バヌカス
リアルがますます時間が取れないような状況になってきてますが,生きてます
細かい小さな雪が積もる程もなく降っている。今夜は雪模様である。冬の夜,しかも,白いものがちらつくとなれば寒さも一入だ。
私は人気のない濡れた街路をテトと二人で歩いていた。
私の今の格好は,厚手の上下とその上に膝下まである灰色のレインコートを着込み,頭上に以前街の商店で見つけた中折れ帽を雪よけに乗せている。いわゆるフェドラ帽というやつだ。まさかこの世界にあるとは思わず,商店で見たときには驚いた。元の世界では二十世紀初め頃に流行したものだ。まあ,作りが簡単なため似た物もあるだろうと納得した。
一方のテトは簡素な男物の冬服を着ている。彼女は帽子を被らず傘を差している。手が空いている方が良いのではないかと訊いてみると,実は仕込みとなっているそうだ。さすが抜け目がない。
私達も二年生となった。二年となったからといって,学生生活に別段変わったことはない。授業は多少は高度な内容に進んだがいつも通りである。召喚術研究会の方は無事に立ち上げが済み,今では表向きには真っ当に活動しているはずだ。はず,というのは,どうも我が研究会は他の生徒たちに不名誉な評判を立てられているらしいのだ。いわく,召喚術研究会に近づくな,ということらしい。
表向きの真っ当な研究会活動の裏で,私は生徒の依頼を受けてちょっとした仕事をしていた。貴族・平民生徒の喧嘩の”仲裁”や,立場の弱い者に手を出す傲慢な貴族の”説教”,不穏な平民たちの集会に解散を”助言”など様々してきた。リネル,テト,マリアナにも協力してもらった。時々,アニヤにも協力をしてもらったりもする。彼女は顔が広いので,情報収集の際には強力な助っ人である。ただ,まあ,彼女からは「あんまり変なことしないで下さいね」と度々怒られている。どうも,友達から心配されるらしい。そんな物騒な所ではないと毎回説明しなければならないとか。
もちろん,私とて自ら事を荒立てている訳ではない。穏便に済ませられるものは穏便の内に済ませる。ただ少し,頭の硬い人間が相手の時はその硬い頭を柔軟にする工夫が必要というだけである。ちなみに,暴力的な相手にはマリアナをぶつけると良い。相手もすぐに対話の姿勢を示してくれるようになる。
そんな私たちであるが,今回街に出たのは研究会とは別件である。
二年生だからといって,もちろん,学院の外を出歩いて良いわけではない。しかし,何事も抜け道はある。実際,二年生の少なくない人数が学院をこっそり抜け出していると聞く。流石に,あんな閉鎖的な所に閉じ込められていたのでは息も詰まるというものだ。学院に一年間もいれば知恵もつく。多少生活にこなれて来た学生は,先輩方から聞いた秘密の抜け穴など使って城下町に繰り出すのだ。こういうのは何処も変わらない。
しかし,我々は何も街へ遊びに来た訳ではない。今回は致し方なく抜け出して来たのだ。
ヴェスタ―から招待状が来た。兄弟からではない。ヴェスタ―当主バヌカス直々の招待だ。用件については触れられていない。ただ,迎えの来る場所と時刻が記されているのみである。無視する訳にも行かない。相手は王国最大のレンブラント・カルテルのボスなのである。
「そろそろ着きます」
テトが小声で言った。外灯もないから表情はよく見えないが,警戒している様子である。
広場に出たようだ。明かりは持ってきたが,こんなものでは誰かが潜んで居ても見つけられない。奇襲を掛けられたときに頼れるのは感の鋭いテトだけである。
広場の中央に進み出る。夜の闇の中には広場の構造物やら放置された木材の山やらの影だけが不気味に佇んでいる。人気は感じられない。どうやら,しばらく待つ必要があるらしい。
「まだ来ていないようですね」
「ええ」
テトはそう言いながらじっと耳をすませて人の気配を探っている。あまり邪魔をするのはよくないだろう。私も気を引き締めて周囲に気を配った。
しばらくすると,遠くから馬車の音が聞こえた。冬の夜はしんと静まり返り物音がよく響く。馬車の音はすぐに近くなった。
「ルシア・ブラドスキー閣下でお間違いないか」
車から降りてきた大柄な男が低い声で言った。ひどく抑揚がなく,口調から感情を推し量ることは敵わない。
「ええ。私がルシアです」
「ご同行願います。……そちらの方は」
彼はテトの方を向いて言った。テトは油断なく彼を観察している。
「見送りです。お約束どおり私一人で参りますよ」
「それでは,ご乗車ください」
私がそう言うと彼はテトに興味を失ったのか彼女から視線を外し,私に早く馬車に乗るよう促してきた。彼の動作は淡々としていた。そのあまりに機械的な対応に私はいささか不気味さを感じずには居られなかった。
「テト,心配はいりません。すぐに戻ってきますから」
「はい……」
私は彼女に声を掛けるが,それでも心配そうな声色であった。無理もない。相手はあのヴェスターなのだ。
私は持っていたランプを彼女に預けると車に乗り込んだ。私が乗るとすぐに出発となった。車上から彼女に声を掛ける暇もなかった。情緒も何もない連中だ。心配してくれる女性に慰めの言葉くらい掛けさせて欲しいものだ。
ランプの明かりでぼんやりと浮かぶテトの姿は段々と小さくなっていった。点のような光がポツンと雪降る広場にただ見えるだけになった。それもすぐに見えなくなった。私は何だか心細い感じがしてならなかった。
