第五話
お風呂から上がってベッドに入る前、スマホを充電しようと手に取ると、エリザからメッセージが届いていた。
そこには以前約束していた通り、冬休みに入れば会えるかもしれないから、父を連れて会いに行きたいとあった。
頭の中で、試験が近いことも含め、考えなければいけないことが駆け巡る。
「ああ、もうっ」
普段あまりイラつくことはないけど、今更離れて暮らしている身内のことを考えなければならないのは、煩わしいことこの上ない。
「どうした?」
夕陽の声が背中から聞こえて、ハッとなって振り返る。
どうにも最近、一緒に居る時も気が緩んでいるのか、独り言や自由な態度が出てしまう。
「あ・・・いや・・・」
落ち着いて息をつき、頭の中を整理する。
とりあえずエリザには手早く検討する旨を伝えて、もう今から寝る時間だからと返信を拒否した。
スマホの充電コードを刺すと、夕陽は後ろからそっと俺を抱きしめる。
「捕まえた~♡」
ふわりと香るシャンプーやボディーソープの匂いが自分と同じもので、それがイラついた心を和らげるように包み込む。
彼の優しいキスが髪や耳に伝って、こらえきれずに振り返って唇を重ねた。
夕陽は俺の腰を引き寄せて、食べるようなキスをする。
鼓動が早くなって、気持ちのいいキスで体が熱くなってくる。
頭の中で呪文のように、「夕陽好き・・・好き・・・大好き」と唱えながらキスを繰り返した。
やがて興奮を抑え込んだ吐息をもらして離れると、彼はもうオスの目で俺を見ていた。
「薫・・・後で話すって言ってたことは?」
俺の手を取ってベッドに連れて行きながら夕陽は尋ねた。
「・・・えっと・・・先輩の誕生日が近くて、お世話になってるし何かプレゼント買わなきゃなぁって考えてた。」
ベッドに二人して腰かけると、夕陽は大事に俺の頭を撫でながら微笑んだ。
「そっか。何にしようか悩んでたってこと?」
「そうだね、オススメの小説とかでもいい気はするけど・・・もっと実用的な物がいいかなぁ。」
「ん~・・・好みを知らないことには何ともだけど、どんどん寒くなってくし・・・冬場に使えるものとかでもいいかもな。」
夕陽は布団をめくって潜り込み、「おいで」と俺を包み込むように迎え入れる。
「あったか・・・夕陽ってなんか体温高い気がするよね・・・。抱きしめられてるとさ、すぐ眠くなるんだよ・・・。」
「ふ・・・そっか。いいよぉ寝ても。可愛い薫の寝顔見てて飽きないし。」
まるで小さな子供に戻ったような安心感を覚えて、夕陽の優しい声が更に眠気を誘う。
「でも・・・エッチしたいでしょ?夕陽・・・」
「したいけど・・・バイトで疲れたろ?お風呂もゆっくり入れたし、しっかり寝ないと明日に響くから。週末また泊りにくるからさ、そん時はいっぱいしよ?」
「うん・・・。夕陽大好き・・・」
「・・・あぁ・・・やばぁ・・・。はぁ・・・おやすみ薫。」
夕陽は俺の頭に頬ずりして、またぎゅっと抱きしめ返してくれた。
夢みたいだ・・・。夢の中にいるみたいに気持ちがフワフワする。
幸せ過ぎていつか終わりが来るんじゃないかって不安になる。
目を閉じながら、俺は必死に考えた。
どうしたら、夕陽とずっと一緒に居られるだろう。
何をどう努力したら、年を重ねても彼から必要とされる人間でいられるだろう。
今はそんなことだけを考えていたい。
二人っきりの甘い時間を堪能していたい。
その夜妙にハッキリとした夢を見た。
祝福の声に満ちたチャペルのような場所で、タキシード姿の夕陽と一緒に歩いていたのは、知らない花嫁だった。
俺は二人が歩く脇で人に紛れて、ライスシャワーを投げた。
煮えたぎるようなモヤモヤした気持ちで・・・。
その後芝生が綺麗な庭で、各々がテーブルを囲んで歓談している中、ボーっとグラスを持っていると、遠くで聞こえていた夕陽の嬉しそうに談笑する声が、俺のところにやってきた。
挨拶回りのように友人たちのテーブルを回る彼は、ついに俺の目の前にやって来て言った。
「薫、来てくれてありがとな。」
いつものように側に立つ背の高い彼の顔を見上げて、俺は何とも言えない表情を返すしかなかった。
