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侯爵家次男は転生の夢をみる  作者: 半蔀
学院、初年度の騒乱
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懺悔

 夏の風が彼女の前髪を揺らす。アニヤは,白いシーツの上に体を横たえて,静かに眠り続けていた。規則的に胸が上下しており顔色も悪くはない。容態は安定している。かれこれ二日ほどアニヤはその状態だった。額に巻かれた包帯が痛々しい。

 ここは学院の医務室である。今は私とアニヤの二人だけである。数床のベッドがあるこの部屋は一昨日までは件の騒動の負傷者で満床だった。モルトールをはじめ,彼らの取り巻きのほとんどがここに収容されていた。

 マリアナは氷弾に倒れたアニヤを見るやいなや,呆けるモルトールを殴り飛ばして昏倒させた。そればかりでない。どこにそんな力が残っていたのか,残りの連中も次々に叩き伏せてしまった。咆哮を上げて怒り狂いながら。それはまさに鬼のような闘いぶりだった。とくにアニヤを害した魔術師への怒りは大きく,彼を殺しかねない勢いだった。もしアニヤの友人たちが武門の教師とともに止めに入られねば,彼の命は今頃なかったかもしれない。

 そのルネとマリアもアニヤの状態を見てひどく動揺していたが,すぐに立ち直って教師とともに医務室の手配をしてくれた。アニヤの赤い血に動揺してその場を動くことが出来なかった私などよりも,二人はずっと気を確かに持っていた。

 私も一応は医者の診断を受けたがとくに外傷もないのですぐに帰された。重症のアニヤや怪我のひどい者たちは医務室で隔離されることとなった。それゆえ,昨日まではアニヤの状態を確かめることが出来なかった。

 昨日は見舞客が私も含めて多く来た。アニヤのルームメイトであるルネやマリアはもちろん,姉上やミリエル嬢,それとテトやリネルも来てくれた。姉上たちは私のことも心配して来てくれたようだ。それからユリア・フィッシャーも医務室を訪れた。武門のリーダーの一人である彼女は武門の貴族が一般生徒に重症を負わせたのを聞きつけて,事情聴取も兼ねて被害者であるアニヤを見舞いに来てくれたそうだ。

 彼女たちからはあまり自分を責めないようにと口々に言われた。どうやら自分でも酷い顔をしていたらしい。

 彼女らの見舞いが済んで各々医務室を去っても,私はアニヤの傍を離れる気にならなかった。

 巻き込むつもりはなかった。こんな醜い争いに彼女は全く無関係な人間だった。全く関わる必要のない人間だった。それなのに。

 こんなことが起こらないように私は動いていたのではなかったか。私はどこで間違えたのか。彼女にどう償いをしたら良いか分からなかった。


 入り口の方で物音がした。誰かが入ってきたようだ。気配はすぐに私の背後まで来ると,立ったままアニヤを見つめているらしかった。私は振り返りもしなかった。まるで人目を気にして忍び込んでくるようなその雰囲気に私はそれが誰だか分かった。

「マリアナ」

 彼女は事件当日,医務室へは来なかった。手負いの獣が森の奥へ逃げ込むように,彼女はひっそりと姿を消した。その後,私は彼女と顔を合わせていない。

「その子の様子は」

「大事には至りませんでした。今は安定しています」

 彼女は,そうか,とただ一言答えた。その口調は暗い。

 今,学院では彼女への批判が高まっている。アニヤに怪我を負わせたのはモルトールの手下だが,その原因を作ったのは彼女である。彼女もまた一般生徒を傷つけた加害者とみなされていた。これまでマリアナに同情的だった庶民や下級貴族の生徒も彼女を見放した。今の学院で彼女の味方は一人も居ない。

「アンタは,大丈夫なのか」

 おそるおそる彼女が話しかけてきた。私の内心を探るかのように。

「怪我はありません。この子が守ってくれました」

「……すまねえ」

 私への謝罪は不要だろう。彼女が謝るべきは私ではない。

「マリアナ,座ってください。大事な話があります」

 私は隣の椅子を指し示した。彼女は大人しく指示に従った。

 対面した彼女の顔は,もはや以前のような自信に満ち溢れたものではなかった。少しやつれたかもしれない。あまり食事を取っていないのかもしれない。

 彼女はきっと本当に一人となったのだ。誰もが彼女を(うと)む。リネルが言ったとおりになった。孤独の檻に彼女は囚われている。その中で唯一頼れる相手は私だけだ。だから彼女は来たのだろう。

