呼び出し
ガルマトゥリエの例のサロンに赴く。部屋に勝手に入っても,流石に何度も顔を出しているためか,本来部外者である私に眉をひそめる者はいない。軽く会釈を返してくれる者もいるくらいだ。見知った顔もずいぶん多い。
それでも一応は遠慮して,入り口あたりまでしか入らずに,近くに居た人に兄上の所在をたずねる。どうやら,理事たちと会議をしているらしく,サロンの奥の会議室にいるとのことである。ちなみに,兄上は最高年次の五年生になったと同時に議長に就任している。ずいぶんと忙しくしているようだ。
会議が延びているらしい。ソファを勧められたので遠慮しつつも座って待たせてもらうことにした。その間にも顔見知りの委員が声を掛けてくれる。私の存在も随分とガルマトゥリエに馴染んだものだ。
召喚術研究会を立ち上げてからというもの,研究会とガルマトゥリエの関係は年々密接になっている。当初は学院内での顔つなぎのために生徒個人の困りごとを解決してきた。それが徐々に,数人の穏健な貴族子弟からのちょっとした依頼,小規模ながら貴族庶民の垣根を無くそうと活動する学生団体からの依頼,それなりの影響力のある進歩主義的な派閥からの依頼,さる軍閥貴族の令嬢が率いる学院の一角を担うほどの勢力からの依頼と,話が大きくなっていった。我が研究会の活動も随分大事になったものである。その分,メンバーには苦労を掛けてしまっているが,大きな依頼には大きな報酬が伴う。分前はしっかり平等に配分しているはずだ。……今の所文句は出てきていないが,個人的には不安が残る。役割に応じて妥当な報酬の配分を考えるのは,いつも頭が痛くなる問題だ。それはさておき,話が大きくなればなるほど,関係する勢力の数も多くなる。となると,生徒たちのまとめ役であるガルマトゥリエにも一応筋は通しておかないと,後々面倒なことになる。そういう訳で,前任のガルマトゥリエ議長と理事たちとは侃々諤々やっていた仲だ。兄上の代になって少しは融通が利くようにはなったが,兄上も兄上で役割がある。彼にも譲れない部分はあるため,時にはぶつかることもある。ある時,兄上から「自分の弟がこんなにもしつこいとは思わなかった」などと苦笑交じりのお言葉をもらったことがある。私も「兄上がこんなにも頑固だとは思いませんでした」と返しておいた。聞くところによるとガルマトゥリエの委員たちの間では我ら兄弟のぶつかり合いは名物となっているらしい。そんなに頻繁にはやり合っていないはずなのだが……。
そんなことを考えていると,会議がようやく終わったようである。理事たちがぞろぞろと会議室から出てくる。人の波に目を向けていると,最後尾に出てきた兄上と目が合った。どうやら彼も私を待っていた様子だった。兄上は手招き一つすると会議室に再び引っ込んだ。私は彼の招きに応じて部屋に向かった。
「すまないな,昼休みに呼び出して」
「いえ,兄上こそ,休み時間にまで会議ご苦労様です」
そう慰めの言葉を掛けると彼は少し疲れた顔をした。
「こういう時のためのガルマトゥリエだ。致し方あるまい」
「して,会議は如何だったので」
すると兄上は少し難しい顔をした。
「……事が事だ。我々としても迂闊なことは言えん。差し当たってはコルマンドの報告をそのまま発表する」
「ということは内々の調査ですか」
身を乗り出した私を見て兄上は苦笑を浮かべた。
「まったく話が早くて助かる」
「コルマンドの報告を聞かせて頂いても?」
「もちろんだ」
そう言って兄上は調査の結果を聞かせてくれた。
コルマンドが下した結論は予想通り,例の腕は生徒のものではなく学外から持ち込まれたものだろう,ということだった。学生名簿も調べたらしい。少なくとも行方の知れない男子学生は今の所見当たらないという。とはいえ,不審な点もある。腕の引きちぎられ方を見るに,哀れな被害者は犬猫のような小動物に襲われた訳ではないらしい。よほど大きな力でやられたものと思われるが,そんな力を持った獣が街をうろついている訳もない。あれでは熊にでも襲われていなければおかしい。そういう意味で腕の持ち主の素性については疑問が残る。だが,事件性は無いだろうし,どうせ無縁仏であろうから,調査は打ち切りとなったという。この時代,死体一つ出来たくらいでは警察は動かない。
