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8 霧宮凪「蛇の目姫が来た」

 慌てふためきながら、塩野しおのは燃える札を右へ左へ。

 その様子は、まるで初めて火のついたマッチを持った子どものようだった。


「し、塩野さん。その炎は霊的なもので、熱さは幻覚です。しっかり持って感覚を確かめれば、熱くなくなるはずです」


「え? ……ああ、本当だ。驚いたぁ……」


 何ともないことに気づいた塩野は、制帽を取って額を袖で拭う。だが、燃える札を掴んでいる手で拭ってしまったので、炎が顔の前に来て「うわっ!」とまた飛び上がっていた。


 その空気を読まない様子に、なぎは思わず吹き出しそうになる。


「何をふざけている。あの火遊びがそんなに面白いか?」


 黒入道くろにゅうどうが不愉快そうに尋ねてきた。そのまぶたは怒りに震えていたが、凪はもう臆さなかった。


「もちろん面白いのもあるけど――何馬鹿みたいに焦ってたんだろうって。こんな大物が出てきて、あの子が約束守るはずないって分かってたのに」


「何の話だ?」


 黒入道の問いかけを無視して、凪は腕時計を確認した。

 約束の時間までまだ十数分残っている。当初の取り決めを反故ほごにされる形になってしまったが、今は彼女の横暴さに感謝する他なかった。


「これは自分への言い訳になるんだけど……一応、あたしはあなたも救いたかったんだ。本来、【澱攫おりさらい】はあなたみたいな闇に溺れた魂こそ救済するのが目的だから。それだけは覚えておいてほしい」


「なんと無礼な! この俺に憐れむような目を向けおって。もう我慢ならん! ここで今すぐ――」


 そこで黒入道の目がびくりと震えた。

 やっと異常に気づいたらしい。


「なんだ、下の階に新しい客か? いや、これは……おいふざけるな! 俺の客が減っていく! 誰だか知らんが、横取りする気か!」


 唸るような声で叫びながら、黒入道の大きな目玉は閉じられる。すると、巨大な黒い顔は闇に溶けるように消えてしまった。


 窓には街の明かりと夜空に浮かんだ白い月が戻ってくる。


「き、消えた?」


「ええ、移動したみたいです。多分、もう戻ってこないと思いますけど……でも、これからの方が危ないかも」


 答えながら、凪は塩野と固まっている霊たちの方を見る。


「塩野さん、さっき言った通り避難をお願いします」


「は、はい。建物の外へ、ですよね?」


「あっ、ごめんなさい!」凪は慌てて手を振る。「やっぱり逃げるのは“上”に変更で!」


「へ? 上、ですか?」


「はい。上です!」


 突然の変更に塩野は目を丸くしていたが、その理由を彼に説明している暇はなかった。


 凪の霊感が、すぐにでもここから逃げろと告げてきている。そして、その危険は階下からうねるように迫ってきていた。


「電気はまだ止まってるかもしれないんで、階段で屋上まで走ってください」


「わ、分かりました。霧宮きりみやさんは?」


「私は結界を張りつつ、他の階の霊たちにも上へ逃げるよう呼びかけてきます。みんなもできれば塩野さんと一緒に逃げてほしいんだけど……」


 凪がそう声を掛けるが、霊たちは状況が飲み込めておらず困惑の表情を浮かべるばかりだった。ここはぎりぎり形を保っている者たちのフロアなので、ただ呆然としているだけの者も多い。けれど、いまさら霊力を分けて自我を呼び起こしている時間はなかった。


 ――やっぱり、あたしじゃ彼らを救えないのか。


 動かない霊たちに凪が諦めを覚えかけたとき、彼らの脇にいた少女が手を上げた。


「みんな、お姉ちゃんの言う通り上に行こう」


 それはミサだった。

 彼女は少し余ったセーターの袖を振りながら、霊たちに呼びかける。


「黒いお月さまをやっつけたお姉ちゃんが言うんだもん。きっとそうした方がいいんだよ。もしかしたら、お外にも出られるかもしれないよ」


 その言葉は生きている凪とは根本的に波長が違うのか、ほとんどの霊たちにしっかりと届いているようだった。渡した霊力が彼女の声を伝って広がっているのかも知れない。次第に霊たちの表情に変化が生まれ始めていた。

 その光景に、凪は思わず目尻を拭う。


「ありがとうミサちゃん。実はあたし、特に何もしてなかったんだけど」


「そんなことないよ。お姉ちゃんが喋ってたら黒いお月さまは逃げていったんだよ」


 無邪気に笑う少女は、幽霊とは思えないほど活き活きとしていた。


「こ、こうなりゃヤケだ! 私だってここの警備主任。声掛けと誘導、手伝いますよ!」


 居ても立ってもいられないといった様子で叫んだのは塩野だった。「幽霊だとしても、今はすっかり見えてますからね!」と言って彼は胸を叩く。


 それは非常にありがたい申し出だった。結界の設置に集中できれば、より防護の精度を高められる。


「ありがとうございます。燃えている結界は霊にも目立つんで、その札を持って先導してくれれば、みんな迷わずついてこれると思います」


「おお、聖火ランナーみたいだ。昔応募したけど落ちちゃいましてね。夢が叶った!」


 塩野は赤く燃える札を仰々しく掲げて言う。

 それから、彼は霊たちの方を向いて呼びかけようとして――ふと、我に返ったように凪の顔を見た。


「ところで、あの化け物を追い払ったのに、私らは一体何から逃げなきゃいけないんです?」


「それは――」


 凪は思わず即答しかけたが、思い直して一度口を閉じる。それから、改めてこう答えた。


「蛇です。お化けが大好物な『じゃひめ』が来たんです」

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