これは誰が書いたでしょう?
うだるような暑さとは誰が言ったのだろうか。
この猛暑はまさにその言葉が当てはまる。
カラリとしないサウナの中にいるかのような感覚。
貴重な休日を謳歌しようと外に出たはいいが、晴天の下、屋外に居るものではないと早くも後悔中だ。
時刻は14時。
1日の中で最も暑くなる時間だ。
セミも元気よく叫んでいる。
それがまた一層強く暑さを感じさせるのだ。
だめだ、どこかカフェでも入って涼もう。
次に視界に入った店に行こう。
そう決めて、蜃気楼の中を進む。
すると右手に喫茶店らしきお店が見えてきた。
ドアに掛かっているプレートはOPENとなっている。
よし、ここに入ろう。
カラン。
ドアを開けると、店内からの冷たい空気が足を触っていった。
涼しい!
蒸し暑い地獄の世界から涼しく快適な天国へ引っ張りあげられた気分だ。
「何名様ですか?」
カウンターの方から店員さんがすっと現れた。
「1人です。」
人差し指を立てながらそれに答える。
「お好きな席へどうぞ。」
さて、どこに座るべきか。
店内にはカウンター席とテーブル席があるようだ。
お客さんは奥のテーブル席に2人だけ。
自分1人だしカウンターの端っこにしよう。
椅子に腰掛け落ち着いた所で店内を見渡す。
全体的に落ち着いた雰囲気。
木目調のアイテムで揃えてある。
メニューはと。
コーヒーや軽食、スイーツといった喫茶店らしいものからマスターの気まぐれセットといったようなオリジナルのものもあるらしい。
「ご注文はお決まりですか?」
しばらくして店員さんが再びやって来た。
「じゃあ、アイスコーヒーを1つ。」
まだ少し迷っていたが、とりあえず喉を潤したい。
店員さんがカウンターに戻っていくのを見送ってから、目のやり場に困ったので横にあったラックに視線をやる。
すると、カフェ雑誌に紛れて普通のノートが置いてあった。
なんだろう、と思った時には手が伸びていた。
感想ノート と表紙に手書きで書かれている。
ページを捲ってみると、中にはここに来たであろうお客さんの感想が書かれていた。
【コーヒー美味しかったです!】
【お店の雰囲気すき!また来ます(^^)】
【涼しい〜!!】
これには共感。
見ているとなかなか面白い。
コーヒーの味や店内の雰囲気に関するコメントが多い中、趣向の違うものもたびたびあった。
【就職先に迷ってます。】
【彼氏と別れた方がいいかな〜(TT)】
もはや人生相談になっている。
ここで私はある事に気づいた。
お客さんのコメントの下に小さく返事が書かれている。
【コーヒー美味しかったです!】
→【私もそう思います。また飲みたくなりますね。】
【就職先に迷ってます。】
→【いっぱい迷って下さい。人生を一生懸命生きてる証拠です。】
ここのマスターが書いてるのか、はたまた常連のお客さんが書いてるのか、コメントからは分かりにくい。
ただ、この人がどういう人なのか気になった。
こんなに優しい言葉を書く人はいったいどういう人なのだろうか。
「お待たせしました。アイスコーヒーです。」
その声に一気に現実へ引き戻された。
「あっ、ありがとうございます。」
店員さんはアイスコーヒーをテーブルへ置くとすぐにカウンターへ戻ってしまった。
誰が書いてるのか聞きそびれてしまった。
店員さんは4、50代といったところか。
少し話掛けづらい雰囲気がある。
店内にはスタッフがこの人だけみたいだ。
となるとこの人がここのマスターということだろうか。
私はそんなことを考えながら、出されたアイスコーヒーを1口含む。
美味しい!
確かにノートに書かれているだけはある。
その後はアイスコーヒーを飲み終わるまでノートの世界に没頭した。
グラスが空になるとノートを閉じ、会計をして店を出た。
振り返るとマスターはカウンターでコーヒーを挽いているようだった。
お客さんはさっきとは違う人が2組となっていた。
また来よう。
お店を出ながらそう思った。
次の週、近くに用事があったため例のお店の前を通り過ぎた。
中を見ると、お客さんは2組居た。
二人がけの席にこっち向きで座ってる人の手にはあのノートがあった。
もしかして、あの人が?
