冬の夜
リネルを介抱して聞き出したところによると,ベンノを眠らしていた場所に奇妙な男が侵入したそうである。結界を通じてそれを感知したリネルは男を追い返そうと魔法を行使したが呪い返しを受けてしまったという。男はかなりの使い手だったようだ。ベンノは男の手によって脱走してしまった。
ベンノが手元に居なければ今回の計画は上手くいかない。かなりの痛手である。すぐに対処しなければならない。もちろん,リネルのせいではない。大体,魔族の魔法を防げる人間がこの世に何人いるというのか。ベンノをさらった男の正体は現時点では分からない。しかし,とんでもない使い手だということだけは確かだ。
だが,それにもかかわらず,私は嫌な予感がした。この前見た夢のこと。夢の中の男は危険な人物が迫っていると言った。あまりにもタイミングが良すぎる。それゆえ,私はリネルに男の姿を尋ねた。
男は黒いフードをかぶっていたと答えた。
リネルには私の部屋で休んでもらうことにした。今は動ける体ではない。
彼からベンノの居場所を教えてもらった。リネルはベンノに追跡の魔法を掛けているらしい。まだリネルの魔法が抜けきらないベンノは回復薬を取りに自宅に向かったらしい。場所を尋ねると学院からほど近い。私は急いで外出の準備を整えると,コートと中折れ帽をつかんで外に出た。外はしんしんと雪が降っている。
私はまず庶民寮に向かってテトを呼び出した。事情を話すと彼女はすぐに同行してくれた。
王都の町並みは白粉を塗ったかのように真っ白である。白雪が覆いかぶさった街路や家々の屋根は,夜の町並みの乏しい明かりを受けてぼんやりとその姿を表している。静かな夜であった。雪道を歩く私たちの足音がやけに響いた。
本格的に振り始めたらしい。いまや綿毛のような雪たちが絶え間なく降り続いている。これは明日も雪の積もったのが残るだろう。
テトが持ってきた傘にもすぐに白いものがついた。彼女は自分の傘を私の方にも傾けてくれるが,流石に二人を一本で覆い隠せない。私は帽子に積もった雪を何度も払い落とさなければならなかった。私たちは雪の降る勢いが増す中を,街路に積もった雪に足を取られながら道を急いだ。
ベンノの家は三階建ての集合住宅の一階であった。私たちは他の住人に気づかれないように,彼の家の様子をそっと伺った。物音がしないため,どうやらベンノはすでに家を後にしたらしい。確認のため,物音を立てずに彼の家に忍び込んだ。鍵開けなどはテトにとっては朝飯前だ。
古い建物のためか扉を開けたとき少し音がしてしまった。
「おとうさん?」
……どうやら,住人がいたらしい。声の感じからして十かそこらの少女。ベンノには娘がいたらしい。
テトがとっさに構えるが,私はそれを手で制した。
「夜遅くにすみません,君はベンノの娘さんですか?」
「誰!?」
少女は怯えを含んだ声で小さく叫んだ。私は出来るだけ彼女を怯えさせないように言った。
「驚かないで。私はルシア,ベンノの知り合いです。急ぎの用事で彼を探しているのです」
「お,おとうさんなら,お仕事で外に行ってくるって……」
「誰に会うとは言っていませんでしたか?」
「お仕事のえらい人に会うって」
おそらくコニーの所か。なら場所は,以前,ブラッドとコニーと会談したあの料理屋だろう。あそこはコニーの持ち物だったはずだ。
「ありがとう。夜中に申し訳ありませんでしたね」
私はそう言って部屋を後にしようとした。
「あ,あの! ホントにおとうさんの友達なの?」
娘は不安を隠しきれないようだった。
だが,私はここであまり時間を費やす訳にはいかない。
「テト」
暗闇で視界の効かないのを物ともせず,少女の背後にあっという間に忍び寄ると,その口と鼻を布で塞いだ。
少女は暴れたがすぐに大人しくなった。テトの腕の中でぐったりとして,ただその規則正しい呼吸が聞こえるだけとなった。眠っているのだ。彼女には特別な魔法薬を嗅がせた。起きた頃には今のやり取りは覚えていないだろう。
