医務室
先に病室に運ばれたアニヤは意識を取り戻していた。マリアナはベットに寝かせると,ようやく気が抜けたのか,泥のように眠った。彼女のことは看護婦に任せた。泥だらけの体を綺麗にしてもらう必要があったが,流石に私は手伝えない。彼女のベットを囲むカーテンを閉めて私はアニヤの所に向かった。
アニヤはすでに服を着替えて身綺麗にしていた。傍にはミリエル嬢が付いてくれている。
「お加減はどうですか,アニヤくん」
「ちょっとびっくりしてしまいましたけど,大丈夫です」
よかった。目立った外傷もないようである。
ただ,額の包帯だけはまだ取れていない。彼女が目を覚ましたのは昨日である。だから,まだ万全な状態とは言い難いはずだ。少なくとも気軽に出歩いてよい体ではない。
「病み上がりで無茶をしますね」
「ごめんなさい」
咎めるような物言いになってしまい,彼女をしゅんとさせてしまった。
「こら,ルシア様。あまり彼女を責めてはいけません」
「あ,いえ。責めるつもりではありません。ただ心配になっただけです」
ミリエル嬢に怒られた。私は慌てて言い訳を並べることになった。
ミリエル嬢は後始末をする必要があると言ってこの場を去った。アニヤが「先生,ありがとうございます」と言って見送った。聞けば彼女はミリエル嬢の講義を受けているようである。それで顔を知っていたようだった。
「怪我は大丈夫なのですか」
ミリエル嬢が去って二人きりとなった。私は怪我の具合を心配した。
「傷はふさがったみたいです。まだちょっと痛みがありますが」
そう言って彼女は笑った。いつもの朗らかな笑みだが,額の白い包帯が痛々しい。私は彼女の額に巻きつけられた布を見ると気の毒になって仕方なかった。
「なぜ彼女を?」
私はアニヤに問いかけた。今回もそうだが,なぜ彼女はマリアナを助けたのか。そんな義理など彼女にはなかったはずだ。そんな私の疑問にアニヤは困ったような表情を浮かべた。
「わかりません……ただ,止めなきゃと思って。騒ぎの話を聞いて思わず医務室から飛び出てしまったのです」
「私を庇ってくれた時も,ですか」
「はい。……でもあの時は,昔のことを思い出して」
アニヤは暗い顔をして俯いた。彼女は昔のことを語ろうとしている。ただ,あまり良い思い出ではないようだ。
「私,お兄ちゃんが居たんです。八つ上のお兄ちゃんで,歳の離れた私の面倒をよく見てくれました」
「いいお兄様だったのですね」
「はい,とっても」
彼女の物言いからその人物が故人だと知れた。アニヤは遠い目をしながら在りし日の彼を思い出すようである。
彼女は話を続けた。
「あれは,私が六つの頃です。私の住んでいた街で,貴族様方の争いがありました。もともと仲の悪いお家同士の大きな争いで。毎日のように小競り合いが絶えなかったんです。まるで今の学院みたいに。みんな怯えて家から出なくなっていました。でも,その日はどうしても外に出なくてはならない用事があったんです。お母さんが病気で,お医者さんから薬をもらわないといけませんでした。お父さんは商会の仕事で街から離れていたから,私とお兄ちゃんの二人で街に出たんです」
アニヤは一旦話を切った。その話の結末は容易に想像出来てしまった。
「二人でお医者さんの所に向かっているときに,運悪く貴族様方の争いの場に出くわしてしまったんです。何人もの人たちが剣や魔法を打ち合っていました。すぐに逃げようとしたんですが,怖くて,私は足が動かず……。魔法が私たちに向かって飛んできたとき,私はそれを見ていることしか出来ませんでした。でも,お兄ちゃんが,お兄ちゃんが,咄嗟に庇って……」
その時の光景を思い出したのか,彼女は唇を震わせた。
「お兄ちゃんはその時の怪我が原因で亡くなりました。あの時の光景がずっと忘れられないんです。ルシア様に魔法が当たりそうになったとき,あの時のお兄ちゃんと姿が被って見えて,だから,今度は私が守らなきゃって,思ったんです」
そんな過去があったとは。だから,彼女は極端に貴族を恐れていたのか。つらい過去を思い出してしまうために。
「あなたにとって,貴族とはよほど恐ろしい存在に違いありません。それでも,私のことを庇ってくれたことには,感謝の言葉もありません」
私は頭を下げた。なんと声を掛けたら良いか分からなかった。自分勝手な貴族たちは,彼女にとっては兄の仇だろう。
「あ,いえ,ルシア様は違います!」
彼女は慌てて身振り手振りで否定を示した。
