ファレン
パトリシアの部屋の捜索はマリアナとテトに任せることにした。私とアニヤ,それとファレンは居残りである。学内のしかも地下室に居る分には安全だろう。それに,ファレンからはもう少し話を聞いておく必要がある気がした。
アニヤが再度紅茶を淹れ直してくれた。どこか居心地の悪そうにしているファレンに私は紅茶を勧めた。
「どうぞ寛いでください」
「ありがとうございます……」
そうは言うもののやはり遠慮するような素振りのファレンであった。そんな彼女にアニヤが気を利かせて「自信作ですから試してみてください」と元気づけてくれた。彼女はおずおずとカップを手にとった。
「あ,おいしい……」
一口飲むと肩の力が抜けたようである。随分気を張っていたらしい。
カップを傾ける所作は思いの外洗練されていた。思えば立ち居振る舞いの一つ一つが美しい。ラングモア家は侍女教育を熱心に行っているのだろうか。
アニヤはファレンが落ち着くのを見て嬉しそうに笑うと,自分の分も用意してようやく席についた。
私はファレンの容姿を観察した。
小柄であまり肉付きの良くない体格なのは元孤児だからであろうか。濃い茶色の髪は使用人の時の名残か動きやすいように一つにまとめている。彼女の青い瞳は未だに不安な色を湛えているが,よく見ればどこか知的な感じがする。姉上と同種な光を感じた。全体的に儚げな雰囲気が目につくが,その儚さの中に隠れた知性に一旦気がつくと,どこか目が離せない感じのする独特な空気を持つ少女だった。パトリシア嬢も同じように思って傍に置いていたのだろうか。
ファレンが落ち着くのを待ってから,私は話を切り出した。
「先程は貴方がラングモア家に雇われた経緯を簡単に聞かせて頂きましたが,もう少し詳しく聞かせて頂いてもよろしいですか」
「私の話ですか?」
彼女はなぜそんな事を聞かれるのかと戸惑う表情を見せた。
「あなたはパトリシア嬢と深い関係にあった方ですから,あなたのことをよく知った上でパトリシア嬢の人となりをもう一度お聞きしたいのです。……大丈夫ですよ,変なことは聞きません。ここにはアニヤくんも居りますし」
そう言ってアニヤに視線を送ると,彼女はファレンを安心させるためににっこりと笑みを向けた。
「そういうことでしたら……」
まだどこか気後れのする雰囲気を残しながらも彼女は了承してくれた。
「まずは,孤児だった,ということでしたが,ご出身はどこなのですか」
私がそう問うと彼女はアッと声をあげて「大事なことを申し上げ忘れておりました」と言った。
「私は旦那様に拾われる前の記憶がございません。ラングモア家のお屋敷の前で行き倒れていたと後になって伺いました。身なりからして孤児だったのだろうと……」
「そうでしたか,記憶が……」
嘘を言っている様子はない。彼女は四年前より以前の記憶が無いことを当然のことのように受け止めているらしい。
「じゃあファレンさんのお名前はお屋敷の皆さんがつけてくれたんですか?」
アニヤが言う。ファレンは首を振った。
「自分の名前だけは不思議と覚えておりました。ただファレンという名前だけでは何処の誰とも知れませんから,本当にお屋敷で雇って頂けたことは有り難いことでした」
「そっかあ。きっと大切な名前なんですね」
アニヤが何気なく言うと,ファレンは驚いた顔をして目を瞬かせた。
「大切な名前?」
「そうですよ。名前だけ覚えていたってことは,よほど思入れがあったんですよ」
「……考えたこともありませんでした。ですが,そうなのかも知れません」
ファレンはしみじみとした調子で言った。
「どうやら,過去を振り返る必要もないほどラングモア家での日々は充実していたのでしょうね」
私がそう言うと,そこで初めてファレンは自然な笑みを見せてくれた。
「はい。本当に,よくして頂きました」
それから,私とアニヤはファレンがラングモア家で過ごした日々を少しずつ聞き出していった。
南の貴族らしい気持ちの良いラングモアの当主と,中央出身ながら暖かく淑女の何たるかを教えてくれた奥方。そしてそんな二人の太陽のような娘パトリシア。日差しの強い南の地の日々を思い出すように,ファレンは目を眩しそうに細めながら語ってくれた。
とくに,パトリシアのことについては色々なことを教えてくれた。年相応の夢見がちな少女であり,王都で流行りの恋愛小説をよく読んでいたという。人懐っこく,同い年のファレンをすぐに気に入り,どこへ行くにも連れ回した。彼女はいつも笑顔を絶やさなかった。彼女は皆を愛し,そんな彼女を皆は愛した。そのなかでもファレンは特別な存在だったのだろう。「ファレンは大切なお友達よ」と言うのが口癖だったという。ファレンは嬉しそうに語った。
「ご友人は多かったのでしょうね」
私がそう言うと,ファレンは頷いた。
「お嬢様は誰とでもすぐに仲良くなれる方でした。ですが,お嬢様にとって特別親しいご友人は二人だけだと仰っていました。こう申し上げると自慢のようでありますが,一人は光栄なことに私でございました」
「もう一人は?」
嬉しげに笑みを浮かべるファレンに私は問いかけた。すると,彼女はこう言った。
「それが秘密のお友達だというのです。誰にも言ってはならない約束なのだとか。ただ,以前お嬢様がうっかり口を滑らせたことがありまして,私と同い年くらいの可愛らしい女の子だとか」
