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侯爵家次男は転生の夢をみる  作者: 半蔀
冬の夜、死と恋と
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過ぎ去りし日々

 そこは草原であった。まるでブラドスキーの屋敷に戻ってきたような,広々とした草の大地と抜けるような青い空が広がっていた。私もこの召喚術を使うのは初めてだったので,ユーフィアと一緒にその光景に目を丸くしていた。

 近くになだらかな丘がある。丘の上には大きな樹が立っており,その枝にまばゆい緑を繁らせている。しかし,緑だけでない。不思議な色をした光の塊が,まるで果実のようにいくつもぶら下がっていた。

「いきましょう」

 私は呆けているユーフィアに声を掛けて丘の上に向かった。彼女ははっとした表情をして我に返えり,私のあとを追ってきた。

「ここは一体」

「私もよく知っている訳ではないですが,私たちはそれぞれ夢を見ているような状態だそうです。ただ,普通の夢と異なるのは,一つの夢を複数人と共有できるところですね」

「な,なるほど」

 ユーフィアは困惑を隠し得ないようだ。急にこんなことを言われても理解し難いのは当然だろう。

「この風景は術者の心象風景が基になっているらしいのです。私の場合ですと故郷の風景ですね。つまり,召喚を起動した者が違えば異なる風景が広がっているそうです。しかし,必ずこういった大樹が存在するのです」

 私達は丘の上の大樹の下にたどり着いた。近くから見ると随分大きい。

 私は果実のように枝からぶら下がっている光の塊を手にとった。

「これは記憶の実と言います」

「記憶の実?」

「ええ。召喚を起動した者の記憶のかけらです。触ってみてください」

 ユーフィアはおそるおそる七色に輝く光に触れる。彼女の手がその光に触れると彼女は目を見開いた。

「これは……」

「それは私が七つの頃の記憶ですね。妹をつれて中庭を散歩したときのことです」

 当時は我が妹に精霊が見えるなど知らなかったので,時々見せるアンの不思議な挙動に驚いていたものだ。

「光に触ったら……ルシア様と小さな女の子が見えました」

「その子が妹のアンですよ」

「それに,なんと言いますか,その女の子を気遣うような,戸惑うような気持ちも,感じました」

「記憶にはその時の光景だけでなく私が感じていた感情も含まれています。この召喚術はそうした感情も相手に体験させることができるのです」

 ユーフィアは未知の経験にすんなりと飲み込めないものを感じるようだ。無理もないだろう。普通の人間は他人の記憶を直接体験することなどできない。それが出来るのはブラドスキーの”獣憑き”くらいだ。そういう意味ではマイオカニスの召喚術は獣憑きの能力を擬似的に体験できる魔法と言えるだろう。

「なんと申しますか,すごい魔法ですね」

「まあ,ブラドスキーの秘技みたいなものです。秘密ですよ」

 私は適当な嘘を言っておいた。もちろんブラドスキーはこんな魔法など知らない。私が夢の男から教わったものに過ぎない。だが,そう考えると,あの得体のしれない夢の男も獣憑きの見る夢の一種みたいなものかもしれないので,そういう意味ではブラドスキーの秘技と言えなくもないか。

 私は自分自身の言い訳がましい思考に苦笑しつつ,次の記憶の実に手を伸ばした。

 それから私は,弟のジーンと喧嘩したときの記憶や,兄上と一緒に小説の話をした記憶,ミリエル嬢と姉上との間で手紙のやり取りの仲介をしていた記憶,継母であるアンジェリカと茶会をしたときの記憶などブラドスキーの屋敷での体験をユーフィアに見せた。彼女は色々な私の記憶のかけらに触れるたび,喜んだり悲しそうな顔をしたり色々な表情を浮かべた。

「ルシア様は素晴らしいご家族をお持ちですね」

「ええ。私は恵まれています」

 ユーフィアが感慨深く口にした言葉に私は頷き返す。ルネス邸での日々は私のかけがえのない記憶だ。だが,この召喚術を使ったのは,ブラドスキーの屋敷で過ごした日々を見せたかったわけではない。これはあくまでデモンストレーションだ。

 私は大樹をぐるりと周回しあるものを探した。半分ほど歩いたところで目当てのものを見つけた。それは木の根元に隠された地下への入り口となる鉄製の扉だった。私はそれが必ずあると直感していた。術を起動する前に知っていたわけではない。この世界に来た途端理解した。そういうものなのだろう。

「ルシア様,これは?」

「これからお見せするのは私の秘密です。誰にも言ってはいけません」

 私は念を押すように言った。彼女は真剣な顔をして頷いた。大樹の下に埋まっているものもまた私の記憶である。しかし,地上のものとは性質が異なる。内容が内容である。仮にユーフィアがこれから見るものを他人に話しても信じてはもらえないだろう。

