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ショートショート3月〜3回目

のぼり

作者: たかさば

 正月にふと思い立ち、朝のウォーキングを始めて…早三か月。

 すっかりモーニングルーティンとして身についた俺は、今日も早朝の町を一人…歩く。


 向かう先はコンビニだから、ただ朝飯を買いに行くだけという噂もあるわけだが。まあ、アパートからコンビニまでは歩いて10分ちょっと、行きと帰りと買い物、その他もろもろで合わせて30分…ちょっとした運動にはなっていると思う。心なしか、ベルトが少しゆるくなったような気がしないでもない。


 朝一番、まだほんの少し薄暗い時間帯に出歩くようになって、いろんなことを知った。

 誰もいない、車の来ない道のド真ん中を歩くのがわりと気持ちいい事。毎日の空気のにおいが違う事。夕焼けと朝焼けは色合いが明らかに違う事。

 天下を取ったかのような気分になりながら道のど真ん中を歩いて、まだ誰も吸っていない新鮮でクリーンな酸素を体内に取り込むように深呼吸をし、鳩のさえずりをバックミュージックに美しい空を眺めつつコンビニに向かい、ホットコーヒーを買う・・・それがいつもの流れとなっている。


 折り返し地点となるコンビニは片道4車線もある主要道路を挟んだ向こう側にあるので、回転寿司屋の駐車場の角の信号を渡る事になる。

 深夜は押しボタン式になっているのでボタンを押せばすぐに信号が変わるのだが、早朝はボタンが押せなくなっているため、しばらく待たなければいけないのが少々めんどくさい。


 主要道路なので地味に通行可能時間が短く待機時間が長いこともあり、俺はいつも信号を待つ間、体を軽く動かすようにしている。長い待ち時間をぼーっと立ったまま過ごしていると寒さを感じるのだ。随分暖かくなったとはいえまだまだ上着が必要な季節だし…。


 歩き始めたころは氷点下なんてざらにあって、立ち止まるのが本当にきつかった。動いていないと底冷えしてしまうため、何となく肩の筋肉をほぐしたり、ジャンプしたり、オーバーアクションで時間をつぶしていたのだが…、ある時から寿司屋ののれんを相手にシャドーボクシングのような事をするようになった。


 ここの寿司屋は、駐車場にたくさんの【のぼり】を立てている。

 新作デザート、マグロフェア、キャラクターコラボ、限定メニューのお知らせ、アルバイト募集…。明るい色合いののぼりが、風のある日もない日もひらひらとしていて、実にこう、叩きたくなるというか、なんというか。


 アレは雪がちらついた朝だったか…、何の気なしにはためくのぼりにパンチを入れたら、やけにこう、気持ちが良くて…ハマってしまったのだ。

 一度パンチを入れたら、ひとつ叩いたら…、次の日も、別のものもと欲が出て、気がつけば少し見上げる高さにある縦長の布地が目に入ると…新しいのぼりが登場すると、自然に手が伸びるようになっていたのだ。まるで目の前でひょろひょろ動くリボンに尻をふりふり飛び掛かる猫のように、僕はのぼりを叩かずにはいられない人間になってしまったのである。


 そんなわけで・・・今日もいつものように、寿司屋の広い駐車場の端からのぼりを一つ一つ叩いていく。


 ぱす・・・、ぱす、ぱすっ、ぱす・・・。


 寿司屋ののぼりにげんこつをお見舞いしながら、信号が変わるのを…待つ。

 たまにカッコよく、アッパーを気取ってみたりもする。

 一撃必殺の重たいパンチのつもりで、ダウンを奪った気になったりもする。


 のぼりは一度出したら出しっぱなしになっているようで、たまにごわつくものもある。

 雨が降ったりすると埃がつくのか、拳が汚れる事もある。だが、のぼりパンチが毎日の日課になっている俺にとっては、手触りの悪さも汚れも些細なものだ。のぼりにただ一途にパンチをお見舞いする…それに尽きるのだ。


 ……きょうは8枚か、ボチボチだな。二月のバレンタインフェアの時は駐車場のいたるところにのぼりが立ってて、信号待ちだけじゃ叩ききれなくてさ。ついつい深追いしてしまって、二回も信号待ちをする羽目に…おっと、信号が変わったぞ、早く渡らねば!


 俺は急いで横断歩道を渡り、コンビニへと向かった。



「……アレ?…おかしいな、財布…財布が……。」


 いつものようにコーヒーを注文しようとした俺は、レジ前に立った瞬間に違和感に気がついた。ポケットに入れてきた財布が…どこにもないのである!!