テトは丁寧に少女をベットに運んだ。衣服の乱れも整えてやり毛布を掛けてやる。それが終わると,テトは少女の髪を一撫でした。
私たちはすぐに家を出た。コニーの店まで距離がある。ベンノはリネルの魔法の影響が抜けきっていないので速くは移動出来ないだろうが,私たちも急がないと追いつけないだろう。
街路をコニーの店に向かって足早に歩く。私とテトは無言のまま歩いた。彼女の沈黙は何か,私に訴えかけるようであった。テトの不安。彼女はベンノの娘を見て動揺していた。彼女らしくない。仕事の上では決して冷静さを失わない彼女であるというのに。彼女は珍しく心を乱していた。
だが,私は彼女に何も声を掛けない。やるべきことをやるだけだ。そして,負うべき責任はこの身に負うだけだ。彼女の責任ではない。これは私の責任なのだ。
繁華街が近くなると,ようやくベンノの後ろ姿が見えてきた。足取りの重いところをみると,やはりリネルの魔法がまだ効いているらしい。
ここは主要な通りではないが普段なら人の往来が活発な所である。だが,今は我々を除いて人っ子一人いない。
私たちは回り道をして彼の目前に回り込んだ。
「こんばんわ,ベンノ」
道の脇から突然顔を出した私たちにベンノはひどく驚いた様子だったが,すぐに警戒して動けるように構えた。
「……あんたが来たってことは,そういうことで良いんだな」
男は唸るように言った。自分を捕らえていた者の正体に気づいたらしい。以前から私の裏切りを疑っていたためか,飲み込みが早い。
「ええ。例の娘はブロンストの所に行きます。あなた方はお役御免ということです」
「は。最初から怪しいとは思ってたんだ。今更何とも思わねえ。だが,ガキ二人で俺を止めようなんざ,ちと考えが足りねえじゃねえか」
そう言って彼は懐に手を入れた。武器を持っているらしい。テトが前へ出る。彼女は傘しか持っていない。
「あまり早まった行動をなさるものではありませんよ。私としてはあなたが数日大人しくしてくれさえすれば,それで良いのです」
「バカ言え。お前らのことは報告する。そうすりゃ,てめえもそこに居るお友達もオシマイだな」
「なら強硬手段に出るしかないようです」
「ガキ二人で何が出来る。ここで始末をつけたって,俺は一向に構わねえんだぜ」
男は嘲るように言った。懐からナイフを取り出すと,こちらに飛びかかれるように姿勢を低くした。
「出来ればあなたにこんなことはしたくなかった。ですが,実の所,これが最も好都合なのです。残念です」
私は残念に思った。本当に残念だ。
「訳わかんねえことを。死にな!」
ベンノがナイフを構えて飛び込んできた。狙いは私である。流石に傭兵なだけあって,すばやい動きだ。殺すことに躊躇がない。そういえばユーフィアが言っていたな。戦士は命のやり取りの中に喜びを見出すと。彼もまた同じなのだろうか。切っ先は迷いなく私に向かってきた。
だが,それは私には届かない。彼は見誤った。ガキ二人ではないのだ。彼女は優秀な暗殺者でもあるのだ。
テトの持っていた傘が宙を舞った。付着していた雪が弧を描いて空中に飛び散る。私はその光景をどこか幻想的に感じながら眺めた。傘はふわりと白い地面の上に舞い降りた。その間に全てが終わっていた。
男の脇腹に細長い直剣が刺さっていた。レイピアのような剣だ。彼女の傘は仕込みになっている。こちらが武器を持っていないと油断した時点で男の結末は決まっていた。
テトが剣を引き抜く。男はナイフを取り落し,よろめいて何歩か後ろに下がると建物の壁に背をぶつけ,ずるずるとそのまま座り込んでしまった。
「ちくしょう……」
ベンノは傷口を抑えながら絞り出すようにうめき声をあげた。重要な臓器を傷つけたのだろう,出血が止まらない。冷たい雪が次々に赤い血で溶けていくのが見えた。
テトが止めを刺そうと構えた。私はそれを止めた。
「テト,待って」
