パトリシア・ラングモア
その後,腕が発見された現場に向かい教師ドミニクの痕跡を探した。流石に例の腕は片付けられた後であった。
人がそこそこ通る小道であるから足跡からはどれがドミニクのものか判別がつかなかった。落ち葉も多く痕跡を見つけるのは難しい。ただ血痕は見当たらなかったので例の化け物に襲われた訳ではなさそうだ。
なかなか手がかりが見つからなかったが,根気よく探索しているとテトが茂みから一枚の紙の切れ端を見つけ出してくれた。
「ルシア様,どうやら覚え書きのようです」
メモ書きのようだ。そこにはパトリシア・ラングモアという名前が書かれていた。
「ラングモア……。南の男爵家ですね。たしか今年学院に入学したご令嬢がおられたと思います。アン,パトリシア嬢とは面識はありますか?」
「ううん,知らない人」
アンは首を振った。
「そうですか……。わかりました。確証はありませんが,この紙切れはドミニク先生のものである可能性は高いでしょう。私の方で確認してみます。テト,パトリシア・ラングモアについて調べてもらえますか」
「承知しました」
あらかた周囲は探索した。もうここに手がかりは残っていないだろう。それに精霊が恐れる場所にあまり二人を長居させたくない。
「二人とも寒い中付き合わせてしまって申し訳ありませんでしたね。戻りましょうか」
私達は小道を引き返して口数少なく校舎に戻った。
学院に戻るとアンには礼を言って別れた。去り際に彼女から「きをつけて,にいさま」と忠告された。彼女も不穏な空気を感じるようである。テトに精霊のことを打ち明ける前よりも不安そうな雰囲気だった。私は「出来るだけジーンのそばに居なさい」と伝えた。我が弟ジーンは武門を専攻するつもりらしく剣の心得がある。彼のそばに居るほうがアンも安心するだろう。彼女は頷いて去っていった。
テトはパトリシアという人物を調べるために私と別れた。彼女ならばすぐに情報を集めてくれるだろう。出来るだけ急いで戻ります,とは彼女の言である。吉報を待つとしよう。
そうして私は一人になった訳である。
「子爵」
すると,この時を狙い済ましたかのよう私に声を掛けてくる者があった。リネルである。彼は普段の偽りの男爵子息の顔ではなく,最近はもはやお馴染みとなりつつある半魔族の顔をしていた。一体どこから現れたのか,テトたちと別れた時は姿がなかったというのに。まったく魔族というやつは神出鬼没である。
どうやら,私に物騒な用事があるらしい。彼は私についてこいと仕草で命じてきた。私はおとなしく彼の後に従った。
リネルが案内したのは職員たちが使う八畳ほどの物置部屋であった。教材やら掃除用具やら色々置いてある。人の出入りはそこそこあるらしく,埃っぽくはない。時々換気に使われるだろう窓が一つ北向きについている。
私がドアを閉めると,リネルが何やら結界魔法を発動させた。
「遮音の結界ですか」
「ああ。それと人払いもだ」
相変わらず用心深い男だ。
「それで今度は何ですか。こうして私を呼び出す時は大体貴方絡みの厄介ごとですが」
リネルはいかにも不愉快そうに顔を顰めた。
「……否定はしない。貴様が調査している事件のことだ」
「今朝学院で見つかった腕の件ですね」
リネルはいつになく真剣な表情で頷いた。そして,とんでもないことを口にした。
「この件,魔族が関係している可能性がある」
「どういうことですか」
私は深刻な気持ちにならざるを得なかった。彼が魔族と言うからには,それはリネルを追ってきた魔族かも知れないということだ。
「昨晩,奇妙な気配を感じた。非常に魔族に近い気配だ。そして今朝の腕だ。襲われた者は魔族に喰われたのやもしれない」
「魔族は人を食すのですか」
「そういう者も居る。しかもただ喰うのではない。相手の存在ごと喰らうのだ。喰われた者はこの世の誰からも認識されなくなる」
そんなことがあり得るのか。しかし,そうだとすると,
「……腕の持ち主は学院の生徒である可能性もあると言うわけですか」
リネルはゆっくりと頷いた。
「そうだ。だが確証はない。相手が魔族かもしれない,と憶測を述べているにすぎない。だが私としては用心をしておきたい」
そう言って彼は私をじっと見つめた。それで彼がわざわざ私をこんな所に呼び出した理由を理解した。
リネルは話を続けた。
「そこでお前には魔族の気配を辿って正体を突き止めてもらいたい」
「協力するのはやぶさかではありません。しかし,どうやって気配を探せというのです」
当然,私には魔族の気配など分かりようもない。協力のしようがない。
するとリネルは意外なことを言った。
「お前の妹は精霊に干渉できるのだろう」
