
それは少し上を見れば容易く分かることで、周囲には生い茂る背高のっぽの木々が、滝の上にだけないのだ。
それにより滝は必然的に周囲より明るくなり、輝きを増す。
この景色を見るだけで、欠片島の自然が美しいという評判には深く頷けた。
圧倒されて「綺麗」の一言すら出ない俺だが、十秒もしたらいつの間にか透羽を見ていた。
今彼女は、俺と滝の間の位置にいる。
俺との距離は五メートルと言ったところか。
後ろ姿が、そして辺りを見渡した時に見える横顔が、息をすることも忘れるくらい美しい。
孔雀のように優美で繊細な立ち姿。
それなのに仕草は雄々しい。
そんな彼女にどうすれば見惚れずいられるだろう。
透羽がこちらへ振り向く。
それが俺にはとても遅く見えて、髪と服の揺れや目と目が合うまでの時間、段々眩しくなっていく笑顔に世界を支配された。
すると、いつまで浸っているのかと言わんばかりに、脳内の俺がとある欲を生み出した。
この世界を崩したくなくて声を出すのを躊躇ったが、終いには言ってしまった。
「しゃ、写真っ」
あまりに説明が足りない俺の一言に、透羽はキョトンと首を傾げて反復する。
「写真?」
「う、うん、透羽の写真を撮らせて欲し、く……て……」
う……わぁっ何言ってるの俺、キモすぎ……っ
出来るなら時を戻して無かったことにしてしまいたい。
でも生憎俺はそんな能力持ち合わせていないから、怯えながら透羽の答えを待つことしか出来ず。
目を固く瞑る俺に、透羽は滝を背にして、たった一言。
「いいぞっ!」
と、変わらぬ笑顔で。
「え……い、いいの?」
「逆にどうしてダメだと思うんだ?アタシは“今”を未来に残せるのがすっごく嬉しいぞっ」
「今を、未来に……」
「ああ」
透羽の真っ直ぐな瞳に、確かにそうかもしれないと、自分の趣味を誇らしく思えてきた。
「……うん、そうだね。俺、写真たくさん撮るよ」
「おう!その意気だ!」
と、透羽は右手で作ったグッドポーズを突き出す。
あの笑顔に応えられるよう、頑張らないと。
そう気合を入れ、腹部の前に持っていたカメラを目線の高さまで持ち上げる。
すると透羽は察してくれたようで、何も言わずに再び滝の方へ向き直った。
じっと滝を見つめて動かない彼女を、まず一枚目に。
パシャ、とシャッターの落ちる音がした。
そして、目を閉じて歌を口ずさむ姿や、こちら目線で笑っている姿、空を見上げ眩しそうにしている姿など、様々な彼女を写真に収めていく。
三十枚ほど撮ったかと思われる時、透羽は柵の上へ登り始めた。
「えっ、と、透羽、危ないよっ」
「モーマンタイ!引き続き撮ってくれ!」
柵は直径十五センチほどの太い円柱で出来ているから、確かにバランスは取れそう。
現に透羽は全くふらついていない。
でも落ちたら川の中だ。
なのに平気そうっていうことは慣れているのかな?と疑問に思いながら、早く撮り終えようと再びカメラを構える。
その時レンズの向こう側に見えたのは、右手で髪を耳にかけながらこちらを見下ろし、フッと笑いを零している透羽だった。
もちろん背景には『秘色の滝』がある。
俺はその透羽を見て、可愛いや綺麗ではなく、かっこいいと思った。
それは、見ているのが俺だけなのが贅沢に思えてくるほどで。
