【怪異】狐火
「お姉さん……?」
春になれば眠りから覚めると思っていた姉が立っていた。何か月ぶりだろうか、起きているところを見るのは。それも立っているところなんて。声をかければ、姉はこちらを見る。
その口には、彼岸花をくわえていた。
彼岸花なんて、この時期に咲くわけもなければこの辺りに咲きもしない。そもそも彼岸花を口にくわえるなんて、そんな、どうして。
「……あなた、誰ですか」
確かに目の前に立っているのは姉である。けれど、姉であるはずがない確信があった。
姉なる者は、微笑む。
「姉の皮をかぶって満足ですか。欲しいのならば差し上げましょうか」
その代わり、この家から出ていてください。
そう告げれば姉なる者は彼岸花を食べてしまった。彼岸花は猛毒を有している。それなのに食べて平然とした顔をしているなんて、やはり目の前にいる人物は姉ではない。わけのわからないものが人の留守中に入った。さっさと出ていってもらいたい。
姉なる者は、ぐにゃりと形を変える。そして現れたのは狐の耳を有した青年だった。少年なのかもしれない。大人びえた少年ならば青年のように見える。わからないが、これはと思い当たるものがあった。
まさか。
「姉を食べたのですか」
姉が寝ていたはずの布団は空で。姉が寝ていたはずの部屋にはこの者がいて。姉の姿をさきほどまでしていた。と、いうことは。
「姉を食べて満足ですか。ならば、出て行ってください」
ひたり、こちらに向かってくる。
外に出るためにはまず部屋を出なければいけない。となると、扉の近くで立っているこちらに向かってくるのは間違ってはいない。けれど、距離を取りたい。近づいてくるたびに、後ろへ下がる。
それを何度か繰り返すうちに、部屋の外から出て道を開けた。
その者は歩いて家から出て行った。私は一人になった家で、息を吐いた。
少しして、姉が寝ていたはずの奥の部屋に戻る。
さきほど見たことは間違いだったのでは、と思ったけれど間違いではなく姉はいなかった。布団は空で触ってもひんやりとしている。姉は食べられてしまったのだ、あの者に。
あれは人間ではない。見たことはなかったけれど、目が合うと全身に冷や水をかけられたような感覚に襲われ、知った。いるのだ、ああいうものが。
「……もしかして」
姉を食べた者はどうして私を食べなかったのだろうか。
それを考えているときに、気が付いた。もしかして、あそこに行ったんじゃないかと。
慌てて足袋も履かず、けれど草履は吐いて追いかける。私が家に帰ってきてから雪が降り始めたようで、その者の足跡が続いている。足跡の先は、私が目指している場所でどうしてもっと早く気づかなかったのだと自分を責めた。
息を切らせ、着いた場所は目覚めを待っている木の場所。
その周りに埋めた栄養をその者は食べていた。
土を掘り返して、頭から嫌な音を立てて食べている。昨日埋めたばかりだったから時間が経っていないのとこの寒さ。腐敗が進むのは遅い。
「貴様……ッ」
私がどれだけ時間をかけて、その木に栄養を与えたと思っている。
まだ昨日埋めたばかりだというのに、何を食べている。まだ木に栄養がいっていないだろう。現に血があふれている。百歩譲って食べるのはいい、けれど。
「血をその木に与えなさい!」
なんのために寒い中、少しだけ肉体を切って血が出るようにして埋めたと思ってる。木に血を与えるためなのに、それを貴様が飲んでどうする。
すでに三人は食べられている。昨日埋めたの五人。
食べ終わって満足したのか、こちらを見て微笑む。そして、次は木に視線を向けた。
「待って、それはだめ」
それだけは、絶対にだめ。
家にいたときは近づけなかったのに、今はそれを感じている場合ではなくて近づいて止めようとしたがその前に木にかぶりつかれた。ばり、木の皮がはがれて食べられる音がする。
その者の服を掴んで、離れさせようとするが力の差ではがせない。どうすればやめさせられる、どうすれば木を食べるのをやめさせられる。
ぐるぐる考えて昨日人と一緒にその者が持っていた刀を埋めたことを思い出し土の中から刀を探す。そして見つけ土がついていたが鞘のため刃の方にはついていなかった。
「やめなさい、やめなさい」
その木は、だめ。
血を吸ったその木はさぞ美味しかろう。けれど、だめ。その木だけは。
全神経を集中させ、木を傷つけないように斬りかかる。その者はよけもせず、木を食べ続ける。すか、空気を斬る感覚がする。確かにその者を斬ったのに空気しか斬れなかった。
困惑しつつも勘違いかと再度斬りかかるも、空気しか斬れない。
まさか。
「刀じゃ、斬れないの……」
ならば、と近くに会った石を投げつけるが傷つけられない。通り抜けるように奥へ石は落ちる。確かにそこにいるのにどうして傷つけられない? 人ではないから?
