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夕陽と薫  作者: 理春
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第三十七話

夕陽がウエイターのバイトを辞めて数日後、ついに晶さんの自宅に使用人として手伝いに行く日がやってきた。

美咲さんは雇用契約書からマニュアル、注意点と留意点が書かれた書類、一日の仕事が終わった後の報告書など、全てを短い期間で手作りしてくださって、それがまたとてもわかりやすくきっちりまとめられており、パソコンでデータが送られて印刷した後は、しばらくうちで夕陽と黙って読み込んだくらいだ。

夕陽と二人で必要な書類と、持参物を確認し合いながら準備して、美咲さん経由で教えてもらった晶さんの連絡先に、ご自宅に向かう旨を連絡した。

マンションを出ると晶さんから、『お待ちしてます、気を付けていらしてください。』と、丁寧な返信が来た。


「ねぇねぇ」


「ん?」


駅に向かう道中、気持ちのいい青空の元、スマホを持つ反対側の手で夕陽の手をぎゅっと取る。


「俺少しは財閥について調べはしたんだけど、そんなにおうちのことについて詳しい情報が出てくるわけでもなかったからさ・・・あんまわかんないんだけど・・・晶さんって・・・松崎家の元ご当主ってさ・・・お嬢様な暮らしをしてきたのかな。」


「ん~・・・そうだなぁ・・・俺ら一般人が想像しうるお嬢様な暮らしってのと、またちょっと違うのかもしれないな。所謂なんていうか・・・大企業の令嬢って感じじゃねぇじゃん財閥って・・・。そなへん高津先輩からなんか聞いたことなかったの?」


そう問われてふと、高校生の頃からの咲夜を思い出す。


「ん~・・・咲夜は・・・高校生の時から素性バレてて、周りから詮索されることも多かったと思うんだけど、俺はあんまり部室で一緒にいても、プライベートな話って聞かないようにしてたんだよね。本人からポロっと話してくれることは聞いたりしたけど・・・それでも・・・お母様が病死したっていう話くらいかなぁ。」


「あぁ・・・そうなんだ・・・まぁ確かに聞きにくいよな。別世界な感じしちゃうし。・・・そっか・・・松崎家も高津家も、前当主は亡くなったって、ニュース結構前に出てたし・・・先輩両親いねぇんだな・・・。」