罪悪感からなのか、他の人に見せるためなのかすらも分からないけれど、無意識にたくさん写真を撮った気がする。
だって人差し指が、知らないうちに疲れているから。
写真を撮るのにここまで全神経を注いだのはいつぶりだろうか。
もしかしたら初めてかもしれない、と思考が働くくらいには我に返ってきた時、透羽が柵の上に立ったまま言う。
「なぁ、蒼空だって綺麗な顔してるんだから、蒼空の写真も撮るぞ!」
そら……蒼空って、俺の名前だな……
「え……えええ!?ととと透羽、それは流石に……っ」
心の底では分かっている。
この世で一番俺のことが気に食わないのは、他の誰でもない俺自身だって。
だから綺麗な写真を撮ることによって、自分の世界から自分を追い出そうとしている。
写真を撮り始めたきっかけはこれだったはずなのに、最近は自分の想像以上に自分が写真を撮ることにハマり、忘れてしまっていた。
だけどそれを思い出した今、自分が写真の中に入るなんて……
写真が汚れてしまう。
「……ダメだよ」
「なんでだ?」
「……人と目を合わせるのが、怖くて……髪で隠してるような、こんな暗いやつ……写真になんて撮ったら……」
「何言ってるんだ?蒼空はかっこいいだろ!」
「そんな、こと……」
俺がかっこいいなんて絶対嘘だ……
俺の醜さは、俺が一番分かってるんだから……
俺が癖のように俯くと、透羽は柵の上から降りてきて、俺の顔を覗き込む。
「っ……と、透羽……」
「蒼空はアタシのこの話し方をおかしいと思うか?」
「……え?」
宿で休んでいた時に知った、透羽の口調の理由。
透羽はそのことについて、自分から話し出した。
『あ、そういえば蒼空、アタシのこの話し方について気になってるだろ?』
『えっ、あ……うん……』
もしかしたら本人にとってコンプレックスなのかもしれないし、その問いに「うん」と答えるのを少し躊躇ったけど、透羽には隠せる気がしなくて、正直にそう言った。
すると透羽は、
『これなぁ、多分兄貴たちから移っちまったんだよ〜。あと父さんからもだし、漁師やってる橋本のおっちゃんからもだな!』
と笑いながら教えてくれた。
そしてやめようかと思ったけど、やめたら自分じゃない気がするからやめなかった、とも。
それを聞いて俺は、自分のことをよく分かっていて、自分のために堂々と判断が出来る透羽はすごいと思ったし、同時に俺には絶対無理だと思った。
そんな俺に、透羽の口調はおかしいなんてとても言えない。
おかしくないよ、と言おうとしたその時、透羽は再び口を開いた。
「アタシこんな話し方だけどさ、可愛いのは好きなんだ。変だって思うかもだし周りから見てアタシが可愛いのかも分かんないし……」
え……
「か、可愛いよっ」
思わず言ってしまったけど、これは絶対に間違いじゃないと言い切れる。
だって大前提として、口調と可愛さにはそこまで強い繋がりがあるわけじゃない。
それでも口調のことに触れるなら、いや、触れたとしても……
その天使が囁くような声色は、どうしたって可愛いと思わざるを得ないんだよ。
「た、確かに想像とは違ったけど、そんなの関係なく透羽は……可愛い……と、思う……」
「……」
透羽、何も言わない……
もしかしなくても、俺めちゃくちゃ気持ち悪いこと言ってない……?
