素行調査
バヌカスとの会合から数日経った。
寒空に気が滅入りそうなこの頃だが,学院の生徒たちは身近に起こる小事大事に一喜一憂して忙しない。子供は風の子というが,こんなにも寒い日が続いても元気溌剌としていられる彼らを見ると,私という人間が如何にも年寄りじみた感じがしてならない。私は両の手をすり合わせながら寒さに身を震わせているのに,彼らは今日も学院のあれこれの噂話に興じて頬を赤らめている。これが若さか。なんとなく悲しくなる。だいたい,石造りの学院は廊下が底冷えしていけない。噂話に熱をあげるよりも,私は暖炉の温もりが恋しい。
「こんな寒いのではやっていられませんね」
「そうおっしゃらずに……」
私の愚痴に律儀に返事してくれるのはテトである。寒さが堪える私に比べて,彼女は割合平気そうな顔をしている。大人びた彼女であるが,彼女もやはり若い。羨ましい限りである。
「それにしても,やはり噂になっていますね」
テトが小声でつぶやいた。廊下を歩きながらでも耳に入ってくる,ある人物の名前を彼女は言っているのだろう。つい先日,一年生として編入してきた十五歳の少女。一年の生徒にしてはやや年のいった彼女は,その言動と容姿ゆえに生徒たちの耳目を集めていた。主に女生徒たちの。
目鼻立ちのはっきりとした整った顔立ち,肩まである灰色がかった黒髪を一つに結い,背丈はスラリとして立ち居振る舞いは颯爽としたものである。物腰は気品があり,甘い声色で語りかける。そんな,まるで物語の貴公子が現実に現れたかのようである,らしい。私の感想ではない。そこらで目を輝かせているお嬢さんたちの言である。なにやら王都の人気俳優でも来たかのような有様だ。だいたい格好もよくないのだろう。自身の見た目に合わせたのか中性的な格好をしているらしい。狙ってやっているのだろうか。
「お嬢様方はかの男装の麗人にご執心のようです。……ここに本物がいるというのに」
ちらりと横目でテトを見る。私の視線を受けて彼女は気まずそうに目線を逸した。
見た目は綺麗な男という感じであるから,彼女も噂の的になってもおかしくはない。実際,隠れて彼女を見つめる女生徒は一人や二人ではない。ただ,こちらは本当に男と思われているのか何なのか,お嬢様方の彼女を見る目はもっと淡い思いを湛えている。件の新入生に対するような熱のこもったものではない。なんとも罪づくりなことだ。もちろんそんな状態であるから,彼女が洋湖亭から課されている友達作りの課題は全く捗っていない。
「……それより,ユーフィア嬢は例の件を承知してくれますでしょうか」
あからさまに話題を逸してきた。ただ,これ以上掘り下げると彼女が可哀想であるので,逸らされた話の筋にそのまま乗っかることにした。
「なに,いきなり勧誘などしません。まずは親しくなってみないと」
ヴェスターの屋敷での一件はテトには話してある。もちろん,バヌカスの依頼に関しても。彼女は「承知しました」と肯定するだけで何も言っては来なかった。彼女にとってこうした案件は珍しいことでもないのだろうか。
「それに,今回は別件もありますしね」
テトは少し不安そうな顔をした。私はバヌカスの依頼以外に,実は他からも依頼を受けている。彼女の経歴を気にした塔の者たちから素行調査を受けているのだ。兄上を通じたガルマトゥリエからの依頼である。兄上の頼みとあっては断ることもできない。
同じ人物に対する異なる依頼。確かに良い状況とは言えない。依頼同士が衝突することもありうる。しかも一方はバヌカス・ヴェスターの依頼なのだ。彼女の不安は私にもよく分かった。
「大丈夫です。何とかなりますよ」
私は彼女を元気づけるためにそう言った。だが彼女は「そうだと良いのですが」と歯切れ悪く答えるだけだった。
我々が彼女のいる教室に近づいたとき,まず目に入ってきたのは女生徒たちの群れだった。彼女たちは教室の入り口に溜まってキラキラとした瞳で中を覗き込んでいる。もちろん,視線を集めるのは例の少女だ。
「失礼,道を空けていただけますか」
私がその人だかりにやんわりとそう声をかけると,一瞬きつい視線たちが返ってきたが,私が誰だか悟ると慌てたように両脇に飛び退いた。先程までの熱狂的な表情が嘘のようである。たぶん彼女たちは一年生だろうが,それでも私の顔は知っているらしい。その悪評も含めて。少々悲しくなる。
「ありがとう」
私は特段気にしない風を装いながら,教室の中に入っていった。