夜道を乏しい明かりで走ったので着いた場所は定かではないが,どうやら王都の高級住宅街の一画のようだ。私は立派な石造りの,三階建てほどの屋敷に案内された。中は贅沢にも蝋燭の光で煌々と明るかった。趣味のよい内装と調度が揃えられている。流石に貴族であるから,成金のような風情ではない。立派に伯爵の屋敷であった。ざっと室内を観察している私を,案内の者は気にも止めず応接室に導いた。着席を勧められたので遠慮なく座った。ここは図書室でもあるらしく,壁際の本棚に立派な装丁の本がずらりと並んでいた。備え付けの暖炉もあり,赤々とした炎が揺れている。おかげで部屋の中は暖かい。夜中ということもあってひどく静かであった。私は使用人が持ってきてくれた紅茶を飲みながら来る人を待った。
「お待たせしたようだ」
入って来たのは壮年の恰幅の良い男だった。丸い顔に濃い髭を生やして愛嬌があるが,しかし,その眼光は恐ろしく暗く冷たい。まるで,沼の底のような目をしている。この男こそがヴェスター当主バヌカスであった。
私は立ち上がって彼を迎えた。
「お待ちしておりました」
「ああ,掛けてくれ。……こちらから夜分にお呼び立てしたというのに,待たせてしまって申し訳ない。少々,倅どもがうるさくてね」
倅……兄弟のことか。彼らもここに居るのか。
「早速本題に入っても?」
「ああ,もちろんだとも。話というのは他でもない,倅どものことでね」
「彼らはお元気ですか。最近,学院で姿を見ないので心配していたのですが」
兄弟の動向はガルマトゥリエの一件以来注意していた。それがここ数日学院から姿を消していたので,私はまた彼らが何か良からぬことでも企んでいるのではないかと疑ったほどだった。
「ある意味元気だとも。彼らの元に案内しよう。よろしいかな?」
「それは,構いませんが……」
奇妙だ。わざわざ我々が足を運ばずとも,ここに二人を呼びつければよいだろう。私は再度この恰幅の良い男の顔面を見つめた。相変わらず貼り付けたような笑みがあるだけであった。
「……なに,すぐに分かりますとも」
彼は私の視線の意味に気づいたようだ。だが私の疑問には答えてはくれなかった。含みのあるバヌカスの言葉に私は気味の悪さを感じずには居られなかった。
バヌカスは私を地下に案内した。暗く狭い階段を降りなければならず難儀した。私はステップを踏み外さぬように慎重に降りた。
地下は物置になっているらしい。やや埃っぽいが案外に整理されている。何が入っているか知れない木箱がいくつも積み上げられていた。その一画に,鉄格子をはめた一部屋があった。座敷牢であった。くぐもった声がそこから聞こえた。
「我が倅ながら愚かなことをする。あなたもそう思うでしょう? 閣下」
牢の鉄格子前まで来ると,バヌカスは手持ちのランプを掲げた。牢の中には,ランプの光に眩しそうにうずくまる兄弟が居た。二人は縄で縛られ猿ぐつわを咬ませられ,牢の冷たい地面に横たわっていた。
「実の息子に酷いことをなさる」
私はボロ布のような二人の姿を見ても案外に冷静であった。私に気づいた二人は,助けを求めるような視線をよこした。その縋るような目で必死に見つめられても,私は特段感慨を抱かなかった。
「なに,これが我家のしつけです。我が家の商売を邪魔立てした者は,誰であっても罰を受けなければならない。こうして生かしているだけでも寛大というものでしょう」
「どうやら,二人の悪ふざけはバレてしまったようですね」
「いかにも。これは貴方のお陰でもあるのですよ。倅どもは目に見えて動揺しておりましたからね。証拠を残すとは,馬鹿なことを」
バヌカスは嘲笑を交えて言い放った。息子に対する態度ではない。血の繋がりなどこの男には何ら価値がないのだろう。ただ自身の商売にとっての損得だけが彼の絶対の基準なのだ。
「それで私にどうしろと」
私にただこれを見せるためだけに呼びつけた訳ではないだろう。私もいわば関係者だ。兄弟のヘマで私の関与が露見してしまった。あまり良い状況ではない。彼が何を要求してくるか知れなかった。
「裏切り者は罰を受けなければならない。だが二人共始末してはこの家の跡取りが居なくなる。しかし,幸いにもここには二人の人間がいる。そこで,一人に償いをさせて一人は許すことにしたのですよ,閣下。それでこの件は落着というわけだ」
「つまりは?」
「聡い貴方ならお分かりでしょう。貴方にも倅どもをこんな目に合わせた責がある。二人のうちどちらを始末するか,貴方に選んで貰いましょう,閣下」
ヴェスター兄弟が身を捩ってくぐもった叫び声をあげた。目に涙を浮かべながら,身動きの利かない体で必死に暴れていた。そんな二人を眺めながらバヌカスはいたって冷静な様子で,気味の悪い笑みを浮かべるだけだった。
ランプの光が彼の両眼を照らしている。その瞳の底はどんな光も届かぬほど,淀んだ暗い淵を覗くかのように,冷たく恐ろしい暗闇に思えた。そこには一切の救いなどなく一切の愛もない。ただ一つの感情が淀み,沈殿し,巨大な沼を作り出してしまっている。これが人の持ちうる瞳の色だろうか。
今ならわかる。彼が築き上げたレンブラントの王国は,彼の沼の一部なのだ。彼の底から恐ろしい淀みが溢れて,現実に姿を現したのがかの王国なのだ。沼に飲まれてはいけない。彼は誰も愛さない。たとえ血の繋がった実の息子であっても,慈悲もなく使い潰されるだけだ。さながら王の奴隷のように。
私はこの恐るべき王国の主に決断を迫られていた。




