第二十一話
たった一日で色んな事が巻き起こった・・・。
美咲さんとの通話を終えた後、洗濯物を前にボケーっとしていると、ガチャリと夕陽が帰ってくるドアの音がした。
ハッとして玄関に駆けていく。
「薫、ただいま。」
相変わらず愛おしそうな気持ちが前面に表れた顔で、彼は荷物を置いて両手を広げて俺を迎えた。
嬉しくなってその胸にそっと抱き着く。
「おかえり夕陽・・・」
「いい子にしてた~?ってか・・・昼間メッセ送ったのに返さないからびびったんだけど・・・。」
仕事先から決まった時間に電話をくれているので、小夜香さんの部屋で寝ていた時間帯にメッセと不在着信が入っていたのは言うまでもない。
小夜香さんのうちから帰る前にメッセを返したけど、随分心配かけてしまったようだ。
「ごめん・・・ちょっと意外なことに巻き込まれたというか・・・・」
「そなの?マジで俺・・・昼から生きた心地しないまま返信待ってたんだからな・・・」
「うん・・・ごめんなさい・・・」
俺が猛省していると、夕陽はため息を落としてまたニッコリ微笑んだ。
「ま!無事だったんなら何でもいいけど・・・とりあえず飯食ったら今日の話聞くわ。」
その後二人で夕食を食べて、いつものようにソファに腰かけた。
「今日話すこといっぱいあるなぁ・・・」
「だろうな・・・。で~?俺に心配かけたお詫びは考えてんの~?」
甘えるように抱き着く彼の頭をそっと撫でる。
「ふふ・・・何がいい?今回は俺が悪かったし、何でも言うこと聞くよ?」
「そ~?ん~・・・どうすっかなぁ・・・。ま・・・明日休みだし・・・今夜は寝かせないってことで・・・覚悟しといて。」
「ふ・・・それだけでいいの?」
俺がそう言うと夕陽は顔を上げて、ジトっと視線を返してきた。
「話してくれる今日の内容によっては、罰を増やすかもな~?」
「罰・・・夕陽に抱かれることは、俺にとって褒美でしかないよ?」
当前のことを言うと、彼は目を丸くしてみるみるうちに赤面していく。
「・・・く・・・そういうカウンター食らわせてくんのなしだろ!!」
夕陽はまた俺に抱き着いて堪えるように言う。
ふと彼が、空手の元ジュニアチャンピオンだということを思い出す。
「ふふ・・・夕陽、腕っぷしはあっても言葉のカウンターに弱いの?」
「・・・るせぇなぁ・・・薫自体が俺の弱点なんだよ・・・。薫が何しても何言っても可愛くて・・・尊くて耐えられないんだよ・・・。なぁ・・・そんなこと言うのも、そんな表情すんのも、俺にだけだよな?」
甘えるような色っぽいような、そんな何とも言えない表情の夕陽が、何だか年相応に可愛い。
「そうだね、愛してるよ。」
夕陽が嬉しそうな笑みを返すのを待たずにキスをした。
唇を受け止める夕陽は、興奮しながら食べるように激しく重ねて、背中に回した手を俺の服の中に入れた。
「夕陽・・・今日はね、昼前に散歩に出て・・・」
俺が話し始めても彼は止まらなかったので、仕方なくその後二人で早めのお風呂に入った。
イチャイチャしつつお風呂からあがって、寝巻に着替えて、お互いの髪の毛をドライヤーで乾かしていた。
夕陽の柔らかいくせっ毛に指を通してドライヤーをしていると、何とも幸せな気持ちになる。
「んで・・・何だっけ・・・さっき話そうとしてた今日のこと・・・」
ふと思い出したように背を向けた夕陽が言った。
「ん?ああ・・・えっとね、昼前に家を出てせっかくだから公園まで歩こうと思ってさ、よく咲夜と二人で話してた公園に向かってたんだ。そしたら手前のコンビニの前で透さんと葵さんに会ってね」
「あ、そなの?」
「うん・・・それで・・・咲夜の婚約者である小夜香さんの・・・島咲家のうちを知らないかって聞かれてさ、知らないって答えたら、咲夜の連絡先を知ってるなら教えてほしいって言われたんだ。何だか二人とも妙に焦ってる様子でさ、さっさと用を済ませてここを離れたいって感じだった。それで人の連絡先を勝手に教えられないって断ったら、人格が変わった俺に、遊びに行こうって車に連れ込もうとしてさ・・・」
「・・・・・・はぁ!?」
「ビックリした・・・」
ドライヤーを終えてスイッチを切った瞬間に夕陽が大きな声を出すので、思わずビク!っとなった。
「え、何、透は普通に会ったから遊びに行こうって誘ったってこと?」
「・・・いや・・・俺をホテルに連れ込む気満々だったよ。」
