退学要求
徐々に情報が集まるにつれラグダニエルが裏にいることが分かってきた。どうもあまり隠す気がないらしい。ガルマトゥリエで緊急動議が出された。マリアナおよび私への退学処分を決める学生裁判を行うことの動議である。提出者はブロンスト派の貴族で今回の武闘派の名目上のリーダーであるロダン伯爵家のモルトール。ラグダニエルの子飼いだ。
動議は受領されたが議長の慎重な判断により,正式な議題として次回審議に諮ることとなった。兄上が事前に手を回してくれたのだ。
ラグダニエルが黒幕だと判明する前から兄上と相談していた。私の全く根拠のない勘の話を兄上は信じてくれた。彼もそこはかとなくラグダニエルの影を感じていたようだ。まだ,情勢が掴みきれず,ガルマトゥリエがどのような決定に至るか分からないが,兄上は「必ず阻止する」と請け負ってくれた。力強い兄の言葉に私は非常に心強く思った。
さて,私とともに糾弾されることになったマリアナとはちゃんと話をしておく必要があるだろう。前回は私の態度が彼女の気に障り,物別れに終わってしまったが,今回は気に入る気に入らないとも言ってられないだろう。さっそく,私はマリアナのところへ向かった。
「マリアナさん」
「……アンタか」
マリアナはちょうど寮に帰ろうとしていた所だった。一人でいる所を捕まえて人目の付かない場所に誘った。例の庶民寮の裏庭である。今回敵はモルトールの一派だけではない。下級の貴族や庶民も含まれているのだ。彼らを説得するにしても,下手に動いて心証を悪くするのは避けねばならない。
「例の件のことか」
彼女はその綺麗な褐色の顔にやや疲労の色を滲ませていた。彼女にしても今回の退学要求は厄介なのだろう。腕っぷしは頼もしいが,こうした政治的な攻撃には何らの対処も出来そうにない彼女だ。ただでさえ孤立無援だから対処のしようもないのだろう。流石にどう身を振れば分からず途方に暮れていたようだ。短く切りそろえられた美しい白髪も今ばかりは力なく見える。
「今回は流石に協力して頂きますよ。あなたの退学要求が通っては私の身も危うい」
「そのことについては済まないと思っている。アンタには何の義理もないのに,オレのことに巻き込んだ」
そう言ってマリアナは頭を下げた。
……驚いた。私は彼女が素直に謝るとは思っていなかった。一度話しただけだがそれだけでも彼女がプライドの高い人物であることは分かった。しかも,私は彼女が毛嫌いしている貴族の一員だ。こうしてはっきり謝意を示してくれるとは思わなかった。
「なんだ,驚いた顔をしやがって。悪いと思ったら謝る。当然のことだ」
「いや,すみません。どうやらあなたを勘違いしていたようです。もちろん,謝罪は受け入れます」
性格は粗野そのものだが,だからといって野卑ではないということだろう。彼女は高潔さを持っている。龍人族の戦士としてのプライドということか。
「謝罪を受け入れてくれて感謝する。それで,オレはどうすればいい?」
「我々に対する退学要求を退けるために,今後の戦略を立てねばなりません。ご承知かと思いますが,あなたは私以上に危うい立場に居ます。あなたの退学に賛成する機運は,直接対立してきたモルトールの一派だけでなく,一般の生徒にも広がってきています。今後は下手に騒ぎを起こさないように。そうすれば,ガルマトゥリエはこちらでどうにかします」
「やつらに手を出されても黙っていろってか」
私の言葉にマリアナは気色ばんだ。プライドの高い彼女の反発は予想していた。どうにか説得をせねばならない。
「そうです。彼らを加害者,あなたを被害者とする構図がなければ,一般の生徒の同情を引けません。そうでもしなければ,ますます生徒たちは退学を支持するでしょう」
「ふざけるな! どうしてオレが奴らに屈しなければならねえ。 オレには戦士としての誇りがある」
「誇りは大事ですが,やり方を変えねば勝てません。そんなことはあなたも分かっているでしょう」
