夜の森にて
テトから呼び出しを受けた。洋湖亭の調査が済んだので,その報告があるとのことだった。指定された時間は皆が寝静まった頃だった。夜ふかしをするのは明日に響くが致し方あるまい。私は学生寮をこっそりと抜け出して,指定の場所へと向かった。ちなみに寮監のような者は居るが,大きな学生寮を一人で監視できるはずもなく,私はたやすく寮を後にすることが出来た。
待ち合わせ場所は学院に隣接している森の中の小屋であった。森といっても小規模なもので,縦横の長さは一時間もしないで横断できる。一応は学院の敷地だが,開発の手が回らず放って置かれているらしい。人の通った後が道になっているくらいで,ろくに整備もされていない。こんなところに建物があったなど驚きである。
広くない森といっても,迷えば抜け出すまでに苦労するし,崖になっているところもあるので気を抜くことは出来ない。念の為,日のあるうちに道を確認しておいたが,夜目にはなかなか昼間見た道が見つけられない。私は持ってきた灯りを頼りに,慎重に歩みを進めた。
月明かりは木々の葉に遮られてなかなか地面まで届かない。夜の森というのは手元の灯りが無ければ,ほとんど真っ暗である。それでいて静けさとは無縁で,なかなか騒がしい場所でもある。夜行性の動物が活発になる時間帯であるから,虫や鳥の鳴き声,小動物の草を分ける音など生き物の気配に満ちあふれていた。人を害するような動物は居ないらしいので,そこまで危険はないのだが,暗い森の中を頼りない灯り一つで進むのは,なんだか心細いものがある。私は自然,歩みが速くなった。
森に入って十分くらい歩くと,開けた場所に出た。月明かりに照らされて,ひっそりと木の小屋が建っているのが見えた。どうやら目当ての場所に着いたらしい。古びた小屋であるが,屋根が落ちたり壁に穴が空いたりはしていないようだ。
私が小屋に近づくとドアが開き,テトが顔を覗かせて出迎えてくれた。先方はもう到着しているらしい。
彼女の招きに応じて中に入った。小屋は物置とされているようで,壁際に色々なものが積まれている。中央に小ぶりなテーブルを置くのがやっとの広さだ。そのテーブルには小さなランプが明かりを灯している。おかげで,室内は人の顔を判別できるくらいには明るかった。それゆえ,部屋の中にテトの他にもうひとりの人物がおり,それが洋湖亭のルワンであることはドアが潜ってすぐに分かった。
「ルワンさん」
「夜分遅くに恐れ入ります,ルシア様」
ルワンは例の料理屋のおやじのような気さくな笑顔で挨拶してきた。私は会釈を返した。
テーブルには椅子が備えつけられており,ルワンはその椅子から立って出迎えてくれている。私は着席を勧められたので,テトともに席についた。
「ご足労ありがとうございます,ルワンさん。今回は直接来られたのですね。テトを通じて報告があるものと思いました」
「調査の最終報告ですから,こうしてお伺いさせて頂きました。それに,お渡ししたいものもございますので」
そう言って,彼は一冊のノートを取り出した。
「なるほど。ではそれの内容も含めてご報告いただくとしましょうか」
「ええ,もちろんです」
洋湖亭のルワンは調査結果を述べた。
概ね途中で受けた報告のとおり,ヴェスタ―家の裏商売についてとその秘密の工場について,彼はヴェスタ―家の帳簿や周辺地図などを指差しながら話してくれた。レブラントの栽培は所領の各地にあり,その合計の面積は相当なものになる。それゆえ総収量も膨大であった。これほどの栽培地を秘密裏に築くのは一代では無理だろう。聞けばヴェスタ―家は代々レブラントの栽培を行っていたらしい。本格的に収量を伸ばしたのは今代で,先代までは王国に数ある栽培業者の一つに過ぎなかったが,今代の当主によりヴェスタ―の名前は王国裏社会の中で不動のものとなった。現当主は,このオルランド王国に,ヴェスタ―の名の下にレブラントの王国を築き上げてしまった訳である。恐ろしいことだ。
「それにしても,凄まじい量ですね」
私は総収量の数字を眺めながら思わずうなった。