夕陽は物思いにふけるような表情をして、少し咲夜を不憫に思っているようだ。


「だからかな、美咲さんが咲夜よりなんかこう・・・年の割にすごくしっかりされてるの。」


「あ~確かに。親代わりじゃねぇけど、お兄さんだから・・・。焼肉んときも先輩言ってたもんな、怒られるのが嫌だとか。」


「そうそう、そういうところでちょっと兄弟間の関係性が見えたりするよね。」


頷く彼と一緒に駅の改札を抜けて、ふと階段を降りながら思う。


妹さんを亡くしている夕陽に、兄弟の話をすることは悪手だ。

でも・・・これから美咲さんのご自宅で働かせてもらうなら、自然と家族の話を聞く機会は多くなる可能性がある。

どうしよう・・・。


「薫?電車もうすぐ来るぞ。」


「え!ああ、うん・・・」


ボーっとしているうちに、人の少ないホームでアナウンスが流れる。


「大丈夫か?気分悪い?」


「ううん、大丈夫。」


夕陽は表情を曇らせて、屈んで俺の顔を覗き込む。


「薫・・・無理だけは絶対すんなよ?美咲さんも晶さんも、お前の事情を汲んで仕事を提案してくれたんだからさ、別に遅刻しても体調の問題なら誰も責めたりしないから。」


まるで小さな子供に言い聞かせるように優しく諭された。


「ふふ・・・うん、わかってる。無理して心配かけるのも迷惑かけるのもダメだから・・・。ちょっと考え事してただけだよ、大丈夫。」


夕陽はまたスッと背筋を伸ばして微笑んだ。


「そか・・・。俺は薫のことで迷惑だなんて思ったことねぇから。しんどくなったら俺に泣きついてな?」


「ありがとう。」


電車に乗り込み、誰もいない車内で二人隣同士で座った。

公共の乗り物で隣同士でいるのは、何だか嬉しい気持ちになる。

たった一駅先をワクワクして、車窓からの景色を楽しみつついると、指を絡めて恋人繋ぎしながら夕陽は言った。


「なぁ、電車で遠出するってなったら・・・どこ行きたい?」


「あ~・・・そうだねぇ・・・。寝台特急とかに乗って・・・温泉旅行とか・・・。後は、遊園地とか?」


「あ~・・・薫、遊園地好きだっけ?」


「わかんない、行ったことないから。」


「え!そうなんか!そっか・・・んじゃあれだなぁ・・・金貯めて、遊園地の近くのホテルも取ってさ、二人でイチャイチャ遊園地旅行だな~。」


「いいね。・・・・ホテル取るって考えて夕陽は今、やらしいこと思い浮かべたんだね?」


チラっと彼を見ると、口をへの字にしてニヤニヤを堪えるようにしていた。


「・・・・その通りだけど何か?」


「ふふ、俺は可愛らしくて豪勢なホテルの一室を思い浮かべたのになぁ。」


夕陽は俺の太ももに手を置いて撫でる。


「健全な大学生が考えることなんで、恋人と遊びに行くことと、いやらしいことはもうセットだよ。」


それから他にもいくつか、二人で行きたい旅行の計画を立てた。

特に具体的ではないけど、とりあえず箇条書きにするように、あれこれ叶えられるかわからない計画を二人で話し合うのは、絵空事だとしてもとても楽しい。

そうしているうちに次の駅に着いた。

また迷わないように地図アプリを開き、住宅街を縫って歩いて、豪邸と言っていいだろう一軒家の前にたどり着いた。

インターホンを鳴らすと、以前と同じように嬉しそうに顔を覗かせた晶さんが出迎えてくれた。


「いらっしゃい二人とも。」


「こんにちは、今日からよろしくお願いします。」


二人して頭を下げると、同じく彼女も綺麗なお辞儀を返した。


「こちらこそ。ふふ、とっても楽しみだったの。待ちきれなかったわ。」


口元に手を当てて嬉しそうに微笑む晶さんは、綺麗な指先にピンクのマニキュアが塗られていた。

招き入れられた俺たちは、まず洗面所を借りて念入りに手洗いをし、手指を消毒した。


「じゃあ・・・晶さん、美咲さんからいただいた業務リストに沿って、俺は二階から掃除させてもらいます。リビングでの掃除や家事は薫が手伝う形で、細かいやり方とか教えてやってください。」


