事件調査
パトリシアの失踪について調べているが,腕の事件との関連性は未だ明らかではない。私の勘はパトリシア,エルフィ,ファレンの三人の少女が鍵だと告げているようだが,教師ドミニクや人を食う魔族の線も可能性としてはまだ捨てることは出来ない。むしろより直接的な関連性があるのはこちらだろう。勘だけで事件の調査を進める訳にはいかない。そのため,パトリシア以外の線についても調査を進めていた。
とはいえ,ドミニクについてはその足取りが掴めない。すでに学外に出ていると思われるので,洋湖亭に頼んで手がかりを捜索してもらっているが進捗は芳しくない。移動した痕跡が全く見つからないのだ。ドミニクを攫った相手はかなりの手練だろうというのが洋湖亭からの報告だった。
一方の人食い魔族の調査はアンに協力を頼んで進めている。精霊が恐れるポイントをいくつか見つける事ができた。多くは屋外ではあったが,驚いたことに屋内にもそうした場所を発見した。学院でも奥まった所にある廊下の袋小路で,特に何か施設がある訳でもなく不自然に通路が遮断されている場所である。どうも工事ミスらしく,本来は外に通じる通路だったようだ。そういう訳で普段は誰も近寄らない。こんな所に何の用があったのか分からないが,ここに例の人食い魔族がいたらしい。
他のポイントに比べれば,たまたま通りがかったり,体を休めるために立ち寄るような場所でもない。不自然な所の多い場所ゆえ,詳しく調べれば何か手がかりが得られるかもしれない。私はテトとアンを連れて再度訪れていた。
「変わった所はありませんか,アン」
「みんな怖がってる。でも他になにもないよ」
アンは首をかしげながら以前訪れた時と同じことを言った。やはり私の考え過ぎだろうか。テトにも周囲を探ってもらったが,特別変わった所は見つけられなかった。
「何もなし,ですか。どうも見当違いのようですね」
私は落胆を隠し得なかった。人食い魔族の痕跡はアンのおかげで大分情報を集めることが出来た。しかし,そこから先に進むことが出来ないでいる。腕が見つかってからすでに一週間経っている。腕の持ち主が人食い魔族にやられ化け物が学院内にまだ居るとしても,どこかに身を潜める場所があるはずだ。その手がかりとなりそうなのがこの袋小路だったのだが……。ここに来て手詰まりの感が拭えない。
「にいさま,役に立たなくてごめんなさい……」
私が苦い顔をしていたのが良くなかったのだろう,我が妹を落ち込ませてしまった。もちろん表情は相変わらずであったが,目を見ればアンの気持ちはだいたい察せられる。私はアンの頭に手を乗せた。
「あなたはよくやってくれていますよ。大助かりです。だからそんな顔しないでください」
「……うん」
慰めの言葉をかけたものの,彼女の表情は冴えない。歯がゆい思いをしているのは私だけではないようだ。
事件に脅かされているのは一般の生徒たちだ。パトリシア嬢の失踪をガルマトゥリエが発表してから,重苦しい空気が学院内を支配し始めた。実在の生徒が姿を消したことは,ただの噂話であった人を食う化け物の話を生徒たちにとって他人事ではないものにしたようだ。もちろん,これは私と兄上が意図した結果であった。おかげで生徒たちは一人で行動することが少なくなり,遅くまで校舎に残るものも居なくなった。自衛のためを考えれば悪くない結果である。とはいえ,せっかくの学生生活を怯えながら過ごさせるのは気の毒であった。だから,なるべくはやく解決してやりたかった。
その思いはアンも同様なようだ。彼女の友人であるモニカ嬢とマキ嬢も怯えを隠せないでいるらしい。それゆえ,アンも積極的に事件の調査を手伝ってくれている。だというのに,私はまだ何の成果もあげられていない。
「ルシア様,アン様,一度戻りましょうか」
兄妹二人して落ち込んでいるのを見かねたテトが声をかけてくれた。私たちは肩を落として地下室へ返った。
アンは次の講義があるので別れ,私はテトと二人地下室に戻った。彼女とこれからのことを話し合うためだ。正直,今の所良いアイデアがない。教師ドミニクについても,人食い魔族についてもこれ以上収穫はなさそうである。パトリシア失踪の件はエルフィという少女が唯一の手がかりだ。だが,そもそも腕の事件と令嬢の失踪とが関係あるのか分からない。私の直感は関係があると言っているようだが,客観的な事実だけを眺めればこの二つを結びつける証拠はほとんどない。あるとすれば,彼女が例の腕が発見された夜に失踪したことと,教師ドミニクのものと思われるメモに名前が残っていたことくらいである。いずれも有力な根拠とは言い難い。
「さて,どうしたものでしょうかね」
姉上特製の暖房器具に当たりながら,私は独り言のように言った。テトに問いかけるよう言っておいて何だが,彼女から事態を打開する答えが返ってくるとは思っていない。単に二人して腰を落ち着けるための合図に過ぎなかった。
テトは困ったような笑みを浮かべながらも,私のいい加減な問いに律儀に返事をくれた。
「やはりパトリシア様の件を探ってみるしかないのでしょうか」
「そうですねえ……今できることはそれしかないようです。ただ,腕の事件との関連性が分からないのですよねえ」
私は天を仰いだ。薄汚れた天井が見えるだけだった。
「腕の持ち主が分かれば,パトリシア嬢との関係も見えてくるのかもしれませんが……」
「人を食う化け物は存在ごと人を喰ってしまうそうです。被害者を襲ったのが例の化け物だとすると,もはや我々が彼の痕跡を探すのは不可能でしょう」