「っち・・・あいつ~~」
「透さんって結構遊んでる人なんだろうね・・・」
夕陽はため息をついて、ドライヤーをテーブルに置いた俺の肩を抱き寄せた。
「・・・まぁ、何か結構前に言ってたけど、父親にこき使われて汚い仕事も散々やってるから、ストレスたまって仕方ないと、体に悪い薬物やるより、女遊び男遊びしてた方が運動にもなるし健康的でしょ?とか言ってたな・・・」
「はは・・・そうなんだ・・・。」
「んで?何とかなったん?」
「あ~・・・それでその・・・ご自宅が近いからか小夜香さんが偶然コンビニにいらして、車に乗せられそうになってた俺に声をかけてくれたんだ。たぶん彼女から見てもただならぬ雰囲気に思えたんだろうね・・・。俺が迂闊にも彼女の名前を口にしちゃったから、透さんもすぐに気づいて・・・小夜香さんは了承したから結局3人でご自宅に伺ったんだ。俺はもう疲労してしんどかったから、小夜香さんに心配されちゃって・・・結局その後、夕方まで休ませてくれたベッドでぐっすりだったんだよ。」
「そうだったんかぁ・・・。それはまぁなんていうか・・・災難だったなぁ・・・透の野郎・・・」
夕陽はそう言いながら徐にスマホを手に取って、彼の連絡先を開いている様子だった。
俺はそっとスマホを持つ夕陽の手を取る。
「透さんは夕陽に責められたくないって俺のことはすんなり諦めてたんだよ。夕陽のこと友達だと思ってるのは本当だと思うから、特に何も言わなくて大丈夫。それに・・・透さんの言動は、何となく従わされてるって感じだった。」
「・・・だとしても、薫を連れてこうとしたのは事実だし、危うくホテル連れ込まれて食われるとこだったんだぞ?」
「・・・まぁ・・・。でも今更誰かに食べられようと傷ついたりしないよ。」
俺が落とすように呟くと、夕陽は黙って俺をじっと見た。
「・・・なに?」
「今の発言は看過出来ない。」
きっぱりそう言った夕陽は、珍しくハッキリ怒ってる意志を感じた。
「本人の同意なしに性行為を行うことは犯罪だし、無理やり納得させられたりしても、本当に薫は傷つかないのか?・・・薫の悪い所は、自分がどういう目に遭っても、自分の心と体が犠牲になっても、大したことない、誰でも起こりうることだって納得しようとするところだろ。小さい頃から理不尽なことが続いたら、自分を守るためにそういう癖がついたのかもしれないけど、薫が今やってる精神療法は、自分自身の気持ちや意志を認めて統合することだろ?自分に起こる不幸なことを、受け入れる心の準備なんて必要ないんだよ。傷つかないって自分に言い聞かせることもな。」
何も言えなかった・・・。
夕陽は俺を抱きしめて、今度は優しい声で言った。
「薫がそんな目に遭ったら俺は悲しいよ。例え透だろうと一生許す気にはなれないし、容赦なく鉄拳制裁するわ・・・。薫は・・・俺を悲しませてもいいと思ってんの?」
「思ってない・・・ごめんなさい・・・」
夕陽の優しい大きな手が、包み込むように頭を撫でる。
「薫・・・傷つくことが起こったら、悲しいとか悔しいとか、そういう感情を表に出していいんだよ。少なくとも俺の前では絶対。もう二度と、自分に起こる理不尽なことに対して、しょうがないな・・・って諦めないでくれ。」
今まで一人切りで悲しんできたことや、悔しかったことは、もしかしたら自分の中に溜めてはいけないものだったんだろうかと、生まれて初めて気づいた。
堪えきれずに涙が溢れた。夕陽の背中にぎゅっと力を込めて握る。
「・・・怖かった・・・下手なこと言って透さんを怒らせたら酷い目に遭うんじゃないかって・・・。でももっと怖かったのは、小夜香さんや他の人に迷惑かかるんじゃないかって思った時・・・。透さんが心底悪い人じゃないってわかってはいるけど・・・常識が通じる相手でもなさそうだし・・・」
「まぁな・・・。怖かったなぁ薫・・・よしよし・・・。とりあえず透には、今度会ったら一発殴るってメッセ送っとくわ。」
「・・・暴力はダメだよ。俺も暴力を受けたわけではないし・・・」
「薫は寛大だなぁ。じゃあまぁ・・・薫に免じて今回は文句の一つ言うくらいで許してやるか。ま、次会うのいつになるか知らねぇけど。」
夕陽は俺の涙を拭いながら、頬にそっとキスした。
「・・・・薫さ、なんか俺といると泣き虫だよなぁ・・・可愛い~。」
