出発
父上から手紙の返信があった。レイメルのことで問い合わせた件である。どうやらレイメルの断罪の後処理でかかわりがあったようで,父上は事件の詳細を知る立場にあった。
レイメルの研究は一言で表すならば人間兵器の開発だった。常人よりも遥かに優れた膂力を持ち,命令に忠実に従い,かつ,死をも恐れない兵士を作ること。元は単に兵士の力を補助する魔法を研究していたらしく,それをヴェスターやブロンストが支援していた。しかし,いつからか分からないが,レイメルは道を踏み外した。外法の研究に手を染めていたのだ。そのことが発覚したのが三年前のことだった。ある信頼できる筋からの密告があったという。半信半疑に調査をしてみると,夥しい数の人間が実験台にされていたことが分かった。入手した資料から明らかになったのは実験が悉く失敗していたということ,そしてその副産物であった。原型を留めていなかった。そして,それにもかかわらず人語を解した。数々の無数の“失敗作”を記録上とはいえ目にした当時の調査官は,あまりの凄惨さに言葉を失ったという。人でなしの魔法とはよく言ったものだ。
密告者はブロンストだろうと父上は推測を述べていた。そして外法の研究を推し進めたのはヴェスターだろうとも述べていた。どの段階まで許容していたのか分からないが,一線を超えたあたりでブロンストもまずいと判断したのだろう。ヴェスターを裏切りレイメルを告発することで自分の身を守ったというのが事の顛末だろうと父上は語った。
では今回の学院の事件にレイメルがどう関わるのだろうか。ブロンストは学院の事件の報に接した際顔色を変えた。そして,何故か裏切ったはずのヴェスターと手を組んでいた。手を組んでいたのはまだ分かる。生き残りが存在するとなるとブロンストの関与が露見する可能性がある。そのためにヴェスターと協力したのだろう。生き残りの口封じは両家の共通の目的であったはずだ。
一方で,事件の知らせを聞いたとき,彼らがなぜ顔色を変えたのか分からない。何か私も知らない情報を知っていたのか。たとえば……彼らは,ファレンが生き残りだと知っていた? だから彼女が寄宿していたラングモア家には以前から目をつけていた。パトリシアのことを調べようとしていた教師ドミニクを排除したのはブロンストだろう。おそらく余計な手出しをさせないためか……。それほど神経質にことを運ばざるをえないほど何故ブロンストはファレンを生かし続けたのか……。口封じの前にファレンから何かを引き出したかった? レイメルの生き残りが持つブロンストにとって価値あるもの……私はそこでパトリシアの日記の記述を思い出した。パトリシアが夜中にエルフィに会いに行くと,彼女はいつも何かを読んでいた。あの記述を目にしたときは,別段気にもとめなかったが……エルフィは一体なにを読んでいた?
彼らの本当の狙いがファレンではなくエルフィだったらどうだろうか。事件のあった夜,リネルが奇妙な魔力を感じたように,ブロンストもそれを感知したのではないか。彼らの狙いはエルフィ本人か,それとも,彼女の持ち物に興味があったのかもしれない。だとすると,ファレンを誘拐したヴェスターにあれほどラグダニエルが抗議したのも頷ける。ファレンはエルフィをおびき寄せるための餌だったのかもしれない。
確証はない。しかし,そうだとするとブロンストの奇妙な動きを説明できる。現に彼らは無理にファレンを取り戻そうとはしていない。彼らとしてはファレンが一箇所に居さえすればよいのだろう。
やはり鍵を握るのはエルフィか。彼女は今どこに居るのだろう。今の所,所在の手がかりは皆無だ。ファレンが何かを知っている可能性は否定できないが,無理に聞き出すこともできない。それに,仮にエルフィに接触できたとしても,それはブロンストの思うつぼだ。目的を達成したブロンストはファレンを消すのに躊躇しないだろう。そのような事態は避けなければならない。
私は父上への返事を書きながら,どう収拾をつけたものか考えを巡らすのだった。
近頃はファレンの体調も見かけ上は良さそうである。発作も数日に一回程度であり,症状も我を忘れるほどではなく幻聴に怯えながらも意思疎通は可能だった。だが,それは病状が良くなったことを意味するものではなかった。
ファレンが屋敷に来てから彼女の看病を一手に引き受けてくれていたからだろう,アニヤはとくにファレンのことを気にかけていた。そのためか,日中,二人は仲良さそうに一緒に過ごすことが多かった。よく二人で本を読んだり,お茶を飲んだりしている。ときには,料理長に頼み込んで厨房で焼菓子を作っていることもあった。屋敷で過ごす時間の大半を二人は一緒に過ごしていた。ファレンもアニヤに対しては心を開いているように見えた。それゆえ,アニヤがファレンのことで頼み事を持ち込んできたことは何ら不思議なことではなかった。
ある日の午後,例によって私が書斎で資料の読み込みをしている時であった。ドアをノックする者があった。アニヤである。
「ルシア様……少しよろしいでしょうか」
「アニヤくん。まあ,お座りになって」
どこか思い詰めた表情をしたアニヤに椅子を勧めて座らせた。いつも元気に輝いていたブラウンの瞳は今は力なく伏せられている。その暗い表情を見るにどうやら明るい話題ではなさそうだった。
「ファレンさんのことでご相談がありまして」
「ええ,なんでしょうか」
「ファレンさんを外に……連れて行くことは出来ませんでしょうか」
