衝突
それから私とマリアナは一緒に行動することが多くなった。当初の計画とは異なるが,結局私達の協力関係は知られてしまったので仕方がない。裏庭であれほど大声を挙げていれば人に気づかれるのも当然というものだ。どうやらあの場の見物客はそこそこ居たらしく,話はすぐに学院中に広まってしまった。私もまだまだ脇の甘いところがある,ということだろう。
だが,悪いことばかりでもない。激しやすいマリアナの傍に私が居ることで,彼女のストッパー役を務める事ができる。何度かモルトールの一派に,出会い頭に彼女へ侮辱の言葉を吐きかけられたが,憤る彼女を私が何とか諭してその場をやり過ごすことができた。連中は目論見の外れたような顔をしていた。どうやら売り言葉に買い言葉を誘って,騒動に仕立てあげるのが彼らの仕事らしい。これまでのマリアナであれば容易に釣られたであろうが,これからはそうは行かない。
一方で,周りに居た生徒たちはこちらに同情の視線を送ってくれるようになった。マリアナが暴力を控えるようなったおかげである。そもそも,モルトール一派の言いがかりには顔をしかめる者も多かった。当初は一般の生徒たちもマリアナに同情的だったのだ。今回他の生徒にまでマリアナへの反発を生んだのは,彼女が暴力的であったからである。毎回騒動に巻き込まれて危ない目に合う生徒たちにとってはモルトールもマリアナも迷惑には違いなかった。モルトールは伯爵家の血を継ぐ貴族であるので表立って批判する訳には行かないので,平民であり異民族でもあるマリアナに不満が集中することになった。それが今回の退学騒動の背景である。
彼女が態度を改めるなら,遺恨は多少あるだろうが,彼女への不満は次第に解消されていくだろう。そして,批判の矛先は再びモルトールへと向けられる。最近ではマリアナへの同情的な意見も聞かれるようになった。事態は改善の方向へ進んでいた。
私はマリアナと学院の廊下を歩いていた。最近はこうして教室の移動時はなるべく一緒にいるようにしている。彼女一人だとちょっかいを掛けられるからだ。二人でいるときは私がなだめ役となるのでマリアナを釣ることができないためか連中は彼女が一人でいるところを狙ってくる。それでも流石にマリアナも努力してくれている。頻度が減ったためか何とか我慢が利くようである。それでも,この前はとある男爵の胸ぐらを掴んで締め上げていた。人伝てに聞いて私が駆けつけたから良かったものを,あのままだったらかの男爵を気絶させていたに違いない。
「次は何の授業ですか」
流石に移動中お互い無言で歩くわけにもいかず,私たちは雑談ぐらいは交わすようになった。一応友人関係と呼べるくらいには仲良くなれた気がする。
彼女はため息まじりに私の質問に答えた。
「つまらねえ王国史の講義だ」
「まあそう言わず。あなたも一応オルランドの民なのですから,自国の歴史は知っておかなければならないでしょう」
「オレたち龍人族の歴史なんざ一個も出てこねえってのにか」
我が王国は実は彼女たちのような異民族の土地を征服して自国領としてきた歴史がある。それゆえ中には王家に対して不満を持つ者も居ると聞く。とくに彼女の故郷がある南部は,王国の歴史のなかで最も新しく征服された土地なので,王家への反抗心が一層強いのだそうである。これはマリアナの談である。南部の異民族の娘が王家のお膝元までわざわざ一人でやって来たのには,そこら辺に事情がありそうである。
「正史なんてものはたいてい自国の正当性を主張するための物ですから致し方ないでしょう」
「おいおい仮にもオルランドの貴族がそんなこと言っていいのかよ」
マリアナが面白がるように言った。
「なに,正史だけが歴史じゃありませんし,正史のすべてが王家に都合よく歪められている訳でもありませんよ。王家と歴史家との対立なんてのも面白い話ですよ」
「つくづく変なやつだよなアンタ」
「私に対してそんな言葉使いをする人も十分変わっていますよ,マリアナ」
「なんだ,ちゃんと敬えってか。ならルシア様って呼んでやろうか」