 私は重たい鉄の扉を開いた。中は螺旋状の階段になっている。螺旋階段の壁には燭台が灯っているので,階段を踏み外す心配はなさそうだ。

「行きましょう」

 私たちはゆっくりと階段を降りた。

 階段を降りると石壁に囲まれた小部屋に出た。ただし天井の壁を突き破り太い木の根が下りている。そしてその根には,また,地上で見た光の塊がいくつか張り付いていた。

 ユーフィアが驚きに目を瞬かせた。

「これも記憶の実ですか」

「ええ。ただし,地上のものとは訳が違います」

 私は適当に一つ手に取る。じわりと懐かしい感情が私の心を満たした。何の記憶だったかは分かる。だが,映像はおぼろげだった。どうも,はっきりとした記憶ではないようだ。

「ユーフィア,手にとってみてください」

 言われたとおり,ユーフィアが光に手を触れる。すると彼女は目を見開いた。

「それは”私”がまだ小さい頃,家族と一緒に海に行った帰りの記憶です。まだ帰りたくないと言って両親を困らせたのを覚えています」

 私は次の光を示した。困惑した表情のまま彼女は次の光に触れる。

「中学校のときくらいの記憶ですね。仲の良い女の子がいたのですが,家の事情で彼女は転校してしまったのです。居なくなって初めて自分がその子のことを好きだったと気が付きました。とても悲しかったのを覚えています」

 ユーフィアは自分が触れているものを信じられないような目をして見ていた。私は構わず次の記憶のかけらを手にとった。

「こちらは大学のときの記憶です。気心の知れた友人たちと一緒に夜遅くまで飲んで,帰りの電車……まあ便ですね,最終便を逃してしまい,結局私の家に転がりこんできて,朝まで飲み明かしたものです。変な話ばかりするやつらでしてね,政治経済の真面目な話をしたと思ったら,くだらない言葉当ての遊びを始めたり,流行りのゲームや漫画の話をしていたと思ったら,金を稼ぐためにはどうすればと言い出して,どうにもならない商売の思いつきを言い合ったり。迷惑しました」

 私は当時を思い出して思わず笑ってしまった。もう友人たちの顔を思い出すことはできない。しかし,あの夜の酔いの楽しさと,その朝焼けの眩しさは今も覚えている。

「……これは,大学の図書室で一人の女の子に会ったときの記憶ですね。ある専門書を借りようとしていたのですが,彼女も同じ本を借りようとしていたのです。一冊しかないから喧嘩になりましてね。仕方がないから二人で輪読会をしようと言ったのです。頭のいい人でね。彼女の鋭い意見には毎回驚かされました。得意げな顔をして嬉しそうに自分の意見を言うんです。私が意地の悪い質問をすると怒ってですね。とても楽しい時間でした。よく笑いよく怒る人でして……私はだんだんその子に惹かれていく自分を見ていました」

 私は目をつむり,その頃のことに思いを馳せた。

「一冊の本を読み終わる頃には,少し彼女は寂しそうな顔をしていました。だから私は,これからも一緒に本を読もうと言いました。彼女は一瞬驚いた顔をして,それでもすぐに,嬉しそうな顔をして頷いてくれました。そのとき私はなんとなく,ああこの子と一緒になるんだな,と思いました。実際そうなりました」

「次は……そうですね,私がその子の看病したときですね。彼女は体が弱くて度々体調を崩していたので私はその看病をよく買って出ていたのです。彼女は毎回遠慮するのですが,説き伏せるのは得意でした。ある日,微熱を出した彼女が珍しく弱気なことを言って,こういう時貴方が傍に居てくれて嬉しい,と言うのです。私は,君さえ良ければいつでも傍に居る,と言いました。そして,一緒に住めば看病する人に困らない,と付け加えたのです。あれは照れくさかったですね。彼女ははにかみながら頷いてくれました。後々,友人たちから,病に臥せって弱っている女子に付け込むとは悪い奴め,とからかわれて,ずいぶん言い訳に往生しましたよ」

「次のかけらは……ああ,その子と結婚を決めたときの記憶ですね。同棲し始めたはいいが二人共働き出したばかりでお金もないので,プロポーズ……求婚のことですね,それも大した場所で出来なくて。家の近所にある川沿いを二人で散歩しているときでした。夏場の熱い日の夜には,彼女の体の調子が良ければ,そうして二人してよく歩きに出たものです。星がよく見える日で。一緒になろうと言うと,彼女は顔を真っ赤にして涙を浮かべて喜んでくれました。その時までは先の不安で頭がいっぱいでしたが,彼女の喜ぶ姿を見たら,そんなものは吹き飛んでしまいました」

