助言
寮に結界を設置してから数日。いちおう毎日夜中は結界を起動させておいているが,引っかかったのはいずれも夜中にこっそり寮を抜け出そうしていた学生たちだった。はじめは私とテト,マリアナの三人で警戒に当たり,反応があれば現場に急行するようにしていたが,こうも誤報が多いと中々堪えるものがある。夜中に叩き起こされて庶民寮に向かってみたはいいものの,ただ深夜にこっそりと逢引きを企んでいた生徒が原因だったというのがほとんどである。これではやっていられない。そもそも睡眠時間が削られて体力が持たない。いやまあ,テトとマリアナは案外平気そうにしているが,少なくとも私は持たない。
今の人数では負担が大きいことは当初から分かっていた。なので,あらかじめ監視の人員を増やす予定を立てていた。
私はモルトールに頼んで人を借りた。そう,昨年マリアナと揉めたあのモルトール・ロダンである。ラグダニエルの後ろ盾を無くし学院での地位を著しく落としたとはいえ,今だに彼を支持する者は多い。何故か人望だけはあるようだ。彼がラグダニエルの派閥から追放されてから,私は研究会の仕事の手伝いを何度か彼に頼んでいる。マリアナは良い顔をしないが,これも学院の政治バランスを保つためだ。元々は大きな派閥であったモルトールの一派に急に瓦解されると,それはそれで混乱が生じる。そこで私は彼らと協力関係という形で結びつきを持ち,ブラドスキーの影響力下に彼らを組み込むことでモルトールの顔を立てた。おかげでモルトールの派閥で大きな離散が生じることはなかった。
モルトールの一派は武闘派の貴族たちが集まっていたこともあり,頭の方はあれだが,戦士としては優秀な者が多い。荒事の際にはよく彼らの世話になっている。マリアナとの関係が悪いので取り持つのに苦労するが,それでも実際真正面でぶつかり合った者同士,嫌い合いながらも実力は認めているようである。私経由の仕事であるということが彼らの感情を害している面は否定できないが,少なくとも私が持ってくる仕事は学院の治安のためという大義名分あるものだ。それゆえ,モルトールも渋々ながら仕事を引き受けて責任を持って事に当たってくれている。彼が学院のために働けば彼の評判につながるからだ。私との仕事は彼にとってもメリットがあった。私とモルトールは敵ではないが味方でもないという関係を築いていた。
一方的に私が恩を押し付けた形だが,恩は恩である。今回のような頼みに対してモルトールも嫌そうな顔をしながらも否とは言わなかった。彼も義理堅い所がある。
体制を整えたことで何とか監視業務が回るようになった。そこで,テトには別の仕事をお願いすることにした。フリードに近づく貴族を探らせるためだ。すでに,どこかの家が動いているという噂は出ている。ユーフィアに直接接近して来ないところを見ると,私が懸念した通りおそらくフリードに狙いを定めたのだろう。私は慎重にフリードの周辺を探らせた。
私はもはや恒例となったユーフィアたちとのお茶会に来ていた。場所は例の小さな談話室である。毎週私たちが使っているので,もはやユーフィアたちとのお茶会専用の部屋となってしまった。
何度も開催を重ねるうちに多少は彼女たちとも打ち解けてきた。フリードは相変わらず私に噛み付いてくるが,その応酬もお約束のようなものになっている。憎まれ口を叩くフリードとそれを面白がる私とのやり取りをユーフィアはいつも可笑しそうに見てクスクスと笑っていた。
そのフリードが今日に限っては大人しかった。私は彼を心配する風を装って声を掛けた。
「どうかしましたか,フリードくん」
「……え? あ,いえ。すいません,ぼうっとしていました」
彼は明らかに元気がない様子だった。そんな彼をユーフィアが気遣う。
「調子が悪いのかい。今日は先に休ませて頂いたらどうだい?」
「いや,だが二人きりにするのは……。すまない,そうさせてくれ」
彼はそう言って席を離れた。ユーフィアは心配そうに彼を見送った。
「フリードはどうしたのでしょうか」
彼女は独り言のようにつぶやいた。事情を知らない彼女は純粋に彼を心配している。
「フリードくんが心配ですか,ユーフィア」
「それはそうですよ。あんなに暗い顔をしていたら心配するのも当然です」
彼女は心外だと言わんばかりである。ユーフィアはフリードのことを大切に思っている。フリードも同様だ。それは男女の恋仲というよりも,姉弟同士の親愛のように感じる。彼らはお互いに辛い過去を持ち,その時間をともに過ごした。それゆえ,二人の絆は強固だ。さながら肉親の情のようである。だからこそ,ユーフィアには私の知っていることを話さねばならないだろう。
「分かりました。フリードくんのこと,貴方には話しておかなければなりませんね」
彼女の灰色の瞳がスっと細められた。
「彼に何かあったのですか」
「ええ。彼はある貴族から取引を持ち掛けられています」
ユーフィアは目を見開いた。しかし,すぐに状況を理解したのか,悔やむような顔をした。
「私のせいですね」
「あなたを狙った貴族がどうやら行動に移したようです。フリードの父君の復職を見返りに貴方を説得せよとね」
「……貴族の方の名を教えて頂いても」
「その前に。早まった真似に出ないと約束して下さい」
私は彼女の灰色の瞳を見据えて言った。ユーフィアのことだから軽率な行動には出ないと思っているが,ここは念を押しておかねばならない。
「分かっています。貴族様相手に無茶は致しません」