「やめて下さい,気持ち悪い」
この馬鹿娘に様付されるのは怖気が立つ。ただ,あまり公然と侯爵家の者を粗略に扱わせてはそれはそれで角が立つので,気安く互いを呼び合うのはこうして二人で居るときだけである。
そうやって軽口をたたきながら教室へ向かっていると,知った顔とばったり出会った。アニヤである。
「あ,ルシア様」
「おやアニヤ君。偶然ですね」
彼女は同級生の女学生二人と一緒であった。おそらくアニヤと同じ庶民である二人は,アニヤの行動に面食らって青ざめている。そりゃあ私は彼女たちからすれば雲の上の人間だろうし,隣に居るのは今をときめく学院の問題児である。出来る限りの控えめさで必死にアニヤを押し留めようとする彼女たちの姿は何ともいじらしい。何も気にせずこちらに突っ込んでくるアニヤに気が気でない様子だ。
私は苦笑しながら,物凄い表情のお嬢さんたちに挨拶した。
「そちらの方々はアニヤ君のお友達ですか」
出来るだけ怖がらせないように優しく遠回しに話しかけたつもりだったが,二人はビクリと肩を震わせて硬直してしまった。なんだか,以前のアニヤを思い出させる反応である。まあ,かつての彼女ほど過剰ではないが。
「あ,こちらは寮で同室のルネさんとマリアさんです」
自分のルームメイトを紹介しようとアニヤが視線を彼女たちに向けると,二人の哀れなお嬢さんたちはブルブルと首を横に振った。一刻も早くこの場を去りたいようである。
「よろしくルネさん,マリアさん。ご存知かも知れませんが,ブラドスキー侯爵家次男のルシアと言います。こちらの褐色白髪はマリアナです。アニヤ君とも初めてですね」
「雑じゃねえか,オレの紹介」
手短に挨拶を済ませるためだ。いちいち文句を言わないでほしい。
「はじめましてマリアナさん,アニヤです。綺麗な髪ですね,まるで雪みたいです!」
「お,おう,ありがとう……」
珍しくマリアナが照れている。いいぞアニヤ君,もっと困らせてやれ。
「さて,申し訳ありませんが,お嬢さん方。我々も次の講義があるので失礼させて頂きます。また,後ほどお茶でも致しましょう」
アニヤに困らせられるマリアナをもっと見ていたい気分だが,ルネとマリアのためにはこの場は切り上げた方がよいだろう。実際,私の提案に二人は必死で首を縦に振っている。
「残念です……。マリアナさん,また今度ゆっくりお話しましょうね」
「あ,ああ」
邪気のない彼女の笑顔にマリアナがたじろいでいる。アニヤの言葉でこの場は解散の雰囲気となった。……なかなか惜しいことをした気がする。
それでは,とアニヤとそのルームメイトたちに挨拶して立ち去ろうとしたとき,ほっとした表情になったルネとマリアの表情が再びこわばった。何事かと彼女たちの視線を追った。そこに居た顔ぶれを見て私は内心舌打ちした。
「おやおや,これは閣下。相変わらず庶民共とお戯れになっておられるようで」
ロダン伯爵家モルトールとその取り巻き数人。まるで待ち伏せでもしていたかのようなタイミングで会いたくも無い連中が出てきた。
ロダン伯爵家は代々将軍を輩出してきた家柄である。ロダン家はフィッシャー家と並んで軍を牛耳る二大トップの一つである。ちなみに,フィッシャー家は以前協力してもらった,一学年上の生徒ユリア・フィッシャーの実家である。
モルトールは武家の倅らしく鍛えられた体つきの男で,その逆立った威勢のよい赤い短髪が特徴である。正直,鶏のトサカのようにしか見えない。
立派な体格のこの男は,ニヤニヤと挑発的な笑みを貼り付けて不敵な態度を崩さない。ブラドスキーの名に遠慮しないのは,背後にラグダニエルが付いているからだろう。
「モルトール殿,同級生と交友を結ぶことが戯れとは結構なご認識ですね」
「ご友人は選びなされと申しているのです。しかも,そのような蛮族など引き連れて。品性を疑われますぞ」
モルトールはじろりと軽蔑の視線をマリアナへ向けた。マリアナがその視線を睨み返す。私は彼女を手で制して言った。
