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侯爵家次男は転生の夢をみる  作者: 半蔀
マガイモノの献身
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その花の名はエルフィ−2

 ファレンはラグダニエルの前まで来て歩みを止めた。

「何がおかしい」

 ラグダニエルが訝しそうに言う。彼女は笑っているようだった。

「ブロンストはまだ無謀なことを考えているのですね」

「なんだと」

「哀れですね。こんなことをしてもどうにもならないことなんて,何百年も前から分かりきったことではありませんか。我々は逆らえないのだと。あなたが必死にもがいた所で貴方も私も所詮は籠の中の鳥にすぎない。自由に飛べる日が来るなんて……ばかばかしい」

「それを貴様が言うか,レイメル。何のためにあのような研究をしていた? 抗うためではないか」

「抗う……そうだ,レイメルはそのために手を染めた。だが,失敗したではありませんか。結局我々は運命に逆らえない」

「それは違う!」

 唐突に彼らは口論を始めた。一体何の話をしているのか?

「違わない。抗おうとして結局逆らえなかったのはあなた方ではありませんか。自分たちの手でレイメルを滅ぼしておいて,どの口が仰るのやら」

「黙れ! まがい物の分際で!」

 ファレンの動きが止まった。

「そう,私はまがい物です。エルフィが死に,ファレンが残った。本物が消え贋物だけ残ったようなものですね。そんな存在が生きながらえたところで何の意味がありましょう。それでも,こんな私に生きてくれて嬉しいと言ってくださる方がいる。だから私は私の生きた意味を考えることができたのです」

 そこでファレンは私を見た。その表情は久しく見ていない柔和なものだった。

「何を訳のわからないことを……もういい! はやく本を渡せ」

「……まがい物にはまがい物なりに譲れないものがあります」

「何を」

 その時,ファレンがこちらを振り向いた。彼女はそれまで見たこともないほど精々しい笑みを浮かべていた。そしてゆっくりと何事か呟いた。それは別れの言葉のような気がした。

 気づいたときには彼女の身体が火に包まれていた。

 突然のことで私は呆然とその光景を眺めていることしか出来なかった。他の面々も同様だった。ラグダニエルでさえ唖然として言葉を失っていた。

 炎はファレンを包み込み勢いよく燃え盛っていた。

「魔法の火だ! 誰か水を扱える者は!」

 ラグダニエルが叫んだ。その叫びを遠くに聞きながら,私は彼女を目で追いかけることしか出来なかった。ファレンは火に包まれながらゆっくりと歩いたのだ。火の粉と焼け焦げる臭いを撒き散らしながら彼女は歩いていた。我々は道を譲る他なかった。その歩みを止めることなどできない。

 熱波が私の顔を炙った。思わず手で顔を覆った。上手く目を開けていられない。口の中が瞬く間に乾いた。飲み込む唾さえ出てこない。

 また叫び声が聞こえた。ラグダニエルとは別の声だ。

 ハッとして見ると,必死な形相で彼女の名を呼び今にも飛び出しそうなアニヤとそれを小さな身体でなんとか押し留めているアンが視界に入った。私は棒立ちであった自分を叱責しながらアニヤの身体を抱きとめた。

「落ち着いてアニヤくん!」

「ファレンさん! ファレンさん!」

 あまりの事態にアニヤは正気を失っている。私は自分の身体ごと彼女を地面に押し倒した。地面に臥しながら,それでもアニヤはファレンに向かって手を伸ばしていた。

 ファレンが向かったのはすでに息絶えた獣のもとであった。彼女はまるで火に炙られていることを忘れたかのように愛おしそうに獣を抱きしめた。そうすることが当然のように,獣のすべてを包み込むように,ファレンは炎の抱擁を与えた。パトリシアだったものはたちまち炎に包まれた。

 一人と一匹は一つの大きな炎となって強烈な火柱を我々の前に現出させた。その威容はまるで歓喜するかのようであった。瞬く間に痛いほどの熱が我々を襲った。誰も近寄らせまいとでも言うかのように。

