第三十三話
ひんやりした空気の中、神社にたどり着いて、除夜の鐘を待ちながら俺たちは参道の列に並んだ。
夕陽と指を絡めて手を繋いで、昼間来た時とは違う雰囲気の境内の中へと進んで行く。
そこまで大袈裟な人の多さではないけど、少しずつ進んで行く行列に、しばらくすると疲労感に襲われた。
体が重くなってくる。そのうち周りの人の声がやけに気になって来て、何だかソワソワしてしまう。
何度か深呼吸して気持ちを入れ替えようと試みたけど、それは変わらない。
俺は手を離して夕陽の腕をぐっと掴んだ。
「夕陽・・・」
少し我慢したけど頭痛もしてきた。
マフラーに口元をうずめた夕陽は、覗き込むように腰を折った。
「ん?」
「ごめん・・・しんどいかも・・・」
俺が小声でそう言うと、真剣な顔つきになって手を引いて並んでいた列を離れた。
「だいじょぶか?一旦こっち座ろ。」
絵馬が吊るされる場所の前で、ベンチに座って一息つく。
「ごめん、せっかく列もうちょっとだったのに・・・」
「そんなこといいって・・・。気付かなくてごめんな?・・・顔色悪いな・・・。とりあえず、持ってきた暖かいお茶飲もう。」
鞄から水筒を取り出した夕陽は、手際よく湯気の立つお茶を注いでくれた。
「ありがとう・・・。」
「まぁまぁな人波の中、長時間並ぶのはちょっときついよなぁ・・・。ごめんな薫、初詣なんて並ばずに行ける時間帯に行きゃあいいのに・・・。」
「ううん、夜にここまで・・・夕陽と散歩出来たのは楽しかったよ。・・・・ふぅ・・・・ちょっと落ち着いた。」
「そか・・・。しばらく休憩だ。・・・そうだ、初詣はさ、もう明日以降にして・・・帰りにコンビニ寄って、温かい肉まんでも買って帰ろうぜ。」
「ふふ、いいね。でも来る前に蕎麦食べたのに・・・まだ食べれるの?」
「俺は全然いける。夕飯少な目にしたし。夜中に食べる肉まんって美味いよなぁ・・・。」
「そうだね、それはそれですごく思い出になるね。」
二人で静かに笑い合っていると、重々しい年越しの鐘が鳴り響いた。
去年の今頃は、いったい何をして過ごしていただろう。
きっと相変わらず先輩のことなんかを思い出しながら、一人寂しく受験勉強に勤しんでいたに違いない。
咲夜も言っていたけど、自分でもこんなに短い期間で恋人が出来ると思わなかった。
「薫、ピザまんと肉まんだったらどっち派?」
コンビニについて、夕陽は水を取りながら尋ねた。
「・・・ん~・・・どっちも好きだから絶対こっち!っていう気持ちはないよ。」
「そうなんか。俺もまぁ・・・ゆうてどっちも好きなんだよなぁ。一つずつ買って分け合えばいっか。」
俺が頷くと、彼はまた俺の手を取っていそいそとレジへ向かった。
夕陽と付き合い始めてまだ2か月も経っていない。
けど彼は、俺との将来を考えていると言うだけあって、一緒に住むことも仕事を変えて俺の障害を支えることも、一切ためらいがなかった。
会計を終えて、再び冷たい外の空気の中、二人手を取って歩いた。
「つかさ・・・来月はとうとう薫の誕生日じゃん・・・」
「あ~・・・そうだね。」
コンビニ袋片手に幸せそうな笑みを向ける夕陽は、俺の手をぎゅ~っとして引き寄せた。
「何がほしい?」
「・・・・」
その時ふと思い出した。彼が覚えてるかどうかはわからないけど・・・
「夕陽がほしいよ。」
俺があっけらかんとそう言うと、夕陽はポカンと口を開けて次第に顔を赤らめていった。
「・・・・ど・・・な・・・・不意打ち過ぎだろ・・・なんだよそれ・・・」
「あれ、やっぱり覚えてないんだね。夕陽の誕生日を初めて聞いた時、俺の誕生日も聞いたじゃん。その時、『夕陽がほしいって言わせてみせるからな』って自分で言ってたんだよ?」
