配所
さて、謹慎中の範頼であるが、することなど何もない。
この時代の武士であるが、遊興も学問もしない。するのは武芸と合戦であるが、謹慎中で武芸の鍛錬などすれば叛意ありとされかねない。
もう一つの「合戦」だが、おそらく奥州に出陣せよとの沙汰が追って下るだろう。
そして、九郎を討っても討てなくても自分にとっていいことにはなるまい。
いま、頼朝は御家人たちを連れて富士の麓に行っている。
巻狩りだそうだ。
無論狩猟なのであるが、軍事演習という側面もある。
嫡子の頼家も連れて行ったところを見ると、源氏の後継者として御家人たちに発表する機会と考えているのかもしれない。
どちらにしろ、謹慎している自分には関係ない。
そんな時、屋敷に幕府からの遣いが飛びこんできた。
「曽我五郎、十郎兄弟、父の仇として工藤祐経を討ち果たしたり! 曽我兄弟はしかる後、御大将の本陣を突く!」
すぐに御所にでかけた。
謹慎中の範頼の顔を見ても誰も気にしない。
それどころではないのだろう。
何やら大声で叫んでいる者。部屋の中で矢をつかんでうろうろしている者。それを大声で叱責するもの。矢をつかんでいるものが怒鳴り返した。怒鳴り合いが始まった。別の場所で、胸倉の掴み合いをしている者がいる。それらに静まれとさらに怒鳴っている者。そんな光景が御所のあらゆる所で展開している。
混乱の極みであった。
とにかく政子に会わなければならない。
居室を訪れた。
政子は簡単に範頼を招き入れた。
政子は、いつもにも似ず真っ青な顔で震えていた。
「三河守殿、ご苦労でございます…。実は、御所さまが討たれたと言う者もあり、難を避けられたという者もいます。ご無事で…、本当にご無事であってほしいのですが…」
その言葉に、たまらなくいじらしさを感じた。やはり妻なのだ。純粋に、夫の身を案じているのだろう。
「頼家は若く、まだとても将軍職など勤められようはずもない…」
…馬鹿馬鹿しくなった。自分の息子の地位が確立するまでは、頼朝に生きていてもらわねばならないということか。
それでも、ここまで本音を漏らすということは政子も動揺しているのだろう。あえて不安がらせることもない。
「たとえ何があろうとこの三河守範頼がある限りご安心めされよ。きっと御子を無事にお育て申し上げる」
そして今、範頼は修善寺にいる。
あの日、政子に声をかけてから間もなく、頼朝の無事が確認された。曽我十郎は工藤の郎党に押し包まれて討ち死にし、五郎は捕らえられ、従容として斬られた。
だが、曽我兄弟が頼朝の本陣を突こうとしたのは事実らしい。しかしそれが表だって語られることはなく、五郎と十郎のしたことは単なる仇討ちとして処理された。
もう一つ、処理されたことがある。
彼自身の「自分がいる限り安心されよ」という言葉が、頼朝に対して叛意ある証拠とされたのだ。
また御所に呼び出されるかと思ったが、遣いとして景時が来ただけだった。
景時は自分が頼朝になったかのようなぞんざいな口調で、「おまえを修善寺に幽閉する」と頼朝の言葉を伝えた。
無論、反旗を翻したとて自分についてくる御家人などいようはずもない。
黙って修善寺に赴いた。
現代でこそ修善寺は上品な温泉街であるが、この時代は山しかない。「修禅寺」という寺があるだけだ。
修善寺のすぐ西にある日枝神社の境内に住まわせてもらっている。身の回りの世話は、当麻太郎のみが行う。
とは言っても、今の境遇に不満があるわけではない。
すでに平家が滅び、奥州に藤原氏もなく、大きな戦が始まるとは思えない。
これから戦といえば、御家人どうしの私闘のみであろう。
いや、北條氏と他氏族の争いしか起きないだろう。
そんなものに巻き込まれたくはない。
範頼は、戦場で御家人どもの調整をさせられ、ある者には恨まれ、ある者には陰口を叩かれ、あんなことはもう懲り懲りだった。
あれが政治というものならば、なぜそんなことをしたがる者がいるのだろう。
あんな面倒なことをしたくないのなら、北條氏のように一族で全ての権力を握るしかない。
しかしそのための作業さえも、面倒に思える。
兄頼朝が、北條氏のやりたいままにさせているのは、もしかしたら「どうしようもない」からではなく「面倒くさい」からなのかもしれない。
今、朝廷から幕府に力が移ったといわれている。しかし京都の公家どもは「権力をふるう」などというめんどくさいことは捨ててしまったのかもしれない。そんなことは下賤の者にまかせて、自分たちは歌を詠んだり、恋をしたり、楽しいことだけしたいのかもしれない。
盛者必滅とはいいながら、いちばん最後まで生き残るのは力を持っている武家ではなく、何の力もない公家どもではないだろうか。