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侯爵家次男は転生の夢をみる  作者: 半蔀
学院、初年度の騒乱
42/85

マリアナ−2

 最後の一人が倒れると,中庭がどよめいた。

 うめき声を上げて地面に伏す三人に一瞥も加えずに,マリアナはただモルトールを一心に睨みつけていた。まるで追い詰められた手負いの獣が最後の抵抗を見せるようである。それを受けて流石のモルトールも余裕そうな笑みを消していた。

「ふん」

「……」

 モルトールは不快そうに鼻をならした。マリアナが今だ立っていることが不愉快なようだ。だが,そのマリアナも憎まれ口を返すだけの元気もないようだ。彼女は表情を消して,一言も口を利かず,ただひたすらにモルトールを狙っていた。

「いいだろう。この私が直々に相手してやる」

 モルトールが構える。それに答えるかのようにマリアナが構えた。

 モルトールはジリジリと距離を詰める。彼は鋭いジャブを放った。マリアナは防御するが,堪えきれずよろめく。その隙を逃さずモルトールは素早くコンビネーションを狙う。防御をこじ開けられたマリアナは,彼の拳を喰らいそうになるが,何とか上半身の動きで躱した。恐るべき気力の持ち主だ,まだあれだけ動けるとは。

 今度はあてが外れたモルトールに隙ができる。それを逃すマリアナではない。顔面に一撃を叩き込むが,浅い。モルトールが体をよじって衝撃を逃した。彼は顔を振って気を持ち直した。

 モルトールが再度アプローチする。上半身へ意識を寄せすぎたマリアナは彼の足払いに対処出来なかった。彼女は何とか受け身を取って転がり起きるが,起き上がりしなを狙ったモルトールの蹴りをくらった。蹴り飛ばされながらも何とか体勢を持ち直す。立ち上がると,口の中を切ったのか赤い血の混じった唾液を吐き飛ばした。そしてまた構えた。いささかも闘志は衰えていないようだ。

 二人の攻防の時間はこの場に居た誰もの予想を超えた。マリアナがここまで持ちこたえるなど誰も想像しなかった。しかし,体力は底をついている。彼女の一撃はモルトールを沈めるには足りない。

 一方のモルトールも焦りを隠しきれなかった。彼もまた有効打を与えられなかった。彼の攻撃を尋常でない反射神経で彼女は躱してしまう。

 二人は互いに決定打を与えられないまま,じわじわとダメージを蓄積していっていた。


「なんてやつだ」

 モルトールが膝をついた。足へのダメージが溜まったらしい。立ち上がるのも億劫そうだ。

 一方のマリアナはまだ立っていた。降りしきる雨の中を肉体の限界を超えて立っていた。恐るべき精神力。モルトールが驚嘆するのも無理はない。だが,人間は気力だけでどうにかなるものではない。体力は底をついている。彼女はもう一歩だって動くことが出来ないだろう。しかも,これだけ冷たい雨にさらされ続けたのだ,低体温症の心配もある。意識だって怪しいかもしれない。彼女は一言も言葉を発しなかった。その余裕がないのだろう。だが,泥に塗れた顔面の中でも煌々と輝く瞳だけは,ずっとモルトールを捉え続けていた。

 だから,彼女の体がよろめいて泥の地面に沈んだことも,そのまま起き上がることが出来なかったのも,意外なことではなかった。

 地に伏していた手下三人が起き上がった。いつの間にか回復したらしい。三人はモルトールを助け起こすと,マリアナの方へ向かった。とどめを刺すつもりらしい。マリアナは腕を使って体を起こそうとするが失敗している。もうそんな力は残っていないようだ。

 観衆の一人が「制裁を!」と叫んだ。それに合わせて他の観衆も声をあげた。

 怒号が鳴り響く。これまでのようだ。

 私は決着を言い渡すために,彼女のもとへ向かおうとした。だが,その前に,マリアナの元へ駆けていく小柄な姿があった。

「ばかな」

 隣りにいたリネルが心底驚いたような顔をしていた。私も同じ思いだった。

 マリアナをモルトールたちから庇うようにその肩を抱いて,泣いているらしい少女はアニヤであった。場が静まりかえった。少女が何者か皆知っていた。誰もが思った。彼女は被害者だったはず。どうしてあの少女はマリアナのために泣いているのか。誰もが少女の涙の理由が分からなかった。しかし,誰もが少女の涙で口を噤ませた。まるで皆我に返ったようだった。