「・・・そう・・・だっけ・・・あ~・・・そうだったわぁ。」
恥ずかし気に顔をかく夕陽は、癖っ毛をかきあげて眉をしかめた。
「つーか俺そんなうすら寒いこと薫に言ってたんか・・・。」
「うすら寒いって・・・そんな風に思わなくても・・・。俺は嬉しかったし、ちょっとキュンとしたんだよ・・・?」
「え・・・マジで?やったぁあぁ♡」
ご機嫌に夜道を一緒に歩く夕陽は、やっぱり車道側を歩かせてはくれなかった。
「それで、くれるの?くれないの?」
「・・・もちろんあげるよ?つーか俺は付き合った時から薫のもんだよ。」
笑みを返して少し考えた。
「付き合った時からそうなら特別プレゼントって感じでもないのかな・・・。じゃあさ、夕陽の初めてをもらってもいい?」
顔を見上げて言うと、彼はピンとこないのか小首を傾げた。
「ん~?何の初めて?」
「・・・性的な意味での初めて。」
またもあっけらかんと言い放つと、マンションの前に着いてピタっと立ち止って、夕陽は次第に焦りを顔に浮かべた。
「え・・・と・・・そ~~れは・・・・ちょっと・・・・いや・・・でも・・・」
顔色を悪くしていきながらあまりにも深刻に悩むので、彼の手を取ってエントランスまで引っ張るように歩いた。
「そんなに考え込む?夕陽は俺に全部をくれないの?」
「ま~~って・・・マジ・・それは想定してなかったって・・・ほら・・・俺が攻める側じゃんか・・・それが覆ると思わねぇじゃん。」
鍵を開けてエレベーターに乗り込みながら、夕陽は悩ましそうに頭をもたげていた。
「俺の願いを叶えたいけど、想定してなかったし想像もつかないし、未知なことだし怖いなぁって葛藤してる感じ?」
「そ~・・・だな。」
「ふふ!そこまで困ってる夕陽見れたの初めてだよ。そこまで悩むなら叶えなくていいよ。他に何か、俺と初めてをしてくれたら嬉しいかなぁ。」
部屋の前に着いて鍵を開けていると、夕陽はキリっと気を取り直したように背筋を伸ばした。
「わかったわ。考えとく。んで当日までに色々思いついたこと案出すわ。」
「うん、楽しみにしてるね。」
まだ数か月前のことだから覚えているけど、あの後俺はリサとも誕生日の話をして、数日違いだねなんて言い合った。
彼女は俺の誕生日に、ケーキを作ってあげると言ってくれていた。
連絡先は消してしまったし、それを後悔もしていないし、その約束は果たせなくなったわけだけど、何だか少し申し訳ないような、消化不良を抱えた気持ちになった。
また二人してリビングに戻って、来年こそは夜でも朝でも人込みでも、一緒に初詣に行ける精神状態を手に入れたいと心の中で思った。
上着を脱いで先にソファについた夕陽は、ポンポンと隣を叩いて俺に座るよう促した。
俺が誘われるがまま隣に腰かけると、夕陽は腕を回して俺に頬ずりする。
「可愛い俺の薫~・・・はぁ・・・幸せ。手ぇ繋いで歩いて、また同じ家に帰って来れて・・・これからもずっと一緒に居られんだな。」
じんわり温かい気持ちになる夕陽の優しい声が、愛おしくてキスを返した。
すると夕陽もお返しとばかりに優しいキスを落とす。
「夕陽ってさ・・・」
「ん~?」
「ちょっと気になってたんだけど、俺とは話し方が違うじゃんか。・・・なんていうか、そうなん?とか省略する言葉が、西の人の方言みたいな言い方するよね。」
「んあ~~よく気付くな・・・。父さんがな、大阪出身なんだよ。だからたまに関西弁で話してたから、若干移ってんだよな。」
「へぇ!そうだったんだ。ふふ・・・へぇ・・・。また夕陽の知らなかった部分知っちゃった。」