私はベンノの前までくると彼と目線を合わせるためにしゃがみこんだ。一応,彼が最後の力を振り絞って攻撃して来ても良いように距離を取っている。男はぜえぜえと咳き込みながら息をしていた。長くは持たないだろう。
「こんな,ことをして,ただで済むと……グッ……思ってんのか」
「先程言ったとおり,残念ながら,こうすることが一番都合がよいのです」
「何を,言ってやがる……」
「この近くにオルガ兵団のパリオンという男が来ていることになっています」
ベンノは目を見開いた。
オルガのパリオン。彼は行儀の良いオルガ所属の者たちの中で比較的素行の荒い人物である。酒好きで怒りっぽい側面がある。彼はここから遠く東の地区に住んでいるはずだが,今日はこの近辺にやって来ていることになっている。というのは,実際,本物の彼は確かに東地区に居る。おそらく彼もブラッドと同じく体調を崩して寝込んでいることだろう。
私は洋湖亭へもう一つ依頼を出していた。パリオンがこの近辺で酒を飲んでいた,という証言を作り出すことである。洋湖亭は噂を流すだけでなく,パリオンに姿が似ている工作員に変装までさせて街に繰り出させたようだ。明日にはパリオンをこの地区で見たという人間が多数現れるだろう。
「筋書きはこうです。たまたまこの近くで酒を飲んでいたオルガのパリオンは,これまた偶然近くで酒を飲んでいたヤヌークのベンノと道端でばったりと出会う。二つの傭兵団は例の娘を巡って対立している。自然二人は口論になり,酒が入っていることも手伝って,互いに剣を抜いてしまう。どちらが先に抜いたか分からないが,とにかくパリオンはベンノを刺し殺してしまう。……これが明日,ヤヌークに伝わるであろうことです。その後どうなるかお分かりでしょう」
「おめえ,最初っから,そのつもりで……」
「あなたの命まで取ろうとは思っていませんでしたよ。今夜までは」
そう言うと男は乾いた笑い声をあげた。
「最初から,変だと,思ってたんだ。何が変だか,分からなかったが,今なら分かる。あんたの目は,ヴェスターのご当主と,そっくりだ。あの,恐ろしい目と,そっくりなんだ。それに,気づいてりゃ,こんなあぶねえ橋は,渡らなかった。俺も,焼きが回ったなあ」
喋った後にベンノは深く咳き込んだ。もう長くないのだろう。
「……やり残したことはないですか」
私はそう問いかけた。同情したからではない。彼の人生を奪った者の責任だと思ったからだ。
「なんだ,お情けを掛けよう,ってのか」
「あなたの娘に会いました」
ベンノは弱々しく目を見開いた。
「あの子に身寄りは」
「……いねえ。俺一人だ」
「あの子のことは,ブラドスキーの名に誓ってきっと悪いようにしません」
「はは,敵になさけを,かけられるようじゃあ,俺もおしめえだな。……あんたになんか,頼みたかねえが……頼れるのが,あんたしかいねえ。せめて,温かい所で,温かい物が食えるように,してやってくれ」
「必ず」
ベンノはまた咳き込んだ。かなりの量の血を吐いた。
彼の瞳はすでに私を見ていなかった。虚しく宙を見つめる瞳からは,次第に幾筋かの滴がこぼれた。
「ミカ……。ごめんよ,一人にしちまって。寂しくさせて,ごめんよ……」
男はそれきり動かなくなった。後は,浅い呼吸音を繰り返すだけだった。それもしばらくしたら聞こえなくなった。
私は中折れ帽を胸に抱いて彼の死にいく様を見守った。テトが傘をかざしてくれていた。仕込みの剣を戻したらしい。
後悔などはしない。それは殺した者への侮辱にしかならない。だが責任は取らなければならないだろう。
「ルシア様,そろそろ……」
テトが声を掛けてきた。長居しすぎた。もうこの場を離れなければならない。私は帽子を被って立ち上がった。相変わらずの寒さである。私はコートの襟を掴んで首元に巻きつけるようにした。少しでも冷気が入らないようにするためだ。ずいぶん冷える。寝床に戻ってもすぐには眠れそうになかった。
今夜の雪は止む気配がない。降り続ける白はベンノの遺体もその色で覆い尽くそうとしていた。