テトは目を見開いた。
「そうなのですか?」
人食い魔族の話はテトにはしていない。話の出どころを聞かれたら困るからだ。リネルの正体はまだ他の人間に明かすわけにはいかない。だが,ここに来て”喰った相手の存在を消してしまう”という話はテトにも教えておく必要が出てきた。私は話の出どころを誤魔化すしかなかった。
「内緒にしておいてもらえますか。ある信頼のおける人物から聞いたのですが,本人が色々厄介な事情を抱えているもので」
「承知しました。洋湖亭とは別口ですか」
「ええ,そうです。本当でしたら貴方にも本人から話を聞いてもらいたいのですが……」
リネルがもう少し人間たちに歩み寄ってくれれば話が早いのだ。だが,どう見ても人嫌いの彼には無理な相談だろう。とくに研究会のメンバーとは因縁もある。
私はため息をついた。
テトはいたわるように言った。
「僕らのような人間が聞かない方がよい事もあります。そうお気を落とさずに」
よりにもよってテトに嘘をつかねばならないのは流石に心苦しい。彼女の返事は多少私の罪悪感を軽くしてくれた。
「そう言ってもらえると助かります。……さて,被害者の存在が消されているとなると難儀です。彼のことは誰も認識することが出来ない訳ですから。腕の持ち主の線を追うのは難しいでしょう」
私がため息交じりにそう言うと,テトは少し考える素振りを見せた。
何か引っかかることがあるようで彼女は考え込んでいた。その顔面は水を打ったように静かであった。彼女は時々こうした表情をする。まるで別人のように冷然とした表情をして、いつも隠されたものを見つけ出してくるのだ。
すると,水面に急に陽の光が差し込んだかのように,テトの表情が輝いた。
「たとえ存在が消えたとしても,紙に書かれた文字は残るのではないでしょうか」
今度は私が目を見開く番であった。
「もちろん僕たちはその文字を認識出来ないかもしれません。ですが,物理的にそこにある以上,認識できないことを認識できるはずです」
彼女は勢いよく言った。それまでとは打って変わって,その表情に喜色を湛えて私に迫るようであった。
「確かにその可能性はあり得る……。テト,お手柄です。すぐに生徒名簿を調べましょう」
可能性は多いにあった。コルマンドが生徒名簿を調べてくれたとはいえ,その結果にただ満足していたのは私の手抜かりであった。単に名簿を調べただけでは,認識阻害があることを意識しなければ探し人の名の在り処は見つけられようもない。
私はテトとともに急いで地下室を後にした。
学生名簿を入手した私たちは,名簿に記載された名前を端から端まで調べることにした。学院に所属する生徒は数百人規模である。容易な作業ではないだろうが,なんとか人力で調べられる人数だ。時間が掛かりそうであったので,名簿の調査は私の寮の部屋で行うことにした。
調査はかなりの集中力を要した。強力な認識阻害の掛かったものを見つけようというのだ。一通りのチェックで済ます訳にはいかなかった。必然,作業は夜を徹した。
探し求めていたものを見つけたのは,夜が明けて空が白んで来た頃であった。
「テト,これを見て下さい」
私は抑揚のない声で彼女を呼んだ。流石に体が疲れて切っていた。こちらを振り向いたテトもまた濃い疲労をにじませていた。
私は名簿のあるページを彼女に見せた。テトは私が指差した箇所を覗き込んだ。
「……読めません。というより無理やり読み飛ばそうとするような感じです」
「ええ。間違いなく認識阻害の症状です。……やりましたね,テト。ようやく見つけたようです」
彼女は疲れた顔をしながらやり切ったようにニッコリと笑った。
朝日が差し込んだ。徹夜明けには日の出の光が余計眩しかった。
名簿は家名の順で書かれている。それゆえ,文字を認識できなくともその前後の家名から当たりをつけることができた。
シザース子爵家。
目立った家ではないがそれなりに古い家系だ。しかし,今の当主に嫡男はいないはず。少なくとも私の記憶にはない。だが,よくよく考えてみるとそれもおかしい。嫡男が居ないのであれば親戚から養子を貰うなどしなければならない。しかし,そんな話は聞いたことがない。仮にも歴史ある子爵家が家の存続のための努力を怠るとは思えない。
だとすると,シザース家の嫡男は本来は居たのだ。それが不幸にも人食い魔族に喰われてしまった。彼の名は彼が存在した記憶とともに,きっと家族にも忘れられ,世界からも忘却の彼方へ追いやられてしまったのだ。唯一残された彼の痕跡は,学院の辺鄙な小道に打ち捨てられた腕一本というわけである。彼の年齢はおそらく私ともそんなに変わらないだろう。前途有望な若者が誰にも知られずひっそりと世界から消えてしまう。なんと悲しく恐ろしいことだろう。
しかし感慨に耽っている暇はない。ここに来て腕の持ち主と失踪したパトリシアの間に関連が見えてきた。シザース子爵家はパトリシアの実家であるラングモア家と関係が深かったはずである。年頃だったであろう嫡男殿に婚約者としてパトリシア嬢の名が上がることは何ら不思議なことではない。そうでなくとも両家の交流の中で二人は顔を合わせていただろう。
ようやく事件に関わる人物たちの関係が見え始めてきた。しかしまだ明らかになっていないことが多々ある。エルフィという謎の少女,人食いの化け物の存在,そしてパトリシアの行方。
どうやら事件は簡単には片付かないようであった。




