その花の名はエルフィ−1
馬車に揺られながら考えた。ファレンはエルフィに会わせたいと言った。なぜ彼女が居場所を知っているのか。ファレンはずっと私の屋敷にいた。外部と連絡を取る手段はなかったはずである。だというのに確信を持ってエルフィの居場所を言えるのはなぜか。もしかしたら,エルフィもパトリシアと同じように……。
パトリシアとその婚約者,そしてエルフィ。三人の間に何があったかは想像できる。私の推測が正しければエルフィは禁術を使っただろう。そして,その代償を払ったのではないか。恐ろしい術にはそれ相応の対価が必要となる……。
押し黙る私を我が弟妹は戸惑った様子で見つめていた。どうも悪い方向に考えてしまう。二人に「大丈夫ですよ」と声を掛けた。
相変わらず尾行は着いて来た。ただ,学院の中にまで入ってくるつもりはないらしい。さすがに学生たちの中に入ると目立つためだろう。学院の中は中で別の監視が居るに違いない。私も護衛の人には尾行の連中を監視させるために外で待ってもらうことにした。
ファレンたちはまだ到着していないようだ。待ち合わせ場所はあらかじめ決めている。以前,アンたちと調べた袋小路となっている通路である。ここには何もなかったはずだが……。
しばらくするとファレンたちが来た。
「学院には魔法の才能を持った子供が集まる。それゆえ,かつてレイメルはここで素材を確保することを考えていました」
袋小路の廊下の行き詰まりで彼女は言った。
「なんてことを……」
私は思わず声を漏らした。他の面々も驚きを隠せなかった。
「結局計画は実行に移されませんでした。しかし,そのために用意した作業場は残った」
そう言って,行き止まりの壁に手を触れ何事かつぶやいた。すると壁の石積みが道を開けるかのように左右に動き始めた。ついには廊下の続きが現れた。
「行きましょう。この先にある」
中に入った途端,明かりがついた。部屋は案外広く十数人入っても余裕がありそうだった。
部屋の中央に何かがあった。それに気づいて小さく悲鳴をあげたのはアニヤであった。
中央に眠るようにして横たわる獣が一匹いた。なんと醜怪な獣であろうか。艷やかな黒い毛をした大きな狼のような姿であるが,口元が異様に裂けて端からは大きな牙が覗いており,目は左右三つずつあってそれぞれどこを見るでもなく異なる方向をじっと見つめている。微動だにしない様子,しかも目を見開いて瞳の動かないところを見るに,どうやらその獣はすでに死んでいるらしかった。
ファレンはその死体の傍まで近づくと,悲しそうに愛おしそうにその毛皮を撫でた。
それで見当がついた。
「パトリシア嬢ですか」
背後から息を呑む気配がした。ファレンは寂しそうに笑った。そして独り言のように言った。
「彼女はこんなところで死んではいけない人だった。だから私は……私達は彼女を救おうとした」
「私達とは誰のことです」
ファレンはこちらを一目見るとニヤリと笑い再び死体に視線を戻した。
「我々は一族の夢のようなもの。あなたも同じでしょう,呪われたブラドスキーの子よ。ただ私達は失敗した」
私は誰と話しているのだ。まるでファレンとは思えない雰囲気だった。
「一体どうしたというのですか,ファレン。あまりにも様子が……」
「分かっているでしょう。私達は元は一つだった,あの花のように」
まるで昔を思い出すかのように彼女はまた寂しそうに笑った。
私ははっとした。パトリシアの日記の一節を思い出した。あの謎めいた少女は庭園の二輪草を見て何と言ったか。
「エルフィ……あなたが……」
唐突に全てが繋がった。私はファレンとエルフィという二人の人間が存在するのだと思っていた。だが,それは間違いだった。二人は最初から一人の身体の中にあったのだ。
しかし,だとすれば……。
「まさか,そんな」
私は動揺を隠せなかった。
そんな私に構わず彼女は話を続けた。
「私がエルフィかと問われれば,そうでもあるしそうでもないと言える。ある意味,ファレンだったと言うのが正しいでしょう」
「……何かのきっかけで二人の人格が混ざり合ってしまったのですね」
ファレンは覚えのない記憶に苛まれていた。記憶にないパトリシアとの会話。彼女の知らない姿。それらはエルフィの記憶だったのだろう。私達が目撃したファレンの症状は,二つの人格が混濁する過程そのものだったのだろう。
ファレンは言外に肯定するように優しく一度目を閉じた。
「ファレンという人格はエルフィの影武者として用意された。別々の人格としてお互い混じり合うことはないはずでした。だが,エルフィの心は壊れてしまった。それが私の心をも壊してしまったのです」
「何があったのです」
