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夕陽と薫  作者: 理春
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第二十話

それからどれ程眠っていたんだろう。

温かくて、いい香りがする部屋の中、人様のうちだというのに深い眠りについていた。

そっと優しく触れる温かい手の感触を覚えて、目を開けた。

ぼやっと広がる視界の中、髪の長い女性が俺を覗き込むように見ている。


「母さん・・・?」


無意識に呟いて、次第にクリアになっていった目先にいたのは、小夜香さんだった。

あろうことか年下の女性を母親呼ばわりしたことを、恥ずかしいと思うのに少し間を要した。


「薫さん、大丈夫ですか?」


慌てて体を起こして乱れた髪の毛を整える。


「す・・・すみませ・・・」


俺が反射的に謝ると、小夜香さんはふんわり微笑んで、鈴を転がすような声で笑った。


「ふふ・・・薫さん私年下だし、敬語で話さなくていいですよ。随分顔色良くなったみたい・・・気分どうですか?」


彼女はお父様と同じく問診する医者のように言った。


「・・・えっと・・・ありがとう、落ち着いたので問題ない・・・かな。」


「そっか、良かった。貧血気味だったみたいだし、急に起き上がらないでね。お水どうぞ。」


グラスを受け取ってゴクリと飲み込みながら、今のこの状況咲夜に知られたら怒られそうな気がする。


「小夜香さん、本当にありがとうございます。おかげで随分楽になりました。・・・あ・・あの、透さんは・・・?」


「彼なら少しお父さんと話した後早々に帰っちゃいました。・・・お父さんに用があるっていうより、お父さんしか知らないことを聞きに来たって感じだったから・・・。」


「そうなんだ・・・」


そう言われても俺にはピンとくるものなどない、当たり前だけど。

とにかく二人に何の害もなく済んだのなら良かった、だろうか・・・


「あの、そろそろお暇します。」


ベッドから足を出し立ち上がろうとすると、気遣うように小夜香さんはさっと俺を支えるように寄り添った。

その時ふと思い出した、彼女はさっき精神科医を目指していると口にしていた。


「あの・・・小夜香さんのお父様は精神科医なんですか?」


「ううん、お父さんは内科、小児科、外科医もしてたの。医者の知り合いは多いからその他の知識も多少はあると思うけど。ちなみに薫さんに今日注射したのは、ホントに簡単な栄養剤と安定剤で、副作用もないしもう体に吸収されてると思うから、安心してね。」


「そうなんですか・・・。あの、お父様にお礼を言いたいんですけど・・・。」


彼女は一つ頷いて一緒にリビングまで降りてくれた。


「お父さん」


声をかけられて振り返った島咲さんは、ノートパソコンを開いて眼鏡をかけていた。


「気分はどうだ?」


眼鏡を外しながら立ち上がる彼は、俺の目の前に来て少し屈みながら顔色を伺った。


「あ・・・はい、おかげさまで・・・診てくださってありがとうございました。あの・・・薬も投与していただいたみたいで・・・いくらか料金お支払いします。」


俺がそう言うと島咲さんは少し困ったような笑みを見せた。


「俺は今医師免許こそあるが、薬を個人で処方したり使用したり出来る権限にないんだ。当主であったころなら無条件でその権利を有していたが、今はもう違うしな・・・。だから介抱しただけということにしておいてほしい。」


「あ・・・はい、わかりました。他言しません。」


しかし・・・ホントに女子高生の娘さんがいる父親に到底見えないな・・・。


「薫さん、おうちそこまで離れてないなら途中まで送りますね。」


「え!いえ、大丈夫です。小夜香さんにそこまで色々してもらったら・・・咲夜に怒られそうだし・・・。」


小夜香さんは小首を傾げながらクスクス笑った。


「なら俺が送ろう。駅の近くなら車ですぐだしな。」


「い、いえ!大丈夫です!」


慌ててかぶりを振ると、小夜香さんはさっと俺の手を取った。


「手冷たい・・・。薫さん、もう日も暮れてきて気温下がってるし、送ってもらって?風邪ひいたら大変。」


ああ・・・真っすぐな目に逆らえない・・・


「・・・はい・・・。」


親切な親子にこれ以上遠慮しても無駄なのを悟って、玄関で小夜香さんからコートを受け取り、島咲さんと家を出た。

小夜香さんがもし咲夜に今回のこと話したら、後々咲夜から嫌味言われそうだなぁ・・・。

彼の重度の焼きもち妬きは存じているので、そればかりは一抹の不安だった。

その後促されるがまま助手席に乗って、少し緊張しながら運転する島咲さんの横顔を伺うしかなかった。


静かな車内でエンジン音だけがわずかに聞こえる。

辿ってきた風景が窓の外を滑り、オレンジに染まりつつある空を見た。

日が落ちようとする17時過ぎ、雲の間に青とオレンジが溶けあうように重なって、ふと思い立つ。


あれ・・・俺お昼前に散歩に出たのに、もう夕方なのか・・・

時間間隔が完全に狂ってた・・・というか俺何時間小夜香さんの部屋で寝てたんだ?

