決心
フリードの告白に私は思わず口元が緩んだ。私だけではない。傍で静かに聞いていた三人も微笑ましそうにしている。マリアナもこういう話には興味があるらしい。ただの脳筋かとも思っていたが,ちゃんと乙女らしい所があって安心した。
そんな生ぬるい空気が私たちの間に漂ったのを彼に見咎められた。
「可笑しいかよ……」
フリードが傷ついたように言うので,私は慌てて表情を戻した。そうだ,このくらいの少年はどんなガラス細工よりも繊細な心を持っているのだ。取り扱いには細心の注意が必要だ。
私が穏やかな心持ちで,しかし,真剣な顔を作った。
「な,なんだよ」
雰囲気を変えてじっと見つめる私に,彼は少し動揺するようだった。
私は挙動不審なフリードを,それでも,じっと見つめ続けた。四人は静かになった。それだけで,他に誰も居ないこの地下室はしんと静まり返った。
私は口を開いた。
「十代の恋というのは……長い人生の中で,まるで奇跡のような輝きを持つものです。もし,私の言動が貴方の想いを軽んじたと思わせるようなものであったならば謝罪します。恋をすることをあざ笑ったり,そうした想いを胸の裡に秘めることを弱さだと言うのは,私は愚かなことだと思います」
フリードに誤解をしてもらいたくなかった。彼が今まさに経験していることは,微塵も恥ずべきことではなく,むしろ,この世で最も素晴らしいことの一つだから。
彼は意外そうな顔をした。彼だけでなく,アニヤやマリアナ,テトも同様な表情をした。私は構わず話を続けた。
「あなたくらいの年齢での恋というのは,人生のうちで最も重要で得難い経験の一つです。繊細で,恐ろしく,それでいて,夢の中に居るように曖昧で。捉え所のない気持ちが,心の大半を埋め尽くしてしまう。まるで,永遠に辿り着かぬ海上の旅路であるかのように,恐ろしい不安と孤独と焦りに一挙に襲われるのです。だというのに,恋い焦がれた姿を目にするだけで,その声を耳にするだけで,心の底から湧き立つ幸福が世界に満ち果てるような思いがする。そんな素晴らしい体験なのです」
私は彼に言い聞かせるように言った。私のうちにある何かが,真剣に語らせようとしてくる。それはきっと前世の記憶のかけらなのだろう。
フリードは思いの外,真面目な表情をして聞いていた。他の三人も同様だった。私は彼の表情を見つめながら言葉を続けた。私も決断をしなければならないことがあった。
「どうか,ないがしろにしないで下さい。貴方はまだ良くわからないでしょうが,赤の他人がそれほど自分の心を虜にしてしまって,自分の気持ちをあらゆる面で左右してしまうという経験は,本当に得難いものです。これは貴方くらいの年齢の特権です。若いうちにしか味わうことの出来ない,まるで奇跡のような時間なのです」
四人は少し頬を紅潮させながら真剣な顔をして私の話を聞いている。そんな彼らを眺めながら私ははっきりと心が決まった。
――やめよう
「どんな結果になろうとも,貴方たちが大人になったとき,十代の恋の記憶を振り返って,心を動かさない日は無いでしょう。それだけ,君たちの年代の恋は,どんな金銀宝石も敵わないほどの輝きを,いつまでもいつまでも残してくれるのです」
――これ以上はもうやめよう
「かけがいのないものとしていつまでも残り続けるのです」
――彼と彼女の絆を断ち切るような真似は,もうやめよう
「秘めた想いを口にするのは,たしかに恥ずかしいことかもしれません。しかし,卑下してはなりません。いつの日か,その思い煩った日々が,あの頃にしか得られなかったことなのだと気づく日がいつか来ます」
――私に彼らを裏切ることは出来ない
「貴方の想いは,貴方自身が最も大切にしなければならないことです。貴方が自身の想いを大切にする限り,私も貴方の意思を尊重しましょう。私が協力できることは何でもします」
フリードは苦しそうな表情をして私の瞳を見返してきた。潤んだ瞳が彼の苦悩を表しているようだった。
「貴方の望みは何ですか」
フリードはしばらく何かを堪えるようだった。しかし,それもほんの僅かな時間だった。
「ユーフィアと一緒に居たい」