予想外な頼み事だった。彼女とて今ファレンを外に連れ出すことの危険性は理解しているだろう。それをわざわざ言い出すということは何か理由があるに違いなかった。
「理由を聞いても?」
「はい」
彼女は訳を話してくれた。
「ここ最近ファレンさんはどこか上の空で……。様子がおかしいので尋ねてみました。そうしたら……人に会いたい……と。彼女は学院で待っているから会いに行かなければいけない,そう仰るのです。でも,彼女の会いたい人は,きっと,パトリシア様のことで……。だから,もし学院に居なかったらどうするの,とファレンさんに尋ねました。それでも,必ずそこに居る……と。何か確信しているようでした。あまりに信じて疑わない様子でしたので,私も強く否定することができなくて……。たとえお連れしても,探している方がいらっしゃらなかったら,とても気の毒です。でも,ずっとそのことばかり思い煩っていらっしゃるので,その思い詰めた様子も痛々しくて。行ってみることでファレンさんの気が晴れるなら,こんな生活ですし,少しでも心のつかえが取れるなら連れて行って差し上げたいと思います……」
アニヤは沈痛な面持ちでそう言った。彼女とてファレンの探し人が学院に居るとは思っていないのだろう。パトリシアについては散々学院内で捜索を行った。アニヤもそのことを知っている。あるいは,アニヤも気がついているのかもしれない。パトリシアがもうこの世に居ないことを。それでもファレンの願いを叶えてやりたいというのだろう。
私はアニヤとは意見が違った。ファレンの会いたい人とはエルフィではなかろうか。ファレンは封じられた記憶を取り戻しつつあった。エルフィの居場所を思い出したのかもしれない。あるいは彼女の居所の手がかりを。全ての謎はエルフィに繋がっている。ついに彼女と対決するときが来たのだろう。
私はファレンを連れて行くべきだと思った。
「……ファレンを呼んで来てもらえますか」
私はアニヤにそう頼んだ。
しばらくするとアニヤに伴われてファレンが来た。
「お呼びでしょうか,ルシア様」
「アニヤくんから話を聞きました。会いたい人が居ると。アニヤくんはパトリシア嬢のことだろうと言いますが,あなたの会いたい人とはエルフィのことではありませんか?」
「そうでしたか……もうお分かりなのですね」
彼女は微笑を浮かべた。
「でも,アニヤさんの言うことも正しいのです。私はパトリシア様にもお会いしたい。それにルシア様にエルフィを会わせなければいけないのです」
「私に? 二人はどこに居るのです」
「学院のある場所に。そこにご案内します」
どうやらこの場で喋る気はないようだ。それにしても,彼女の様子は変だ。今までと雰囲気が違う。さきほどから浮かべている微笑はまるで浮世離れした表情だ。彼女はあんな風に笑う人間だったか。
アニヤも不可解に思ったようだ。さきほどから不安な様子でファレンのことを見守っていた。
ファレンは何を思い出したのだろう。
私は書斎に人を集めて彼らに事情を話した。屋敷からファレンを出すには計画が要る。
計画はこうだ。まず,囮として私とジーン,アンの三人が護衛を伴って馬車で出発する。こうすればブラドスキーの用事か何かで兄上か姉上を訪ねるのだと尾行の連中は思うだろう。我々が監視の目を惹いている間に,マリアナとテト,それとリネルを護衛としてファレンとアニヤが密かに屋敷を出る。彼らは徒歩で学院に向かい例の秘密の抜け穴を使って中に入る。アニヤを連れて行くか残すかは迷いどころだったが,ファレンの希望で連れて行くこととした。アニヤにも話を聞いてもらいたいそうだ。アニヤも連れて行って欲しいと言った。
屋敷の前に堂々と馬車を停めてもらった。今頃裏口からファレンたちが脱出しているだろう。後は我々兄妹がゆっくり出発するだけだ。
「兄上,いちおう装備を整えたけど」
ジーンは不安そうな顔をして屋敷から出てきた。腰に見事な装飾の剣を佩いている。すらっとした高身長なので見栄えがよい。我が弟ながら立派な格好だ。
「いい格好じゃないですか」
私が素直に褒めると彼はそっぽを向いた。単に照れているようだ。
「こんな装備がホントに必要なのかよ」
「念の為ですよ。それに,ヴェスターやブロンストを甘く見ないことです。彼らは目的のためには何でもするでしょう」
ジーンは表情を引き締めた。彼もブラドスキーの子だ。警戒は怠らないで欲しかった。
「にいさま,準備できた」
そうこうしているとアンの準備が整ったようだ。別にジーンみたく武装してもらっていた訳ではない。そんなことをすれば我が愛すべき妹はその重量で潰れてしまう。しかし,筋力はなくとも精霊使いの力がある。密かに力を使って風の精霊に付いて来てもらうよう頼んでもらった。どうやら矢避けの加護を与える精霊がいるらしい。その精霊はアンに張り付いているようだが,その近くに居る我々もご利益に預かれるらしい。後で対価を支払わなければならないらしいが,菓子などをあげれば済むという。甘い物が好物らしい。時々,アニヤたちが作ったクッキーなどが目に見えて減っていることがあったが,どうもこの精霊の仕業だったようだ。私はてっきりマリアナのせいかと思っていた。
「よろしい。ならば出かけるとしましょうか」
私達は馬車に乗り込み学院へ向けて出発した。
街路樹は色づき,赤や黄の葉が小枝と別れを告げて,幾枚もゆらゆらと落ちると折り重なりながら紅葉の絨毯を作った。それを木枯らしが吹き上げると色とりどりに輝いた。私はそんな街の景色を寂しい気持ちになりながら車窓から眺めた。冷たく透明な空気が街を満たしていた。