申し訳なく思っていると、不意にお腹がぐぅ~っと鳴った。


「・・・・・・お腹空いた・・・」


瞬間的に子供の自分と入れ替わってしまう。


「昼食を食べ損ねてたみたいだな。何か買って帰るか?」


まるで自分の息子に問いかけるように、島咲さんは自然にそう言った。


「ううん、おうちにあるんだ。自分で作ったやつ・・・。夕陽ももうすぐ帰ってくるし、ご飯作らなきゃ。」


「夕陽・・・家族か?」


「うん!俺将来夕陽と結婚するの!今は同棲中なんだ~。」


ああ、恥ずかしい・・・・

初対面の男性に・・・というか島咲家の元ご当主に・・・関わること自体稀なことなのに、こんな話・・・


島咲さんはニヤニヤする俺に運転しながら優しい笑みを見せる。


「そうなのか、若いうちに家事や料理をきちんと出来るのはすごいな。俺が柊くんくらいの年頃には、そんなことしたことなかった。」


「すごいかなぁ・・・。でもじゃあ小夜香ちゃんはもっとすごいね!女子高生なのに料理上手で~って咲夜言ってたもん!」


無邪気に振舞う俺に、島咲さんは信号で止まると視線を向けて、小夜香さんと同じその優しい手で俺の頭をそっと撫でてくれた。

まるで本当に小さな子供にそうするように。

その瞳は透さんと同じようなグレーがかった綺麗な瞳だった。

慈しみに溢れたその表情に、何故か少し泣きそうになった。


「す・・・すみませ・・・」


我に返ってそう謝罪を口にすると、島咲さんは手を離してまた青信号と共にゆっくり前を向く。


「何も謝ることない。かつて俺も、鬱やパニック障害に苦しんでいたことがある。誰もが色んな面を持つ自分を、心の中で飼っているものだ。それに・・・子供は皆俺からしたら可愛いものだ。別に小馬鹿にしていたわけではないんだ。」


「・・・もちろん、そんな風に思ったわけじゃないです・・・。あ、もうここでいいです、すぐ近くなので。」


「そうか」


島咲さんはそっと歩道脇に車を停めてくれた。


「本当に今日はありがとうございました。あの・・改めてまたお礼にお伺いしてもよろしいでしょうか。」


島咲さんは助手席に座る俺に、また柔らかく微笑む。


「礼はいらない。医者として当然のことをしただけだからな。代わりと言ってはなんだが・・・これからも小夜香や咲夜くんたちと、仲良くしてやってくれ。」


「・・・・わかりました、ありがとうございます。」


車から出て、歩道からまた一つ頭を下げると、島咲さんは窓を開けて『気を付けて帰るんだぞ』と、声をかけてくださった。

俺が「はい」と返事をすると、ゆっくり車は発進していった。

一人マンションの方へ歩き進めながら、頭の中でぽやぽや今日の夕飯について考えた。


「・・・・・素敵な人だなぁ・・・」


思わずそう言葉が漏れた。

到底関わることがないような人だけど、少しだけお世話になって、本当に少しなのに、人間としても男性としても、とても素敵な人なんだとわかる。


帰宅して夕飯を作って、後30分ほどで帰ってくるであろう夕陽を待った。

日の落ちたベランダへ出て洗濯物を取り込みながらいると、遠くの方でまだ少し明るい青空が、溶けるように滲んでいた。

ボーっと眺めていると、テーブルの上に放置していたスマホから通知音がした。

窓を閉めてから手に取ると、そこには美咲さんからのメッセージの返信が届いていた。

丁寧な文章に目を通していく。


「え、ここ分譲マンションなの!?」


大きな独り言を漏らしながら読み進めると、どうやらこのマンションはまだ築半年ほどで、一族の使用人の方たちが仮で何人か住んでおり、一般に売り出している物件ではないらしい。