しかし,生徒たちがそれで納得する訳もない。今も腕の持ち主は生徒の一人なのでは,という噂が独り歩きしている。なんでも恐ろしい獣が学院に逃げ込んで学生たちを喰っているのだ云々という話が広がっている。まったく馬鹿馬鹿しい話だが,これを本気にする者もいる。実際,噂話に脅かされて,青い顔をして今日は早く帰ろうなどと話し合っている生徒を見かけたりもした。
「そこでだ」
兄上は報告を話し終えると身を乗り出して言った。
「ルシアには本当に居なくなった学生がいないか調べてほしい」
「生徒たちの不安の解消のためですね。わかりました。人手が必要なので,研究会の者たちには手伝ってもらうことになりますがよろしいですか」
「構わない。ルシアの仲間なら問題ないだろう。それと,今回に限っては教師の一人が独自に動いているらしい。彼とも協力するといい」
これには私も少し驚いた。この学院の教師は基本的には生徒たちの事情には無関心だ。わざわざ噂のために動くとは珍しいことだった。
「それは随分殊勝な方もおりましたね」
「教師全員が放任主義という訳ではないさ。純粋に心配してのことだろう」
「わかりました。その方の名前は?」
「ドミニクという文門の教師らしい。もしかしたらミリエル嬢の知り合いかもしれない。彼女に聞いてみると良いだろう」
我らが元家庭教師のミリエル嬢は文門の講師もしている。知り合いである可能性は十分ある。
「ありがとうございます。では早速動いてみるとしましょう」
話は終わったと思って立ち上がりかけると兄上が待ったを掛けた。用件を最後まで言わないのは兄上にしては珍しい。私は思わず怪訝そうに彼の顔をじっと見つめてしまった。
「一つ伝えて置かなければならないことがある」
兄上はどこか言いにくそうに話を切り出した。何だろう。こうも歯切れが悪いのはますます珍しい。私は浮かしかけた腰を再度椅子に沈めた。
彼は声を潜めて言った。
「どうもラグダニエルが動いているらしい」
「どういうことでしょう」
「分からない。なぜ彼が介入する必要があるのか見当がつかないが,お前も注意しておくのに越したことはないだろう」
私はブロンスト家の演奏会を思い出した。事件の内容にしては随分深刻そうな彼ら親子の表情。何ら確かなことは分からないが,今回のことでブロンスト家が動いているとなると,たしかに警戒はしておいた方が良いだろう。
「ご忠告ありがとうございます。何やらきな臭いですね」
「ああ。十分気をつけてくれ」
「承知しました。では」
それでこの場はお開きとなった。私は足早にサロンを出てミリエル嬢の研究室に向かった。
ドアをノックしても返事がなかったが,中からカチャカチャと器具を弄る音が聞こえるし鍵は開いているので構わず入った。予想通り姉上が何やら色々な実験器具を広げて作業している。作業机の上にはよくわからない液体で満たされた試験管やらがある。得体のしれない物体が熱せられて謎の気体を発生させているフラスコとその気体を水を溜めたビーカーがポコポコいいながら集めている装置があったりもする。周囲には色々な機材と材料が積み上がっており,せっかく片付けた部屋がまた狭くなっていた。窓を全開にして一応換気はしっかりしているようだが,秋風が吹き込むので部屋の中は廊下より寒い。
さては本来の部屋の主はこの惨状に耐えかねて逃げたのだろうか。
「姉上……」
「あら,ルシア」
私が呆れた声を漏らして,我が姉ロゼッタはようやく来客に気づいてくれたようだった。姉上は今年で十八の娘盛り,誰もが振り返るほどの美しい黒髪の令嬢であった。その思慮深い眼差しを物憂げそうに向けられたら,相対する者は息を呑まざるを得ないほどだ。さぞ縁談の話もたくさん来ているだろうに,しかし本人はこの調子である。結婚する気があるのか無いのか。だが,この話題を持ち出すと姉上は不機嫌になるので,私はぐっとこらえて目の前の惨状を話題にするのだった。
「……これは一体,何をしてらっしゃるので」
「魔道具のための素材収集よ。魔力伝導率の高い溶液を探しているの」
「それはご苦労さまで。ところでミリエル先生を知りませんか」
「先生なら新しい機材を取りに行ったわ」
……どうやらミリエル嬢も共犯らしい。
「ずいぶん大掛かりのようで」
「試さなければならない試料が結構あるの。ルシアもやってみる?」
「遠慮しておきます」