部屋に入ると,また人だかりである。幾人もの女生徒がある人物一人を取り巻いている。大変,姦しい人気である。だが,私が近づくにつれて,その騒々しい雰囲気も段々と静まっていく。取り巻きたちが一人二人と中心の人物から離れていった。おかげでようやく彼女の姿を目にすることが出来た。前評判通りの容姿である。彼女,ユーフィアは,綺麗な灰色の瞳を私に向けた。その頃には教室は水を打ったように静まり返っていた。
「貴方がユーフィア嬢ですね」
「お初にお目にかかります,閣下。私がユーフィアと申すものです」
彼女は物怖じしない態度で挨拶を返した。いささかの動揺すら見せない。なるほど,普通の娘ではない。
「突然の訪問をお詫びします。ご存知かと思いますが,私はルシア・ブラドスキーと申します。以降お見知りおきを。こちらは私の友人のテトです」
「はじめましてユーフィアさん,僕はテトと言います」
「皆様のことは存じ上げております。召喚術研究会の方々でいらっしゃいますね」
テトが何も言わずに無表情でこくりとうなずく。ユーフィアも研究会のことはすでに知っているようだ。そして,どうも研究会の用事で来たと思われているようだ。まあ,当たらずとも遠からずなのだが。
どうやら若干警戒されているらしい。彼女は笑みを浮かべているが,まるで貼り付けたような表情である。こうしていきなり現れては訝しがるのも無理はないか。これ以上警戒されては困るので私はなるべく友好的な態度で臨んだ。
「私のことはルシアと呼んでください。突然現れた我々をご不安に思うかもしれませんが,我々は貴方と友好的な関係を築きたいと思っているのですよ」
「それではルシア様。不安などとは滅相もありません。閣下にお会いできて光栄です」
「おや,私の早とちりでしたか。それなら良かった。実は,私と貴方,それとここに居るテトの三人で話をさせて貰いたいのです。皆さんとの楽しい歓談の場を邪魔して申し訳なく思いますが,これも必要なことでして」
「もちろん,ご一緒させていただきます。彼女たちとの一時はまた後の楽しみといたします……ごめんね,君たち」
席を立つユーフィアを周りのお嬢さん方は悲しそうな表情で見つめる。そんな彼女たちに,ユーフィアは貴公子然として優しく囁いた。たちまち潤んだ熱い瞳たちが彼女を追いすがる。
……まるで私が悪役みたいではないか。
私も一応は彼女たちに謝罪を伝えた。半分も聞いていなさそうだったが。
私は内心ため息を吐きながら,ユーフィアを教室から連れ出すのだった。
私たちは学内にある小さな談話室にユーフィアを案内した。いつもの資料室は地下のため寒くていられないので今回は暖炉のある部屋にした。あらかじめ人払いをしているので室内には誰もいない。
「さあ,座ってください」
ユーフィアが室内の豪華な内装に戸惑ったような視線を向けながらテーブルに着席した。無理もないか。この談話室は貴族専用みたいなものなので,一般の生徒が立ち入ることはない。
テトが三人分のお茶を用意してくれた。私は礼を言ってカップを受け取った。ユーフィアも同じくカップを受け取るが,一口飲むだけでそれ以上口をつける気がないようである。やはりまだ警戒しているのだろう。
とはいえ,話し始める前から諦めていてもしょうがない。私は腹をくくって話し始めた。
「さて,急にお呼び立てして申し訳ありません。さっそくですが,今回私が貴方に接触する理由を話しましょう」
「どうやら,お友達になりましょう,という訳ではないようですね」
「ええ,残念ながら」
彼女は微笑した。
「ルシア様自ら来られるとは,どういったご用件なのでしょう。私には検討もつきません」
「ガルマトゥリエについては知っていますね」
「ええ」
「彼らが貴方の経歴を気にしているのです」
「経歴,というのは?」
「あなたが所属していた傭兵団のことです」
彼女は微笑を崩さなかった。こうして尋ねられることは想定していたのだろう。
「フルーレティのことでしょうか。確かに私がいたところです。それをなぜ塔の方々が?」
「元傭兵として貴方はたくさんの戦士を葬っている。私は別にそれを責めるつもりはありませんが,塔の者たちは貴方が危険分子である可能性を気にしているのです」
ユーフィアは私の言葉に笑みを深めた。
「私が簡単に人を殺す人間かどうか,でしょうか?」
「まあ,言ってしまえばそうです。経歴だけ見れば貴方を危険視することも無理はありません。その危険性を評価せよ,ということです。実際,貴方は幾人も殺していますでしょ」
横で黙って聞いていたテトがチラリと私を見た。踏み込み過ぎだと言いたいのだろう。
