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侯爵家次男は転生の夢をみる  作者: 半蔀
学院、初年度の騒乱
33/85

早朝の裏庭にて

 私はランプを手にエル・エラスを部屋の外まで見送り,暗いから気をつけて帰るように,と言って彼を帰した。彼はその大きな体をビクビクとさせて,終始私に気を使う様子だった。

 ランプを机に置いて窓の扉を開けた。ガラス越しに自分の顔がうすぼんやりと見えた。その顔は自分でも驚くほど冷ややかだった。ルシアという人間はこういう顔もするのか,と思った。なんだか久しぶりに自分が自分でない感じがした。人格と肉体とがどこか噛み合わないような感覚だ。

 十三年という月日をルシア・ブラドスキーとして生きてきた。はじめの,物心ついた頃の私は,自分の肉体がどこか他人事のような感じがしてならなかった。私という自我がルシア・ブラドスキーという箱に押し込められているという感覚を強烈に覚えていた。それが薄れてほとんど意識することもなくなったのは,いつの頃からだっただろうか。あのルネス邸での日々は,体と意識とを徐々にすり合わせてくれたように思える。しかし,今この瞬間だけは,あの,自我を押し込められたような,あの感覚が戻った。ガラスの中の瞳がお前は誰なのかと問うようだった。

 私は深いため息をついた。

 考えるのはよそう。どうせ,答えの出る話ではない。自分の存在理由を考え込んでも精神衛生に悪いだけだ。わざわざ自分で自分の自己同一性を揺さぶる必要はないだろう。

 そう思っても,私は己の瞳に囚われて目をそらすことが出来なかった。親の容姿を受け継いで十三歳のルシアは美しい少年へと育った。おそらく母親似なのか,やや中性的な面立ちをしている。この貴い血を持つ少年は,本来どのような人間だったのだろうか。先程のような冷たい表情をする少年だったのだろうか。きっと私のようにのんきには過ごしておるまい。侯爵家という重荷と複雑な家庭環境とから影のある子に育っていたかもしれない。それとも,そんなものを跳ね除けるくらい明るく前向きな子だっただろうか? 今になっては確かめる術もない。

 私の意識の中に,本来の彼と呼べるものが僅かばかりでも存在しうるのだろうか。私はどこまでが私で,どこまでが私でないのか。もし,本来の彼が私の意識の底にでも眠っているのだとしたら,この夜のことをどう思うだろうか。力を使って無理やり人の秘密を暴いて平然としている私を彼は非難するだろうか。必要なことは何でもやるべきだと賛成してくれるだろうか。

 私はそんなことを考えずにはいられなかった。



 朝になって,私は寝不足の頭でふらつきそうになりながら,テトと会った。エル・エラスから聞き出した情報を伝えるためだ。

 早朝に彼女の部屋を訪れた。彼女の部屋は庶民寮にある。朝の早い時間だからまだ人気も少ない。女子寮に入り込んでも人目につくことはなかった。よしんば見つかっても友人に用があると言えば済む話だ。ちなみに,彼女も私と同じくルームメイトが居ない。同室の者が居ては夜の行動などに支障が出るから洋湖亭が手配したのだろう。

 ドア越しに呼びかけると,テトは「ちょっとお待ちください」と何やら焦ったような声で返事した。しばらく待つと彼女が出てきた。ドアを少し開いて隙間から彼女は姿を見せた。その様子が,なんだか私に部屋の中を見せまいとしているようだった。まあ,淑女の部屋を覗く趣味はないから見る気は初めから無いのだが。彼女のどこか必死そうな姿から部屋の様子を察してしまう。案外,片付けが苦手なのだろうか。

 流石に部屋に入る訳にもいかないので寮の裏庭で話すことにした。寮生が管理しているらしい庭は,デタラメに植物が植わっていて,決して美しいものではない。それでも,まあ,一応は目の保養になるくらいには,色とりどりの花が咲いていた。

 私たちは庭のベンチに座って話をすることにした。

「あの,ルシア様,顔色が悪いですが,大丈夫ですか?」

 テトは私の調子の悪いことを心配してくれた。私は「ちょっと寝不足でして」と返すと,なんだか彼女は複雑そうな顔をした。今回の依頼,尋問は私がやると伝えたとき,彼女は気が進まなそうな様子だった。尋問などということは,本来私がやることではなく,彼女ら洋湖亭の領分だ。実際,彼女にエル・エラスを捕らえるよう頼んだとき,彼女は情報を吐かせるのも任せてほしいと進言した。彼女が吐かせると言ったなら,それは拷問でもして吐かせるということだ。流石に,そこまではさせられない。たしかに,エル・エラスはあまり遠慮が必要な相手ではないが,それでも一応は同じ学院の同級生である。暴力に訴えるのは穏やかではない。

「私のことはお気になさらず。早速,エル・エラスから聞き出したことをお伝えしましょう」

 彼女は釈然としない顔をしながらも,私の話に耳を傾けた。

 エル・エラスは薬の横流しについての詳細を話してくれた。エル・エラスとヴェスタ―兄弟は思ったよりも派手にやっていた。彼らがやっていたのは掠めた薬の転売だった。家の薬をちょろまかして自分らのために使うのとは訳が違う。彼らは金のために家の在庫の少なくない量を自分らで闇ルートに流していた。兄弟とエル・エラスは家の出荷量と商会への搬入量を書き換えることで,あぶれた在庫を自身らの懐に入れていた。かなり,危険な行為だろう。バレれば息子とはいえ許される行為ではない。