どうも秘密が多いお嬢さんだ。秘密の恋人に秘密の友人。年頃の少女はそういうものなのだろうか。
「ファレンさんはパトリシア嬢とよく一緒であったのしょう,そのお友達とも会ったことがあるのでは?」
私が尋ねると,彼女は困ったような顔をした。
「それが,おかしなことなのですが,私はお会いしたことがないのです。たしかに,私はお嬢様と日中多くの時間をご一緒させて頂いておりますが,それでもずっとご一緒させて頂ける訳ではありません。他の仕事があり已むを得ずお傍を離れることがございます。そうした時や,あるいは,本来はお休みになられるお時間にお会いされていたのかもしれません」
「それは……なかなか変わったご友人ですね」
まるで洋湖亭の者たちのようだ。人目を忍んで会いに来るなど私は裏稼業の人間しか知らない。
「もしかしたら普段はお手紙でのやり取りなのかもしれません」
ファレンはあまり気にした様子もなくそう言って笑うのだった。
気づいたら結構な時間話し込んでいた。そろそろマリアナたちが戻ってくるだろうか。
アニヤが「皆さんが戻って来てからと思ってましたけど」と言ってクッキーを取り出してくれた。今日時間のあるときに焼いたらしい。
「ルシア様もよろしければ」
と言われたので,遠慮なく一つ頂く。綺麗に焼けており,見た目もおいしそうだ。甘味料は貴重だから,甘さは控えめだが,私には却ってそれが丁度よかった。
「おいしいですよ」
「お上手です」
私とファレンが賛辞を述べるとアニヤは嬉しそうに「頑張りました」と喜んでいた。
焼き菓子に舌鼓を打っていると,階段から声がかかった。
「戻ったぜ。……何かいい匂いがするな」
マリアナたちであった。予想通り食い意地の張ったこの龍人の娘は,スタスタこちらにやって来たかと思うと焼き菓子を早速つまんだ。
「こら,マリアナ。まずは作った者に感謝を述べなさい」
私が小言を言うと,マリアナはへそを曲げたような顔をした。心の広いアニヤは「構いませんよ」」と言う。マリアナは武術を磨くよりまず礼儀を身につけるべきだろう。
「アニヤが作ったのですか」
遅れてやってきたテトがテーブルの上のクッキーをじっと見つめながら言った。
「ええ。とてもおいしいですよ」
私がそう答えると,テトはやけに真剣な表情でアニヤの方を向いた。
「ぼ,僕も頂いても?」
「もちろんですよ」
アニヤはニコニコしながら返事した。テトは一つつまみ上げた。
「……おいしいです」
何故か肩を落としながら感想を言うテト。なんだろう,アニヤと菓子作りの競い合いでもしているのか。「後で作り方教えてあげますよ」とアニヤに励まされていた。まあ,仲が良さそうで何よりである。
私は,十個も食べておきながらまだ手を伸ばす白髪褐色の手を叩きながら,二人の様子を見守った。
そんな我ら研究会の面々をファレンは初対面の時よりも随分と寛いだ表情で眺めていた。
マリアナたちが持ち帰ったのは手紙であった。内容は流麗な書体のフェシリカ語で綴られている。書体が特殊なので,マリアナは言うまでもないが,テトにも読めなかったという。無理もない,貴族の令嬢同士が使う書体だが,一般的にはあまり使われないものだ。幸い私も貴族であるので,何とか読むことはできる。
書いてある内容を検めると,どうもおかしな内容だった。
手紙の相手は”エルフィ”という名前の少女らしく,かなり親密な仲の友人のようである。
手紙の大意としては次に会う約束を取り付けるものだが,所々意味の取れない箇所がある。花に関する古い言い回しであったり,古典世界でたまに出てくる山や森に関する詩が出てくる。私には一読しても何のことだか分からない。それにしても,言葉遣いに生々しい情感がこもり過ぎているような気がするのだが……。まるで身を絞るようにして書いた文章である。
一応ファレンにエルフィという名に聞き覚えがないか尋ねてみると,彼女はやはり知らないという。ついでに,私が分からなかった言い回しについて,女子ならば分かるかもしれないと皆に尋ねてみると,これも皆分からないという。マリアナは当然としても,アニヤやファレンたちにも分からないとなると,貴族の令嬢特有の言葉遣いなのかもしれない。これは後で姉上に聞いてみる必要がありそうだ。
「もしかすると,その秘密の友達かもしれませんね」
「エルフィという少女が,でございますか」
私の言葉にファレンが首をかしげる。
「ええ。これだけ親密な友人となると限られてきますからね。とはいえ,今は推測に過ぎません」
「……お嬢様が居なくなられたことと何か関係があるのでしょうか」
ファレンは沈んだ表情でそう呟いた。
「今はまだ何とも。ただ文章のただ事ではない様子から,パトリシア嬢が何か非常な心配事があったのは確かなようです。失踪の理由もそこらにありそうです」
「……お嬢様」
ファレンは力なく主人の名を呼んだ。ずっと傍に居た主人が何の相談もなく居なくなったのだ。彼女にとっては何故という思いだろう。パトリシア嬢もこれほど主人想いの従者を一人残して行くなど可哀想なことをする。
とにかく,このエルフィという少女は手がかりだろう。この書体のフェシリカ語が読めるとなると,どうやら貴族の令嬢らしい。探索は大変だが,庶民の中から探すよりは格段に容易だ。今はこの少女の線を辿ってみるしかない。
私たちは落ち込んでしまったファレンを慰めながら,しんみりとした雰囲気のこの場をお開きにするのだった。