「あの夜,パトリシア様と会った夜,何か恐ろしいことが起きた。エルフィは思い出したくないようです。どうしても思い出せない。ただ,私達は助けようとした。それだけは分かります。……あの夜の出来事,あなたなら分かるのではないですか,ルシア様」
そう言って彼女は私をまっすぐに見た。ファレンともエルフィとも言えない誰でもない彼女はその瞳を怪しく輝かせていた。瞳の奥にあるのは諦観だろうか。まるで深い古井戸の底を覗くような思いがする。それは空虚であった。以前,エルフィが語ったとおり空っぽの人間が眼の前に居た。
あの夜に何があったかは推測できる。問題は何故それを私に語らせようとするのか。彼女の意図が分からなかった。きっと何があったかなど分かっているだろう。私に語らせるまでもないはずだ。
だから彼女の頼みに対してこう答えた。
「どうして私なのですか」
「あなたに知っておいて欲しいのです」
空虚であったはずの瞳の奥に,僅かに人間らしい感情の色が差した瞬間だった。それで何となく私は彼女の想いが分かったような気がした。それがファレンの想いなのか,それともエルフィの想いなのか分からない。あるいはその両方の想いなのかもしれない。しかし,彼女がこの場所を,この奇妙な獣が横たわる秘密の小部屋を,終着点と決めてしまっていることは分かった。
「……パトリシア嬢には婚約者がいました。おそらくラングモア家と懇意であったシザース家の嫡男でしょう。この学院の生徒でした。そして,あの小道に放置されていた片腕の持ち主だと思われます。婚約は二人が学院に入る直前に取り決められました。シザース家の嫡男がどう思っていたかは今となっては分かりませんが,パトリシア嬢の方はひどく彼を拒絶していました。なぜなら,彼女には愛する人がいたからです。エルフィというラングモア家の庭園に時々現れた謎の少女でした。すべての悲劇はパトリシア嬢がエルフィという少女に出会ってしまったことから始まったのです」
私は語ることにした。私の中にある彼女の物語を。
言葉は自然と口をついて出てきた。
「そもそもエルフィはどこから来たのか。私はファレンがレイメル家の生き残りであると思っていました。エルフィはその影として彼女を密かに監視する人物であると考えていました。レイメルの恐ろしい研究が暴露され一族郎党が処刑されそうになり,家の者が二人を逃したのだと。しかし,あなたが言ったようにエルフィこそが生き残りであり,ファレンは偽装用に彼女に埋め込まれた疑似人格でした。生き残りは一人だったという訳です。レイメルは記憶を操作する技術も研究していたといいますから,そういうことが可能だったのでしょう。恐ろしいことです」
「エルフィは逃亡の果てラングモア家に孤児を装って上手く潜りこむことが出来ました。その際,家の者たちの記憶を弄りましたね。レイメル家の取り潰しは三年前。それを誤魔化すために拾われた時期をズラした。そうして日中はファレンを表に出すことで何食わぬ顔をして過ごすことができた。一つ誤算があったとしたらパトリシア嬢があなたに想いを寄せてしまったことでしょう」
「エルフィがなぜ夜の間に危険を犯してまで表へ出ていたのか知りませんが,あなたはパトリシア嬢に見つかってしまった。最初に好意を持ったのはパトリシア嬢の方だったのでしょう。随分エルフィのことを気にかけていたことが日記から読み取れます。パトリシア嬢は太陽のような人だったとファレンは言っていました。闇に生きるあなたにはさぞ眩しい存在だったことでしょう。しかし,そこには日向に居るような暖かさもあった。最初は遠ざけようとしていたようですが,次第にあなたは絆されていった」
「二人は夜な夜な逢瀬を重ねたでしょう。それは学院に入ってからも変わらなかった。多くの人間が共同して生活する学院の中です。いくら人目を避けていたとしても,感づく者は感づく。実際,パトリシア嬢と同室であった令嬢は彼女が人と会っていることに気づいていました。そのことが婚約者の耳に入らないとは限りませんでしょう。彼は二人が会っている所を目撃してしまった」
彼女は黙って聞いていた。その態度が私の口にする一つ一つの言葉を真実にした。
「彼はパトリシア嬢を詰問したでしょう。当然です。仮にも婚約者が不義理を働いている訳ですから,気位の高い貴族家の男子なら侮辱されたと思うものです。穏やかに話し合いとはいかなかったことでしょう。しかも彼は血の気の多い武門の生徒です。短気が短慮を生み憎たらしい相手に手を上げたとしても不思議はありません。か弱い令嬢はひとたりもないでしょう。地面に強かに身体を打ち付ける。それでも普通ならば打撲で済んだでしょうが,しかし,時刻は夜半すぎ。暗中での出来事だったのが不幸でした。打ちどころが悪く致命傷を負ってしまった。男は逃げる。エルフィは手当を試みたでしょうが,通常の方法ではどうしようもなかった。だから禁術を使った」