けれど。触れられはする。だったら。
木を食べることをやめないその者に向かって殴りかかった。
けれど。握っていた拳を受け止められ、頭を地面に押さえつけられた。うめき声をあげる私の上にその者は乗って気を食べ続ける。間近で木を食べられる音がする。
「やめて、お願いやめて……」っ」
その木のために私は一体どれだけの人を埋めてきたと思ってる。噂が町に広がるぐらいには人を埋めて来たというのに。
すべては、その木がつぼみをつけて、花を咲かすため。
春に桜を見るために、私は栄養を与え続けてきたと言うのに。
「貴様に栄養を与えるために、私は人を殺したわけじゃない!」
悔しくて逃れようと身をよじらせるが岩でも乗っているかのように不動。
結局私は指の爪がすべてはげてしまうほど抵抗したのにもかかわらず、桜の木を食べられてしまった。雪のせいで地面も冷たい。みじめにさせるには十分だった。
木を食べ終え、その者は満足したのか私から下りた。
私は立ち上がって、その者を睨む。その者は微笑むばかりで何も言わない。
憎悪と嫉妬で気が狂いそうだった。こんなことは初めてでどうすればいいのか分からない。家族が死んだときでさえこんな気持ちにならなかったと言うのに。
桜を咲かせるために、死んだ家族の肉体を切ってこの周りに埋めたというのに。姉だけは一緒に見せてほしくて残しておいたのに。
「満足ですか、私の全部を食べて」
桜が私の全てだった。家族が次々に死んで、私だけになって、毎年家族で見ていた桜をキレイに咲かせたら死んだ家族も喜ぶだろうと身を挺したのに。
その者は、周りに炎をともしていた。
「……あなた、狐火ですか」
正解とでも言いたいのか何十個とともしていた火を一つにまとめそれを尻尾とするように燃やしていた。噂は噂だと思っていたけれど、あながち間違っていないらしい。
私の苗字に蛙が入っている。蛙が人を食べた、間違っていない。桜に食べさせるために、人を殺した。狐火が人を燃やしている。間違っていない、食べた人間の栄養で狐火は火を燃やしている。
「……あなた、私は食べないのですね」
姉を食べたのに私を食べないことで気が付いた。狐火は死人しか食べない。だからここに来ると予測して当たった。ここにはたくさんの死人が埋まっている。
「全部食べてもう満足したでしょう。行ってください」
死人も、桜も食べて。
私には何一つなくなってしまった。目標さえなくなってしまった。
「それとも、私を食べますか」
ここで私が死んだら狐火は私を食べるのだろうか。それもまたいい。家族が狐火の中にいるのならば食べられたら会えるかもしれない。冬に一人きりは寂しい。
狐火は近寄ってくる。
了承したのだと思い、私は刀を取って首筋にあてたところで。
狐火が私の腕を掴み止める。手首に力をこめられ、その痛みで刀を落とした。
何がしたいのかわからず見れば微笑まれる。そして悟った。私は死ぬことさえ奪われたのだと。
私がどこに行こうとしても狐火はついてきた。まさに憑かれた。
死のうとしても狐火に邪魔される。舌を噛んで死のうとしても、口に手を突っ込まれて噛めないようにされる。手ごと噛みちぎってしまおうと思うのに、力の差で負けてしまう。
家に戻ろうかと思ったけれど、何もなくなってしまったのに家に戻っても虚しいだけと家を捨て、町を捨てた。奥さんに言われたのに、と思ったけれどそのうち忘れるだろうと何も思わなかった。
色んな町へ行った。
そのたびに狐火は人を食べていた。
私が町へ行けば、そこに噂が流れるようになる。まるで私が狐火になったかのように。
なんて皮肉なんだろうと自嘲しても何も残らない。何もする気にもならなくて、私はただただ歩き続けて狐火は私に憑いてきて、そして気が付けば桜が咲いている場所にいた。