「抵抗しねえってのは負けたことと同じだ!」
「次のための布石です。戦士とて撤退せねばならないことはあるでしょう」
「こんなことは……こんなことは,戦士の恥だ!」
彼女は私に怒声を浴びせた。赤い瞳を爛々とさせ恐ろしいまでに怒気を発露している。戦士としての彼女の顔だった。殺気にまで近い彼女の怒りは,普通の人間ならば簡単に萎縮させるだろう。だが,偉大なる我が姉ロゼッタの膨大な魔力を正面から受け続けた私には,そんなものは虚仮威しにしか感じない。私とて腹に据えかねていることだってあるのだ。
「そうしたあなたの頑なさが事態をこうまでさせているのです。いい加減気づいたらどうですか」
「てめえに何が分かる。闘うことも知らねえ坊っちゃん風情が!」
「闘う? 格好の好いことばかり言いますね。あなたのは単なる自殺ですよ」
「なんだと! 侮辱してんのかてめえ!!」
マリアナは怒りの形相で私の胸ぐらを掴んだ。殴ってこないのは辛うじて残った矜持が彼女を引き止めるのだろう。
「こんなものは闘争でも何でもない。あなたは,単に現状を受け止められないだけです。誇りを賭けた闘い? 何をバカなことを。闘うことを知らないのはあなたじゃないか!」
「てめえ……。調子に乗るのもいい加減にしろ」
掴む手に力が込められる。もう片方の手は固く握りしめられ今にも私の顔面に飛んできそうだ。だが,怯んでやるものか。この馬鹿娘に,殴り合いではない本当の闘いを教えてやらねばならない。
「殴りますか。ご自由にどうぞ。それがあなたの誇りに適うものなら」
「脅しだと思ってんのか」
私たちは睨み合う。
互いに譲り合えないものがある。同意できないことがあるのは構わない。その時は同意できないことに同意すればよいのだ。対等な関係というのはそういうものだ。だが,彼女は何もかもを跳ね除ける。それでは到底協力関係など築けない。
「先程の謝罪は上辺だけだったのですか」
「なんだと」
私と彼女の距離は互いの荒々しい息遣いが感じられるほどだ。怒りに歪められた褐色の顔面がよく見えた。その燃える赤い瞳も,その整った鼻筋にきつく寄せられた皺も,その紅潮した褐色の頬も,形のよい唇のその鮮やかな血色も,よく見えた。
私はその赤い瞳を真っ向から見つめ続けた。真っ赤に燃え上がる炎に隠された彼女の本当の姿を見つけるために。
「龍人の戦士としての誇りは,関係のない人間を破滅に追いやっても,敵に立ち向かえと教えるのですか」
マリアナの険しい表情が少し緩んだ。
花壇の間抜けな花々が彼女の頭の後に見える。彼女はその極彩色に馴染むことはない。一際に苛烈にあって背後の色彩を色あせてさせ,一人毅然と私と対峙している。だが,彼女は知らないだろう。人はそれを孤独という。
気高く,単純で,短気で,何者も恐れまいとするこの娘は,それゆえに,あまりにも寂しいこの馬鹿娘は,このどうすることも出来ない状況に一人で藻掻いている。
彼女がたった一人でこの学院に入学してきた理由は知らない。それでも,きっと彼女には退学出来ない理由があるのだ。この学院に居続けたいと思う意思があるのだ。
「あなたにはこの学院で為さなければならないことがあるのでしょう」
「……」
「誇りある者は貴い。それゆえ誇りある者は名誉のために闘わなければならない。それは,あなたにも私にも言えることです。だから私は闘うのです。しかし,そうだからこそ,はっきり言います。あなたの闘い方は間違っている。他人の私を巻き込んで心中するようなマネは,龍人の戦士の誇りを傷つけるやり方じゃないですか」
「……」
彼女は押し黙ったままだった。うつむいた顔には,しかし,もはや怒りの色はなかった。
彼女は私の首元から力なく手を離した。だが,その手は今度は私の胸元を握りしめた。それはまるで縋り付くかのように。
「どうしたらいい……」
驚くほどに弱々しい声で彼女はつぶやいた。
思いの外小さな彼女のその姿に,私はほんの少しだけ本当の彼女の姿を見た気がした。