「……あなたどうしてそれを」
私は思わずリネルを睨むように見てしまった。アンが精霊使いであることは,ついさきほどまでは私とアン以外は知り得ないはずの事だ。
「魔力の流れを見れば分かる。ああいう者は稀に居るが,特徴的な魔力の流れを持っている」
だが,答えは予想外のものだった。
「あなたは魔力の流れが見えるのですか」
「ああ,半魔族ゆえの特技というやつだ」
リネルはそう言って皮肉げに笑った。彼の口ぶりからすると普通の魔族には無い能力なのだろう。嘘をついている様子もないので,ここは素直に信じておくことにしよう。
私は幾分落ち着きを取り戻して話を続けた。
「それで,精霊に頼るとして,どのように気配を見分けるのです」
「人食いの魔族の気配を精霊どもは嫌う。精霊が恐れて近づかない場所を探せば良い」
「それなら心当たりがあります。私の妹曰く,まさしく腕が見つかった現場を精霊たちは恐れている様子でした」
「やはりか。嫌な予想は当たるものだ。仮にそいつが私を追ってきた魔族だとすると厄介なことになる。直接襲いに来ないところをみると,まだ私の居場所は掴んでいないのだろう。単に気まぐれで立ち寄った可能性もある。なんにせよ私はしばらく影に身を潜める。お前は気配を探ってくれ」
「分かりました。私も手がかりは追わなければなりませんから」
そう言うと彼は珍しく素直に「頼んだ」などと返してきた。どうやら彼とて余裕がないらしい。何時になく殊勝な態度だ。私も茶化す訳にもいかず真剣な態度で「承知しました」と返した。
リネルとの会話の後,私は神学教室に向かった。林で見つけた例のメモが,果たしてドミニクの字かを確認してもらうためだ。
神学の教師たちはとくに研究室のようなものを持たず,学舎に教員用の一室を設けて拠点としている。これは神学教師は伝統的に学院から教会へ委託して派遣してもらう関係上,正式には学院が直接雇用している訳ではないため個別の研究室をあてがわないからだ。したがって本来彼らは部外者な訳であるが,教会への配慮のためか神学の教師たちに用意された一室は随分と立派なものとなっている。内装は華美さこそないが,真っ白の漆喰とそこに飾られた宗教的な絵画や彫像など教会人好みに整えられていた。
部屋に入ると数人の教師が居た。その中からドミニクと親しい者を探して例のメモを見てもらうと,パトリシアという名前は知らないが確かに彼の字であると言う。
ついでに,今朝の彼の様子を尋ねてみた。
今朝一番に神学教室にやってきたのがドミニクであったという。彼は毎朝この教室を掃除することを日課と決めているらしい。今朝も例に漏れずその日課に励んでいたようだ。几帳面な性格なのだろう,その性格からか,学生の相談にもよく乗っているという。この学院の教師の中では珍しく生徒思いの先生でもあるようだ。
日課の後は,ぽつりぽつりと他の教員が出勤する中,彼は書類仕事をしていた。皆が出勤し終わると,神学教室長が会議から戻ってきて今朝の事件のことを皆に話した。そのとき,ドミニクは随分深刻そうな顔をしていたらしい。彼は同僚たちに事件のことを調べると告げて教室から出ていったという。それが大体授業の始まる直前くらいのことだった。同僚たちの話を聞くにこんなところだった。
ドミニクの性格からすると,腕の持ち主が生徒の一人だと心配して調査に出かけたのだろう。その途中で行方を晦ましたということになる。今だドミニクの存在を認識出来ているところを見ると人食い魔族に喰われた訳ではないようだ。だが,何らかの理由でその魔族がドミニクを連れ去った可能性もある。あるいは,別の勢力による仕業か。この件に深入りされると困る勢力。今は確証がない。だが,どうにもブロンストの影がちらついた。
神学教室を後にして,私は研究会の拠点である地下資料室に向かった。テトの報告を待つためだ。
今日の地下室には人の姿がなかった。皆出払っているらしい。私は一人寂しく手持ち無沙汰を慰めるために適当な伝記を開いて眺めていることにした。
時刻はすでに夕方ごろである。午後の授業をまるまるサボったことになるが,今日は大した講義もなかったので支障はない。ちなみに三年次となると専門が明確になる。私は天文学と詩学を取っていた。天文も詩もどちらも官僚を目指す庶民の子たちが取るので講義室での私は割と浮いた存在だ。もちろん私は官僚になろうと思っている訳ではない。単なる興味で選んだだけだ。召喚術を勉強していると天文や詩に関する事柄が多く出てくるので,以前から惹かれるものがあったのだ。他の生徒たちのように真面目に将来を考えて専攻を選んでいない。
そうして,余計なことをつらつら考えながら資料のページを捲っていると人が降りてくる気配がした。おそらくテトだろう。