「圧倒的な供給力,そして王宮の監察を跳ね除けられる貴族の権力。これほど理想的な栽培業者は,大陸中を探してもヴェスタ―以外にないでしょう」
「恐ろしい相手ですね。今更ですが,こんな相手の調査をお願いして大丈夫だったのですか。ヴェスタ―との利害関係とかあったりするのでは」
「ご心配なさらず。我々の痕跡は一切残しておりませんから,ヴェスタ―が気づくことはありません。それに,洋湖亭の親分はレブラントを忌み嫌っております。彼らの仕事を請け負うこともありません」
「それなら良いですが」
私はほっと胸をなでおろした。思っていたよりもヴェスタ―家が危険な相手であるので,これ以上深入りすることは避けたかった。兄弟については今回のことで恨みを買うだろうから,こちらは後で何とかせねばならない。彼らのどちらかが当主になったときに復讐されるのは御免だ。
「それでは,兄弟とエル・エラスについての話に移りましょうか」
ヴェスタ―家についての概要を話し終えたルワンは,話題を兄弟に移した。
彼は手元のノートを開いて,兄弟たちが盗んだ薬の量を示した。そこから,兄弟のかすめていた薬はヴェスタ―家の総収量の1%にも満たないことが分かった。全体に比べると,ほんとうに微々たるものだ。家の帳簿の上では端数にしかならないような量だけを盗んでいたので,今まで隠しおおせていたのだろう。流石に慎重に事にあたっていたらしい。それでも,ごく僅かな割合とはいえ,全体の量が量である。兄弟とエル・エラスは遊びでは済まない量を手にしていた。
「そして,これが月ごとの収量と精製された薬の出荷量です。そして,こちらは収量に対して本来期待できる出荷量となります」
そう言って彼は三種類の数字が記載された表を示した。二つはヴェスタ―家の帳簿に記録された現実の数字,もう一つは実際の収量から計算した帳簿上の数字である。帳簿上の数字と実際の出荷量には誤差があった。その差は月によってばらつきはあるものの1%にも満たない。しかし……
「去年から誤差が大きくなっていますね」
「ええ。そして,薬の横流しが始まったのも去年。しかも,拡大した誤差の大きさと盗んだ薬の割合はちょうど一致します」
「なるほど,これは火を見るより明らかですね。しかし,ヴェスタ―家の者はこれに気づく者は居なかったのですか」
月ごとの実出荷量と期待出荷量とを見比べれば明らかだ。気づく人間が居てもおかしくはない。
「実は,これらの三つの数字は別々の帳簿に記載されているのです。それゆえ管理する人間もそれぞれ別人です。そのおかげで今まで発覚しなかったのでしょう」
「組織が大きくなった弊害という訳ですか。よく見つけましたね」
「ルシア様のおかげです」
そう言って,ルワンは手元のノートをトンと叩いた。
「エル・エラスの帳簿はとても役に立ちました」
「それは良かった」
余計なお世話かとも思ったが,役に立ったなら骨折りした甲斐もある。
「さて,これだけあれば交渉の材料としては十分です。数字の出典はありますね?」
「ええ,ここに」
そう言って先程の表の欄外を指差した。
「十分です。では,これで依頼は達成ということで」
「ありがとうございます」
そう言ってルワンはうやうやしく礼をした。
「ええ。次もまたお願いします。……ああ,そういえば,魔族の調査はいかがでしたか。急ぐものではないですが」
洋湖亭にはついでに別件の依頼もしていたのを思い出した。
「王都周辺の調査の件ですね。こちらは残念ながら成果はありませんでした。探索範囲を広げれば可能性もあるかもしれませんが,正直あまり期待できないかと」
「そうでしたか。いえ,これで十分です。あくまで確認のためですから」
騒動の黒幕が魔族だというのは飛躍しすぎだったろうか。今回の件は自然発生的なものにすぎないのか。
話も済んだのでお開きとなった。ルワンは「テトをよろしくお願いします」などと言い残して森の暗闇に姿を消した。どこか素っ気ないその物言いから,彼もまたテトを気にかけている人間だと知れた。案外,彼女の顔を見るためにわざわざ学院に来たのかも知れない。
「さ,私たちも帰りますか」
「……ご一緒してもよろしいのですか」
テトは気後れしたように言った。