いや、俺が言うから気持ち悪いんだよ、きっと……
ああ、どうしよう……っ
いつもの如く俺が自分を悪く言っていると、ふふっ、という随分と可愛らしい笑い声が聞こえてきて。
「そっか、アタシ、可愛いのか……」
透羽が少し照れくさそうにそう言うから、強く首を縦に振る。
「ありがとな、嬉しいぞっ」
「っ……」
でも透羽は、なんで急にこんな話を……
不思議に思っていると、そんな俺の心を読んだかのように、透羽は尋ねてくる。
「じゃあ蒼空は、アタシの口調のことをおかしいと思わないんだな?」
「もちろん、絶対っ」
「アタシもそれと一緒だ」
「へ……」
それと一緒って、どういう……
「蒼空がアタシをおかしいと思わないのと同じで、アタシも蒼空のことをおかしいなんて思ってない。蒼空は身長が高いから、きっとモデルさんみたいな写真が撮れると思うぞっ。それに……」
言葉を一度区切ったかと思うと、透羽は精一杯腕を伸ばして、右手で俺の前髪を上げた。
そして俺に驚く間も与えないまま、
「うんっ、綺麗な空色の瞳じゃないか!」
と笑った。
彼女の言葉には、何かすごい魔法がかかっているんじゃないか。
そう思わざるを得ないほど、その一言には心を温められた。
そして透羽は静かに浸る俺を待ってはくれず、なぜか俺にしゃがめと言ってくる。
困惑しながらもその通りにすると、透羽は俺の首にかかっていたカメラをスルッと取ってしまった。
身長差があるからしゃがまないと取れなかったんだ……
可愛い……って言ったら怒られちゃうかな。
密かにそんなことを思いながら、透羽がどうするのか見守る。
すると透羽は、
「蒼空っ、そこの柵の前で撮るぞ!」
と、いつの間にか首にかけたカメラを構えながら言ってきた。
おかしいと思わないって言ってくれたけど、本当に撮るのかぁ……
いざとなると少し身構えてしまう。
でも写真を撮るのを楽しみにしているのか、自分の周りに花を浮かばせている透羽を見たら、言う通りにするしか選択肢はない。
足取りゆっくりと柵の前へ移動した。
それを確認した透羽は、
「じゃあ撮るぞ〜っ」
と、先程まで俺がいた位置から手を振ってくる。
え、え、もう……?
ちょっと待って、撮られる側ってどうしてればいいの?
初めてだから分からないよ……っ
とりあえず、恥ずかしいから顔をカメラから逸らし横を向き、これから次どう動けばいいのか考える。
でもシャッター音がたくさん聞こえてくるから、耐えきれずに透羽の後ろへ走って逃げてしまった。
「と、透羽、ストップ……終わりっ」
「むぅ、まだ撮り足りないぞっ」
「でももう終わりっ」
渋々といった感じだけど、透羽はカメラを返してくれた。
「せっかくの綺麗な瞳も少ししか写らなかった……本当にモデルさんみたいだったのに、勿体ないぞっ」
「いいいいやいや、世界のモデルに失礼だよ……っ」
俺がモデルみたいなんて、いくらお世辞でもバチが当たりそう……
と、そんなこんなで『秘色の滝』の写真は無事取り終えることが出来た。
その後は内部の岩が青く光る『青鍾洞窟』と、綺麗な円形をしており周りの木々とのコントラストが美しい『欠片湖』を巡った。
欠片島の自然はどれも想像以上に魅力的で、写真を何枚撮ったか分からないほど。
けれど透羽の言葉や表情に勝るものは無くて、絶景スポットを撮っている間も、俺の心を掴んでいたのは清く眩しい透羽だった。
気づけば時刻はもう午後の六時。
明日、一緒に『欠片島の海』を撮りに行こうと約束をして、とりあえず今日は別れることにした。
「じゃあまた明日な!」
「う、うんっ、また明日っ……」
「また明日」なんて言われたの、いつぶりだろう。
でも明日は家へ帰らなければならない。
早く時が過ぎて欲しいような、欲しくないような。
趣味を笑わないで憧れると言ってくれた透羽が相手だから、何よりも美しい透羽が相手だから、こんなことを思うのかな。
もし、そうでないなら………?
