打開策
夕暮れ時である。学院は今朝方降った雪の名残があちこちに残っている。それらが夕日に照らされてあたりは眩しいばかりの黄金色に輝いていた。その中を生徒たちが各々の帰るべき場所に向かって歩いている。放課後であった。
私は彼らを学院のとある空き教室から眺めていた。私はある人を待っていた。
先程リネルに頼み事をした。ある人物をこの教室に誘導してほしいと頼んだ。精神魔法を使える彼にとっては造作も無いことだ。その人物はそうでもしなければ私に会ってもくれないだろう。
教室の扉が開かれる。私は待ち人が来たことを知った。
「あれ,なんで私……」
続く言葉は宙に消えた。窓辺に立つ私を彼女が見つけたからだ。
「ユーフィア」
ユーフィアは私の姿を認識するやいなや険しい表情を浮かべた。
「……ルシア様」
「強引な方法でお呼びして申し訳ありません。ですが,あなたと話をしなければならないことがあります」
「どうやって私を……いえ,それはどうでも良いです。あなたと話すことはありません」
そう言って彼女は背を向けて部屋を出ていこうとする。
「”閉ざせ アルムクタリウス”」
扉が勢いよく閉まり施錠された。ユーフィアは慌ててドアを開けようとするが部屋の内側からでも開くことが出来ない。彼女はこちらを振り返り,私が持っている淡い橙色を放つ召喚陣を睨みつけた。
施錠の召喚術アルムクタリウス。現代に残された召喚術の中でも数少ない実用的な術式である。
「私を閉じ込めてどうするおつもりです」
「話をします」
私は夕日に瞳を輝かすユーフィアを見た。彼女の瞳は強い感情を秘めて燃え上がるようである。
「今更何を言いますか!」
「分かっています。分かっているんです,ユーフィア。私にあなたと話す資格などないことは重々承知しています。それでも私はあなたと話をしなければならない。私はあなたに許しを請うつもりはありません。ただ,協力関係を結びたいのです。あなたも今の状況は苦しいでしょう。ブロンストとヴェスターに狙われ続けるまま学院で生活していくおつもりですか?」
「それは……」
彼女は表情を曇らせる。彼女だって分かっているはずだ。一人では彼ら貴族たちには対抗出来ないことを。一人では彼らの思惑に好きなように振り回されてしまうことを。
「私なら状況を変えることが出来る。あなただってお分かりでしょう。味方に出来るのは私しか居ない。たとえ,その私を恨んでいたとしても」
彼女は押し黙ってしまった。今彼女が何を考えているのか分からない。しかし,傭兵として戦場を生き抜いた彼女である。私情を置いて実利を取る合理的な判断を下せるに違いない。
「あなたに恨まれても構いません。敵の敵は味方です。今は感情を横に置いて協力し合いましょう。前にも言ったとおり,あなたをヴェスターに引き渡すつもりはありませんから」
私は彼女の返答を待った。窓から差し込む夕日は彼女の俯いた面に影を作り,その表情をうかがい知ることは出来ない。彼女の灰色の髪が黄昏の色に染まるのが見えるだけである。
「……恨んでなどいません」
彼女はポツリと呟いた。しかし,その一言はたしかに私の耳に届いた。私は驚いて返事が上手く出来なかった。
「あなたが裏切っていたと知って,私はたしかに怒りを覚えました。あなたの事を信用していたから余計に。でも,同じくらい悲しかった。他人に裏切られることなんて,いつものことなのに。ルシア様は違ったんです」
「ユーフィア……」
「ただ私は,あなたのことを信じていいのか分からない。自分でも分からないんです。あなたを信じたいと思う私がいるのに,嘘をつかれていたと知ってひどく悲しくて,信じたくないと思う私もいるんです。こんなことで悩むなんて可笑しいですよね」
「おかしくなどありません」
自嘲気味に笑う彼女に私ははっきりと言った。