「貴様! 我々の邪魔をする気か」

 モルトールが怒声を上げた。決闘を邪魔されてお怒りのようだ。回廊に居たらしいモルトールの手下だかラグダニエルの子飼いだか分からない連中も出てきた。だが,モルトールのために一応は出てきたものの,皆一様に戸惑いの表情を浮かべていた。人のために泣く少女に手を出すのは流石に躊躇うようだ。

「何をしている! はやく退場させろ!」

 モルトールが吠える。

 私は頃合いと見て,背後に視線を送った。私から見えるところにテトが待機していた。彼女は頷くと気づかれぬように人混みから姿を消した。彼女には人を呼びに行ってもらったのだ。この場の収拾をつけられる人物。火事は爆発で消し止めるものだ。


 人混みが割れていく。人垣を闊歩する彼女を,誰もが恐れ(おのの)く表情で見る。距離が近ければ近いほど,彼女の秘められた魔力を感じてしまう。誰も彼女に逆らことは出来ない。

「いいのね?」

 我が姉ロゼッタは私の所まで来ると言った。

「お約束頂いた通りに」

 彼女は中庭に足を踏み入れた。泥でぬかるんだ地面は,彼女が一歩踏み出すたびに足下に氷の足場を作って靴を汚すことはない。雨もまた,彼女に道を譲るかのように彼女を避けて降る。恐るべき魔力操作だ。

 モルトールはすぐに姉上に気がついて顔をしかめた。私の仕業だと理解したらしい。こちらを一睨みしてきた。

「モルトール殿といったかしら」

 姉上は彼らの目前まで来ると,戦闘の場に似つかわしくない普段の調子で言った。泥に塗れた彼らは,雨にも濡れず汚れの一つもない彼女を幽鬼を見るような目で見つめた。

「……これはこれはロゼッタ様,ご機嫌麗しゅう」

「あまり機嫌はよく無いわね。何かしら,この下らない騒ぎは」

「下らないとは。貴族の正式な決闘ですよ」

「一人の娘に十人もの男が寄ってたかって,決闘? 面白いわね」

「……。ご令嬢の出る幕ではない。お引取り願おう!」

 モルトールが目で合図する。野次馬たちの間からさらに数人の生徒が出てきた。彼らもモルトールの配下だろうか。相変わらず,人望だけはあるようだ。

 彼らは姉上を包囲して,ジリジリとその輪を縮めていった。

「無駄なことね」

「この人数をどうにか出来るとでも?」

 姉上を囲む生徒たちは十人以上は居るだろうか。ご令嬢と言う割には随分と厳重な警戒だ。それだけ,我が姉上を脅威だと捉えているのだろう。

「あなたこそ,たったこれだけの人数で何が出来るというの」

 姉上は平然と言った。あれは煽りでも何でもなく,本心から言っているに違いない。

「威勢のいいことで。あなたのお噂はかねがね聞いておりますよ。学院でのご活躍のほども。魔法実技では歴代最高の成績を残されたとか。しかし,対人戦闘はあまりお得意ではなかったようですが?」

「よく知っているわね。ええ,得意ではないわ」

 当然姉上は得意ではないだろう。モルトールは勝ち誇ったように笑った。しかし,彼が何かを言う前に姉上は言葉を付け足した。

「確実に殺してしまうから」

 モルトールの顔面に張り付いた笑みが消えた。

「そう」

 姉上は残念そうな顔をして言った。

「知らないなんて幸せなことね」

 彼女は中指の指輪に手を掛けた。

「リネル」

 私は隣の彼に注意を与える。

「衝撃に備えなさい」

 その瞬間,中庭は恐るべき魔界となった。


 私には黒色の何かが姉上の足元から噴き出したように見えた。しかし,それもすぐに見えなくなる。中庭に一気に魔力が溢れた。

 目に見えるほどの濃密な魔力は一瞬にして膨れ上がり,黒色の津波となって回廊に居た我々まで飲み込んだ。まるで激流にでも身を晒したかのように,我々は立っていられないほどの圧倒的な魔力に相対した。

 あらゆるものが押し流されるようであった。魔力の奔流は中庭の地面をひっくり返し,草花を根こそぎ押し流した。あっという間に回廊に迫った激流は,回廊の調度をなぎ倒し,床のタイルをことごとく吹き飛ばした。唸るような音を立てて回廊を渦巻く魔力は,それでも勢いを失わない。行き場を失った激流は建物の壁に物凄い圧力を掛け,ギシギシと恐ろしい音を立てていた。今にも壁を食い破りそうである。

