結界
私はミリエル嬢の研究室を訪ねた。姉上に話があるのだ。
ドアを叩くと,白い髪が眩しい褐色の娘が出てきた。最近姉上の所に入り浸っているマリアナである。この龍人の娘は昨年のモルトールたちの一件以来,姉上の事を師匠と呼んで付き纏っている。姉上の圧倒的な魔力に惚れたとのことである。姉上の方は迷惑そうであるが,何だかんだ言って魔法をちょくちょく教えているらしい。面倒見が良いのか悪いのか。
「こんにちは,マリアナ。姉上は居ますか」
「なんだ,ルシアか。師匠なら出かけてるぜ。もうすぐ戻るはずだ」
「でしたら中で待たせてもらいましょう」
部屋に入るとミリエル嬢が居た。彼女は私を見ると嬉しそうに笑って挨拶をしてくれた。
「ルシア様,いらっしゃい」
「先生。またマリアナがお邪魔をしているようですね」
「ふふ,もうマリアナさんはロゼッタお嬢様にべったりですよ」
「全く。あまり迷惑を掛けないで下さいね,マリアナ」
私が小言を言うとマリアナは不機嫌そうな顔をした。
「なんだよ,別に邪魔してねえよ」
「そうですよルシア様,この子も色々手伝ってくれますから実際助かってます」
不貞腐れるマリアナにミリエル嬢は助け舟を出す。無駄に腕力のあるマリアナはミリエル嬢と姉上しか居ない研究室では何かと重宝するらしい。
「それなら良かった。しっかり励んで下さいよ,マリアナ」
「うるせえよ」
「こら,そんな乱暴な言葉を使ってはいけません」
ミリエル嬢がマリアナを窘める。
「だ,だって,こいつが……」
さすがのマリアナも我が家の元家庭教師にはたじたじである。このまま淑女のなんたるかをミリエル嬢から学んでほしいものだ。
「淑女たれ,ですよ。マリアナ」
私がからかうと彼女は恨めしそうな表情で私を見返してきた。
「随分にぎやかね」
いつの間にか帰ってきていた姉上が呆れたように私たちを見た。
「それで話があるって?」
姉上が帰ってきたので,お茶の用意をして皆でテーブルについた。一息ついた所で姉上が話を切り出した。
「ええ。たとえば寮などの建物への侵入者を感知するような魔法についてご存知ないかと思いまして」
姉上は呆れたような顔をした。
「……また厄介事に関わっているの。相変わらずね」
「姉上にはご心配をお掛けします。……して,そのような魔法はありますか?」
「あるわ。一種の結界のようなものね。魔石をいくつか用意する必要があるけど可能よ。魔石の配置で境界線を形成して,境界を超えた人間が居たら反応する魔法よ。ただ,使い勝手は良くないわ。部外者かそうでないかなんて魔法で区別できないもの」
「たとえば,ある時間帯だけ起動させておくとかは出来ますか。門限過ぎから次の朝までとか」
「可能よ。ただし,起動と停止は手作業になるわね」
「構いません。それくらいの労力は惜しみませんよ。境界線を超えた者が居た場合,どのように知るのですか?」
「対応する魔石を用意するの。結界に動きがあった場合,どんなに離れていてもその魔石が反応して光るわ。……そうね,実際にやってみましょう」
そう言うと,姉上は立ち上がって奥に向かい,何やらゴソゴソと取り出し始めた。
彼女は魔石をいくつか手に戻ってきた。それらを床に円状に並べて小さな円陣を作った。そして,最後に円の中心に一つ魔石を置くと,目を瞑って集中する様子を見せた。魔力を込めているらしい,魔石たちが一斉に淡い緑の光を放った。
光が収まると姉上は円の中心に置いた魔石を拾い上げて,私によこした。
「その石を見ててご覧なさい」
そう言って,自身で作った円陣に足を踏み入れた。途端,私が持っている魔石が強い緑の光を放った。マリアナが感嘆の声をあげる。私もミリエル嬢も声こそ出さなかったが驚いていた。
「なるほど,これはすごい」
私は手のひらの上で光る魔石をしげしげと見つめながら言った。
「お嬢様,よくこんな魔法をご存知ですね。私は不勉強ながら存じ上げませんでした」
ミリエル嬢が感心したように言った。姉上は首を横に振った。
「あまり一般的ではない魔法よ。さっきも言ったとおり使い勝手が悪いの。だいたい,人だけに感知する訳じゃなくて,獣や小動物といったある程度の大きさの生き物みんなに反応してしまうのよ。実用にはほど遠いわ」
「それでも,あるのと無いとでは雲泥の差ですよ。この魔法,私にも使えますか?」
「ええ。魔力をある程度持っている人間ならだれでも使えるわ。ルシアなら使えるでしょう。魔石をいくつか貸してあげる。後で使い方も教えてあげるわ」
「オレも教えてもらっていいですか!?」
マリアナが食いついた。こんなものを覚えてどうするというのだ,この娘は。あと,私には敬語を使わないくせに,姉上にはちゃんと喋るのは何となく癪である。
「構わないけど。あなたが覚えても何の役にも立たないでしょう」
「いいんです。ルシアだけなんてずるいですよ」
「何がずるいですか」
私はため息まじりに言った。この娘は姉上のことになると妙にムキになる。
「しかし,どういう仕組なんですかね。この魔石はいくら離れていても結界への侵入を検知できるのでしょう?」
私は何となく思った事を口に出してしまった。姉上の目が光る。私は自分が拙いことを口走ったことに気づいた。