隙きあらば手伝わせようとしてくるとは,姉上も図太くなったものだ。まあ,研究会関連で色々姉上を頼ってきたので,遠慮がなくなったのだろう。……これからは少し控えようか。そのうち変な治験に付き合わされそうだ。
しばらく姉上の作業を雑談混じりで観察していると,ようやくミリエル嬢が戻ってきた。
「ルシア様,いらしてたのですか。狭くて申し訳ありません」
ミリエル嬢も今年で二十三か四くらいになるのか。角が取れて雰囲気の柔らかくなった彼女は,家庭教師をしていた頃よりもさらに笑顔が似合うようになった。彼女にも良い話の一つや二つくらいあるようだが,まだ決心がつかないらしい。いくつになっても目が離せない”お嬢様”のせいではないかと私は危惧している。……もし本当に困ったことになったらブラドスキーとして良い縁談を紹介しなければ。そうでないと世話を焼いてくれるミリエル嬢に面目が立たない。
「今日は先生に用があって来たそうよ」
姉上が試験管を発光させながら言った。魔力の通りを確認しているらしいが,まぶしいので目の前でやらないで頂きたい。
「なんでしょうか?」
「……ドミニク先生という方についてご存知ありませんか。少々彼に用事がありまして」
「ああ,ドミニク先生ですか」
彼女は心当たりがあるようだ。これは助かる。
「今どこにいるか知りませんか。なにぶん面識がないもので」
「神学の先生ですから,神学教室にいらっしゃると思いますよ。ただ,今朝,なにか調べ物があるとかで忙しそうにしておりましたが」
「なるほど,ありがとうございます。それなら心当たりがあります」
「……? ドミニク先生にご用なんですよね?」
ミリエル嬢が不思議そうに首をかしげる。たしかに,私の物言いが悪かった。
「ガルマトゥリエからの頼まれ事です。ドミニク先生も同じことを調べているようで」
「ああ,塔の人たちの。それはご苦労さまです」
ミリエル嬢は合点がいったという顔をした。私が彼らの手先として色々動いていることはミリエル嬢も承知している。
「貴方も懲りないわね。自分から厄介事に手を出すなんて」
呆れた口調でそんな事を言うのは姉上である。彼女には何度も助けてもらった関係上,私が関わった案件の詳細を知っている。……別に自分から首を突っ込んだ訳ではない。厄介事が向こうからやって来るのだ。私は悪くない。
「兄上直々の頼みでもありますから。だいたい事件が来るのを私が望んだわけではありません」
「よく言うわ。……そう言えばマリウスは元気?」
「ええ。議長に就任してからは忙しくしているみたいですよ」
姉上は人をからかう調子を引っ込めて,どこか素っ気なさそうに兄上の消息を尋ねて来た。どうも兄上と姉上の間には溝がある。それもそのはず,姉上は十二になるまでほとんど人と関わってこなかった。ここに居る三人にとっても思い出深いルネス邸でのあの夏の出来事,結局封印術の成功に帰結したあの事件の後は,多少なりとも兄上との交流もあったようだが,お互い何年もまともに話して来なかったのだ,すぐに打ち解けられるものでもない。しかも,姉上はその後すぐに学院に入学してしまった。兄上も後を追うように一年後に入学したわけだが,専門が異なるためかあまり顔を合わして来なかったようだ。それゆえ,我が敬愛すべき兄上と姉上との間には何となく顔を合わせづらい気まずい空気があるようだ。
それでも,お互い気には掛けているらしく,姉上は兄上のことを兄上は姉上のことを,時々私に尋ねてくる。私としてはいい加減顔を合わせてちゃんと話して貰いたいものだ。私は伝言係ではないのだ。
だがまあ,姉弟なんていうものはこんなものだろう。別に兄弟姉妹仲良くしなければならない法など無い。単に私が二人に仲良くして欲しいと思うだけだ。二人が血を分けた姉と弟であることはこの先ずっと変わらない。きっと時間が解決してくれるだろう。
「そう。頑張っているのね」
そう言って姉上は微笑んだ。まったく二人とも不器用だ。
その後三人で雑談をした後,私は「用事があるので」と言って,研究室を後にした。
教師ドミニクを探しに行かねばならない。こういう人探しの時には人手があると良い。そんなときは我が頼もしき洋湖亭の工作員テトの出番だ。この時間は確か授業を取っていないはずだ。きっといつもの場所に居るだろう。
私は研究会の拠点である地下の資料室へと向かうのだった。