赤い顔をして泣きじゃくる彼を見つめながら私は決心を固めた。ヴェスターの思惑どおりには行かない。フリードの純真な想いを,ユーフィアの思いを,奴の汚れた世界に呑み込ませる訳にはいかないのだ。
すすり泣くフリードを他の三人が慰めている。アニヤは優しい言葉を掛けながら彼の背中をさすっている。テトは心配そうに彼を見ている。マリアナは戸惑いながらも白いハンカチを彼に差し出していた。私が以前,彼女にあげたやつだ。そんなちょっとした気遣いも,マリアナにとっては大きな進歩だろう。
この優しい人達の世界を壊してはならない。
私は強くそう思った。
フリードとユーフィアの二人にとって,最善の結末とはなにか。私は考えた。フリードにとってはユーフィアと過ごす時間が最も大事なことだろう。彼の想いを知った今,それは疑う余地のないことだ。しかし,ユーフィアにとってはどうだろう。彼女の事情は未だ謎が多い。なぜ,フルーレティを抜け出して来たのか。彼女は傭兵稼業から足を洗いたいのだろうか。それとも今もまだ未練のようなものがあるのだろうか。
そうした事を明らかにしない限り,私が二人を助けたいという願いは叶えられないだろう。そう,これは二人のためではない。アニヤに言われたとおり,これは私の願望なのだ。
私は自分の願いは完璧に実現できないと満足しない方だ。私の願望を実現するためには,しっかりと作戦を練らなければならないだろう。
私はテトと相談することに決めた。ヴェスターからの依頼を知っているのは彼女とリネルだ。しかし,リネルの正体はテトに知らせていないので,彼らへの協力は別々にお願いしなければならない。まずは我らが頼もしき工作員テトである。
学院の小さな談話室が空いていたので,休憩がてらその部屋で相談することにした。何度か使ったことのある小さいが趣味の良い部屋だ。壁も厚いので会話が漏れる心配もない。
私は用意した紅茶を啜りながらテトと話した。
「早速本題に入りますが,ヴェスターの件で相談があります」
「ええ」
彼女は承知していたかのような表情で頷いた。どうやら私の心変わりはバレているらしい。
「……その顔ではお分かりのようですが,ヴェスターの依頼は拒否しようかと思います。あの子達の仲をヴェスターのような悪党に引き裂かせる訳にはいきません」
「仰せのままに……。ですが,ヴェスターは納得するでしょうか。翻意は難しいのでは」
テトは困った顔でそう言った。たしかに,そこが問題なのだ。
「ヴェスターは絶対に納得しないでしょうね。やるとしたらヴェスターが納得せざるを得ない状況を作り出すことですね」
「それは,一体……」
「今は良い案がありませんが,やるならそこまでやらねばならない,ということですよ」
実際,案はない。だが,ヴェスターを相手にするのだ。生半可な覚悟ではこの難局を乗り越えることは出来ないだろう。
「勝機はございますか」
テトが不安げな表情でいう。無理もない。相手はあのヴェスターなのだ。
「今のところは無理でしょう。ですが,こういった仕事は基礎固めが大切なのです。着実に状況を作っていけば必ず勝てます」
私は負け戦をするつもりはない。
話すべきことは話した。この場は私の翻意を彼女に伝えるのが目的だ。それが達成できた今,いつまでも部屋を占拠している訳にはいかない。だがしかし,私は彼女に今一つ尋ねてみたいことがあった。
「テト」
「はい? なんでしょうか」
テトも話しは終わりだと思っていたのだろう。私が仔細ありげに声を掛けると不思議そうな顔をした。
「私の判断は,正しいでしょうか」
彼女は目を丸くして私を見たが,すぐに柔らかく微笑んだ。
「以前にも申し上げたことですが,僕はルシア様のご判断の正誤を述べる立場にありません。ですが……」
彼女は言葉を探すようだった。私は二の句を待った。
「何故だがとても嬉しく思います」
彼女はそう言って笑った。
……参った。これでは私の判断の正誤が測れない。彼女の正直な笑顔を見ると,根拠の無い自信が湧いて来てしまった。
それでも,嬉しいと言ってくれる人がいるのなら。きっと間違いではなかったのだろう。私はそう思いたかった。