「あの・・・?」

「あ、すんません、今日は…イイや」


 顔なじみの兄ちゃんに断りを入れた俺は、何も買わずにコンビニを出て・・・頭の中が真っ白になった。


 マズイ、いつ、どこで落とした?!財布の中にはカードも免許証も入っているし、アレがなければ会社に入れない、朝家を出る時は絶対に尻に入っていた、一体いつ落とした?!落としたら音がしそうなものだが、そんな気配はなかったはず・・・。


 ヤバイ、横断歩道の上で落としていたりしたら、今頃車に轢かれてバラバラになってるはずだ!!


 あせる気持ちを抑えつつ、小走りで今来た道を引き返す!!クソっ、なんでこんな事に!!ああもう、こんなことなら家で大人しく寝ときゃよかった……!!!


 足元を見ながら横断歩道を渡るも、財布のかけらすら見つからない。……ここじゃないのか?じゃあどこで落としたんだろう、寿司屋のところか?それともブランコしかないショボい公園の横を抜けたあたりか?車屋の前のグレーチングで落としていたりしたら拾えない可能性もある、くそ、警察に…行くべきか?!


 頭の中でこのあとどうしたもんかと色々考えつつ、来た道を来たとおりに再現して・・・のぼりの一つ一つを、叩いていこうと!!


「あ、あの!!おはようござい・・・ます!!」


 二つ目ののぼりの前に立ったあたりで、ドタバタと…寿司屋の二階から、女性が、降りてきたぞ!!


「えっと、これ!!落としませんでしたか!!!」


 三角巾に白いエプロン姿の、白い長靴をはいた女性が差し出したのは・・・俺の財布!!!


「うわ!!そうです、これ僕のです!!見つからなくて、諦めるとこでした!!たすかったー!!!えっと、見つけてくれたんです?ありがとうございます!!」

「いえいえ!!お渡しできてよかったです、フフ・・・」


 すぐに見つかってよかった!!そうか、俺はここで…パンチをしていて夢中になりすぎて落としたんだな。ああ…今後はパンチを控えよう、もう温かくなってきたし、体を暖める必要もなくなる頃だ、そうだな、のぼりを叩くのは、今日で卒業にしよう、うん、それがイイ!!


「それにしても…よく僕が落としたって分かりましたね。あの、もしかして待っててくれたんでしょうか…すみませんでした」

「待っていたというか、私ここで仕込みをやってるんです。ええと、アナタがボクシングしてるのが、その…上の調理室の窓から、その…よく見えてて!!お財布落としたの、見えてて!!」


 どうやら女性は、俺がみっともなく財布を落とした瞬間を見ていたらしい。なんという偶然、運がよかったとしか・・・。


「はじめは暗い中で何かやってる人がいるくらいにしか思ってなかったんですけど…最近日の出が早くなったでしょう?明るくなって、よく見えるようになって、その…ごめんなさいね、毎朝あなたの面白い動きを、その・・・見て、眠気を覚ましてて!!」


 ・・・そういえば、俺は正月のクソ寒い日にウォーキングを始めたんだった。


 年明けの頃は、朝六時といえばまだ真っ暗で・・・闇に隠れれば、のぼりにいたずらしてもばれまいと思ってパンチをし始めた、ような。


 言われてみれば、辺りはもうすっかり朝日が昇って…夜のとばりの欠片も見えない。


 ・・・・・・。


 この人、上からよく見えるとか言ってたな。

 面白い動きとか、言ってたな。眠気が覚めるとかも、言ってたな。


 あ、アアア!!!


 俺の・・・俺の恥ずかしいへっぽこパンチも、勘違いウィナーポーズも、カッコいい振りしたアッパーも、風に揺れてはずしたパンチも、一人ヒーローショーも、布切れ相手にかましたワンツーパンチも全部、全部見られていたって事?!


「は、ははは・・・!!すみません、おたくの大切なのぼりを、俺みたいなごく普通のおっさんが痛めつけてしまってえええエエ!!!」


「あはは・・・上司には、内緒にしてありますから!!今後は見つからないようにこっそりやってくださいね!」


 以降、俺はのぼりにパンチを入れることはなくなり。



 たまに・・・寿司屋の二階の窓に向かって、手を振るようになり。



 ぼちぼち・・・寿司屋に飯を食いに行くようになり。



なお君、昔ここでトレーニングしてたよね!!」

「ちょっと何言ってるのかわかんないんだけど?!」



 ・・・・・・気がつけば、毎日一緒にウォーキングを楽しむパートナーがさ。


 いつも、俺の横にいるようになっていたという、話。


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