「皆な脱出を!」

 私はアニヤを抱き起こしながら叫んだ。アニヤは身体に力が入らなくなってしまったようだった。俯いて一言も発しなかった。

 マリアナとテトが駆け寄って来て手伝ってくれた。ラグダニエルたちも脱出し始めている。もう敵も味方もなかった。

 マリアナたちにはラグダニエルを追ってもらった。アニヤは力が入らない様子だったが,私が肩を貸すことでなんとか歩けた。そばでアンが心配そうに見つめていた。

 熱波を背に受けながら部屋の入り口までゆっくりと進んだ。だが,あと数歩という所でアニヤが足を止めた。

「アニヤくん?」

 彼女は私の問いかけに答えず振り返って炎を見た。泣きはらした目は煌々とした炎を虚しく映していた。私も同じ方を見た。もう人の形も獣の形も見えない。真っ赤に輝く火の中でそれらはもう区別がつかないだろう。

「……ファレンさんは後悔しなかったでしょうか」

 アニヤは独り言のように呟いた。

 エルフィという花は双子の白い花を咲かせるという。どちらか欠けてもそれはもはやエルフィという花ではない。ならば,片割れを失って訳も分からず残されたファレンとは何者だったというのだろう。私が知っているのは,ともに言葉を交わし,アニヤの散らかした本を一緒に片付け,ヴェスターに拐われ,我々が助けた,そして我が屋敷で仲間とともに食卓を囲んだ彼女の姿だけだ。エルフィという人間は他人からの伝聞でしか知らない。私達が親しんだのはファレンという人だった。

 ファレンの人生とは何だったのだろうか。

「にいさま!」

 アンが呼んでいる。もう行かねばならない。

「安らかに」

 私は小さく別れの言葉を呟いた。すると,アニヤが気づいて同じ言葉を口にした。

 私達は炎に包まれた部屋を後にした。



 事件の顛末は父上と兄上に報告した。兄上はだいぶ頭を抱えていた。我々が考えていた脅威はもうすでに去った後だったと判明したとはいえ,真相を生徒たちに伝える訳にはいかない。腕のことについては動物が外から持ち込んだのだという説明に落ち着くだろうと彼は語った。だが,難儀なのはパトリシア嬢とそのお付きであったファレンのことである。まさかパトリシアが怪物となり,ファレンがレイメルの生き残りであったなどと言っても誰も信じないだろう。彼女らは失踪扱いとなる。しかし,その動機を大衆が納得するように作るのは至難だった。ただ,このことについては,ブロンスト家が手を回すとのことだった。

 あの炎上した部屋から脱出した後,まず目に入ったのは,険しい表情でにらみ合うマリアナとラグダニエルたちだった。とっくに逃げているものだと思っていたラグダニエルがわざわざその場に留まっていたのには理由があった。

 いきり立つマリアナを引き離した私にラグダニエルは彼の事情の一部を明かした。

 ブロンスト家の真の目的は自家のレイメルへの関与の隠蔽ではなくレイメルの遺産の確保だったという。遺産とは,もちろん手記のことであるが,それだけでなく,レイメルの生き残りであったファレンのことも含まれていた。彼らは彼女を亡き者にするつもりはなかったという。ある目的のために手記とファレンの両方が必要だったと明かした。その“目的”とやらのことは教えてくれなかった。しかし,ブロンスト側にも誤算があった。ラグダニエルはあの部屋での私たちの会話を初めから聞いていたらしい。彼らは生き残りがラングモア家に転がり込んだことは把握していたという。しかし,本人は記憶喪失に陥っているようだから今まで監視に留めていた。まさかファレンがレイメルの用意した偽装用の人格だとは思いもよらなかったそうだ。また,手記の行方は把握していなかったという。ファレンがラングモア家に引き取られる前に,彼女の持ち物を調べたがそれらしいものは発見できなかったのだという。記憶が戻れば行方を尋問できると思っていたが,彼女自身が所持していたのは予想外だったと語った。

 どこまで本当なのか分かったものではないし,隠蔽が目的ではなかったというのも詭弁だろう。それは副次的な目的だったはずだ。しかし,手記とレイメルの生き残りを利用する何かを企んでいたのは確かのようだ。それも今回のことでご破産となってしまった訳であるが。

