絶望の淵で
ガミジン戦以降、訓練をして実力を付けていくうちに敵に対するおごりが生まれた。その結果がこのザマだ。
自業自得から生まれたこの結末に仲間を巻き込む訳にはいかない。
「トリーシャ……にげ……ろ」
『何言ってるのよ。そんな事できる訳ないでしょ! 私も一緒に――』
「このまま……じゃ二人とも……やられる……。せめて……お前……だけ……でも……」
『嫌よ! 絶対に嫌ッ! 待ってなさい。私が今からそいつを倒してやるから』
トリーシャが武器化を解こうとすると、ラアルが冷たい声で語り始めた。
『言っておくけど武器化を解除したらあんたもこいつと同じになるよ。身体が金属の武器状態だと瘴気は効果ないけど、人の姿になればさっき言ったように呼吸と皮膚や粘膜からの吸収で確実に毒に冒される。まあ、そうなる前にアスタロトとあーしの攻撃をくらって毒状態になるだろうけどね。どのみちアルムス一人でどうこう出来る状況じゃないわけ。――つまり、あんたらはもうおしまいなのよ』
俺もトリーシャも反論することが出来ない。ラアルが言うようにこの状況を覆せる策が思いつかない。
為す術なくアスタロトによって宙づりにされていると、奴がトリーシャの方を見て笑うのが見えた。
「いい事を思いついた。この異世界人の前にアルムスの方を先に破壊するのはどうだ? そうすればこいつの絶望した顔が見られるぞ」
『キャハッ! アスタロトってば天才じゃん。それいいねぇ、あーしもその考えに賛成。それじゃ早速――』
「びゃく……れい……!」
身体に残った最後の力を振り絞って白零を枝に放ち、その爆風で神薙ぎは下方に落ちていった。
『アラタ……アラタァァァァァァァァァ!!』
神薙ぎの……トリーシャの声が遠くなっていく。これでいい。ここから離れればこいつらの標的は俺だけに絞られる。
『こいつ……まだ魔力を放つ力が残ってたの? ゴキブリ以上の生命力じゃん』
「……ふん」
アスタロトは俺の顔を鷲掴みにすると、そのまま俺を大樹にぶつけた。抵抗する力も残っていない俺は、何度も頭を大樹にぶつけられ頭から血が流れてくる。
これまで身体を蝕んでいた痛みが薄れていき意識も朦朧としてきた。このままやられるのかとおぼろげな意識の中思っていると、突然攻撃が止んだ。
「……?」
「さすがにここまで痛めつければ余力は残っていないようだな。――さて、それじゃ始めるとするか。クカカカカカカカカッ!」
アスタロトは目の前で魔方陣を展開し無数の毒針を俺の身体中に撃ち込んだ。ほとんど零距離で放たれたそれは、俺の体内に溶け込むようにして消えていく。
その直後体内でドクンと大きく波打つ感覚と共に灼熱の如き痛みが全身を駆け巡っていった。
途絶えそうになっていた意識は激しい痛みによって覚醒し、意識が鮮明になった事で更に痛みが実感できるようになってしまった。
「ぐ……がああああああ……ああああああ……!!」
体内で増していく痛みによって勝手に声が漏れる。それを聞いたアスタロトは歪な笑みを俺に向けていた。
こいつは……こいつらは俺が苦しむ姿を見て楽しんでいる。
ふざけるなよ。このままこいつらの思い通りになってたまるか。例えここで終わるとしても――。
「く……ぐぅ……」
『あれ? こいつ、声が出ないようにやせ我慢してるぅ。ちょっとなに無駄な抵抗してんのよー。空気読めよ~』
「……いいねぇ。その頑張りがいつまで続くか……試してみるか、なぁぁぁぁぁぁぁ!!」
アスタロトは俺の太腿にダガーを突き立てた。鋭い痛みの後に創部から身体を焦がす様な痛みが一気に全身を支配する。
痛みで神経が焼き切れそうになりながらも意識だけは、はっきりしていた。少しでも気を抜けば精神が壊れてしまいそうになる。
それでも耐えながら声が漏れないように必死に歯を食いしばる。だが、その動作すらも灼熱のような疼痛となって俺を襲った。
それからもアスタロトはダガーで俺の身体を浅く斬りつけていった。大腿部と同じように斬られた場所から熱い痛みが広がっていく。