「よろしい。相手の名前はラグダニエル・ブロンスト。ブロンスト侯爵家の次期当主です。ご存知かも知れませんがブロンスト家と我がブラドスキー家は長年対立関係にあります」
ブロンスト家が動いている。テトに偵察を任してすぐに分かったことだ。どうやら本家の意向らしく,ラグダニエルの私怨という訳ではないらしい。私がユーフィアに接近していることは周知の事実であるので,何かしら彼の横槍があると思っていたが今回は話が違うらしい。家の意向とあれば,彼も私情を交えた行動は控えるだろう。
「ブロンストは厄介な相手です。ただ,フリードくんが条件を飲み,貴方が実際ブロンスト家に下れば,あの家は約束を守るでしょう」
「フリードのお父さんは以前の仕事に戻れると?」
「ええ。それくらいのことは彼らにとっては造作もないことでしょう」
私がうなずくと,ユーフィアは深く息を吐いて項垂れた。
「……こんなことになるなら,学院に来るんじゃなかった」
彼女はボソリとつぶやいた。貴族の手から逃れるために学院に来たというのに,ここでも彼らの干渉は振り払えないのだ。そう思うのも無理はない。
「フリードくんのことは同情します。ですが,学院での生活を全て否定するのは早計でしょう」
「そうですね……失言でした」
彼女は首を横に振りながら言った。女生徒たちに囲まれてチヤホヤされている彼女であるが,性格なのか,案外楽しそうにしている。僅かではあるようだが,友人と呼べる者も出来たらしい。お茶会のたびに彼女は身の回りのことを嬉しそうに話してくれた。学院での出来事全てが悪いことばかりではないはずだ。
「南の地で過酷な生活を送っていた貴方にとっては,きっと学院の平和な空気は悪いものではなかったはずです」
「ええ,おっしゃる通りですね」
彼女は苦笑しながらそう言った。彼女もこの学院に馴染みつつある。ここでの居場所を築きつつあるのだ。それを捨ててしまわなければならないのは,あまりにも彼女にとって酷なことだ。私のような者がそう願う資格が無いのは分かっている。だが,彼女には幸福であってほしい。
だから私は言った。
「その上で訊きます。貴方はブロンスト家の申し出を受けますか。悪い話ではありません。彼らは約束を守るでしょうから,フリードくんの父君は名誉を回復する事ができます。あなたにとっても,流石に侯爵家ですから,給金は十分に出すでしょう」
「それは,確かに,そうかも知れませんが……」
彼女は戸惑うような表情を見せた。こればかりは彼女の判断次第だ。彼女がブロンスト家に行くと決めれば,それは確かに私は困る。ヴェスターの依頼を達成できないことになるため,非常に不利な立場に追いやられるだろう。だが,それは私の事情だ。彼女のではない。
「今すぐに決める必要はありません。ゆっくりお考えになって下さい。フリードくんとも話した方がよいでしょう。彼は一人で抱え込みそうですしね」
彼女は再び苦笑した。彼女も困った”弟”を持っているようだ。
「そうですね,仰るとおりです。あの子は私を頼ることを嫌いますから。私は別に迷惑だとは思わないのですけど」
「まあ男の子ですからね,仕方ないですよ。……何かあれば相談に乗ります。ラグダニエル殿のことはよく知っていますから」
「ありがとうございます」
彼女は頭を下げた。そこには,初めて会った時にはなかった,私への信頼の念があるように思えた。
私はそんな彼女を見つめて表面上は笑みを浮かべた。私は気を紛らわすために紅茶に口をつけた。口の中に苦い味が広がった。
「ルシア様。どうしたんですか,ぼうっとして」
物思いにふけっていた私の目の前で栗色の髪が揺れた。アニヤであった。
ユーフィアとの話し合いの後,私は一人で考え事がしたくて地下に向かった。……いや,実際はアニヤの顔が見たかったのかも知れない。彼女と話すと陰鬱な気分が晴れる気がした。
「アニヤくん。……いえ,ちょっと考え事をしていまして」
「お仕事ですか」
彼女は「またですか」とやや呆れたように言った。
「はは,そんなところです。アニヤくんは勉強ですか」
「はい! ちょっと時間が空いたので,調べごとでもしようかと思いまして」
「素晴らしいことです。他の者達にも見習わせたいですね」
私も含めてであるが。真面目に本来の研究会活動をしているのはアニヤくらいだ。
「みなさん,お忙しいですから仕方ないですよー」
「概ね私のせいですね。いやはや。……ところで,アニヤくん一つ訊いてもよろしいですか」
「はい? なんでしょうか」
彼女は私の突然の質問に不思議そうな顔をした。
「そうですね……たとえば,ある二人の人間が居て一方が一方を裏切っているとします。でも,裏切っている方は,相手を騙していながら,相手のことをひどく同情している。これは,間違った感情なのでしょうか。ただの自己満足なんでしょうか」
アニヤはそれまでの表情を改めて真剣な顔をした。じっと私をその栗色の瞳で見つめてくる。
彼女はしばらく何も言わなかった。私は黙って彼女の答えを待った。
「私の想像ですけれど」
彼女はそう切り出した。
「その裏切っている人は,本当は相手の方を助けたいんじゃないでしょうか。きっと優しい方なんです。相手の方に同情するほど迷ってしまう人だから」
彼女はそう言った。
「助けたい,ですか」
「ええ。きっとそうですよ」
彼女は笑みを浮かべて事も無げに言った。難しいことを言ってくれる。だが,彼女の言葉は不思議と腑に落ちた。
「そうなのかもしれませんね」
「きっとそうです!」
アニヤは嬉しそうに笑った。何がそんなに嬉しいのか。彼女はただ朗らかに笑うのだった。