「レイメルは人体を強化する魔法を研究していたそうですね。だから彼女の身体を強化することで傷を回復させようとした。しかし,その魔法はかつて存在した復讐魔法を基にしている。この魔法は術者の復讐心を糧にするそうです。そしてエルフィは自身の愛する人を害した男を恨んでいた。本来の効果を超えて魔法が作用してしまっても不思議はないでしょう。パトリシア嬢は“人でなしの魔法”で獣に変えられてしまった。恨みを根本とする獣は男を追いかけ復讐をとげたのでしょう。彼はその存在とともに喰い殺されてしまった。そのときの喰い残しがあの腕だったと考えられます。獣はエルフィの元に戻りますが,もはや元の人間の姿には戻れません。エルフィは痕跡を出来るだけ消し,パトリシアだったものをこの部屋に隠した。絶望に打ちひしがれながら。……そんなところでしょう」
私が話を終えるとファレンは微笑んだ。だというのに,まるで嬉しそうには見えなかった。それは送る者の微笑だった。
「……もう,手はないのですか」と私は言った。
「ええ」
ただ一言,彼女はそう返すだけだった。
「どういうことですか,ルシア様。ファレンさんは一体……」
震える声でそう尋ねてきたのはアニヤだった。振り返ると理解できないという顔で私たちを見つめていた。
しかし,問いかけに答えたのは私ではなかった。
「これは私の罪であり,私は罰を受けるべき者なのです,アニヤさん」
「何を言って……」
アニヤは困惑をあらわにした。私は戸惑う彼女に言った。
「寿命なのです……アニヤくん」
信じられないという顔がこちらを向いた。
「禁術の反動でしょう。人を化け物に変えてしまう恐ろしい魔法なのです。正常に発動したとしても使用者にかなりの負担を強いるはずです。それが不完全な形で発動すれば,その代償は……」
「その者も化け物になる」
かつてファレンであった彼女はそう言った。
「でも,エルフィさんは,その禁術のせいで……だから代償は」
アニヤは何か必死に言い訳を探すかのようであった。
屋敷での日々が頭をよぎった。ファレンのことを私もアニヤもただ見ていることしか出来なかった。彼女の精神が荒廃していくその凄惨な過程を,無力な我々はただ眺めることしか出来なかった。
「エルフィの心が壊れたのは禁術のためではありません。ただパトリシア嬢を喪ったことへの絶望が深かったためです。代償は今も支払われ続けています」
「そんな……何か手立ては……」
アニヤは縋るようにそう言った。
私はリネルに視線を向けた。彼は首を振った。こうなってはどうすることも出来ないらしい。
アニヤには沈黙をもって答える他なかった。彼女は青い顔をして押し黙ってしまった。
しばらくしてファレンが懐から一冊の本を取り出した。
「ルシア様,これを」
私は彼女の手にあるその一冊を怪訝な思いで眺めた。見覚えのある表紙だった。
「なぜ,あなたがそれを?」
「これはレイメルの秘術が記されたもの。ブロンストなどはレイメル手記と呼んでいるようです」
彼女は私の質問を無視してそう言った。
怪訝な思いを抱きながらも,ひとまず差し出されたものを受け取ろうとした,まさにその時である。入り口の方がにわかに騒がしくなった。そして,どこに隠れていたのか,物々しい雰囲気の男たちが流れ込んできた。
マリアナたちが瞬時に構える。私は咄嗟にアニヤの側に向かった。戦闘能力のない者たちは後ろに下がった方がよい。アンもジーンに促されてこちらにやってくる。我が弟は手を剣の柄に添えていつでも抜剣できる態勢であった。
「その手記を渡してもらおう」
男たちを引き連れてきたのはラグダニエルであった。彼はいつもとは違いあまり余裕のなさそうな表情をしていた。
「ラグダニエル殿,待ち伏せとはなかなかの趣味ではありませんか」
私が嫌味を言うと彼は顔をしかめた。
「今日は貴殿と戯れる気分ではない。その手記を渡してもらおう。さもなくば力づくで奪うしかない」
テトがこちらに視線をやった。私は首を振った。ここで遣り合うのは得策ではない。
私は時間稼ぎに話を続けた。
「なるほどブロンストの狙いはレイメルの奥義書ですか。何かお家にかかわる厄介ごとが書かれているのでしょうね。たとえば,レイメルの実験への貴方の家の関わりとか」
「……その手記は我々の手にあるべきものだ。渡してもらおう」
「ファレンをどうするつもりです」
「貴殿の知ることではない」
今回の彼はかなり強行な態度だ。話し合いの余地はなさそうである。しかもこちらは多勢に無勢だ。
ファレンの方を見る。彼女は一瞬躊躇する様子を見せたあと,本を携えてラグダニエルの方へ歩みだした。