「ふ・・・なにそれ可愛いな・・・。俺にも知らない薫教えてよ。」
そう言われて少し考え込んだ。
そして思い切って話すことにした。
「・・・駅前でり・・・・佐伯さんに会ったじゃんか。」
「・・・・おん。」
「俺、佐伯さんに告白の返事をしたとき、どうして夕陽の方が一緒にいたいと思えるようになったかとか、佐伯さんに対してどう思ってたとか、自分がどういう風に悩んでたとか、詳しいことを丁寧に話したんだ。でもさ、後々思い出を振り返ると本人からしたら、付き合ってもいないのにイチャイチャしてたことはあるわけだし、振られることは受け入れられなかったりするものかなとか、気まずくなったり会いたくないって思われてても仕方ないんじゃないかなって思ってたんだ、勝手にね。でもさ、さっき会った佐伯さんは、普通に気遣いを見せてくれたから、俺全然佐伯さんのことわかってなかったのかもしれないなって思ったんだ。・・・それでね、結構前に二人っきりで話した時のこと思い出したんだ。佐伯さんは俺に『好きな人が自分のことも好きになってくれるって・・・早々起こることじゃない。ノンフィクションの小説の中の薫くんは、そういう現実を描いてると思った。でもそれが必ずしも悲しいことじゃないとも思わせてくれてた。』って言ったんだ。自分に起きた事実をどうとらえて、どういう経験値として飲み込むかはその人次第でしょ?もしかして俺が思ってるよりず~っと・・・佐伯さんは大人で、素直に俺の幸せを思ってくれたんだとしたら、それは俺に出来なかったことだから、すごいなぁって感心したんだ。・・・それが・・・さっき神社に向かう前にボーっと思ったこと。言わなかったけど・・・でも夕陽の知らないことではあるから、話そうかなって・・・」
そう後付けしながら恐る恐る夕陽の顔を伺うと、柔らかい笑みを浮かべていつものように頭を撫でてくれた。
「そうだったんか・・・。ありがと、話してくれて。俺はさ・・・さっき佐伯先輩の様子を見る限り、ちょっとはやっぱ引きずってるだろうし、まだ薫のこと好きだろうなぁってのは何となく伝わったんだ。でも薫が言うように、振られたことを不幸なことだとは思ってないだろうし、薫が幸せそうにしてるのを本当に喜んでくれてるようにも感じた。恋愛は自分勝手な気持ちの繰り返しだからさ、思うことはいっぱいあるの俺はわかるけど・・・確かに俺だったら、悔しくて苦しくてあんな風に言えないから・・・俺もすごいなぁってちょっと思ったよ。」
「そっか・・・。あれかな、女性の方がやっぱり・・・気持ちの切り替えが早いって言われてるし・・・そういうものなのかな。」
「ん~どうなんだろうなぁ・・・男女の差は確かにあるかもしれねぇけど、推測と想像で人の気持ちは語らないことにしてるから、何とも言えないな。」
その言葉に何となく感銘を受けて、尊敬の眼差しを夕陽に向けると、彼は不思議そうに小首を傾げた。
彼は焼きもちを妬いても、決して人を貶めるような悪口は言わないし、勝手な解釈で人の印象を下げたりしない人だ。
「俺にとって夕陽は・・・今まで出会ってきた人の中で、一番尊敬出来る人だよ。」
「ええっ!何急に!マジで?・・・ふふ・・・」
夕陽が19年生きてきた中で、俺はまだ1年も彼を知らない。
けれど彼がどれ程俺のことを考えて、一生懸命になってくれる人かは、もう十分に知っている。
その日は二人で肉まんとピザまんを食べ終えて、温かい飲み物を口にして、二人でゆっくりお風呂に浸かって、ベッドに入って「あけましておめでとう。」と言い合いながら、イチャイチャしているうちに、お互いの温もりでフェイドアウトするように眠った。