「もちろんです。森の夜道は危険ですからね,むしろ私が送って頂きたいくらいなんですよ」
彼女が居てくれれば,びくびくしながら森の中を歩かずとも済む。私たちは二人灯りを持ちながら小屋を後にした。
夜の森を二人して歩く。隣を彼女が歩いてくれるおかげでずいぶんと心強い。
「これで騒動も収まりますでしょうか」
テトがポツリとつぶやいた。任務で学生をしているとはいえ,彼女も学院の生徒には違いない。彼女なりに今回の件を心配するのだろう。
「物騒な連中はこれで排除できます。ただ,これで貴族たちの気持ちが静まるとは思えませんね」
「そう,ですよね……」
「もう一波乱あるでしょう。そこで片をつけねばなりません」
リネルに言われるまでもなく,人は振り上げた拳を容易には下ろせない。プライドの高い貴族の倅たちであれば尚更だ。この上,ガルマトゥリエの布告が出れば,彼らが不満を限界まで膨らませるのは目に見えていた。
「なにかお考えがあるのですか」
「さて。落とし所を探している所です。布告を出す目処は立ちましたが,その後をどうするかは問題です。穏便に済ませたいですが,どうも簡単には行かないようですし」
私はそう答える他なかった。問題の根は彼らの感情にある。それゆえに,話し合いは通じない。彼らの怒りや憎しみが,それに勝る他の強い感情に塗りつぶされない限りは。
当事者たちのうち一人でも相手への寛容と同情心を持てば,この問題はずっと穏やかに解決できるのだろう。しかし,そのような善き感情を促せる者が居るだろうか。少なくとも私には無理だ。
私は思わず愚痴のような事をこぼしてしまった。
「だれもが貴方のようにいい人であれば,ここまで厄介なことにならないのでしょう」
テトはちらりと私の方を見てふっと微笑んだ。
「僕は善人なんかじゃありません。僕は依頼をこなすだけで,ルシア様のように,たくさんの人のためには働いている訳ではありませんから」
「まるで私が善人のような言い方ですね」
「違うのですか?」
微笑みに悪戯げな色があった。彼女にしては珍しい表情だった。少しからかいを含んだ口調は,なにか私の心を軽くさせてくれた。やはり,彼女はいい人だ。
「善人は人を脅したりしないでしょう」
「そうかもしれません。僕もルシア様も善人でないかもしれません。でも,聖人君子の知らざる道を歩まねば,今頃僕は生きてはいません。きっと,善人でない僕らでなければ成せないこともありますよ」
どうやら,彼女は励ましてくれているようだ。
彼女は親愛の情を向けてくれている。私は暖かな気持ちに包まれるとともに彼女に申し訳なくも思った。テトとは仕事上のパートナーであり学友でもあるという,なかなか定まりきらない独特な関係だ。私はその独特な関係をそもそも定まらないものだとして,どうこうする気はなかった。そのことが彼女と距離を置くような態度になって表れてはいなかったか。
「……そう言って頂けるとありがたいです。やはり,貴女はいい人ですよ。業に囚われることのない貴女は強い人です」
「そ,そんな,僕なんか大したことありませんよ」
彼女は照れたように言う。僅かな灯りしかないから分からないが,きっと彼女は耳を赤くしているのだろう。どうして彼女は純粋で居られるのだろうか。彼女の境遇を考えれば不思議でならない。
「あまり謙遜しないで下さい。本人に否定されたら私の目が節穴のようではありませんか」
「い,いえ,えっと。……ルシア様は意地悪ですね」
「ははは」
返事のしように窮した彼女は,私の言葉がそもそも返事のしようがないことに気づいたらしい。先程からかってくれたお返しである。
きっと,彼女も気づくだろう。汚泥にまみれた人生でも純粋さを失わない自分の心の強さを。そのことに気づきさえすれば,彼女を悩ましている友達問題など容易く解決してしまえるだろう。それほどに,彼女は魅力を持った人なのだ。
私たちは軽口を叩きながら夜の森を歩いた。彼女は気づいただろうか。さながら気の置けない友人同士のような心地よさが二人の間にあった。
手持ちの灯りが森の闇を仄かに照らす。夜の森のさざめきも今は心地良かった。
気分の好い夜だった。