「随分と粘るじゃねーか。俺の相棒、毒剣ヴェノムの毒は毒消しじゃ回復不可能な特別製だ。その効能の一つに痛覚を何倍にも高めるというものがある。既にお前の体内はヴェノムの毒だらけで当然痛覚も高まっているはずなんだが……それに耐えるとはお前は本当に人間か? 魔人の俺が言うのも何だが、お前も十分化け物だぜ。クカカカカカカカカカッ!」
『ねぇ、アスタロトー。こいつ毒流しても痛めつけても悲鳴上げないし目も死んでないし、あーしつまんなーい! もうやっちゃおうよ。それで逃げた連中で遊ぼう。その方が絶対おもしろいよ~』
「お前は本当に分かってないな。こういう自信に溢れた奴が絶望に落ちた瞬間が楽しいんじゃねーかよ」
『そんなのあーしも分かってるよー。でも、このままだとそいつ何も面白い事しないで死んじゃうよー。今の状態なら全身に毒が回りきるまであと数分かかるし、そんなに待てないー。もう毒性最大にして一瞬で終わらせちゃおうよ』
アスタロトが手にしている赤紫色のダガー――毒剣ヴェノムの刀身から透明のしずくが枝に落ちると、その場所が急激に腐り枯れていく。
これと同じ物が俺の体内に流れているのかと思うとぞっとする。
「ちっ、しゃあねえな」
アスタロトはヴェノムの切っ先で俺の左頬をゆっくり斬り進めながら観念したようにラアルの要望を受け入れた。
「……っ」
『あんたマジでおかしいよ。これだけでも身体の内部から焼かれる様な痛みがあるはず。それなのに命乞いもしなけりゃ悲鳴の一個も上げない。いかれてんじゃないの? あーあ、異世界人が必死に泣き叫ぶ姿が見たかったな~』
「……さい」
『……え? なになに、何て言ったの? 「助けてください」って言ったのかなぁ?』
「うる……さい……んだよ、このメスガキ! 地獄へ落ちろ!!」
ラアルの人間時の姿は知らないが、やたら甲高い笑い声とコギャルみたいなしゃべり方からして生意気なガキの姿を想像していた為、自然と声に出てしまった。
『な……は……メス……? こいつ……!』
「ついでに……アスタロト……お前の笑い方も……キモいんだよ。壊れた……カスタネットみたい……で……カタカタうるせーんだよ! 気持ち悪い……笑い方する……お前等は……お似合いの……コンビだよ……バーカ」
言い終えた直後、アスタロトの蹴りが俺を襲った。目を血走らせながら何度も蹴りを入れ、俺が倒れてもそれはしばらく続いた。
俺は血反吐を吐き、息も絶え絶えになりながらも目尻を引きつらせているアスタロトを睨む。
「……へらず口はそこまでだ。ラアルの言う通り、どうやらてめえは煮ても焼いても食えない野郎のようだな。ジワジワなぶり殺しにしようと思っていたが、これで終わりだ。――死にな!!」
俺はアスタロトから目を離さず最後まで睨みつけてやろうと考えていた。毒剣ヴェノムが俺の頭目がけて振り下ろされるのが見える。
だが、その刃は俺には届かなかった。刃が突き立てられる直前に強烈な風が走りアスタロトに直撃、吹っ飛ばした。
そして俺の目の前には流れるような金髪と美しい金毛のケモミミと尻尾をたなびかせ一人の少女が舞い降りた。
「ト……リーシャ……ど……して……」
「あなたを置いて逃げる訳ないでしょう!」
それからトリーシャは何か言いたげな様子だったが、俺の姿を見ると一瞬目を見開いて側までやってくる。
敵に警戒しつつ本戦前に配られたポシェットから細長い小瓶を取り出し、蓋を外して中の液体を俺に飲むように勧めてくる。
「毒消し効果のあるポーションよ。気休めかもしれないけど飲める?」
「う……」
トリーシャに抱きかかえられる形でポーションを飲もうとするが唇を動かす事ができず液体が口内に入っていかない。
それを見たトリーシャはポーションを自身の口に含み俺に口づけをした。
彼女は弱り抵抗力を失っている俺の唇を舌でこじ開けポーションを口移しで飲ませてくれた。