こう思うことさえ新鮮で、寝入るまでは時間がかかった。
─────
翌朝、午前七時半。
アラームが鳴る前に朝日で目が覚め、僅かに開いていた窓の隙間から気持ちの良い潮風が流れ込んできた。
窓の向こうの海を、なんの気持ちも無く眺める。
そして思い出す。
「……、あっ」
透羽と約束してるんだから、準備しないと。
透羽とは『海の里』の前、つまり昨日透羽がラムネを飲んでいた所に、九時に会うことになっている。
それまでに身支度をして、部屋を片付け、なるべく早くから透羽のことを待っていよう。
そう心に決め、早速俺は布団から片付け始めた。
身支度、片付け共に終わり、現在時刻は午前八時過ぎ。
まだ朝食をとっていないから宿に売ってあったあんぱんを買い、それを食べながら透羽を待つ。
久しぶりに食べるけど、あんこの優しい甘みは変わっていなくて安心した。
透羽……会いたいなぁ……
って、
「もうほんと、昨日からおかしいよ俺……っ」
両手で顔を覆って一人悶絶しながら待つ時間は、とてもとても長いものに感じられた。
約束時間の十分前になった時、左の道に歩いてやってくる人の姿が。
透羽だ。
今日は昨日よりも丈の短いデニムワンピースに麦わら帽子、そしてスニーカーというアウトドア感溢れる夏らしいコーデ。
変わらないのは、ただ歩いているだけでも彼女は美しいということ。
俺が透羽に気づいたのと同時に透羽もこちらに気がついたようで、小走りでこちらへやってくる。
「蒼空、おはようっ」
「お、おはよう透羽」
緊張して、体に力が入っていたのだろう。
俺はベンチから勢いよく立ち上がり、透羽に挨拶を返した。
「蒼空は十時半のフェリーに乗って帰るんだろ?あと一時間半しかないから、早く行くぞっ」
「う、うんっ」
一時間半。
それが、俺に残された透羽との時間だ。
そう思うととても短くて、残念で、寂しくて。
だからせめて、この一時間半を特別なものにしよう。
そう決意し、自分の意思でしっかりと、その一言を口にする。
「と、透羽、今日の服、すごく可愛いよっ」
そしてすぐにしまった、と思い付け加える。
「あっ、いやもちろん昨日も可愛ったんだけど……っえっと……」
やはり慣れないことをするとボロが出る。
数秒前の自分を殴りたい。
でも透羽は俺をバカにしたりなんかせず、昨日のようにまた「ふふっ」と笑って。
「ありがとう、蒼空っ」
「っ……い、や……全然……っ」
少し頬の赤い透羽は初めてで、不意の攻撃に俺はうまく喋れなかった。
二人の間に甘酸っぱい空気が流れる。
そこには耐え難い何かがあり、沈黙を破るために何か話題をと思ったが、透羽の方が一足先だった。
「じゃあ、行くぞっ、蒼空っ」
「う、うん!」
体だけでなく声にも力が入るし裏返るしで、またも変な空気が漂い始める。
こうにまでなってしまえば、本当にこの一時間半を特別なものに出来るのかと、自分を疑わざるを得なかった。
この島へやってきた時に登って来た坂を今度は下り、フェリー乗り場も通り過ぎて進んだ先にあるのが、この島唯一の海水浴場。
昨日フェリーの中からも見たが、『欠片島の海』は綺麗なエメラルド色で底まで透き通っている。
サンゴ礁や暖かい海にしか生息しない魚たちはとても色とりどりで、目を奪われるほど綺麗だ。
そんな『欠片島の海』の写真を撮らずに帰るなんてとても出来ない。
それに透羽も写ってくれれば、その写真はその瞬間その場所でしか撮ることの出来ない特別なものになるだろう。
……というそんな予想は、どうやら合っていたらしい。
海水浴場へ着いて、俺はすぐに海だけの写真を撮り始めた。
それを三分ほどで終えると、次は海と透羽の写真に取り掛かる。
昨日言ったことがあるからか、透羽にまた写真を撮らせて欲しいと言うのにあまり緊張はしなかった。
また、透羽も昨日のように「いいぞっ!」と。
相変わらずの暑さだけど、俺に残された時間は少ないからいつも以上に真剣に写真を撮る。
鮮やかな色をした波と水平線、