「私が誰と友人になろうとあなたには関係のないことです。下らない戯言で私の時間を浪費するあなたの品性こそ疑いますね。分をわきまえて頂きたい」
私は遥かに背の高い彼を見上げて言った。こうした相手には侯爵家の威光を存分に活用してやろう。事実,モルトールはややたじろいだ。腰の引けた彼を見て私はため息をつく。モルトールは小物だ。仮にも格上の貴族に喧嘩を売っているのだ。こんなことで動揺してどうするというのだ。
私があからさまに落胆しているのを嘲りと受け取ったらしい。モルトールは怒りの表情を浮かべて私を睨んでいる。だがそれも,マリアナに比べれば凄みに欠ける。
「無礼ですよ!」
私の遠慮のない発言にモルトールの取り巻きがざわついた。無礼とは勘違いも良いところだが,彼らとてモルトールのために何か言い返さねばならないのだろう。実際,周囲に勇気づけられたモルトールは余裕を取り戻した。単純なやつだ。
「やはり閣下には責任を取って頂かねばならないでしょう」
「言うに事欠いて責任とは。私に何の責任があるというのです」
「そうした姿勢が問題だと申しておるのです! ご自身の罪をご承知でないのなら申し上げましょう」
何やら芝居がかった口調でモルトールが一席をぶち始めた。
「一つに蛮族の娘を使役し,学院に混乱をもたらし良識ある生徒たちを恐怖で従わしめんとすること。一つに蛮族の娘を擁護し,逆らう者あらば侯爵家の名を使って口を噤ませんとすること。一つに蛮族の娘を弁護し,我々の正義の糾弾を卑劣な手段で躱さんとすること。そして最後に! 蛮族の娘と交流し,オルランド貴族の品位を汚したこと! 神は見ておられる! たとえ我々の正義の鉄槌が届かなかったとしても,いつか必ずやふさわしい罰を受けるでしょう,閣下!」
よくもまあ口が回るものだ。事実無根も良いところだが,咄嗟にこんな演説をぶちあげられる所だけは感心した。取り巻きたちも歓声をあげている。腐っても代々将軍の家柄だけあるのだろう。こうした配下への鼓舞はお手の物らしい。モルトールは周囲に持ち上げられて良い気になっている。
彼の演説に対する私の感想はよく頑張ったなというくらいだった。私個人への中傷なら大して腹も立たない。どうせ相手は子供である。これがブラドスキーを中傷するものなら許さなかった。侯爵家を侮辱する者は己の行いを永遠に後悔するだけの報いを受けてもらう。
そんな訳で私は平然としていたが,しかし,この演説を許容出来なかった者がいた。
「おい何をしている,モルトール様を離せ!」
止める間もないほどの一瞬の動作で,マリアナはモルトールの胸ぐらを締め上げていた。綺麗に入ったのか,踏み潰された蛙のような声が本当にした。取り巻きが怒声を上げながら助けに入ろうとするが手が出せないようだ。その様子を見て,私もはっとした。
「よしなさい,マリアナ!」
これでは今までの努力が無駄になってしまう。私は慌てて制止の声をあげた。しかし,怒りに支配された彼女の耳には届かない。
「オレのことを蛮族と呼ぶのは許せないが,まあ,我慢してやる。だがな,アイツのことを侮辱するのは我慢ならねえ!」
締め上げられたモルトールは,今やその体躯を宙に浮かせるほどであった。必死でマリアナの細腕を振りほどこうとしているがビクともしていない。今や彼の顔面は酸欠で青白くなっている。
「モルトール様を離せ!」
そのとき,取り巻きの一人が大声をあげた。突き出した両手に魔力が集まっている。まずい。攻撃魔法を使う気だ。
まさに魔法が形になる瞬間。目にも留まらぬ速さで,マリアナはその取り巻きの懐に潜り込んだ。私は白い残像を追うのが精一杯だった。
男が吹き飛んで廊下の壁に激突する。調度の壺が跳ね飛ばされ,大きく甲高い音を立てて割れた。
息も絶え絶えに地面に這いつくばるモルトールと,彼を抱き起こそうと駆けつけた取り巻きたちを睥睨し,マリアナは毅然と立っている。
そんな彼女を抱き起こされたモルトールがはっきりと殺気を込めた目で睨み返した。
私は怯えるアニヤとその友人たちを背に守ることしか出来なかった。




