第二十五話
最高のクリスマスだった。
夕陽と彼のご両親と過ごして、フライドチキンをお腹いっぱい食べて、他にもたくさん好物を作ってくれたお母さんの手料理を堪能した。
夜は夕陽の部屋に布団を敷いて、まるで修学旅行みたいだねなんて言いながら、雪が舞う夜空を見たくて二人でベランダに出た。
「う~~さむ!!やっば!!そりゃ雪も舞うわ・・・」
「ふふ・・・俺はあんまり寒くないなぁ~。」
夕陽のダウンジャケットを着せられて、何だか夜中のテンションのせいか有頂天になっていた。
「薫が楽しそうで何より・・・。俺のダウン着たらもっこもこだな。」
「うん・・・えへ・・・夕陽の匂いする・・・」
ぎゅっと体を縮めながら、すっぽり口元を埋めると、夕陽はこらえるような顔をして俺を抱きしめた。
「本人ここにいるんですけど~。嗅ぎたいならどうぞ。」
「えへへ、ありがとう・・・。お風呂上がりのいい匂いだね。」
「も~・・・可愛いんだよ・・・ちくしょ~。」
チラチラと慰め程度にしか落ちて来ない雪は、もう今にも降りやみそうで、到底積もる程のものではない。
抱きしめられた温かい胸の中で、白い息を漏らしながら、鼻が少し赤くなった夕陽の顔を見上げた。
「あ・・・鼻寒そう・・・夕陽可愛い・・・。ふふ・・・ダメだ・・・俺めっちゃ今浮かれてる。」
「・・・俺は朝からず~~っと浮かれてます。・・・てか毎日薫と一緒に居られるから、しばらくずっと浮かれてますけど?」
「ふふ・・・そうなの?・・・幸せだね・・・」
「ん・・・生きててよかった?」
吸い込まれるように唇を重ねて、冷たい頬に触れた。
「うん・・・夕陽もそうでしょ?」
「うん・・・。」
「冷えるからもう入ろっか!」
ロマンチックなホワイトクリスマスは、そんな風に穏やかに幕を閉じた。
電気を消して「おやすみ」と言葉を交わして、夕陽の隣に敷いた布団に最初こそ入っていたけど、静かに話しているうちに、結局彼のベッドに潜り込んで、イチャイチャしてるうちに瞼が落ちてきて、いつの間にか深い眠りについていた。
そしてその夜、真っ白な雪が沢山積もった場所で、夕陽と二人で歩いている夢を見た。
すごいねぇ、深いねぇと言いながら、想像しうる感覚が足を包んで踏みしめて、そのうち布団にダイブするように寝転がって、夕陽と笑い合いながら、雪を丸めて雪ウサギを作ったり、雪だるまを作ったりした。
子供の頃、病院の窓の外から積もった雪を見ていたあの時、皆が遊ぶ様子を眺めて羨ましく思っていたことを思い出す。
夢の中の夕陽は、小さな雪玉を握って、俺に手渡した。
少しずつそれを崩すと、中にはキラキラダイヤが光る指輪が入っていた。
驚いて彼を見ると、照れくさそうに頬を染めながら、俺のおでこにキスしてくれた。
「夕陽・・・」
彼の名前を呼ぶことが、この世で一番幸せなことだと気づいた。
「な~に?」
うっすら目を開けると、俺の隣で抱きしめて寝ていた夕陽が返事をした。
「寝言で俺の名前呼ぶのかぁ・・・・。尊い・・・・」
温かい布団の中で、夕陽の体にすり寄るようにもぞもぞした。
「えへ・・・大好き・・・」
26日は、今年最後の通院日だった。
夕陽のご両親と食卓を囲んで朝食を食べて、仕事に行く二人を見送り、俺と夕陽は病院へと向かった。
「先生にも・・・年末だしお世話になったし、何か贈り物した方がいいかな・・・」
歩きながら俺が呟くと、夕陽も賛同してくれた。
精神療法は、正直素人の俺からしたら、進んでいるのかどうかというのは実はよくわからなかった。
人格が入れ替わると、その都度少しだけ記憶の齟齬を引き起こすこともあり、先生の質問や話に答えたりするものの、どういう治療で何に答えが結びつくのかわからない。
説明されている中で、何となく理解することもあれば、いまいち自分がその治療を受け入れていないような、そんな感覚を覚えることもあった。
今まで沢山閉じ込めてきた意志が形になっているなら、俺はそれだけ自分の気持ちを、ろくに知らずに生きてきたということなのかもしれない。
道中先生への手土産を買い、病院の受付の看護師さんに手渡しておいた。
いつものように診察室に二人して入って、一週間ぶりに先生の前に座る。
「こんにちは、朝野さん、薫さん。どうぞ・・・。おや・・・お二人とも、何かいいことでもありました?」
何かを感じ取ったのか、先生は嬉しそうにそう尋ねた。
俺たちは一緒に過ごしたクリスマスのことを含めて、最近あったことを粗方先生に伝えた。
「そうですか、充実した療養生活が送れているなら何よりです。」
先生はそう言ってカルテを確認して、最近の出来事になぞらえながら俺にいくつか質問をした。
近頃はイレギュラーなことも何度かあったけど、パニックに陥る程別人格に振り回されたわけではない。
けど透さんの前で現れた口の悪い自分は、今まで一度も経験したことない感覚ではあったので、そのことについても先生に相談した。