 久方ぶりに解放された姉上の魔力は,その持て余す力の限りで,この場を破壊尽くそうと渦巻いている。その激流の唸りは,まるで解放による歓喜の叫びであった。


 その声に恐怖しない者はいなかった。誰しもが恐怖に支配された。恐ろしさで震え上がり,ただ呆然とその場に座り込み,この魔界の支配者を見上げ,すがる思いで許しを請う事しかできない。激流から逃れられる者は居なかった。

 魔の嵐は,姉上に対峙していたモルトールたちを平伏させ,雨をも吹き飛ばし,すべての抵抗の意志をくじいた。そこには本物の暴力があった。あらゆる暴力を飲み込み徹底的に反抗心をくじく,絶大な暴力。マリアナの格闘とは格が違う。我が愛すべき姉上は,それこそ軍事力に相当する暴力を持っているのだ。

 それにしても,何ということだろう。以前に比べて格段に魔力量が上がっている。姉上の魔力は成長しているのだ。私とて気を抜けば,その場に座り込んでしまいそうになる。この場で立っているのは,姉上本人と私とミリエル嬢くらいだろう。私とミリエル嬢は鍛え方が違う。ただ,彼女の方は若干つらそうだ。ミリエル嬢には気の毒だが,しばらく耐えてもらうほか無い。

 私はふと隣に居たリネルが心配になった。飄々とした彼であっても,この魔力の嵐には耐えられまい。

 彼は驚愕の表情で姉上を見つめていた。その瞳は周囲を渦巻く魔力に反応して紫色に輝いていた。私がその瞳を見ていることに気づいた彼は,慌てたようにその瞳の色を隠した。

 そのとき姉上が指輪を戻した。魔力の嵐が嘘のように消える。

 封印を開放していたのは十秒にも満たない時間であった。だが闘争の意志を打ち砕くには十分すぎるほどの時間であった。誰もが姉上を畏怖した。逆らってはならない存在なのだと,その胸に刻みつけられた。だから,誰もが息を潜め身じろぎもせず,ただ彼女の機嫌を損ねないようにすることで精一杯だった。

 私は姉上の元へ向かった。姉上は意識を失ったモルトールたちを見下ろしていた。

「疲れたわ」

「お疲れさまです,姉上」

 今回は随分迷惑を掛けてしまった。今度何かお礼をせねば。

「もう勘弁してね。いくらルシアの頼みでもそう何度も出来ないわ」

「もちろんです,今後はお手を煩わせるようなことは致しません」

「でも,必要になったら言ってね」

 こんなことを言ってくれるようになるとは。以前は自分の力を厭う彼女であった。誰かを傷つけそうで怖いと言っていた。それが今や自分の力として受け入れている。嬉しいことだった。

「ありがとうございます,お優しい姉上」

 そう言うと,姉上は少し照れたように笑った。

「それで,そこの子たちはどうするの」

 姉上はアニヤとマリアナを指して言った。アニヤは気絶しているようだ。マリアナはそんな彼女を支えるように抱きしめて,ただ姉上を朦朧とした瞳で見つめていた。ほとんど気絶する寸前なのだろう。はやく休ませた方が良さそうだ。

「医務室へ連れていきます」

「お手伝いしますよ,ルシア様」

 そのときミリエル嬢が駆けつけてくれた。少し汗ばんでいるのは先程の件で体力を消耗したからか。

「先生,大丈夫なのですか」

「はい,何とか」

 ちょっと無理をしている様子があるが,手を貸してもらえるのはありがたい。私一人では二人は運べない。

 ミリエル嬢にアニヤを任せると,私はマリアナに肩を貸した。

「立てますか」

 彼女は黙って頷いた。もう気を失っていてもおかしくないだろうに。強い子だ。

 ゆっくりと歩いた。彼女は足を引きずるようにしながら前へ進んだ。

「よく戦いました」

 私がそう声を掛けると,彼女は足を止めた。彼女の瞳からぽろぽろと涙がこぼれた。

 泥だらけの袖口で涙を拭おうとするので,私は自分のハンカチを差し出した。

「使ってください。差し上げますよ」

 彼女はハンカチを目に当てながら,再びゆっくりと歩き始めた。

 私はそんな彼女の肩を叩いて,彼女の健闘を讃えるのだった。

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