「……ただいま戻りました」
「テト,お疲れ様です」
紙面から目を離して彼女の方を見やると,何やらその表情が優れない。何かあったのだろうか。
「どうも暗い顔をしていますね。どうしました」
ひとまず彼女に席を勧める。テトは元気の無い口調で礼を言って座った。私も彼女の横に座って報告を聞くことにした。
「パトリシア・ラングモアについて調べて参りました。彼女は一年の生徒で寮の同室はエリーゼ・ハスケル。ラングモア家でお付きの者だったファレンという侍女と共に入学しています。特に目立った問題も起こしておらず,友人たちからの評判も悪くありません。成績は中の上。講義には真面目に出ているようでしたが……」
テトはそこで言葉を濁した。
「どうしたのですか」
「……昨日から姿が見えないようなのです」
彼女はことさら不安そうだった。報告の内容にも驚いたが,彼女がこうして個別の案件に内心を顕にしたことにも驚いた。彼女は仕事に私情を挟まないタイプだ。何か個人的な関わりでもあったのだろうか。
「ずいぶん心配そうな顔ですね。パトリシア・ラングモアと知り合いでしたか?」
「い,いえ! そういう訳ではなく……」
彼女は私の問いを慌てて打ち消したが,やはり何か思うところがあるらしい。彼女にとって言いづらいことなのかもしれない。私は自分の表情を出来るだけ和らげた。厳しい顔をしては彼女も言い出しづらいだろう。
「大丈夫ですから,言ってみてください」
「……申し訳ありません,仕事中に余計なことを考えるなど」
「構いませんよ。人間誰しも無感動ではいられません。さ,話してみてください」
そう促すと彼女は観念したのか,ゆっくりと話し出した。
「どうしてか不安になってしまったのです」
「不安?」
「はい……パトリシア様は顔も知らない方ですけど,同じ学院の生徒です。そうした方の姿が見えないと聞いて,アン様の仰った化け物の話が頭をよぎりました。そうしたら,アニヤたちの顔が浮かんで来て急に恐ろしくなってしまって。こんなことは今までなかったのに,僕は一体……。申し訳ありません頭を冷やしてきます」
そう言って彼女は立ち上がりかけたが,私がその手を掴んで引き止めた。
「まあ,お座りなさい。あなたは自分を責めるようですが,冷静で居られないのは普通のことですよ」
「ですが! 感情を乱すなどあってはならないことです」
彼女は必死そうな顔をして言った。今まで味わったことのない経験なのだろう。きっと不慣れなのだ。だからこそ私は嬉しかった。これはきっと喜ばしいことなのだ。
私は出来るだけ穏やかに言った。
「工作員としては,そうかも知れません。ですが貴方はこの学院の生徒でもあるのです。だから,あなたのその恐怖は自然なことですよ。あなたは,単に友人たちのことが心配になっただけですよ」
「……心配?」
「ええ。自然に気にかけてしまうほど,あなたはアニヤたちが大事なのですね」
テトはハっとした表情をした。
昨年のあの冬の夜に,教会のバルコニーでテトを諭したことが切っ掛けになったのか,以来彼女はアニヤに対して徐々に心を開いていった。それは蕾が花を開くような非常にゆっくりとした速度であったが,それでも確実にテトはアニヤたちに歩み寄っていった。もちろんアニヤはそうしたテトの変化に気づいて喜んでいた。彼女は度々私に「テトさんが自分から話しかけてくれたんです!」とか「テトさんが初めてお茶に誘ってくれました!」などと嬉しそうに報告してくれたものだ。
最近ではよくアニヤやマリアナ,テトの三人で楽しそうに談笑しているのを見かける。その時のテトの表情には,もうかつての引け目は感じられなかった。彼女らしい控えめなものだが,おそらく本心からの笑顔があった。
私はテトの幾分か得心のいった顔を見守りながら言った。
「この事件,解決しましょうね」
私はそう言って彼女の瞳を見た。そこにはもう不安はなかった。
「はい」
いくつもの任務をこなして来たであろう洋湖亭の工作員テト。だが,そんな彼女であっても,自分の大切な者のために任務をこなすのはこれが初めてなのかもしれない。私としても彼女の不安は早く取り除いてやりたい。
そして,行方の知れないパトリシア・ラングモアと教師ドミニクのことも心配である。彼らの足取りを何とか掴みたい。加えて,人を喰う化け物の正体。テトに言われるまでもなく,アニヤたちの身の安全は確保しなければならない。ガルマトゥリエからの依頼もある。学院の安全についても考えねばならないだろう。
我々が取り組むべき課題は山積みである。私は次に取り掛かるべき課題を頭の中で整理するのだった。




