ウェパルの影
俺たちがクラーケン討伐を引き受けた事にロッシさんや漁師さん達は最初は信じられないという感じで呆気に取られていたが、それが冗談ではないという事が分かると涙を流して喜んでいた。
それから間もなく漁港には町の漁師さん達やその家族が集まり、食事と情報提供をしてくれた。
クラーケンは巨大なイカの魔物だが、彼等を襲ったのはその中でもかなり大きな個体のようだ。
既に何人もの漁師が犠牲になっているらしい。
だが、彼らの話を聞いていて不思議な部分もあった。それはクラーケンが襲うのは、この町の漁師たちの船だけで付近を通過する他所の船は被害に遭っていない。
その為クラーケンの危険性が他の地域に伝わり難いというのも冒険者ギルドで討伐が見送られた原因の一つとも言えるだろう。
「一体どういう理屈でこの町限定で暴れてるんだ、そのクラーケンは?」
「話を聞けば聞くほどこの町の漁師さん達のみをターゲットにしている様に思えますわね」
「そう言えば、オイラずっと思ってたんだけどさ、漁業が滞っていたら町の収入も減ってるって事だよね。どうして執政官は動こうとしないのかな? なんかおかしくない?」
セレーネとレオが首を傾げているとロッシさんが疑問に答えてくれた。
「それはこの『カボンバ』の行政は『ティターンブリッジ』の通行料から十分な収益を得ているからです。ですが執政官はそれを町の運営に回したりはせずに横領しているという噂があります。騎士団も住民の為に動いてくれた事なんてありませんでしたし、正直期待はできません。だからと言って先祖代々受け継いで来たこの漁港を捨てることも出来ず……」
ロッシさんを含め漁港で働く大人たちは暗い表情をしたまま黙ってしまう。
この話がまだ分からない子供たちも親たちの深刻な雰囲気を感じ取ってか不安そうにしている。
このまま放っておけば間違いなくこの人たちは路頭に迷う事になるだろう。
「ロッシさん、俺たちのパーティ七人が乗れる船を用意していただけませんか? それでクラーケンが出没するエリアまで行ってぶっ倒してくるんで」
「この漁港にある船だとクラーケン相手ではすぐに破壊されてしまうと思います。もっと頑丈な船を用意しないと……」
「そこらへんは問題ないです。いざとなれば海面を歩って帰って来るので。ただ、クラーケンはこの漁港の船のみを標的にして出現しているので、同じ条件で近づかないと出て来ないと思うんです。それなので破壊されること前提でさっき言った条件に合う船をお願いします」
「分かりました」
ロッシさん達が船を見繕っている間、俺たちは作戦会議に入る。何せ今回は海の上で戦う事になる。
それに状況次第では海中戦になる可能性も高い。ロッシさん達が以前のように安心して漁に取り組めるように確実にクラーケンを葬る作戦を立てなければならない。
その結果、今回俺は竜剣ドラグネスを使用する事になった。氷属性のドラグネスなら水が豊富な場所で能力を十分に発揮できる。
「頼んだよセレーネ」
「わたくしにかかればクラーケンなんて只の大きなイカにすぎませんわ。大船に乗ったつもりでどーんとわたくしにお任せくださいな」
おお、頼もしい。自信満々に自分の胸に手を当ててドヤ顔をしている。けど、この人が言うと不安しか感じないのは俺だけだろうか?
そんな一抹の不安を抱えつつ、俺は大きく揺れているセレーネの胸を凝視していた。
◇
『カボンバ』にある『アストライア王国』騎士団の施設は『ティターンブリッジ』付近に建てられており、その権威を主張するかのように巨大な建築物だった。
その施設において『カボンバ』の街並みを見下ろせる場所に執政官の執務室がある。
現在、その執務室では『カボンバ』の執政官ジャコブ・ジャーファーが窓辺から『ティターンブリッジ』を行き交う人々を見下ろしてニヤニヤしていた。
するとドアをノックする音が聞こえ、続けて護衛騎士が要件を伝える。
「執政官、お客様がお見えになられました」
「通せ」
ドアが開かれると水色を基調とした煌びやかなドレスに身を包んだ小柄な女性と全身をフード付きのマントで覆った大柄の人物二人が入って来た。
「お久しぶりですわね、ジャコブさん」
「わざわざこのような所に来ていただき申し訳ありません、ウェパル様」
ウェパルと呼ばれた少女はドレスと同じ色をした長い髪をポニーテールにまとめており、髪を左右に揺らしながらジャコブの隣まで歩って来る。
そして彼女も窓から眼下に広がる人々の往来を目を細めて眺める。
「いつも思うのですけれど、陸上は人間が多すぎて息が詰まりそうになりますわ。それに比べて海は広大で自由です。――こんな光景を眺めて何が楽しいんですの?」
「私が何をしなくてもあの橋を渡ろうとするだけで金が入って来るのです。ですからここで感謝の気持ちを込めて見送っているのですよ」
「そんな下卑た笑みで言われても説得力がありませんわね。正直に不労所得万歳とでも言いなさいな。――ところで約束の物はちゃんと用意してあるのかしら?」
「勿論です。立ち話もなんですからそちらで話をしましょう」
ジャコブが来客用のソファへとウェパルを誘うと自分は棚の方へと向かいそこの金庫の中から小型の箱を取り出した。
その間ウェパルはソファに足を組んで座って待っており、彼女の後ろには一緒に執務室に入って来た人物二人が立っている。
深くかぶったフードの奥では黄色い大きな目がギョロギョロと動き回っていた。
ジャコブはそんな二人の視線を気味悪いと思いながらも応接用テーブルに箱を置いた。
「ふふ……この二人はあたくしの護衛なので周囲を警戒しているだけです。あなたに危害を加えることは無いので安心しなさいな」
「分かってはいますが、〝ディープ〟は他の亜人族と比べて独特の雰囲気を持っているので中々慣れませんな」
「我々ディープは他種族に比べて平均的に知性が低い事もあって古来から魔物呼ばわりされ淘汰されてきた人種です。それに生活の場が海中という事もあり独自の文化を築いてきた事も他種族との溝が深くなっていった理由の一つですわ。そう簡単には慣れないでしょうね」
そう言いながらウェパルが箱の蓋を開けると中には貴重な魔石や財宝類が詰められていた。
ウェパルは一つの魔石を摘み蕩けた表情で見つめるのであった。