「ええ、わかったわ。」


二人してマスクを装着して、準備を整えた。

晶さんは終始にこやかに俺たちを眺め、夕陽と二手に分かれた後俺をキッチンへ手招きした。


「あれ・・・なんか香ばしい匂いしますね。」


広いキッチンに足を踏み入れると、オーブンの方からかいい匂いが漂った。


「ふふ、休憩の時に一緒にクッキーはどうかと思って、今焼いてるの。後で一緒に食べましょうね。」


「そうなんですか、ありがとうございます。」


一先ず美咲さんの業務指示通り、エアコンの設定温度や加湿器の水量をチェックする。

大きな空気清浄機が加湿器と両立されていて、暖房をつけているので窓は閉まって、雨戸も下げられている。

とりあえず少し高めの位置にある窓際をチェックして、結露していた部分を雑巾で丁寧に拭いた。

洗い物や水回りの掃除は晶さんが毎日しているからか、とても綺麗だった。


「あの・・・キッチンの戸棚とか周り見てもいいですか?」


「ええ、どうぞ。」


妊婦さんは足元が見えにくい。

調理器具などがしまってある戸棚を覗くと、鍋やフライパンはそう多くなく綺麗に収納されている。


「・・・・エアコンつけて加湿器つけてると、やっぱり下の方の棚は空気がこもるみたいですね・・・。少し奥の方にカビが・・・」


「やだ!ホント?・・・そういえば何度か雨の日もあったし、ちょっと多湿だったかなぁ。」


「とりあえず換気のために戸棚の中拭いた後、開けときますね。今度湿気用の置き型の炭を買ってきます。」


スマホを取り出してメモしながら、食器棚や冷蔵庫の位置を確認して、家電の隙間も掃除機をかけた。

壁を伝うようにまとめられた電気コードも入念に埃を取って、カラトリー類が入った引き出しも整頓した。

紅茶の茶葉を取り出してお湯を沸かす彼女は、恐らく妊娠7か月程。

元々が細い方のなのか、お腹はそこまで大きく見えない。


「休憩されてる間にトイレとお風呂の掃除もしちゃいますね。後で掃除用具の場所を教えてください。」


「ええ、ありがとう。薫くんも疲れたら遠慮せず声かけてね。」


「・・・はい。」


キッチンマットを丸めて運んで、洗濯機へといれた。

洗面所付近のタオルや消耗品が仕舞われている場所を把握しながら、奥にあるお風呂を覗く。


「わぁ・・・広い・・・」


高級なホテルで見るような丸い湯船があった。恐らくジャグジーがついているような・・・。


「ん・・・?隣なんだろ・・・」


お風呂の隣にある、トイレではなさそうな小さな扉を開けてみると、そこは3畳ほどのミニサウナ室だった。


「すごい!」


思わず声が漏れた。


「どうかした?」


顔を覗かせた晶さんが不思議そうに首を傾げた。


「あ、いえ・・・サウナ室まであったので・・・すみません大声出して・・・。」


「ふふ、確かに珍しいわよね。そういえば・・・どうしてサウナ室作ったのかしら・・・。元々ね、ここは松崎家の別宅で、だいぶ前は使用人の方が住んでいて、私も美咲くんと同棲する前少し住んでいたの。たぶんだけど築15年くらいだと思うのよ?おうちの中の設計はいったい誰の趣味なのかわからないわね、ふふ。」


「・・・そうなんですか・・・。えっと、別宅っていうのは晶さんのお父様の指示で建てられたわけではなく・・・?」


「ん~・・・どうなのかしら・・・そうかもしれないし、詳しいことは私も調べたことなかったわ。この辺りは松崎家の土地なのだけど、別宅自体は2軒ほどだし、たぶん・・・当時贔屓にしていた取引先の方の勧めで、建ててもらったりしたんじゃないかしら。」


「そうですか・・・」


東京でも有数の高級住宅街の一帯が、松崎家の土地・・・?

俺が思っているより規模の大きい話になって、考えるのが疲れてしまうので詮索することを辞めた。

その後彼女に掃除用具をいくつか借りて、お風呂とトイレの掃除を終えた。


「ありがとう~助かるわ。どうしてもお腹が大きくなってくると屈んだりするのもつらくて・・・。」


「いえ、お役に立ててよかったです。」


業務リストを確認しながら備品のチェックをして、彼女が紅茶を飲み終わった頃、リビングに掃除機をかけた。

いつもの少し広い自宅を掃除するのとはだいぶ違った。

一般家庭のリビングの倍ほどの広さがあるので、角に埃が溜まらないように気を付ける。


「ふぅ・・・えっと・・・使ってない和室と、奥の書斎の掃除もあるんだな。後はぁ・・・」


俺がファイルに入れた印刷した書類を確認していると、ひょいっと晶さんが俺の後ろからのぞき込んだ。


「・・・何でしょう。」


「うふふ、少し疲れたんじゃない?ちょっと休憩しましょ?」


チラっと壁掛け時計を確認すると、11時だった。


「でも・・・まだ初めて一時間くらいしか経ってないですし・・・」


「いいのよ。ほら・・・私の話し相手になってもらうっていうのも、業務の一つとして考えてもらって結構よね?そういう話だったわよね?」


俺の空いた片手をぎゅっと取って、彼女は目をキラキラさせた。


「は・・・はい・・・。じゃあ・・・えと、お話伺います。」


「うふふ、そんな固くならなくていいの!私たち二つしか歳の差ないんだし。」


そう言って笑う彼女は、少し子供っぽい笑みを見せてソファへと手を引いた。


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