「それが仕事ですから」
彼女の余裕は崩れない。淡々と答えた。
暖炉の火がパチリと爆ぜた。私はそちらをチラリと見て視線を彼女に戻した。どうも,彼女は隠し事をしているように思えた。
「なるほど。仕事は南の地で行うことが多いと聞きますが,どれくらいの戦場をご経験しているのですか」
私は話題を変えた。ユーフィアは表情を変えなかった。
「私が初めて戦場に出たのは十の頃です。それからずっと,南の地を転々としていました。戦った数は……数え切れません」
「戦に出る前は?」
「フルーレティに拾われる前ということになりますが,私は南の辺境の村で育ちました。ただ,野盗の襲撃に遭い今は見る影もありません。私は幸い森に出ていて,一人生き残ったのです。途方に暮れていた私を拾ってくれたのが,その野盗たちを追っていたフルーレティの人たちでした。七つの頃です」
「どうして戦いに出ることになったのですか? 十の子供に戦場に出させるのは,いささか酷のように思えますが」
「ええ。実際,十になるまではフルーレティの家事を手伝っているだけでした。何の力もない子供にはそれくらいしか出来ませんから。でも,十になったある日,平原を移動している最中に大規模な襲撃がありました」
彼女はそこで言葉を止めて,何かを思い出すような仕草をした。
彼女は話を続けた。
「ものすごい数で,仲間たちも必死に戦いましたが,次々に命を落としました。昨日まで普通に話をしていた人たちがあっけなく死んでいってしまうんです。それをただ見ていることしか出来なかった私は,腹の底から何かとても熱いものがこみ上げてくるのを感じました。私はその時,隊の後方で姐さんたちや戦えない人たちと身を潜めていましたが,彼らの静止を振り切って表に出ました。ちょうど敵が隊列を作って一斉に攻撃しようとしているところでした。私は自分ではどうすることも出来ないほどに大きくなった熱の塊を彼らに解き放ちました。……それが初めて迫撃魔法を使った時です」
「それで,あなたの能力を知ったフルーレティの人たちがあなたを戦士にした?」
「私の希望でした。みんなは反対したんです。それでも,この力は,みんなを守るのに役立つからと無理を言って戦いに出させてもらいました。実際,役に立ちました。それからは反対する人も居なくなりました」
「あなたが幼くして戦いの場に立つようになった経緯は分かりました。それでどうして学院に来たのですか?」
「南での仕事が一段落したので,休暇も兼ねて団長から王都で学んでこいと言われまして。私もしっかり魔法を学んだ訳ではないので,以前から学院には興味があったのです」
彼女はすらすらと答えた。その表情に嘘をついている様子はないように見える。しかし,彼女が学院に来た理由はもっと他の動機があるように思えた。分かっていて言いたく無いのか,本人すら気づいていないのか。おそらく前者だろう。
何の根拠もない勘だが,彼女を見ていると私がよく知る人物を思い出させる。
だから私はあえて踏み込むことにした。
「実際,どうなのですか。人を殺すというのは」
ユーフィアの目がすっと細められ厳しい視線に変わった。
「ご質問の意図がわかりませんね」
「質問を変えましょう。その迫撃の魔法で人間たちをばらばらにした時,貴方はどんな気持ちを抱きますか」
「ルシア様」
テトが堪らず声をあげる。私は彼女を手で制して話を続けた。これも必要なことだ。
「何度も言いますが,責めているわけではありません。貴方の率直な意見が聞きたいのです」
「私は構いませんよ。その手の質問には慣れていますから。……そうですね,正直に言えば何も感じません。我々は金銭のために仕事をしていただけですので。人殺しを楽しむ者は,中にはそういった者もいるのでしょうけど,私がいた傭兵団ではあり得ないことです」
彼女は穏やかな,まるで幼子に言い聞かせるような調子で答えた。彼女の言うことは一理あるだろう。最初のうちは忌避感もあるだろうが,仕事のためとやっているうちに慣れてしまうというのは有りそうな話だ。
だが,それでは辻褄が合わない。
「どうやら,話したくはないようですね」
彼女の目に殺気にも似た鋭い光が差した。テトが立ち上がりかける。私は再びそれを手で制した。
「……私は本心を語っています」
ユーフィアはテトの様子を油断なく伺いながら言った。私は首を横に振る。
「仕事柄というのですかね,相手が嘘をついているかどうかは何となく分かるのですよ。だからこそ,塔の人たちは私を遣わしたのでしょう。あなたは確かに正直に答えているが,本心を語っている訳ではない」
