第十九話
次の瞬間、天変地異とも錯覚させる激しい衝撃音が、居間でくつろいでた中年夫婦を騒然とさせる……
「な、なんだあ!? 地震か!?」
「違うよあんた! 恐らく、家の塀に何かぶつかったんだよ!!」
驚いた中年夫婦は、急ぎ玄関に向かうとサンダルに足を突っ込み、慌てて道路に飛び出す。
そこで中年夫婦は目にしたのは、自分の石塀に、痛々しくめり込んでいる四トントラックだった。
クラクションは成層圏にまで届きそうなほど鳴り響き、周りには、ショックのあまり地面に倒れ、泣きじゃくっている小学生が何人も伺える……
更に辺りには石塀に衝突した四トントラックが撒き散らしたであろう瓦礫や硝子片が転がっている有り様だった。
「な……なんてぇこったあぁ……」
「あ……あんたあぁ……」
あまりの事に、言葉を失う中年夫婦……
だが、ふたりは直ぐ様やるべき事をやるため、きびきびと動き出す。
「お、おい……母さん! いま直ぐ救急車に電話をしてくれ!」
「……あ、あいよ! まかせとくれ!!」
「あ……あと、警察の方も忘れずにな!!」
その会話を合図に、中年夫婦は二手に分かれる。中年夫は小学生の様子を見に、中年妻は救急車と警察を呼ぶ為に一度家の中に入った。
中年夫は、道路に座り込んでいる小学生に向かって走って行くと、隣に跪き、肩に手を置く。
「ぼ、ぼく!? 大丈夫かい!? いってぇ、何があったんだい!?」
「ああぁぁんん!! あああぁぁあああんんん!!! お姉ちゃんがあああぁぁ!!! お兄ちゃんがあああぁぁぁ!!!」
「……お姉ちゃんや、お兄ちゃんが……どうしたってんだい……?」
泣き叫びながら、お姉ちゃん、お兄ちゃんと繰り返す男の子……痛む身体に鞭打ちながら、必死に……トラックと、それが突き刺さった塀の間に指を差す……
「……こいつは大変だぁ……!!」
言葉が足らずとも……男の子の必死の想いが中年夫にすべてを悟らせた。
「待ってろよ! いま、みんな助けてやるからな!」
中年夫は、男の子の肩をぽんと叩き、サンダルのまま瓦礫や硝子片が散乱する歩道を歩き出す。
サンダルの裏で硝子片を砕き、素足で石片を退けながら何とか四トントラックに近づく事が出来た中年夫。クラクションは未だ、けたたましく鳴り続ける。
「もう、ぐしゃぐしゃじゃねぇか……」
間近で見た四トントラックの凄惨さに、思わず声が漏れてしまう中年夫。フロントは潰れ、運転席の扉は歪み、そのせいで硝子という窓硝子はすべて割れていた。
「……そうだ! こうしちゃいられねぇ!!」
中年夫は思い出したかのように身体を動かすと、右足をトラックの前輪部分にかけて、身体を持ち上げる。そして、荷台を掴みながら運転席を覗き込み、中の様子を確認する。
すると、運転手である運天擦造は、クラクションの上にうつ伏せになり、そこから力なく腕を垂らしていた。
中年夫は、割れている窓から手を入れ、運転手の身体を揺らそうとした。だが、頭を強く打ちつけてる事も考え、それは断念した。
「あ、あんた大丈夫かい!? 生きてるかい!?」
そこで、中年夫は運転席の扉を叩いて、運天擦造に話かけてみる。
「……う……う……」
何とか、呼び掛けに反応する運天擦造。しかし、衝突した時にハンドルに身体を強く打ちつけたのだろうか、上手く声を発する事が出来ない。
それを知った中年夫は、どうにか運転席の扉が開けられないか試してみるが、歪んでしまった扉は、開ける事が出来なかった。
「くそ! これじゃあ、塀に挟まった人を助ける事も出来ねぇじゃねぇか!!」
中年夫は歯痒い思いをしながらも、一度、取っ手から手を離し、扉を叩いて運転手を励ます様に声をかける。
「あ、あんた! もうすぐ救急車が来るから、それまで頑張るんだぞ!!」
「………………」
うっすらと目を開け、中年夫の呼び掛けに応える運天擦造。そこへ、中年妻が顔を出す。
「あ、あんた! 救急車は、あと十分で来るってさ!!」
「おう! ありがとよ! じゃ、早速で悪いけどよ、地面に倒れて泣き叫んでいる子供達、見てくんねえか!?」
「あいよ!!」
中年妻は答えるが早いか、小学生の側に行くと、そっと手を添え、声をかける……
「ぼ、僕? だ、大丈夫かい! 何処か、痛い所は無いかい!?」
「ああぁぁんん!! あああぁぁあああんんん!!!」
「そっ……そっちの嬢ちゃんは、平気かい!? ぶつけた所は無いかい!?」