業務委託している管理会社は存在するが、現在まだ売り出していないので存在しているだけで、特に機能しているわけではないとのこと。


「だから何かあった時のために聞いてた連絡先が携帯番号だったのかな・・・?」


もしかしたら控えていた連絡先は、美咲さん個人の電話番号なのかもしれない。

その先も読み進めていくと、今現在でも経営に携わっているものはたくさんあるが、斡旋できるような在宅で出来る仕事はないと書かれていた。


「はぁ・・・まぁそうだよなぁ。」


気落ちしても仕方ない・・・

俺は返信を打って、わざわざ詳細を教えてくれたことに礼を述べた。

やっぱり地道に探すべきか・・・そう思いながら洗濯物を畳んでいると、今度は着信音が鳴り響いた。


「ん?夕陽・・・かな。」


もう一度スマホに手を伸ばして画面を見ると、そこには美咲さんの名前が表示されていた。


「えっ!・・・はい、もしもし」


慌てて出ると、相変わらず落ち着いた男性の声が返ってきた。


「もしもし、今大丈夫か?」

「あ、はい・・・自宅に居ます。」

「仕事の件なんだが・・・俺個人で頼みたいことがあって、提案出来ればと思って電話させてもらった。」

「そうなんですか・・・何でしょう。」

「在宅ワークではないんだが・・・要は朝野くんも柊くんも出来る範囲の仕事を、同じ場所でやってもらったら一緒にいられることになるよな。」

「・・・は・・・はい・・・同じところでバイトするってことですかね。」

「いや、バイトというか・・・まぁこっちが雇って賃金を支払う上ではバイトになるが、柊くんは精神疾患を治療している段階だし、人に囲まれてやる緻密な仕事を頼むつもりはない。それに特別な資格や能力も必要なく、二人でやってくれれば負担のある仕事ではなくなるし、いいんじゃないかと思って。」

「・・・はぁ・・・それで、仕事の内容は・・・?」

「実は、妻が今妊娠6か月目で、俺たちと同じ大学の3回生ではあるんだが、妊婦であるし休学しているんだ。元々周りのコミュニティもないし一人にさせることが多くてな・・・俺はもう卒業間近であるから大学に行くことは少ないけど、何分更夜さんから引き継ぐ仕事の連携や、個人経営している会社もあるのでなかなか家にいる時間が少ないんだ。自宅はそこまで広いわけではないが、運動もかねて妻は家事をしたり、園芸をしたりして過ごしている。だけど元々体が弱くてな、心身ともに疲れると床に臥せることも多くなってしまって・・・使用人を雇い直そうかと考えていたんだ。」

「そうなんですか・・・。じゃあ・・・その使用人として俺たちに?」

「ああ、だがそこまで多くやることがあるわけじゃない。二人暮らしだから家事の量は知れているし、庭は多少広いから手入れは必要だな、というくらいだ。だが普通に一族の使用人に世話を頼むよりも、同じくらいの年頃の君たちが居てくれたら、妻からしたら話し相手にもなるし、柊くんからしたら、同じ解離性同一性障害を患っていたことがある経験者でもある。同じ立場であった者同士であれば、通じ合えるものもあると思うし、咲夜の友達だと柊くんの話をしたら、会ってみたいと興味津々でな・・・。」

「そうですか。・・・・・あのでも・・・その、美咲さんが居らっしゃらない時に家事代行などを行うにしても、若い男二人が、奥様しかいない家に行っていいものですかね・・・」


そう尋ねると、美咲さんは一瞬黙った後くつくつ笑った。


「ふ・・・まぁ・・・確かに。俺もただ知り合いの男が仕事を探してるとなれば、こんなことは頼まない。けど柊くんは咲夜の大事な友達だし、何より朝野くんと柊くん二人はカップルであるし、間違いなど起こりえないと思ってる。もちろん柊くんはそんなつもり毛頭ないだろうが、一応尋ねてくれたんだよな。」

「はい・・・。あのそれに・・・俺は場合によってはまだコロコロ人格が変わってしまうので、奥様に迷惑かけてしまうんじゃないかな・・・とか」

「ふむ・・・まぁ柊くんが症状で振り回されて暴れてしまうだとか、乱暴な行為を働くわけでないなら大丈夫だと思うがな。妻にも柊くんにも言えることだけど、家に一人閉じこもっているより、誰かと気持ちを共有して過ごしていてくれた方が、精神的にもいいんじゃないかと思ってる。まぁ今回の提案は今俺が思いついたことであって、そもそも妻に話して了承を得ているわけではないから、あくまで仕事として使用人をやるなら二人はいかがだろうかと、先に尋ねているだけでもある。」

「・・・・なるほど・・・。」

「まだ提案している段階だ、雇用形態をしっかり考えて話しているわけでもないから、もしやってみたいと思ってくれるなら、もっと詳しいことを提案させてほしい。一度朝野くんにも話して考えてみてくれるか?もちろん都合もあるであろうから、今すぐに頼むつもりもない。妻が良しとして、二人も了承してくれたら一月後くらいから雇わせてもらいたい。」

「・・・・わかりました、夕陽と話し合って考えてみます。」

「ああ、是非そうしてくれ。」


通話を切って、画面をボーっと眺める。

一緒に出来る仕事で、それも家事や庭仕事となれば、そこまで自分自身に負担があることでもない。

美咲さんの奥さんがいったいどんな方なのかはわからないけど・・・妊婦さんの身の回りのお世話となれば、多少こちらも心得ておくことがあるはず。

とにかく夕陽と話し合って考えてみよう。

仕事の提案なのに、俺は内心、知り合いが増える喜びと、ワクワク感を抑えきれず口角が上がっていた。


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