第二十五話
思わず出たその大声は、食事をしていた店内中の客たちの動きを止め、視線を声の発生源へと集中させた。
「あ……」
そのことに気づいたふくよかな女性従業員は、ペンを持っていた右手を口元ヘ添え、辺りを見渡しながら申し訳無さそうに一礼すると、再び赭神が座っているテーブルの方へ振り向き、抑えた声で忠告する。
「あ、あの! 本当に大丈夫なんですか!?」
「なにがです?」
涼しい顔で返す赭神。
「その、お客様が今注文された『限界突破』なのですが、初めての方にはおすすめ出来ないというか……」
「なるほど、このお店では口にすることも出来ない料理を客に提供すると」
「い、いいえ! 決してそういうわけでは!!」
赭神の脅かすような口ぶりに焦りを感じたのか、ふくよかな女性従業員は慌てて両手をふりながら否定する。その懸命な姿を赭神は、面白がるように、からかうように、口元を緩ませた。
「冗談ですよ……。私は、激辛ラーメンが好物なんです。あなたは心配せずに、オーダーを厨房に伝えに行って下さい」
「わ……分かりました……」
一抹の不安を感じるふくよかな女性従業員だったが、赭神の「好物」という言葉を半分信じ、最終確認をすることにした。
「では、ご注文を繰り返させて頂きます。『激辛ラーメン ひとつ』、以上でよろしいでしょうか?」
「あ、激辛ラーメンはふたつ、でお願いします」
「え?」
「え?」
思わず聞き返えしてしまった、ふくよかな女性従業員。二度見したその目線の先では、胸元でVサインを作る赭神の姿が映る。
「激辛ラーメンを、ふたつ……ですか?」
「ええ」
赭神は、依然として涼しい顔を保ったまま、ふくよかな女性従業員の質問に答えた。それを聞いたふくよかな女性従業員は、すいよせられるように、赭神の対面の席でいまだ痛みでもだえ寝転がっている『彼』に顔を向ける。
「えっと……お連れ様の分ですか?」
それは、自然に出た言葉だった。それを耳にした赭神は、中指でサングラスをくいっと上げ、肯定とも否定とも取れないことを小声で口にする。
「お連れ様……ですか」
「ち、違うんですか?」
その疑問に喚くように答えたのは、客席で寝転がり、両太腿の痛みを和らげようと擦る『彼』だった。
「だ、誰がお連れ様だ! 大体なんだお前!! いつの間にか目の前に現れたと思ったら、我が物顔で注文なんかしやがって!! 食いもんで俺を釣ろうって魂胆か!?」
その言い分に赭神は、『彼』に目線を合わせるように顔をテーブルの下に沈めると、淡々とした口調で返す。
「なに言ってるんですか。あなたは先ほど『注文は後でする』と、言っていたではないですか。私がふたつ食べるんですよ」
「な、なんだとぉ……」
「ほ……本当に……?」
ふたりは、想定内でありながら、普通とは思えない赭神の答えに声をつまらせる。だが、赭神は、ふくよかな女性従業員の方に反応し、テーブルの下から顔を出す。
「……なにか、問題でも?」
「い、いえ! そんなことは!!」
「ならば、早く激辛ラーメンをお願いしますね。とても楽しみにしてるので」
「う、承りました!!」
ふくよかな女性従業員はそう言うと、手に持っていた注文票をちぎり片手で器用に巻物状にし、それをテーブルの端にある筒状の注文票入れに手早く入れる。直後、くるりと身体を反転させると、厨房に向かって歩み出す。
その間、赭神に無防備な背中をむき出しにして…………
「……ね、どうだった?」
そんな彼女を待ち受けていたのは――――厨房の入口付近で、隠れるように一部始終を覗き見していたスレンダーな女性従業員だった。
「あ、『激辛ラーメン 限界突破』を、ふたつだって」
「げ、限界突破!? チャレンジャーだね!? ……って、そうじゃなくて!!」
両腕を振り乱しながら、のりツッコミをするスレンダーな女性従業員。厨房につながる通路の壁に身を隠しながら、再度ふくよかな女性従業員に確認を取る。
「あの席に何人座ってた? やっぱり、私の言った通り、ひとりしかいなかったでしょ!?」
「……ううん、ふたり居たよ。作業着を着た人と別に、黒いスーツを着た男の人がひとり」
「嘘よ! 私、ここでずっとあの席見てたけど、ひとりしか座っていなかったわよ!!」
「そんなことないよ! だって、私、その黒いスーツを着た男の人から注文を受けて来たんだから!!」
「あなた、もしかして……」
「なに……? はっきり言ってよ!?」
厨房の入口付近で言い争いを続ける、ふくよかな女性従業員とスレンダーな女性従業員。そこに、偶然通りかかった小太りの男性従業員が、野太い声で注意をしてくる。
「おい! ふたりとも、なにそんなとこで無駄話してるんだ!! 通行の邪魔だろ!!」
「す、すみません!!」
「す、すみません!!」
そそくさと厨房の奥に向かう、ふくよかな女性従業員とスレンダーな女性従業員。その時、スレンダーな女性従業員は目を釣り上げながら、ふくよかな女性従業員にこう切り出した。
「次は、私が行ってみる……」
「え……?」
その様子を赭神は、椅子の背もたれに身体を深く預けながら見つめ返していた……。
「やはり、あの女性は私のことが見えるみたいですねぇ……。気を付けなければ」




