卯月:春疾
私が曽祖父から受け継いだ力なんて大したことなんかない。
ほんの少し先を見るだけだ。どこか高くて遠い視線で周囲を見て、かくれんぼはなんだか寂しくてつまらなくて、天気予報よりも正確で。友達といて笑っていても、なんだか心が遠くって。
ただそれだけだ。ただそれだけだったはずだった。
──目が、時折金色になる以外は。
最初に色が浮かんだのは小学校の時だった。遊具から落ちかけた友達の「先」を見た。手を伸ばした先に友達の悲鳴を聞いて、バケモノと叫んで拒絶した彼女はそのまま落ちて怪我をした。「先」で見た通りそのままに。場合によってはトラウマになるであろうあの時の恐怖の表情すら、ただの景色と音として受け止めて消化してしまっている。
受け止めてくれる友達だっていた。バケモノと陰口を叩かれることもあった。金色の目を光の具合だろうと笑い飛ばして、そのまま疎遠になったヒトがいた。ヒトが吐く言葉も畏怖もいつのまにか気にならなくなっていた。
曽祖父は呪いと呼んだそれ。周りの反応が通り過ぎて、反応するような人並みの心を持たないのなら、それは確かに呪いなのだろう。その力の、目の、
「つ、使い方──?」
「あるでしょう?その目に、人ならざるものの力が。人を超えた神の力が。私なら使い方を教えて差し上げられる。忌避の目で見られるのには疲れたでしょう?使い方が分かれば貴方は貴方でありたいように振る舞えるのでは?」
ねぇ、優お嬢様?
甘い声が耳をくすぐる。下瞼を撫でられる。香の臭いがふと鼻先を掠めて溶けていく。黒く沈んだ瞳から目が離せなくて息が詰まる。思考がまるで蜘蛛の巣に絡まった蝶のように絡め取られて、言葉がまとわりついて離れなくて、溺れていく──
──私は、普通の人間だと、ちょっと家柄だけが特殊で、特出した能力もない人間だと──
──そう心から、言い聞かせなくても思えるのだろうか。
「……、目の色が変わらずに済む?」
「ええ、貴方が望むのなら」
「……バケモノに、ならずに、」
「勿論。貴方は人だ。ほんの少し特別な力を持っただけの」
呪いになんか負けんなよ、ともう遠く掠れた曽祖父の声が蘇る。
バケモノ、と叫んだ瞳が蘇る。
あからさまに態度が違う家族の姿が蘇る。
四月生まれというだけで身不相応のものを与えられた時の、置いてきぼりで古臭い遺言が蘇る。
その言葉は断るには甘美すぎて、まるで催眠にかけられたように私は頷いてしまっていた。
管理人さんが淡く微笑んで、ただでさえ近づいた顔が鼻同士が触れ合いそうなほどに距離を詰めて──
次の瞬間、管理人さんの頭が視界から消えた。次いで鈍い音と共に管理人さんの体とどうやら投げつけられたらしいコーヒー缶が転がった。荒っぽい足音が近づいてきて管理人さんを容赦なく蹴っ飛ばして思わずカエルが潰れたような声が出る。
「ヒッエッ?!!??」
「人のいねえ間に未来の雇い主だかの部屋でガキ連れ込んで盛ってんじゃねーよ女型モドキ。ヤんなら屋敷の外でやれ」
現れたのは鉄板みたいな上半身の青い瞳の男性だった。両腕にデパートの紙袋を大量にぶら下げて、投げつけた缶コーヒーを拾い上げるとぽんぽんとその手で遊ばせている。精悍な顔つきをしているけどまずでかくて怖い。怖いしでかいし丸太みたいな足と胴体してる。全身から滲み出る怒気も皺が寄った眉間もとにかくめちゃくちゃ怖いし口が悪すぎてさらに怖い。
衝撃に吹っ飛んだらしい管理人さんが壁にべしゃりと張り付いたまま、どうにか体を起こした。声すら潰れている。
「……帰りが、早いですね……柳水……」
「急がせたのはテメーだろうがボケナス。人に飲みモンやら菓子やらご主人サマの歓待の準備任せておいて自分は出迎えも掃除も何も用意してねーで何やってんだ?あ゛?首へし折られてぇのか?今日こそ綺麗に折ってやろうか?それとも脊髄ごと抜かれてぇか」
「……彼女です」
「あん?」
「彼女が雇い主、です」
その瞬間青い双眸がこちらを向いて思わず私は身を縮み上がらせた。ああ?と口を歪めた大男がこちらを見下ろして品定めするように観察する。どうしようめちゃくちゃ怖い。さっきまでの息もできないような蜘蛛の巣はとうに取り払われて、私の思考は回るようになっていたけれど、逆に見定められているプレッシャーで息が出来なくなりそうだ。そんなことを思っていたら額を掴まれて顔を上げさせられた。一瞬黒い羽根が視界を舞う。
「ヒッ?!」
「あぁ?あー……。あー、そういうことか。ハァーー?カスがよ、なんも持たされてねえだろうがこのガキ。テメー家に入れるだけ入れて何してたんだよ。羽も生えそろってねぇ爪も柔いちんちくりんの雇い主によ。なぁガキ」
額を掴まれたまま顔をぐるぐる動かされて酔いそう、どころかもげそうだ。雇い主……もとい私が今日から家主になることは把握しているようだけれどそれがどうしたというように容赦がない。というか、ちんちくりんて。ちんちくりんって……。
「……違います」
側頭部と脇腹を押さえた管理人さんがふらふらと立ちあがろうとして転んだ。よっぽどいい蹴りがいいところに入ったらしい。
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