天を衝く海蛇
「あたくしに傷を付けるなんて大したものですわ。千年前にアスモダイ様の計画を妨害したというのもあながちハッタリでは無いということですか。ですが、話によると当時は段違いに強い異世界人とアルムスのコンビが猛威を振るっていたとか。そして、その二人は既に存在しない。此度の異世界人は一人しか確認されておらず、その少年は疲れ果てて戦闘不能。――そこには既にあたくしの部下が襲撃に行っています」
「何だと!?」
「そんな……このままじゃアラタさんが……!!」
アンジェとルシアの意識が競技場に向くと、その足元に水の弾が撃ち込まれ彼女たちの足を止める。振り向くとウェパルが掌に魔法陣を展開していた。
「行かせませんわよ。どのみちあなた方はおしまいです。あの異世界人はいなくなり、陸の者たちはこれから始まる戦乱の中で消えていく。――そして、最終的にはこの世界の理は壊れ新世界が始まる。素敵なことじゃないですか」
ウェパルが興奮気味に頬を赤らめて話す。それを聞いていたアンジェとルシアは怪訝な表情でウェパルを見ていた。
「そんな話を本当に信じているんですか? 千年前にもアスモダイは同じことを言っていましたけど、世界を破壊する権利なんて誰にもないんです!」
「その通りだ。それにあいつが目指す新世界というのは、以前にも言っていた弱肉強食の世界なのだろう? そんな混沌とした世界を生きたいのかお前たちは!?」
ルシアとアンジェがアスモダイの目指す世界を否定すると、俯いていたウェパルは重々しく語った。
「……少なくとも今の世界よりはマシでしょう。だって、我々ディープは種の存続の為には多種族の者をさらわなければならない歪な存在なのです。そのため忌み嫌われ弾圧され続けてきた歴史を持つ我々にとって、この世界は生き地獄も同じ。――なら、いっそのこと滅んでしまえばいい。そして、ディープは新世界で生まれ変わるのです!」
「話にならないな。結局はアスモダイの計画に乗って協力するという事だろう? その結果、ディープの現状が改善される保証はない。それでもお前は、あの男にすがるのか? 自分の種族を巻き込んでまで……」
「ディープの問題なら私たちも知っています。それなら皆で良い解決方法は無いか模索していくべきじゃないんですか? こんな方法であなた方の未来が明るいものになるとは思えません!」
「それなら教えていただけませんか? あたくし達ディープはどうすれば、多種族を傷つけず堂々と日向の下で生活していけるのですか? 同じ種族で愛し合っても子を成せないあたくし達はなんの為に生きているのですか!?」
「それは……」
ウェパルの切実な問いにアンジェとルシアは答えを導き出せなかった。その結果に自嘲気味に笑った後、ウェパルは諦めた目で二人を見る。
「それが現実ですわ。今までディープを利用はしても、本気で歩み寄ろうとする者は誰もいなかったのです。――もしいるとすれば、その者は底抜けのお人好しか大馬鹿でしょうね」
敵でありながらこの世界に絶望しているウェパルの悲しみを感じ取ったアンジェとルシアは、どうすれば良いのか分からなくなった。
アラタを助けたい気持ちは当然として、種族の問題で苦しむウェパルを、同じく種族問題で苦しむ自分たちアルムスと重ねていたのである。
その時、周囲で起きていた激戦と巨大な魔力が次々に終わりを迎えているのを三人は感じ取った。
「これは……まさか、フォルネウス……サレオス……フォカロル……三人の魔力が……命が消えていく? ――そんな事……そんな事は絶対にさせませんわ!!」
「この魔力は……魔神化する気か!?」
「魔力が爆発的に高まっていく。……これほどの魔神化は今まで見たことがないわ!!」
ウェパルは魔力を解放し、その衝撃波で周囲の大気や大地が震える。アンジェとルシアはその場に留まっていられず吹き飛ばされてしまう。
「――魔神化!」
ウェパルの身体は数十倍にも巨大化し、全長百メートルを超える海蛇となって空へと伸びていった。
その巨体故、魔神化しただけでその足元にあった建築物は全て吹き飛び更地になってしまう。
吹き飛ばされたアンジェとルシアは離れた場所から、その巨大な魔神を見上げていた。
「……規模が違いすぎる。アラタさんが回復しても、こんな相手にどうやって戦えばいいの?」
「これが十司祭ウェパルの真の姿だというのか。それにこの魔力……私たちが前マスター達と共に鎧闘衣四体で戦ったなら何とかなったかもしれないが……この現状では……」
絶望がアンジェ達を押しつぶそうとしていた時、巨大な海蛇と化したウェパルは膨大な魔力を用いて空に巨大な魔法陣を形成する。
『……フォルネウス達の魔力が消えた!? でも、今すぐ発動すれば間に合うはず! 我が魔力と命を贄として、無垢なる魂を蘇らせん。――リザレクション!!』
空の魔法陣に魔力が充填されると一帯の空にオーロラが発生し、そこから光が地上に降り注ぐ。
その光を浴びた者は傷が全快し、命を落としたフォルネウス、サレオス、フォカロルの三人は蘇生を果たす。
三人の魔力が復活したのを感じ取ったウェパルは安堵の息を大きく吐いた。
アンジェ達とウェパル達の戦いは一旦区切りを迎える。そして、この戦いを収束に導く少年は、今再び立ち上がろうとしていた。