 月明かりでも分かるほど赤い顔をして感極まっているあの人の姿。もう顔も名前も思い出すことは出来ない。だが,あの時に抱いた感情だけは,絶対に忘れたくない思い出だった。

「次は,子供が生まれたときの記憶ですね。実は子供を持つことに私は反対したんです。妻は体の弱い人で,出産には耐えられないと言われていましたから。それでも生みたいと,彼女は言うんです。……それほど長く生きられないということを彼女はよく分かっていたのです。それでも元気な男の子が生まれました。とても活発な子で私の指を強く握るんです。生まれたばかりだというのに,とても強い力で私の指を握り返してくれるのです。……妻は産後一年で亡くなりました。私は妻が残してくれた子を抱いて,母親の顔も声もその愛もきっと覚えていないこの子だから,私がこの子を全力で愛していこうと,なに不自由ないように愛そうと,誓ったのです」

 彼女は思い出の人となり,一つのかけがいのない命を残してくれた。私の息子。私の妻が命を燃やし尽くすようにして残してくれた子だから,私もその子の思い出となるまで,その子のために生涯を尽くそうと思った。

「ルシア様,お顔に……」

 ユーフィアが遠慮がちに声を掛けてきた。彼女の視線の先を辿って私は自分の頬を触る。それで自分が泣いていることに初めて気づいた。

 普段意識したこともなく,実際に記憶も薄れてしまったが,それでも私は前世を生きたのだ。思い出だけは私の中で生き続けている。かつて抱いた感情だけは,たとえ記憶が薄れても,決して手放したくはない。

 私は涙を拭った。

「みっともない所をお見せしました。今貴方が見てきた記憶たちは貴方の望む”普通の暮らし”とは違うかもしれません。それでも一人の普通の男が生きた記憶です」

「これは,ルシア様の記憶なのですね」

 彼女は慈しむように微笑しながら言った。

「ええ。私は前世の記憶を持っています。この世界とは異なる所で生きた記憶があるのです。だから秘密と申し上げました。私にはこれくらいしか出来ませんから」

「いえ,十分です」

 彼女はそう言って笑った。その笑みはどこか寂しそうなもののように思えた。

 彼女は言葉を続けた。

「きっと私は単に憧れていただけでした。ただ夢を見ていたかっただけだった。普通に友人を作って普通に恋をして普通に伴侶を得て。それはきっと素晴らしいことでしょう。戦場と縁遠い生活はきっと幸せなことでしょう。命のやり取りに疲れてしまって,私はつい想像してしまった。そして,学院に来たことで,つい私にもそんな普通の生活が出来るのではと夢見てしまった」

「ユーフィア……」

「最初から分かり切ったことでした。楽な生き方なんて無い。誰にも苦しいときはある。それでも生きていかなくちゃいけないから,誰もが自分の領分で戦っている。身の丈にあった領分を探して,そこで一生懸命に戦って生きるしか無いんだ。……ルシア様に見せて頂いた記憶のおかげで分かりました。”普通の人生”は私が戦うべき領分じゃあなかったんです。私が戦うべき所は,今も昔も変わらない」

 七色の光が木の根の広がるこの地下室に溢れた。光はユーフィアの,寂しそうな,それでいて,強い決意を秘めた表情を輝かせた。

「ユーフィア,諦めるというのですか!」

 私は光の粒子が舞う中,声を荒げた。

 術の終わりが近い。

「簡単に決めてよいものではないでしょう,ずっと望んでいたことじゃないですか!」

「いいえ,ルシア様。いつか同じように夢を諦めていたと思います。ただそれが思ったより早く決断できた。あなたのおかげです」

「私は貴方の夢を諦めさせたかったわけではありません! よく考えてください,ユーフィア!」

 その間にも七色の光が私たちの周りに満ちる。

「大丈夫ですよ,ルシア様」

 ユーフィアは笑った。屈託の無いその表情の中には,色とりどりの光を反射してきらきらと輝く灰色の瞳があった。

「私には守るべきものがあります。そして,そのための力がある。それが私の領分です」

 虹色の光が私達を飲み込んだ。その光は,まるで,彼女の決意の強さを表すかのように,強く美しい輝きだった。


 術から覚めた私は,それから何度も考え直すようユーフィアを説得したが彼女は頑として聞き入れてはくれなかった。必死な私に比べて清々しい表情をする彼女を見て,最終的には私の方が折れることとなった。

 彼女が自らに定めた領分。それは悲しい諦めかもしれない。だが,あえて茨の道を進もうとする彼女にとっては,私の言葉など何の枷にもならないだろう。一度,進むべき道を決めた人間は強い。ならば,勇気ある彼女の行く先に幸あらんことを,私は祈るほかなかった。

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