その30代前半と思われる男性は、鉛筆を取っておもむろになにか書き込み始めた。
お店の前を通り過ぎるまでに見えたのはここまでだった。
次の休みの日、私はあのお店に向かった。
カウンター席に座り、私はアイスコーヒーを注文する。
今日は店員が2人いるようだ。20代後半くらいの男性。
そんなことより。
私はノートを手に取る。
この間読み終わったところから続きを見ていく。
お客さんのコメントの下にはやっぱり小さく返事が書いてある。
お客さんはこの返事を見ることがあるのだろうか。
だけど、その言葉は全て優しく、暖かかった。
ノートの半分くらいでこの言葉のやり取りは終わっていた。
私も何か書いてみようか。
各席に置いてある鉛筆を手に取り、考えてみる。
【コーヒー美味しかったです。また来てしまいました。】
迷った挙句、最初に思った感想を書いてみることにした。
また来た時には返事が書いてあるだろうか。
そう思いつつ、この日はお店を後にした。
そのまた数日後、ノートの事が気になりあのお店に行ってみることにした。
同じ席に座り、アイスコーヒーを頼む。
ノートを取ろうとすると、いつものラックにそれはなかった。
店内を見渡すと、以前ノートに何か書いていた男性が今日も来ていた。
そして、その手にはあのノートが。
やっぱりあの人が書いているのだろうか。
運ばれてきたアイスコーヒーを飲んでいると、男性はノートをラックに戻し、帰っていった。
見えなくなったところで私はノートを手にする。
前に私が書いたところを見てみる。
私の後に書いている人は2、3人ですぐに見つけられた。
返事が書かれている!
【美味しいですよね。ぜひ他の物も頼んで見みてください。】
やっぱりあの人だろうか。
若い方の店員さんが真正面で作業している。
「すいません。今のお客さんって常連さんなんですか?」
勇気を出して聞いてみた。
「そうですね。よく来てくださいます。」
にっこりと微笑みながら答えてくれた。
もう少し聞いてみよう。
「いつもノート見ていくんですか?」
また店員さんは優しい声で答えてくれた。
「だいたい見ていかれるんじゃないでしょうか。」
自分の考えは、ほぼ確信へと変わった。
私は正解へ近づくべく、またノートに感想を残した。
【今度は違うものを頼んでみます。】
これで私が見る前にあの男性が書いていたらもうあの人に違いない。
2日後またお店を訪れた。
今度はカフェモカを頼んでみた。
運ばれて来るまでの間にノートを手に取る。
コメントが書かれている!
【ぜひ頼んでみてください。どれも美味しいですよ。】
あとはあの男性が来たか店員さんに聞いて確かめるだけ。
ただ今日はマスターしか居ないようだった。
若い店員さんに比べ少し話し掛けづらい。
そこにマスターがカフェモカを運んできた。
これを飲んで心の準備が出来たら聞いてみよう。
そう思って、とりあえず1口飲んでみる。
おいしい!
やっぱりコメントの主が絶賛するだけある。
【本当にどのメニューも美味しいです!】
とつい書いてしまった。
チリンチリン
とそこへ例の男性がやって来た!
今このノートにコメントを書いてもらえれば何よりの証拠になるのでは!
そう考えた私は急いでノートをラックへ戻す。
男性はホットコーヒーを頼むと席へ着いた。
そして、その手がノートへと伸びる。
男性はカウンターにいる私のちょうど後ろの2人席へ座ったためその後の行動が見えなかったが、さかさかと何か書き込む音がする。
きっとコメントを書いているに違いない。
私のカフェモカが半分飲み終わる頃、
「おはようございます。」
若い店員が出勤してきた。
マスターはこっくりと頷く。
そして若い店員は私の方を見ると、
「今日はカフェモカにしたんですね。」
とにっこりと笑って言った。
ん?何か……。
カタンッ
そうこうしているうちにサラリーマンは書き終えたらしく、ノートをラックに戻した。
急いでノートを取る。
私が感想を書いたページを捲る。
あれっ……。
そこには私の感想が書かれているだけだった。
「綺麗な絵ですよね。」
若い店員が覗き込んできた。
確かに同じページにコーヒーの絵が描き足されていた。
「あのお客さん、いつも描いていってくれるんですよ。」
………。
コメントを書いていたわけではなかったのだ。
じゃあ、あのコメントはいったい誰が。
振り出しに戻ってしまった。
若い店員さんは新しく来た2人組みの女性客の所へ注文を取りに行った。
「何がおすすめですか〜?」
女性客が店員さんに訊ねる。
「難しい質問ですね。どれも美味しいんですよ。一度頼んだらまた来たくなっちゃいますよ。」
どこかで聞いたセリフ。
ノートの最初の方へページを戻す。
【また飲みたくなりますね】
【どれも美味しいですよ。】
………あの人!
注文を取ってカウンターに戻って来た店員さんに
「このコメントって………。」
とノートを見せると。
「あぁ、せっかくなので書いてみたんですよ。見てる人がいるなんて思ってなかったです。」
と恥ずかしそうに笑った。