俺が黙っていると、夕陽はいつもの優しい笑みをこぼして、俺の頭にポンと触れた。
「何だよ・・・祝いの言葉もねぇの?」
白いタキシードが驚くほど似合う彼は、同じく白い手袋越しに俺に触れていて、いつもの綺麗な手は見えなかった。
「・・・・おめ・・・でとう・・・。」
「・・・来たくなかった?」
心無い言葉が降り注いで、俺はついに堪えた涙がポロポロ零れた。
「俺だけだって言ったのに・・・嘘だったんだね・・・。」
「・・・んなこと・・・言ってもさ・・・薫は男だから、結婚しても子供は出来ねぇし、親に孫の顔見せてやれねぇじゃん・・・」
「・・・だったら最初から・・・一緒に居ようなんて言わないでよ・・・」
彼は今よりも少し大人っぽくて、頼りになりそうな風貌で、俺の知らない人でしかなかった。
あまりにもつらかった。
幸せそうな空気の中、幸せそうにする遠くにいる誰かもわからない夕陽の奥さんと、友人たち。
俺がその場にいるのが不思議で仕方ない、ただただ地獄の光景。
夕陽は涙を流す俺に、小さくため息をついた。
「ごめん・・・。」
どんな罵詈雑言より、俺にトドメを刺すのに十分な言葉だった。
その一言に、将来を考えた彼が出した決断の全てが詰まっていたから。
俺が死の淵を覗くように俯いていると、夕陽は俺の名前を呼びながら頬に触れた。
苦しくてその手を振り払っても、逃げようと足を動かしても、夕陽は俺の手を掴んで名前を呼んだ。
そこを飛び出して死ぬつもりでどこかへ駆け出した。
けどどこまで走っても、夕陽の声が聞こえていた。
涙が止まらなくて、そのまま道路に飛び出すと、大きなトラックが自分めがけて走ってきて、激しく光るライトが俺を責めるように照らした。
あ、もうこれでいいや・・・そう思って立ち止ったのに、その瞬間に聞こえたのは
「薫!!」
タキシードを身に纏ったままの、その場に似つかわしくない彼が、必死な形相で俺を突き飛ばして、俺の立っていた場所と入れ替わった。
「うそ・・・」
スローモーションで見えていた場面で、最後に見た夕陽の顔は、涙目で悔しそうにしていた。
その時ハッと両目を開いた。
「薫・・・」
俺を見下ろして心配そうにしている夕陽がいた。
静かな寝室のベッドの上で、尚もボロボロと涙が流れた。
「あ・・・・あぁ・・・・」
頭の中を駆け巡る夢の中の記憶が、シャボン玉のようにパチパチ消えて行く。
「ゆめ・・・」
夢だ・・・。
目の前にいた夕陽は、一つ息をついてそっと俺を抱き起した。
何も言わずに抱きしめて、未だ軋むように痛んで脈打つ心臓を、なだめるように背中を撫でてくれた。
「うなされてた・・・。」
自分の中にある不安という不安を、全て具現化したような夢だった。
せめて目覚めたこの瞬間、一人でいられればよかった・・・。
夕陽に心配かけることもなく、ただの夢だって傷つきながら一人で泣けばよかったんだ。
けど彼に抱きしめられてしまえば、もう抑えきれなかった。
どんな夢を見たのか思い出すと、再び溢れてきた涙と一緒に子供のように号泣した。
叫んでむせび泣いて、いつか来るかもしれないような終わりを繰り返し思い出しては、夕陽にすがって泣き続けた。
それは幸せな日々の反動なのか
はたまた抱え続けていた寂しさが起こした不具合なのか
心に残っているのは、初めて好きになった女の子が死んだこと。
父と母が喧嘩して、俺を置いて家を出たこと。
誰も帰らない家で、一人泣いていたこと。
暑い日も寒い日も、誰とも話さず一人教室にいたこと。
愛した先輩の眼中に、俺は存在していなかったこと。
平気なふりをして大学生になった。
何も満たされないまま。
無理やり大人になるしかなかった。
いつの間に、自分で自分を殺したんだろう。
抱きしめてくれていた夕陽の腕の中で、いつかそれを失うと思うと、回していた腕を解いた。
「・・・・薫?」
「あの時・・・死んでればよかったな・・・」
あの日先輩がうちへ来てくれて、淡々と片付けた細いロープを思い出した。
その後、脳が思考することを拒否するように、目の前が暗転した。




