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夕陽と薫  作者: 理春
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第十五話

翌日通院中の精神科に赴き、夕陽と一緒に診察室に入った。

覚えていない俺の代わりに、スマホカバーが割れた原因となった事の顛末を話してくれた。

先生は終始真剣な面持ちで夕陽の話を聞き、2、3質問をしては、事細かに俺の様子を尋ねた。

当の本人である俺は、自分のことを話されているのにどこか他人事でいた。


「薫さん、今日の気分はいかがですか?」


先生は夕陽に事情を聴き終えると、優しい声でそう言った。

俺は手元にあるスマホのメモ帳に「元気です」と打ち込んで見せた。


「そうですか、それは良かったです。ご飯を食べて、きちんと眠れているなら、それが一番心も体も健康が保たれますので。」


俺がそっと頷いて返すと、先生はまた安心した笑みを返してくれた。


「恐らく、薫さんの声が出なくなったのは一時的なもので、病名としては『心因性失声症』だと思われます。」


「・・・やっぱ・・・そうなんですね。」


夕陽は事前に調べていた結果と同じだったのか、そう呟いた。


「はい。過度なストレスに見舞われて突発的に起こることもあれば、いじめや虐待など長期間で受けたストレスで発症する場合もあります。薫さんの場合は前者ですが、人格が変わって抑えきれない言動を取っていたのは、ある意味かつて発散できずにいた気持ちを、吐き出したことにもなっていたでしょう。ですがそれをストレートに伝えることは、恐らく薫さんの本意ではなかった・・・。」


夕陽は握っていた手にまた力を込めたので、俺は隣の彼にトンと頭を乗せて甘えた。


「薫はきっと・・・帰ってきてくれない親に対して、自分の中でたくさん諦めて解決させていたんだと思います。何を期待してももう帰ってくることがないなら、それぞれが幸せに生きてくれていたらそれでいい・・・みたいな。けど両親の間で、少し薫の事情の認識に齟齬があったのか、父親は関係性の修復を図ろうとしていました。けどきっと薫はそもそもそんなつもりはなかったようだし、そりゃ文句の一つや二つ言いたかった気持ちはあっても、今更仲良くなんて出来ないと思ってたんじゃないかなって・・・」


俺は夕陽の言葉を聞きながら、きっとそうだっただろうなぁと思っていた。

暴れるように吐き出してしまった自分はもういなくて、自分の中は空っぽで、特に何も思うことがなかった。

先生はそんな俺の様子をじっと見つめて、また口を開いた。


「そうですね、一番近くで朝野さんがそのように感じていらっしゃったなら、そうだったんだと思います。ですが今いらっしゃる薫さんの様子を見ている限り、特に親御さんの話に触れても動じていらっしゃらないので、彼の中ではもう終わったことなのかもしれません。それでしたら無理に話や気持ちを引き出すことは悪手かもしれないので、とりあえずは今回の件は一度終わったものとして置いておきましょう。大事なのは、薫さんがこれからのことをどう考え、どう自分と向き合っていくかです。少年のように振舞っていた人格が、かつて両親を待ち続けていた時の薫さんなら、想いをぶつけられた後ですので、今後の過度な干渉はしてこないかもしれません。」


「はい・・・。そういえば・・・女の子みたいに振舞ってた薫も、最近出てきてないような・・・」


二人は俺をそっと見つめて、それに関しての記憶もないので俺も見つめ返すしかなかった。

俺はふと思ったことをスマホに打ち込んで、先生に見せた。


「・・・・・・そうですねぇ、どの人格が本物なのかというのは、少し難しい考えですね。その人らしさ、とでも言いましょうか・・・。けど薫さんに関しても、朝野さんに関しても、人間は本来色んな面を持っているものだと思います。子供のように甘えたい自分も、女性のように可愛らしい格好をしてみたい自分も、他人の前では目立たないように振舞っていたい自分も、全部薫さん自身でしかないと思います。その色んな顔を、特定の誰かにしか見せない方もいるわけですから、本物と言われたら全部本物なんじゃないでしょうか。」


確かにそうだ・・・

俺は何か難しく考えすぎる癖があって、それが人格が別れる程の混乱を起こしていたんだろうか。

思い悩んでいると、夕陽は手を繋いだまま言った。


「薫・・・たとえ色んな人格に入れ替わることが当たり前の生き方になっても、俺はそれが薫だと思うし、他人に迷惑かけたり、自分を傷つけたりしない限りは別に構わないと思ってるよ。周りはコロコロ変わる様にビックリするかもしれないけど、皆本来は色んな自分の癖や、性格や、性質に悩まされて生きてるはずなんだ。人込みが苦手な人は電車に乗れないし、複数人集まって話す場面では発言出来ないとか・・・症状や病名をつければつけられるけど、だましだまし社会人やってる人も大勢いるはずだからさ。だからって薫の症状を軽く見てるわけでは決してなくて、通院してる薫が重病患者なわけじゃなくて、いつかぶつかるであろう悩みに、今到達しただけなんだよ。だから・・・今、薫が大人になっていくのと同時に、自分が少しずつ変わっていくチャンスなんだ。もちろん・・・それは俺もだけど。」


夕陽も・・・?