「あなたは優しい人だ。私のような人間など切って捨てて然るべきなのに,そこまで思い悩んでくれるのですから。私はその誠意に答えなければいけませんね」
彼女には人の善性を信じられる強さがある。傭兵として荒事に関わり続け,時にはこの世の汚い部分に触れたであろうに,その汚れることのない心の輝き。なるほど,フリードは見る目のある男だ。
ならば,私はユーフィアの心の強さを信じよう。私は自分の事情を洗いざらい白状することに決めた。
私はヴェスター当主から依頼を受けるに至るまでの経緯を話した。
マリアナと武闘派貴族たちの衝突。そして,貴族たちの暴走。それを止めるためにガルマトゥリエに布告を出させたこと。その際,票を集めるためにヴェスター兄弟を彼らの小遣い稼ぎを材料に脅したこと。しかし,私の脅しと兄弟の小遣い稼ぎが当主に露見してしまったこと。それがため,当主が兄弟の片割れどちらかを殺そうとしたこと。私はブラドスキーの家のためにヴェスターの嫡子が殺されることを防がねばならなかったこと。そのためにユーフィアをヤヌークに引き入れる依頼を受けざるを得なかったこと。下心有って彼女に近づいたこと。お茶会を開いて彼女の信用を得ようとしたこと。内心罪悪感に苦しめられていたこと。それでも,ユーフィアとフリードと過ごす時間を心待ちにしていたこと。彼女たちと接する時間を積み重ねるうちに,二人の力になりたいと思うようになったこと。そして,ヴェスターを裏切る決意をしたこと。
私は余すことなく吐き出した。まるで罪を告白する咎人のように。
彼女は黙って聞いてくれていた。私が話し終わると彼女は口を開いた。
「ルシア様も難しい立場に置かれていたのですね。……私達に嘘をついていたことは,やはり,許せません。ですが,同情もします。気づいていたんです。あなたが私たちを見る瞳は,まるで親が子を見守るような優しさがあるのに,いつもどこか悲しそうでした。私はそれが不思議でならなかった。でも,悲しみの中に慈しみがあったのは事実です。だから,私はあなたを信じても良いと思えた。今は……答えが出せそうにありません。ですけど,手を取り合うことは出来るかもしれません」
彼女はその灰色の瞳の中に決意を秘めて,私を真正面に見据えた。
「ルシア様,私に力を貸してくださいますか?」
彼女の頼みを聞いた私は,体の奥から熱いものがこみ上げてくるのを感じた。自責の念で凍りついていた心がようやく溶け始めたかのような,そんな震えの来るような喜びが全身を満たした。
「……ありがとう,ユーフィア。もちろん,いくらだってお貸ししますよ」
黄昏の光は弱々しくも,それでも,私たち二人の瞳に光を灯すようだった。
「まずは,ユーフィアの意思を確認させてください。傭兵稼業から足を洗いたいと思っているのか,それとも違う道を望んでいるのか」
「私は……」
ユーフィアは暗い顔をして言葉を濁した。
「迷っているのですね」
彼女は影のある表情をしながら黙って頷いた。
彼女と知り合ってから感じていた違和感。なぜ傭兵団を抜けて学院に来たのか。団長の勧めがあったというのは,事実だろうが本当のところは違う理由だろうと私は思っていた。
「……あなたが私の瞳の中に悲しみを見ていたように,私も気づいていましたよ。あなたの瞳には絶望がある。それがフルーレティを抜けた本当の理由ではないですか?」
彼女は力なく笑った。
「お互いがお互いの隠し事を見抜いていたということですね」
彼女はしばらく考える素振りを見せた後,ゆっくりと語り始めた。
「……以前,ルシア様は私に人を殺す気分とはどんなものかとお訊きになりましたね」
「ええ。初めてあなたにお会いしたときです」