「うわああぁぁんん!!! 怖いよぉぉ!!!! 怖いよぉぉ!!!!」
奇跡的に難を逃れた小学生達は、目の当たりの惨劇に、ただただ鳴き喚くばかり……
それでも、中年妻は懸命に子供達をなだめ、気持ちを落ち着かせようとする。
「そうかい、そうかい! 怖かったのかい! でも、もう大丈夫、大丈夫だよ!」
「ええい! くそ!! 救急車はまだか! 何やってんだ!」
目の前の惨状に手も足も出せずにやきもきする中年夫に、我が子の様に小学生をなだめ続ける中年妻……
数分後、そこへ、ようやく救急車と警察が到着する。
「おおい! ここだ! ここだ!」
「貴方が通報者の方ですか? 何があったか、教えて頂けますか?」
「わ……解らねぇ……とにかく、凄い音がしてよぉ……外に出てみたら、既にこんな状態だったんだあ」
現状を警察に伝える中年夫。小学生達は、念のために救急車に乗り、病院に運ばれていく。
警察は三人がかりで、トラックの運転手を助け出そうと奮闘する。
「いいか? 1、2の3で扉を引っ張るぞ!!」
「はい!!」
「はい!!」
「1、2の3!!」
「駄目です! 開きません!!」
「諦めるな!! もう一度だ!!」
「はい!!」
「はい!!」
警察が何度も扉を引っ張ると、運転席の扉は歪んだ音ともに鈍く開く。と、同時に警察のひとりが中に入る。
「もしもーし? 聞こえますかー?」
「………………」
「担架! 担架お願いします!!」
担架を要求する警察官。すると、救急隊員は担架を運転席の近くまで持っていく。
「では、よろしくお願いします!」
「わかりました!」
救急隊員は、運天擦造をのせた担架を、身体に負担がかからないように持ち上げると、息を合わせて救急車へ歩き出す。
……そこに、一体どこから現れたのだろうか? 黒い手袋に、濃いサングラス、頭にはつばのひろい黒の帽子を被り、黒服に身を包んだ……まさに黒ずくめの高身長な男性が、口角を上げながら担架にのせられた運天擦造に歩み寄ってくる。
「擦造さん? 聞こえますか?」
「……あ……う……」
黒服の男性は、胸元を隠すように黒帽子を取り赤髪を露にすると、運天擦造を見下ろす様に話しかけてくる。
「話してはだめです! 安静にして!!」
救急隊員は、声を発する運天擦造に安静にするように呼び掛けるが、黒服の男性は救急隊員の呼び掛けに応じる事なく、担架と歩みを合わせながら言葉を続ける。
「あなたは、大変素晴らしい働きを見せてくれました。私も大満足です」
「…………あ……?……あ……?…………」
のっそりと頭を動かし黒服の男性の声に反応する運天擦造に、救急隊員は懸命に言葉を投げ掛ける。
「静かにして! 頭を動かしては駄目です!」
黒服の男性は、上着の右ポケットに入ったふたつ折りにした紙を、左手の人差し指と中指で挟みながら取り出すと、自分の目の前に差し出し、さも、自分が空気の存在の様に話を続ける。
「あなたが次に目覚めた時、妙に女性っぽい男児が目の前にいるはずです。その時、この紙を見せて下さい」
「……?」
黒服の男性はそういうと、ふたつ折の紙を運天擦造の作業着の胸ポケットに自然体で忍び込ませる。
「そうすれば、あなたは特別待遇で新たな世界に旅立てるはずです」
「……ど……どういうことだぁ……」
「時期、わかりますよ……」
その言葉を最後に、黒服の男性は最初からそこにいなかったかの様に立ち止まり、担架を見送った。
……まるで、今生の別れのように。
「なあ……さっき誰かいなかったか……?」
「気のせいだろ?」
救急隊員のふたりは、そんな事を語りながら、運天擦造を救急車に乗せると、サイレンを鳴らし、総合病院へ向け走り去って行く。
「さてと……」
黒服の男性は、辺りをぐるりと見渡すと、右手に持った黒帽子を頭頂部へ掲げ、あたかも一仕事終えたかの様に、露になった赤髪を覆い隠す。
「な、なぁ。お巡りさんよぉ! 実はこの塀とトラックの間に人が挟まっているみてぇなんだ!」
「な、なんだって!」
周囲の惨事を一切気にせず……
「では、誠に面倒臭いですが、これから頭の固い幼児に会って来ますかねぇ……どんな顔をするか、非常に……いや、非情に楽しみです」
黒服の男性はそういうと、黒帽子に手を添えたまま、粒子状に姿を変え、その場から消えていった。
……それから遅れること十数分後……
塀とトラックの間から『府林文華』が無惨な姿で発見された……