「ん~・・・薫さんの人格が変わる引き金になるのは、大きな感情の変化にあるようなので、その時は特別今までとは違う、例えば焦りですとか、恐怖などを覚えたせいかもしれませんね。」
「恐怖・・・」
確かに物理的にも口論でも太刀打ち出来そうにない透さんの前では、ある意味恐怖を感じていたと思う。
「先生・・・」
俺が考え込んでいると、夕陽は静かに口を開いた。
「薫は精神的に不安定になったり、感情が動かされたりすると衝動的に人格が変わるように思えます。人の多い所では人並み以上に疲労感を覚えるみたいですし、大学に通って人込みの中、じっと講義を受けるっていうのは、やっぱり本人には負担でしょうか。」
先生は俺をじっと見つめて、またカルテに視線を落とした。
「必ずしもそうとは言い切れませんが、薫さんの中で人の多い場所で何かをするという時間で、緊張感や切迫感、疲労感を覚えないために、またはそれが軽減されるために何が必要なのか、もう少し考える必要があると思います。例えば始めは自宅で講義と同じ時間、じっと勉強していられるか試したり、大学に行くまでの道のりを歩いて、キャンパスに入ってその空間を感じて見たり、他の大学の知り合いと話してみて、どう感じるかですとか、人がいる中で静かにしていなければならない図書館などで、気が散る中いつも通りでいられるかなど、少しずつ慣れていくために色々チャレンジ出来ればいいですね。」
「なるほど・・・。」
「図書館・・・そういえば随分行ってないから行きたいな。」
夕陽の顔を見上げると、彼は快く頷いた。
「人がいるところでも、本に囲まれた場所なら薫は落ち着くかもしれないな。」
その後少し眠れるまで時間がかかる話をすると、先生は睡眠薬を新たに処方してくれた。
診察を終えて昼からバイトに向かう夕陽を、最寄りの駅までついて行って見送った。
少し心細い気持ちを残しながらも、夕陽が見えなくなるまで背中を見ていると、角を曲がる前に振り返って手を振ってくれた。
手を振り返して、一つため息を落として駅の改札を抜けて、電車のホームに降りた。
一番前で電車を待つのは怖いので、人が並んでいる後ろの方に立った。
当たり前に騒がしいホームの雰囲気と、チカチカ光る電光掲示板と、人込みの色んな匂い。
さっきまで夕陽の手を取っていた右手が寂しくて、ソワソワしてしまう。
夕陽に会いたい・・・
せめて早くうちに帰りたい。
ほんの二駅先の最寄り駅が遠く感じて、電車もあと数分で到着するけど、俺にはその時間がとても長く長く感じられた。
落ち着こうとまた大きく深呼吸して、スマホを開いて、夕陽と一緒に撮った写真を見返す。
自然と笑みが漏れる。
夕陽可愛いなぁ・・・立ち姿はカッコイイんだけど・・・くしゃって笑ったら垂れ目が可愛い・・・。
愛おしい気持ちで満たされながら、いつの間にか到着した電車に乗り込み、仕事が終わってから夕陽がメッセージを読めるようにと、今の状況や気持ちを送った。
彼が提案してくれた安心する一つのやり方だった。
手紙のように自分の気持ちを書き連ねておけば、少しは安心するし、休憩時間の時夕陽は読んでくれるので、いずれその返事は届く。
苦しくてしんどいまま何も言わなければ、それは蓄積されてしまう。
どんなに下らないことでも、どんなに些細なことでもいいから、思ったことや感じたことを送ってほしいと、夕陽はそう言った。
夕陽はすごいなぁ・・・いきなり障害を持った俺を何の抵抗もなしに支えてくれるんだもんなぁ・・・
お母さんが看護師だからかな・・・
車内で思い立ったそういうことも、俺はささっとメッセージに書き添えた。
なかなかな文章量になるけど、夕陽返事するの疲れないかな・・・
あ、でも・・・迷惑かけるかなとか、嫌じゃないかなとかも考えないようにしたんだ。
夕陽はちょっとあれなところがあるけど以前、「薫が言う我儘で嫌だと思ったことなんてないし、今まで迷惑なんて被ったことない。」と真っすぐに言い放っていた。
だから・・・夕陽に全部受け止めてもらおう。
しんどいと思っても、正直に話そう。
そんなことを考えながら文章をたくさん打って、やがて最寄り駅に着き、以前転げ落ちた階段に気を付けながら駅の外へ出た。
先生は、夕陽が父とエリザの連絡先を消したことに対してこう言っていた。
人生は取捨選択の連続であり、関わる人間関係は絞らなければならないと。
全ての人と上手くやることは出来ない、それが例え家族であっても。
そして例え家族であっても、自分の中で受け入れられない程傷つけられたとなれば、それは手放してもいいんだ。
愛したかった家族を愛せない事実は悲しいことだけど、今の自分にはあまりにも持て余してしまう。
エリザには可哀想なことをしたけど、もう俺には迎え入れてくれる家族がいるから・・・。
夕陽と一緒に歩いて行けるように、前を向いていよう。
少しずつ思い描く未来を、一緒に実現していくために。