俺が彼の瞳を見つめ返すと、またニコリと笑みを返してくれた。


「うん、やっと薫と毎日を一緒に生きられるようになったっていう転機だからさ、長く一緒に居るために自分がどうあるべきか考えていかなきゃだし、どういう生活形態にして、誰に頼ってどこまで自分たちでやれるのかっていうのも、今挑戦中なわけ。お互い無理なく一緒に居続けるための同棲だと思ってるから。」


そうか・・・

一つ納得しながらいると、先生は少し心配気に俺を見た。


「少し・・・いいですか、朝野さん。」


「はい」


「朝野さんも休学されて、週5勤務で働きに出ているとおっしゃっていましたけど、その間薫さんはどうされてますか?」


俺は曖昧な記憶の中、引っ越してくる前の彼を何となく思い出した。


「えっと・・・朝から夕方までの勤務で・・・1時間休憩はあるので、その間は薫に電話して様子を伺おうかなって思ってたんですけど・・・」


夕陽が「行ってきます」と言って、家を出る。

夕飯の準備を終える頃、「ただいま」と帰ってくる、そんな生活が繰り返されるだろう・・・


俺が俯いていると、夕陽まで心配そうに俺の頭を撫でた。


「薫・・・?」


言えない・・・・・・・・・

言えない・・・言えない・・・言えない・・・言いたくない・・・夕陽に嫌われる・・・言いたくない・・・・


「薫さん、大丈夫ですよ。」


先生はそう言って、そっと手を取ってくれた。

俺の焦った瞳が、キョロキョロ辺りを見回す視線が、同時に夕陽のことも不安にさせてしまう。

けれどどうしても知られたくなくて、言いたくなくて・・・

でもそれを伝えようにも手は震えて・・・

取り繕うことも言い訳を言葉にすることも出来ず、夕陽は安心させようと頭を撫でてくれた。


「薫さん、朝野さんのこと・・・大好きなんですよね。」


先生の優しい声が降りかかる。

コクリと頷いて、その手をぎゅっと握られる。


「大丈夫ですよ。自分で愛したいと思った人を、愛してると心から思った人を、信じてみましょう。怖いでしょうけど、受け止めてくれると信じて、不安を口にしてみましょう。今すぐ出来なくてもいいですよ。けどもし、薫さんの中で既に募っている不安があるなら、時間をかけてもいいので伝えてみましょう。」


それがその日先生がかけてくれた、大事な言葉の一つだった。

結局そのまま帰路について、トボトボ歩く俺の隣を、夕陽もゆっくり歩いてくれた。


「薫・・・俺、何か間違ってたかな・・・」


駅からマンションまでのわずかな距離で、夕陽はそう呟いた。


「薫を不安にさせてたこと・・・俺気付いてないわ・・・。」


落胆に似たその声に、体がだんだん恐怖を覚えて、鼓動が口から出そうになる。

生きた心地のしないままエレベーターに乗って、部屋に入るまでの時間、夕陽に告白をしたあの時みたいに緊張感で溢れていた。

靴を脱いで部屋に上がる夕陽の背中を見て、そういえば・・・今日はバイトなかったんだろうかと思った。

引っ越してきた昨日は休みだった。けど・・・今日は?

俺は慌てて靴を脱いで、先に玄関に上がった彼の服をぐいっと引っ張った。


「・・・ん?どした?」


手元のスマホに打ち込んで見せる。


「・・・ああ、今日は休みもらったよ。大丈夫だよ、事情はちゃんと説明して、店長も理解してくれてるし。俺今の職場高校の時から勤めてるしさ、それなりに信用はあるから。」