スポットライトのような太陽、
昨日から知っている潮の香り、
昨日から知っている波の音、
そして一人の天使がそこに。
その時その全てが透羽を輝かす舞台となっているみたいで、彼女が写真へ入ると、世界は明度と彩度が高くなる。
昨日みたくシャッターを押す音が辺りへ伝わり、その音が何故かとても心地よかった。
五分ほどすると透羽は靴を脱いで、足を海へ入れる。
貝殻などで足を切ってしまわないか心配だったが、辺りにそういったものは無かったので、今までよりも無邪気さのある写真を撮り続けた。
相変わらず透羽が美しい被写体モデルとなってくれていると、透羽は急に俺の所へやってきて。
「写真ばかり撮ってないで、蒼空も遊ぼうぜっ」
なんて少年のように言ったかと思えば、透羽はパシャッと俺の足元に海水をかけてくる。
初めは驚いたけど、そういえば海で遊ぶなんてもうずっとしていないなと思い、カメラを収めてから俺も海へ入った。
そして「いいのかな?」と不安になりながらも、俺も透羽の足元へ海水をかけてみた。
すると透羽はやんちゃな顔をして、
「やったな〜?」
なんて言ってくる。
それはどちらかというと先に海水をかけられた俺が言うセリフなのだろうが、俺にはとても似合わない。
そんなことを思いながら、雪合戦ならぬ海水合戦の威力を段々と上げていく。
人見知りであるはずの俺はいつの間にかそれを忘れ、全力で楽しんでいたのだ。
それはきっと、透羽を楽しませたい、そして自分自身も透羽と楽しみたいという思いがあったからだろう。
ふと防水腕時計を見ると、時刻はいつの間にか十時を回っていた。
どうやら、三十分以上も海水合戦をしていたらしい。
そのことを透羽に伝えると、
「もうそんな時間なのか?楽しい時間はあっという間に過ぎるなっ」
と、浜に上がりながら言う。
「うん……そうだね」
それはつまり、もうすぐ終わりの時間だということだ。
悲しいがそれと同時にこの時間を透羽に楽しいと思ってもらえているのが分かり嬉しかった。
波打ち際から離れたところに腰を下ろし、足は砂を払ってから靴の上に乗せ、自然乾燥に頼る。
そうして『欠片島の海』を前に、お別れの前の最後の雑談が始まった。
「なぁ蒼空、この島はどうだった?」
「すごく綺麗だったよっ、島のどこもかしこも。たくさんの綺麗な写真が撮れてこれ以上ないほど満足してるっ。ほんと、この島に来て良かったなぁって思うよ」
そう答えると、透羽は満面の笑みを浮かべて、
「そうか!蒼空にこの島の良さを知ってもらえて……蒼空に出会えて、良かったぞっ」
と風鈴の音の如く綺麗な声で言った。
かと思えば、今度は少し頬を赤らめて。
「それに嬉しかったぞっ、蒼空に可愛いって言ってもらえて……」
「っ……うんっ、透羽は可愛いっ」
透羽、本当の本当だよ。
だってほら、今だって俺は透羽から目が離せない。
「ありがとうな、蒼空!……ほんとは少し、自信なかったから……」
「……?透羽、何か言った?」
「いや、なんでもないぞっ。ふふっ」
俺は、ついその透羽の微笑みに驚き照れてしまう。
だって、まるで恋をしているみたいな表情で……
って、そんなわけないよね。
「俺も……透羽と出会えて、良かったよっ」
こんな俺なのに出会えて良かったと言ってもらえて、俺は幸せ者だ。
そう思いながら、俺は終わりが来るのを惜しむように言葉を返した。
「なあ蒼空!そういえば海の里のおばちゃんが……」
時が止まってほしい。
俺の心にはただそれだけだった。
気がついた時にはもう十時二十分。
タイムリミットまで残り十分となった。
服がまだ乾ききっていないけどそんなこと気にしていられないので、二人で急いでフェリー乗り場まで向かった。
フェリー乗り場へ着くと、どうしても思ってしまう。
もう終わりなのか、と。
帰りたくないなと思いながら遠くの島を見ていると、右側の少し下の方から可愛らしい声が聞こえてきて。
「そ〜らっ、二人で写真撮ろうぜっ」
二人で、って……
ツーショットってこと?