「その時私は嘘をつきました。ですが,先に申し上げておくと,人の命を奪うことに今更懺悔づいた訳ではありません。相手も覚悟の上です。お互い同意し合って金で雇われて私達は殺し合いをしています。……それに,こんなことを申し上げると,私のことをひどい人間だと思うかもしれませんが,命のやり取りは,とても,高揚感のあるものなんです。頭がかっとなって全ての感覚が研ぎ澄まされ,疲れも忘れて,ただ戦いに埋没していくあの感覚。そして,全てが終わった後の”生きている”という実感。戦士なら誰もが感じ,誰もが口を閉ざす真実です」
「人はそれを勇敢さと褒め称えるでしょう」
「ええ。ですから,問題はそこではないのです。ルシア様,どんな屈強な戦士でも耐え難く時には剣を置くほどの苦しみとは何だと思いますか」
「殺人への罪の意識ではないとすれば……なんでしょうか?」
「仲間が殺されたときです」
私ははっとさせられた。フルーレティの団員は家族のような繋がりを持つ集団。仲間の死は親兄弟を喪った絶望に相当する。
「私を拾ってくれたフルーレティのみんなは,家族でした。戦場での仲間はどんな人種もどんな階層の人間でも平等に戦友です。だから私たちは団員を本当の家族のように思っているんです。私にも兄姉のように慕う戦士がいました。弟や妹のように可愛がった子たちがいました。親のように思った人も。そんな大切な人達が,昨日まで焚き火を囲んで一緒に食事を楽しんだ相手が,ほんの一瞬のうちに,あっけなく死んでしまう。……私達が死という恐ろしい存在を実感するのはそんな時です。自分が簡単に死んでしまう脆い存在だと気付かされるのはそんな時なんです」
彼女はそこで目を瞑り,一旦話を区切った。かつての仲間を思い出し,その死を悼むかのように。
彼女は話を続けた。
「恐ろしくて仕方なかった。死というものをはっきり感じてしまったんです。もう大切な人たちが死んでいくのは耐えられない。大切な誰かが死ぬかもしれないと思うと,震えて一歩も動けなくなってしまいました。……だから,私は学院に逃げて来たんです」
誰だって仲間を喪うことは辛い。その絶望は時には戦士の心を喪失させるほどだ。
彼女は今,家族を喪ったトラウマに苛まされている。
そのような娘を再び戦場に戻すことなど出来ない。
「……辛いなら逃げたって構わなのですよ。非難する者も,たしかに,居るでしょう。それを弱さだと。ですが,そんな戯言無視すれば良い。私はあなたの選択を正しいと思いますよ。もし今のまま傭兵を続けていたらあなたは心を擦り潰してしまう」
「ですが! 私の力で守れる命があるんです! それなのに,私は……」
彼女は言葉を続けられない。絶望と罪の意識。彼女の瞳の奥に見た暗い影の正体はこれか。
責務と逃避の狭間で彼女は苦しんでいる。
私が取るべき選択肢は何だ。どうすれば彼女の苦しみを和らげることが出来る。
ユーフィアはフルーレティの仲間たちを大事に思っている。彼女は彼らを見捨てたと自分を責めるが,彼女は見捨ててなどいない。心に思う気持ちがあれば,フルーレティとの繋がりが断ち切れることはない。
ならば,彼女をフルーレティに戻すか? それはナンセンスだ。彼女を古巣に帰すだけでは戦場に逆戻りだ。それでは彼女の心は救われない。一方でフルーレティから遠ざけることも出来ない。戦いの場に身を置く彼らの環境を変えなければユーフィアの罪の意識は消えないだろう。
私は考えた。フルーレティの状況,ユーフィアを手に入れたいブロンスト家という存在,ヴェスターという障害。それらを総合して勘案したときに一つの光明が見えた。
「私に策があります」
彼女は顔を上げて私を驚いた顔で見つめた。
「聞いてみますか,ユーフィア」
私は彼女の瞳を見つめた。その灰色の瞳に光が灯るのを見た。
彼女は不安そうな色を秘めながらも,しかし,真剣な表情をしてはっきりと頷いた。