「それは・・・自覚してるよ・・・。だって甘えられる人がいたら人間泣き虫になるでしょ。」
「ま、そうだな。」
夕陽は何か嬉しそうにニコニコしながら、俺を抱きしめて頬ずりした。
「それからさ、在宅の仕事探してた件だけど・・・」
「ああ、おん」
「マンション紹介してくれたのは咲夜だけど、オーナーであるお兄さんの美咲さんは高津家の元当主で、今も投資運用とかしながら個人で会社経営してるみたいなんだけど、今日美咲さんに簡単な仕事で手伝えるようなもの斡旋出来たりしませんか、って聞いてみたんだ。」
「待って待って待って・・・」
「なに?」
「え・・・・ちょっと・・・・あのさ、その高津先輩のお兄さんがさ、前薫が大学でちょろっと話してた人だっていうのは何となく俺も見たから知ってるけど・・・え・・・元当主なん?」
「そうだよ?知らなかったんだね・・・。お兄さんの方はネットで財閥のこと調べたら顔は出るよ。プライベートなことは書かれてないけど。それでさ、俺もなんか簡単に出来そうなことだったら手伝えるかなぁって思ってたんだけど、残念ながら事務系の仕事とかないって言われて・・・。そしたら個人的に頼みたい事があるって言われてさ、美咲さんちのお手伝いさんとしてやってみないかって言われて・・・。」
「お手伝いさんって・・・つまり家政婦的な?」
「うん、美咲さんは改めて財閥関係者の使用人を雇おうかなって思ってたみたいなんだけど、業務的に奥さんの身の回りのこと世話してもらうより、同じ年ごろの俺たちが話し相手になってくれた方が嬉しいって言われたんだ。」
夕陽は少し落ち着いた様子で、小首を傾げつつ腕を組んで背もたれにもたれた。
「へぇ・・・じゃああれかな、よっぽど家が広くて奥さん一人じゃ掃除大変ってことかな。」
「いや、そういうわけじゃないみたいだけど、奥様今妊娠6か月って言ってらして・・・精神疾患持ってたこともあるし、元々体も丈夫な人じゃないって話なんだ。美咲さんが忙しくて家を空けることが多いから、色んな面でサポート出来てるとは言えないみたいで、家事手伝いしながら、奥さんが心身とも健康でいられるような使用人を求めてるんだと思う。」
「それって結構大変じゃないか?俺ら妊婦に対する知識があるわけじゃないし、食事のメニュー考えられる栄養士でもないじゃん。それに奥さん一人で家事するより、使用人が家を出入りしてる方が病気の感染リスクは上がるよな?」
「そう言われたら・・・確かにそうだね・・・」
夕陽の指摘が的確で思わず苦笑いが漏れた。
「万が一俺らが風邪の菌とか持ってる状態で伺ったりしたら、俺らは自然に体の中ですぐ治ってても、免疫力が低下してる妊婦には感染しやすい上に、元々病弱なら尚更危ないし・・・何より母親が病気になったら、お腹の赤ちゃんにどういう悪影響あるかわかんねぇよ。」
「・・・夕陽随分妊婦に詳しいんだね。」
彼は少し得意気な笑みを見せた。
「母さんが元助産師なんだよ。今は普通の病棟で看護師やってるけど・・・。」
「へぇ!そうだったんだ。・・・そっかぁ・・・家事手伝いなら俺も出来るし・・・奥さんが俺に会ってみたいって言ってらしいから、お役に立てるならって思ったけど・・・まぁ・・・美咲さんも思い付きで提案したって言ってたし、とりあえず夕陽と話し合って考えてってことだったから・・・」
俺が少し残念に思いながらいると、夕陽は少し黙った後また口を開いた。
「まぁ、向こうが来てほしいって言ってるなら、会いに行って、今話したリスクも考えてもらった上で、実際どういうサポートが必要なのかって聞いてみるのはありなんじゃないかな。それで結局餅は餅屋だなって話になったら、お断りすりゃいいし・・・。」
「・・・そうだね、しっかり体調いい時に伺って、ご自宅に入ったら手洗いして消毒して・・・十分気を付けてだったら、会いに行って話してもいいよね。」
「ふ・・・なに~?そんなに薫が興味津々なのなんだよ~~」
「えっと・・・会ってみたいって言ってくれたの嬉しいし・・・妊婦さんのお腹ってちょっと触ってみたいじゃん。」
俺がそう言うと夕陽は声を上げて笑った。
「あはは!なんか子供らしい可愛い理由だな~。そっかそっか、そうだよな。行ってみるか。」
俺が嬉しくなって頷くと、夕陽はまた「可愛い~」とデレデレして俺に抱き着いた。