確かに、この二日間でたくさんの写真を撮ったけど、俺たち二人の写真は一枚も撮っていない。
透羽のおかげで自分への嫌悪も少し減ったし、いい案かもしれない。
「うん、撮ろう」
「よしっ、じゃあアタシにカメラ持たせてくれよ!」
透羽にカメラを渡すと、透羽は小さな両手でカメラを持って俺の隣へくっついてくる。
このままだと俺がデカすぎて画角に入らないので、中腰にして透羽に合わせる。
そして、透羽の元気で明るい声が響く。
「いくぞっ、はいっ、チーズ!」
────
フェリーに乗り込んだ俺は、少し離れた所にいる透羽を見る。
それは透羽も同じで、透羽は俺に大きな声で言ってくれる。
「また絶対来てくれよ〜!」
「う、うんっ、絶対行くから、待ってて!」
「でもあんまり遅いと、アタシが会いに行くからな〜!」
「っ……す、すぐ会いに行くから!結果報告しに来るから!」
「おう!蒼空またな〜!」
どこまでも晴れ渡っている空の下、今までで一番大きな声で言う。
「透羽っ、またね!」
天使のような見た目で、実はかっこいい一面もある君。
そんな君と過ごした二日間は、俺にとってとても“特別”なものになった。
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潮風に揺られながら、フェリーを降りてコンクリートの地面へと足を運ぶ。
降り注ぐ日光は相変わらず肌を刺してくるようで、この異常気象に文句を言わずにはいられない。
けれど足取りは以前よりも軽く、彼女を求めてリズム良く坂を上がっていく。
そうすると、
『この先すぐ
宿 海の里あり』
と書いてある看板が見えてきた。
次はそう、道なりに左へ進むだけ。
世界がスローモーションに見える、俺の瞳に映ったのは。
「透羽っ……!」
「っえ……蒼空!?」
透羽と初めて会ったあの日から、約一ヶ月。
どうしても透羽と会って話したいことがあって、もう一度やって来たのだ。
連絡先を交換するのを忘れていて透羽がこの島のどこにいるのか分からなかったけど、なんとなく同じ場所にいると思ったんだ。
久しぶりの再会に、お互い興奮気味で駆け寄る。
「透羽、あの……」
「蒼空〜!」
「!え、と、透羽……っ」
俺は今、透羽に抱きつかれている。
自分に恋愛経験が無さすぎて、こういう時どうしていいのかわからない。
透羽はそんな俺のことはお構い無しに再会を喜ぶ。
「久しぶりだな、蒼空!会いたかったぞ!」
「お、俺も!透羽に会いたかったっ。あっ、それと……」
今日、俺が透羽に話したいこととは。
「透羽!これ、見て!俺、入賞したっ」
そう。
例のフォトコンテストで最優秀賞に選ばれたのだ。
応募した写真は、『秘色の滝』へ行った時、透羽が柵の上へ立ってこちらを見下ろす形となっていたあの写真だ。
写真は一枚しか応募できない。
だからどれにしようかとアルバムを見返したが、すぐにこの写真にしようと決めた。
俺の言葉に、透羽の笑顔がぱあっと花開く。
「!やったなぁ蒼空〜!」
透羽は俺以上に喜んでくれて、そんな透羽を見れて俺も嬉しくなる。
でも、もう一つ話したいことがあるのだ。
息を大きく吸って、吐いて。
「と、透羽」
「なんだ?」
「俺……と、透羽のことが好き」
あの後、フェリーで一人になった時。
ツーショットを見ながら思い出に浸っていると、
透羽ともっと話がしたかった、
透羽の笑顔をもっと見ていたかった、
透羽ともっと写真が撮りたかった、
と思っている自分がいることに気がついた。
そして最後に、
そっか……俺、透羽のことが好きなんだ……
と自覚し、次会った時は気持ちを伝えようと決めていたのだ。
例え気持ち悪がられたって、拒絶されたっていい。
透羽がそんなことをしないのは分かっているけど、透羽を困らせたくはないから。
かと言って諦めたくもないけど。
暫く沈黙が流れたあと、透羽の声が聞こえてきた。
「蒼空、少し膝を曲げてくれないか?」
どうしてそんなことを言うの分からないけど、とりあえずその通りにしてみる。
すると。
俺と透羽の唇が、触れた。
っ………え?
唇が離れ、透羽の顔を見てみる。
すると透羽は顔が真っ赤で、俺も頭が混乱するのと同時に顔が赤くなっていく。
透羽が、小さな声で言う。
「……アタシも好き。ずっと、会いたかった」
Fin.