「良い質問ね,ルシア。前に話したケプラー同調効果と環状魔力流のボナード力については覚えているかしら」
「あ,ええと。そこはかとなく――」
「それらの古典的な実験が行われた時代から議論されていることなのだけれど,そもそも魔法自体は時間と空間の性質を持たないの。あるのは因果性だけ。魔法自体が何らかの過程を経て時空間性を帯びたものが,私達が目にする”魔法”という現象なのね。そして,これこそが魔法学の一大難問である――」
「姉上,姉上」
私はやんわりと話を中断させた。姉上はこれからが本題という所で話を遮られて大変不満そうな顔をした。
「なに」
「長くなりますか」
「なるわ。物的・魔法的という素朴な二元論の失敗と,そこから発展した唯物論と魔法一元論の大いなる論争の話をしなければならないの」
「また今度でお願いします」
私は伏してお願い申し上げる他なかった。
そんな私をマリアナとミリエル嬢は苦笑いと共に見守っていた。
拗ねる姉上から何とか魔法の伝授をしてもらった。魔石の配置についても教えてもらった。魔石の間隔は数メートル程度開けてもよいらしい。私は早速,魔石たちを抱えて庶民寮に向かった。
「なんでオレまで手伝わなきゃいけないんだよ」
「私一人で運べる量じゃありませんし,力仕事は貴方の専門でしょう」
ミリエル嬢の研究室から出て,マリアナはずっと文句を言っている。人手が要るのだから素直に手伝ってほしい。
「それに,姉上に貴方を紹介したのは一体誰だと思っているのです」
「そ,それは」
どうしても弟子入りしたいと言うマリアナのために,嫌がる姉上に一緒になって頭を下げたのは私だ。少しは私を労ってほしいものだ。
「ほら,文句言わず運んで下さい。もう少しで着きますから」
「……分かったよ」
そんな調子で不貞腐れるマリアナを宥めながら,私は庶民寮の周囲に魔石を目立たぬように配置した。ちょっとした重労働である。私は息も絶え絶えに白い息を吐いていたが,マリアナは息一つ切らしていない。この体力バカめ。
「ふう。あとは囲いの中心に魔石を置くだけです」
息を整えてから私は最後の仕上げに取り掛かった。
「中心つったって,どこに置けばいいんだ?」
「大丈夫です。ちゃんと考えてありますから」
私は寮の中へ入ると目的の部屋へと向かった。
部屋のドアをノックすると部屋の主が驚いた顔をして出てきた。テトである。
「こんにちは,テト。ちょっと魔石を置かして下さい」
「……どういうことなんですか」
「なに,ちょっとした結界を張るのです。防犯のために」
「……ユーフィア嬢関連ですか。でも何で僕の部屋に」
さすがテト,理解が早い。しかし,悲しいかな,飲み込みは遅い。
「それはもちろん手っ取り早いからです。流石に私が貴方の部屋に入るわけにも行かないので,マリアナを中に入れます」
「邪魔するぜ,テト」
マリアナが遠慮なくズカズカと中に入る。さっきはこんな魔法を彼女が覚えて何の役に立つのかと言ったが,悪かった。撤回しよう。こうも早く役に立つとは。
「ちょ,ちょっと待ってください。あ,マリアナ! そっちはダメ!」
珍しくテトが焦っている。そういえば片付けが下手という疑惑があったな。失念していた。しかも,残念ながら事実だったらしい。マリアナが無遠慮に「おまえって意外と散らかすのな」とか言っている。彼女は気遣いというものを知らない。
こんなに騒いでいると流石に周りの住人も気がつくというものである。他の女生徒たちが何事かと部屋から顔を覗かせては,私を見て慌てて顔を引っ込めるというのを何度か繰り返していた。ここは女子たちが住む階である。私は彼女たちにできる限りにこやかに手を振って挨拶した。
「終わったぜ」
しばらくすると,ひと仕事終えたという顔のマリアナと何やら気落ちしたテトが出てきた。
「……ひどいですよ,ルシア様」
テトが悲しそうな声で抗議する。正直可哀想なことをした。
「あとで実家からもらったお菓子をあげますから許して下さい。それと部屋はなるべく片付けて下さい」
「……」
テトが無言で不服を伝えてくる。流石に悪いと思ったので,私は菓子折りを奮発することにした。
テトとマリアナには事情を話して,二人にも監視用の魔石を渡しておいた。ついでに,結界の管理もローテーションを組ませてもらった。流石に私一人で管理するのはつらい。これで,ユーフィアに対して強硬手段を取る輩は対処できるだろう。加えて,二人にはユーフィアのことだけでなく,フリードのことも注意してくれるように頼んだ。ユーフィアを狙うならば,彼女と親しいフリードをまずは引き入れるのが常道だろう。調べた所,フリードも脛に傷持つ身のようだ。
彼の父親ラナンはとある任務の失敗の責を取らされて左遷させられたらしい。騎士位の剥奪こそ行われなかったが,それでもかなり危うい立場にあるようだ。私が手段を問わずに事に当たるなら,フリードの父の復職を約束する代わりに彼に協力を強要するだろう。当然だ。ユーフィアの身元を引き受けているのはフリードの家だ。他の下衆い貴族なら真っ先にフリードを狙うだろう。
ひとまず備えはしっかり行っておく必要がある。私とてヴェスターの依頼がある。邪魔をされる訳にはいかない。
私はユーフィアたちの守りを着実に作っていくことにした。