 それはともかく今回の事の収拾をつける仕事はブロンスト家に押し付けた。私の立場としては,レイメルの生き残りとパトリシア嬢との間にあったことを公表しても何も損害はない。そう言ってラグダニエルに事態収拾を要求した。彼は「初めからそのつもりだ」と言って案外素直に引き受けた。

 だが,口では公表などと言ったが,内心としては秘密にしておきたかった。この事実はファレンにとってもパトリシアにとっても不名誉なことだ。しかも,ファレンは主人を化け物に変えてしまった責から逃れられない。それがエルフィのやったことだとしてもだ。ファレンはすでに罪も罰もその一身に引き受けた。口さがない衆人の謂れなき誹謗の的とするのは,あまりに死んだ彼女に酷というものだろう。

 そうして事件の幕引きがはかられた。しかし,ブロンスト家,というより,ラグダニエルの誤算はもう一つある。

 諸々への報告やら連絡やら調整が終わり,屋敷へ戻った私は書斎へ向かった。時刻はもうすでに夜であった。我が屋敷に軟禁状態であった面々もすでに解放した後であるので,屋敷の中は静かなものである。私は机の椅子に腰を沈めてため息をついた。さすがに疲れが溜まった。しかし,まだ床につくわけには行かない。

 私は机の引き出しをあけ,中にあった一冊を取り出した。それは,ファレンが亡くなった日の夜,ずっと不審に思っていたことのあった私が書斎の本棚を調べたときに見つけた本である。ある本を置いておいた場所に見覚えのない背表紙があったのですぐに分かった。それはラグダニエルがあれほど欲していたレイメル手記であった。

 ファレンが燃やしたのはレイメルの手記ではない。表紙がそれらしいものだったのでラグダニエルは気づかなかったのだろうが,あれはレイメルの奥義書でも何でもなく,パトリシア嬢の日記だった。ファレンはブロンストの介入を見越していたのだろう。彼女はラグダニエルの裏をかいて,主人の思い出と共にこの世を去ったのだ。ラグダニエルはファレンの強かさを見誤ったのである。

 ところで,手記を見つけたときは驚きとともに何故これを私に託したのだろうと思った。レイメルの秘術など私には必要のないことだった。しかし,それは思い違いだった。書かれていたのは,人体強化の研究のことでもなく,復讐魔法の理論でもなく,ましてや“人でなしの魔法”のことでもなかった。本には一枚の紙切れが挟んであった。それはファレンの筆跡で私宛にこう書かれていた。

『ルシア様にレイメルの真実を託します。あなた様もまた呪われた一族の末裔ならば,これを読むことでその禍根を知るでしょう』

 呪われたブラドスキーの子。たしかにあの時ファレンはそう言った。そして,自分たちと同じだとも言った。あのときは訳が分からなかったが,この手記を読めば分かると手紙には書いてあるのだ。

 レイメル手記とはレイメル家にまつわる歴史書だった。そのことにも驚いたが,まず驚愕したのは,その手記の筆跡が全てファレンのものだったことである。いや,正確に言えば,これはエルフィの書いたものだった。

 私は一つ勘違いをしていた。パトリシアの日記の記述から,ラングモアの庭でエルフィは何かの本を読んでいたとばかり思っていたが,実際のところは()()()いたのだ。ブロンスト家が手記を見つけられなかった訳だ。

 だが,もっとも驚愕したのはそのことではない。

 千年前,古代ルシーカ末期にただの魔法研究者集団であったレイメルに接触し,家を立てさせ,そして,その非人道的な研究の方向性を決定づけた人物がいた。

 彼は様々な呼び名を持っていた人物だったという。ただ,レイメルの者たちは決まった呼び名を使っていた。その名に私は肝の冷える思いがした。


 青の人。


 ルネス邸のあの夜を思い出した。

 ――眼前人跡なし,(かたわ)らに()の人ある

 懐かしいしゃがれ声が脳裏に蘇った。

 それはあの夏の終わりの夜に我が一族ブラドスキーの始祖“青の人”について大叔母様が語った言葉であった。

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