「何を根拠に」
「あなたの態度ですよ。その警戒の仕方,私のよく知る人物にそっくりです」
油断なく他人の顔色を伺い,自分を周囲に溶け込ませる努力を怠らない。ときには大胆に振る舞い,奇異の視線に晒されることで,むしろ,その本性を隠してしまう。しかし,本性は本性。どれだけ饒舌に振る舞っていたとしても,秘密を抱える息苦しさは拭えない。彼女から受ける印象は概ねこんなところだった。こういう人物には心当たりがある。リネルだ。
「それは……。それで,私をどうなさるおつもりです」
もはや笑みは消えていた。彼女は鋭い瞳で私を見ている。テトはいつでも動けるようにひそかに体に力を込めている。私はユーフィアの厳しい灰色の瞳を見つめた。意思の強そうな瞳の中には何が隠されているのか伺いしれない。
暖炉の炎が再度爆ぜた。乾いた音が静かな室内に響く。それで余計に三人の間に横たわる沈黙が顕になった。
私は笑みを深めた。
「あなたはどうしたいですか」
ユーフィアは虚を突かれたような顔をした。予想外のことを訊かれて絶句している様子だった。
驚いて二の句が継げない彼女に構わず,私は再度問いかけた。
「まずはあなたがどうしたいかでしょう。それを聞かせて貰えねば私も判断しようがない。血なまぐさい所からわざわざこんな所まで来たのです。よほどの理由があるのは誰にも分かることでしょう。その上で,あなたはどうしたいのか。それを知るまでは判断を保留にしましょう」
驚きの色はすでにない。彼女の表情にあるのは不安の色であった。それはまるで行き場を無くした者のような表情であった。彼女もまた迷子なのだろう。リネルが逃亡の果てにこの学院に辿り着いたのと同じように。
「あなたは,ここに居たいですか」
押し黙る彼女にそう問いかける。彼女が学院に来た理由も分からなければ,ここに居続けたいのかも分からない。これから少しずつ明らかにしなければならないだろう。
「……はい」
彼女は答えた。その表情は女生徒たちに振りまいていた明るい表情ではない。何かに苦しむ者の表情だった。何かから逃げている者の表情だった。そして,私は少なくともその言葉は,本心だと思った。
「分かりました。幸い時間はあります。少しずつ,あなたの話を聞かせてください。たまにお茶をしながらね」
「そんなことでよろしいのですか」
「あなたのことを知るのが私の仕事です。そのために必要なことを私はやるだけです。塔の者たちには上手いこと言っておきますよ」
彼女は不安を隠し切れない。私のことだって信用してよいか分からないのだろう。無理もないことだ。私もいきなり信用してもらおうとは思っていない。
それに,バヌカスの依頼がある。私は彼女に隠し事をしている。だから彼女の不安は最もだ。私は信用に値する人間ではない。
「……突然のことなので,少し混乱しています。また後で話をさせて頂いてもよろしいですか」
彼女は不安を押し込んで笑みを浮かべてそう答えた。それまでに見せた微笑に比べれば,ひどくぎこちないものだった。だが,彼女の本心を如実に現していると思った。
「分かりました。日を改めて,また相談しましょう。何度も言いますが時間はあります。ゆっくりやりましょう」
「……ありがとうございます」
それでこの日の会合はお開きになった。
「テト」
ユーフィアが部屋から出ていったのを見届けた後,私はテトに声を掛けた。
「なんでしょうか」
彼女はいつもの調子で返事をした。
「あれで,良かったのでしょうか」
私は罪悪感を抱かずには居られなかった。彼女をヴェスターに引き渡すために,ガルマトゥリエの依頼にかこつけて信用を得ようとしているのだ。私はテトがどう思っているのか気になって仕方がなかった。
「ルシア様のご判断に,僕は口をはさむ立場にありません。貴方が正しいと判断されたのなら,きっとそれが正しいことだったのです。ただ……」
「ただ?」
「僕は少し彼女のことが気の毒です」
彼女は寂しそうに言った。
「……そうですね。気の毒なことをしました」
私はそう答える他なかった。
暖炉の薪がパチリと再び爆ぜた。私は部屋を出る始末をするために,火かき棒で暖炉の中をかき回した。薪をまばらになるように配置してやると,炎はだんだん小さくなった。炎はただ赤く燻るくらいになった。それに灰をかけてやると完全に火が消えた。
火の始末を終えた。私はテトとともに部屋を出るのだった。
みなさま良いお年を