「最初の頃は,それは怖かったですけど……。でも,お話しているうちに段々と怖い人じゃないって分かりましたから。それに,ルシア様と話していると,どこかお兄ちゃんのことを思い出すんです」
「私がお兄様と?」
「はい。いじるわるで優しい所とか」
彼女はそう言って,花の咲くような笑顔を見せた。
私は何も言い返せなかった。
彼女はしばらく休むというので,私は自室へ戻ることにした。服も着替えなければならない。泥もまみれのマリアナを抱えてきたおかげで,こちらも泥まみれだ。
アニヤの話でようやく理解できた。あれほど私のことを怖がっていた彼女が,急に懐くようになったのは私に亡き兄の姿を重ねたからだろう。彼女と仲良くなれたことは嬉しい。それは確かだ。だが,未だに振り払えない悲しい過去を他人の中に見つめているのは,あまりに気の毒だ。これが良いことなのか悪いことなのか分からない。ただ気の毒だった。
自室で着替えた私は,ある人物の元へ向かっていた。この事件の後始末のためのである。
「君から出向いてくるとはな」
ラグダニエル・ブロンストは,意外そうな顔をして私を出迎えた。その他にも彼の取り巻き連中が私を警戒するような目で見ている。
ここは貴族寮にあるサロンの一つだ。一応共用のはずだが,ラグダニエルが完全に専有してしまっているので,彼の一派以外は滅多に立ち入らない。ましてや,家同士が対立している私が踏み入ることなど本来はありえない。部屋に居た連中は驚きでざわめいている。あまりそんな目で見ないでほしい,用がなければ私とてこんな所には来たくもない。
「さて,要件は分かりますね,ラグダニエル殿」
「はて。皆目検討がつかんな」
彼はすっとぼけたことを言う。やりにくい奴だ。
「今回の件,あなたが関与していることは分かっています。というより,隠す気がないでしょう。あなたには責任を取ってもらう必要がある」
「責任? ははは,おかしなことを言う。私に何の罪があるというのだ」
「生徒たちを煽動し,無意味な暴動を引き起こしたこと。結果として一般生徒に怪我を負わせたこと」
私がそう言い放つと部屋の空気がガラリと変わった。何やら殺気立った目でこちらを睨んでいる者もある。要するに私はラグダニエルが今回の主犯だと言ったのだ。これは正式な糾弾ということになる。私とてただ文句を言いに来た訳ではない。
「証拠もなく随分物騒なことを言うじゃないか」
彼は挑発的な態度で言うが,私はそれを無視して懐から例の魔石を取り出した。
「それは?」
「魔法が掛けられているかを検知できる魔石です。モルトール殿たちに試したところ反応が出ました。もちろん彼らの魔力ではない。お疑いならもう一度あなた方の目の前で検査しますが」
「……ほう。それで? 私がやったという証拠にはならないようだが」
「そうですね。ただ,あなたの関与とこの魔石,加えて我が家と貴家の対立の話を皆に広めれば,どうなると思います?」
「……なかなか狡い手を使うじゃないか,ルシア殿」
ラグダニエルはニヤリと笑った。私の意図に気がついたようだ。
私とてラグダニエルが魔法を掛けた犯人だとは思っていない。彼らにそんな技術を持つ人間が居るとは思えない。だが,他の生徒はそうは思わないだろう。私も彼も侯爵位の家柄だ。望めば何でも手に入ると思われている。そして,ブロンスト家とブラドスキー家の仲の悪さは有名だ。私を退学させることができれば,ラグダニエルは何だってやるだろうと思われている。実際何でもやるだろう。
今回の騒乱に乗じて私の退学要求なんぞ拵えてきたのがあだになった。誰かが魔法で暴動を煽動したという事実があれば,生徒たちは彼を疑うのは間違いない。これを使わない手はなかった。
「どうやら我々の分が悪いようだ。よかろう。何が望みだ」
「マリアナから手を引いてもらいます。それと,モルトール殿はあなたの派閥から追放してもらいましょう」
「いいだろう。あの男はあれで見どころのある人材なんだがな。背に腹は変えられん」
ラグダニエルはあっさり要求を受け入れた。彼も今回は横からちょっかいを掛けたに過ぎない。わざわざ自分が傷つくようなことはしないだろう。それゆえ,こちらの要求が受け入れられる目算はあった。なんとか想定通りに事が運んで,私は密かに胸をなでおろした。
「ルシア殿,次はこうは行かない」
ラグダニエルは好戦的な笑みを浮かべて言った。私としては関わりたくはないのだが。だが彼との対立は避けられないのだろう。これも血のもたらす宿命というやつだ。
私は「分かっています」と答えてさっさとこの場を後にした。