・・・・俺のせいで休ませちゃったんだ・・・・

俺が言葉まで話せなくなったから・・・・・


夕陽は俺の様子を見て、とりあえず落ち着いて座って話そうと、温かい飲み物を淹れてくれた。

ソファに腰を下ろして、湯気の立つココアを眺めて、それでもわずかな体の震えは止まらなかった。


「薫~・・・もっと近くおいで。」


夕陽がニッコリ両手を広げてくれて、ゆっくりその懐に身を沈めた。


「あ~可愛い・・・好きだよ。・・・・な・・・・先生も言ってたろ?薫は俺を・・・信じてくれる?」


彼の鼓動を聞きながら、一つ頷いた。


「じゃあ・・・・聞きたいな。不安や不満。話してくれていいって言ったろ?」


終始優しいその声は、いつも俺に安心を与えてくれる。

どうせなら自分の声で説明したい・・・。


「・・・はぁ・・・・はぁ・・・あ・・・」


落ち着いて息をついても、絞り出そうとしても体は拒否して声にならない。


「・・・薫、無理して声出そうとしなくてもいいよ。」


悔しい・・・・

涙がこぼれそうなのを堪えた。

俺は仕方なくスマホに指を滑らせて、心の内を明かした。

言葉を選んで、伝わるように・・・あんなに、小説を書いてきたのに、どうしてかそれも出来ない。

拙い日本語しか打てない・・・。

もどかしくて苦しくて、夕陽に見放されたくなくて怖くて・・・・手はずっと冷たかった。

震えを堪えながら、打ち込むのが一苦労だ。


「薫・・・ゆっくりでいいよ。いくらでも待つから。」


夕陽は俺を安心させるように微笑んで、俺のおでこにキスした。

彼の優しさに応えたい。がっかりされたくない・・・

俺が一頻り時間をかけて打てた言葉は、とても少なかった。

『夕陽が家を出る時、不安で仕方なくなる。待っている時間が怖い。帰ってこないんじゃないかと思ってしまう。そんなことないってわかっていても・・・怖くて不安で仕方ない。』

そう綴った。

酷いもんだ・・・。自分にこれだけ尽くしてくれる恋人に。

もう家から出ないでくれと言っているようなもんだ。

俺は恐る恐るスマホを差し出した。


「・・・・・。」


夕陽は黙ってそれに目を通して、そして静かにスマホをテーブルに置いた。


どうしよう・・・ため息をつかれるかも・・・・

もう疲れたって言われるかも・・・しれない・・・・


夕陽はまたそっと俺を抱き寄せた。


「ごめんな薫・・・・そうだよな・・・・。ずっとずっと・・・親の帰り待ってて・・・それでも帰ってきてくれなかったんだもんな・・・・一番つらかったことだよな・・・。」


彼は涙声になりながら、鼻水をすすりながら、俺をぎゅっと潰れる程強く抱きしめた。


「・・・薫のためにとにかくいっぱい働かなきゃって思って・・・一番は側にいることなのにな・・・本末転倒だよなぁ・・・。はぁ・・・・よし・・・」


夕陽は涙をぐいっと拭って、徐に立ち上がってノートパソコンを持ってきて開いた。


「在宅で出来る仕事調べて、とりあえず片っ端からやってみるわ。割がいいなって思ったやつは続けるとして・・・薫にも仕事探すのは手伝ってほしい。俺、事務仕事だったら大抵出来るから。エクセルもワードも、パワポも。」


切り替えの早い夕陽にとりあえず俺は頷き返した。


「探せばいくらでもあるとは思うんだよな~事務系じゃなくてもさ・・。あ・・・でもその、今のバイト辞めるにしても、ひと月先までシフトは出てるからさ、とりあえず一か月はやめるまでかかるから・・・それはごめんな。その間に薫がもしいい仕事見つけといてくれると助かるかも。」


そう言われてふと思った・・・。

在宅で出来る仕事があるなら、別に俺でも出来るかも・・・

けど・・・休むことを目的として大学まで休学したのに、俺が切羽詰まって働いてちゃ意味ないかな・・・。

俺もパソコンを取りに行って、悶々と考えながら再びソファに座ると、夕陽は見透かしたように言った。


「薫は俺の仕事探しを手伝うわけで、自分で何かしようとか思わなくていいからな。もし何かしていないと不安になるとか、手持無沙汰になるようだったら、本来やってた法律の勉強をしたらいいと思うよ。薫の将来のためになるのは明らかにそっちだし。来月受けようと思ってた口述試験は見送るしかないと思うけど、また来年予備試験は受けられるしさ、ゆっくり自分のペースで勉強再開してもいいと思うぞ。」


そっか・・・勉強・・・・

今まで自分が何を選んで何をしようと生きていたのかをまるで忘れていて、雷に打たれた衝撃のように思い出した。


「わかった!夕陽に言われた通りにする!」


急に俺が元気に答えたものだから、パソコン画面に目を奪われていた夕陽は、ビク!っと体を強張らせて振り返った。


「お・・・おぅ・・・。びっくったぁ・・・急に可愛い声返ってきた・・・。」


彼にすりつくように抱き着いて、少年の自分は子犬のように構ってほしさ全開で甘えた。


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