「正直,私はあなたをどうすれば良いか分かりません。信じるべきか見放すべきか」

 彼女は俯いて返事しなかった。答える術を持たないのだろう。

「言ったはずです。暴力では何も解決しないと」

「わかってる……」

「本当に分かっていますか?」

 私は彼女の瞳をじっと見つめた。その赤い瞳の輝きはどこか不安げに揺れて,どうすることも出来ない無力感が見て取れた。そう,彼女はどうすることも出来ないのだ。自分の力を制御することも,力ない他人を守ることも。それでようやく理解した。彼女が戦士の誇りへのこだわりは,むしろ,憧れと言った方がよいだろう。手の届かぬものを望み続ける彼女は,戦士という仮面をかぶって,平気なふりをし続けて,実のところ,もがき苦しんでいる。

「オレには,これしかねえんだ」

 だから悲痛な表情でそんな言葉を口にする。彼女の言葉には絶望する者の響きがあった。袋小路に追い詰められ自分はどこにも行けないのだと思い知る者の響きがあった。

 だが,私には,そんな彼女の言葉は世迷い言にしか聞こえなかった。私は堪えていたものが抑えられなくなった。腹の奥から沸き立つ激情が,彼女の胸ぐらを掴ませていた。

「その結果がこれじゃないですか」

 彼女の瞳を真正面から捉えた。私の声は必死に抑えても抑えきれない怒りで唸り声となった。彼女は抵抗しなかった。私の腕を振りほどこうともせず,ただ力なく座っていた。

「なぜ彼女が傷つかねばならないのです。それがあなたの言う戦士のあり方なのですか」

「違う」

「だったら,あなたの戦士の誇りとは何ですか。こんなことが許されるのですか」

「ちがう……」

「何が違うというのです。あなたの行いは単なる自己満足じゃないですか!」

「ちがう,ちがうんだ……。オレは,ただ……。龍人の戦士は力の無い者を守る存在だって。だから……オレは力をつけて。こんなことになるなんて。すまない,すまない……」

 彼女はうなだれて,ただ謝罪の言葉を繰り返すだけだった。私は彼女から手を離した。もう,彼女と話す言葉はない。私も彼女もお互いに冷静になれない。ここは一旦,頭を冷やすべきだろう。

「やはり私にはあなたをどうすべきか分かりません。ここで言い合っても仕方ありません。一度頭を冷やしましょう」

 彼女は何も返事をすることはなかった。彼女が何を考えているか今の私には分からない。

 マリアナは悄然とした様子で席を立った。そのまま何も言わずにこの場を去るのかと思うと,立ち止まってこちらを振り返ることなく「今までのこと,感謝している」と言い残して立ち去った。


 彼女が医務室を去ると私は息をついた。一人になると少し冷静になってきた。

 言うべきことではないことまで言ってしまった。彼女を責めるのは本筋ではなかった。そもそも,彼女は私のために怒ってくれたのだ。私への侮辱に彼女は立ち向かってくれたのだ。それを,私は怒りに任せて,マリアナを責めてしまった。

 何が正しくて何が悪いことかなど人の身である私には知りようがない。今の最善を尽くしたとて,将来の最善とはなりえない。だからこそ,考えられるあらゆることを,今,考え尽くさねばならない。道の先が暗闇でも,人は自分の想いを手がかりに進んで行くことが出来る。立ち止まってはいられないから。今静かに眠るアニヤのためにも。そして,今も苦しむマリアナのためにも。

 結局,私はマリアナを見捨てられないのだ。乱暴な彼女であるけれど,その心根は真っ直ぐだ。ここ数日,彼女と学院で過ごした日々は,気の置けない友人とともに居るようで楽しかった。爵位など気にせず軽口を叩き合える関係が,新鮮で,懐かしく,心地よかった。結局はそうなのだ。私は彼女と友人でありたい。

 きっと彼女は戦うだろう。暴力しか知らない彼女にはそれ以外の選択肢を持たない。ならば,それを利用するのが私のやるべきことだ。落とし所は私がつけてやるべきだ。

「アニヤ,あなたならどうしましたか」

 この純粋な少女なら彼女をどうしただろうか。拒絶するだろうか,それとも,許しを与えるだろうか。

 私の問いかけに彼女が答えることはなかった。

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