「そんなことを……」

 テトも驚いた様子だった。もしかしたら知っているかと思ったが知らないようだ。洋湖亭にとっては当主の悪行のほうが大事で,悪戯じみた倅の所業など眼中にないのだろう。所詮は三人だけの裏商売であるから横領も小規模だろうし,本来なら放っておいても問題にならないことだ。兄弟が影に隠れてこそこそ何かやっていたと承知でも,洋湖亭がわざわざ調査しなかったのも無理はない。

「ヴェスタ―家の収入からしたら大したことない額でしょうが,それでもまあまあ大胆な行動と言わざるを得ませんね」

「ええ,僕もまさか,そんな馬鹿なことを彼らがしているとは思いませんでした」

「まったくです。ですが,彼らは馬鹿ではありますが,愚鈍ではないのが厄介です。証拠はきちんと処理して残さないようにしているようです」

 私は思わず呆れた調子で言った。綱渡りにもほどがあるが妙なところで堅実なのが気に食わない。兄弟の知恵なのか。それとも,案外,エル・エラスの入れ知恵だったりするのだろうか。

「なるほど。しかし,それは,盗まれる側に証拠を残さなかっただけということですよね」

 テトはずばり言い当てた。流石にこういう案件は慣れているのか,平然とした表情で言った。

「そのとおり,エル・エラスが話してくれたのは裏帳簿のことです」

 腐っても商人の倅ということだ。彼は兄弟にも内緒で記録を付けていたのだ。

 商会の販売網を密かに拝借して,盗んだレブラントを巧妙に市場で売り捌いていたのはエル・エラスであった。彼はなんと,薬の売上をごまかして自身の懐に入れていたのだ。

 彼は盗んだ薬を一度で全部は売らなかった。盗んだ薬を小分けにして市場に流したのだ。一本の流通路に大量に流せば,たしかに儲けは大きいが見つかるリスクも高い。一方で複数の流通路で少量ずつ流せば,儲けは少なくとも見つかるリスクははるかに少ない。しかも,それを分散して同時にやっているのだから,かえって全量を売るより早くさばけるだろう。その複雑な流通の手続きを理解するのは,とてもでないが兄弟には無理で,この男の頭でしか出来ないことだった。それゆえ,エル・エラスにとっては,個別の売上から合計の売上を作って,そこからコストを引いて尤もらしい利益を計算するのに,筆先で自身の懐が温まる錬金術を行うことぐらい朝飯前だった。対面した感じではとても思慮深い人間とは思えなかったが,案外商売に関しては慎重な判断ができるらしい。

 それにしても,この男はなんという奴であろう。実家に盗みを働く兄弟も兄弟だが,主家から盗んだ上に仕事仲間からも金をちょろまかしているのだから。兄弟は夢にも思うまい。実家から盗んだ金をその盗人仲間に盗まれているとは。まったく,愉快な連中である。

「……そういう訳で,彼の帳簿があれば,彼らが盗んだ薬の量を割り出すなど容易な作業でしょう。その量が,ヴェスタ―家の記録上の出荷量と農園の生産可能数との微妙なズレに一致すれば面白いですね」

「おっしゃるとおりです。……情報ありがとうございます。早速,本部に伝えることにします」

「ええ,よしなにお願いします」

 私は彼女に笑って返事した。洋湖亭なら上手くやるだろう。


「ところで,話は変わりますが」

 そう言って,本件はこれで片付いたと言わんばかりに私は話題を変えた。出し抜けに話を変えたものだから,テトは少々動揺したようだ。

「え,はい,なんでしょうか?」

「あなたも学院に入って一ヶ月となるでしょう。私以外に”友達”は出来ましたか」

「え,ええと,それは,どういったご意図でしょうか」

 彼女は困ったような顔をして聞き返してきた。

「ああ,堅苦しく感じないで下さい。深い意図はありません。本当に貴方の学院生活に興味があるだけです」

「そう,ですか。えっと,授業で席が隣になった方とは,挨拶をするくらいでして……」

「食堂で一緒になったり,授業の合間に雑談する相手は」

「……おりませんでして」

 テトは気恥しそうにしてうつむいた。

「そんなことだと思いました。貴方だって,洋湖亭から普通の友達を作れとか言われているのでしょう」

「な,なぜそのことを! まさか,ルワン兄さんが」

「いいえ。私の推測です」

 テトは驚いた表情のまま固まってしまった。こんなハッタリに引っかかるようで大丈夫だろうか。

 彼女は洋湖亭に入って日が浅い新人だ。すなわち,まだ見習いという立場である。今回の派遣も研修の一環なのだろうことは,すでに以前私が考えたことだ。洋湖亭も良い機会だと思ったのだろう,どこか浮世離れした彼女にとって学院は年相応の振る舞いを身につけるにはうってつけの環境である。研修の一環で送り込んだ以上,なにかしら課題を課していると思った。

「その,ルシア様の言われたとおりで……。兄さんたちから,今のお前じゃ雰囲気で筋者だとバレバレだから直してこい,と。少なくとも同世代の友達を十人作るまで帰ってくるなと,言われておりまして……」

「へえ,洋湖亭の人たちも意外と後輩想いじゃないですか。して,成果のほどは」

「ル,ルシア様は数に入れても……?」

「依頼人含めちゃだめしょう」

 すげなく言うと,彼女はあからさまに表情を暗くして,絞り出すように「ゼロです……」と呟いた。

「むむ,この前アニヤ君を紹介したじゃないですか」

「あれきり,喋れておりません……」

「挨拶くらいすればよいじゃないですか」

「いちおう,試みてはいるのですが,その,いざ話し掛けようとすると,なかなか勇気が」

「勇気って,魔境に潜っていた貴方が何をいいますか。あんな所へ行くよりはるかに簡単でしょう」

「ぜんぜん簡単じゃないです……」

 彼女は情けない声を出して落ち込んでしまった。誰もが恐れる魔境には平然として足を踏み入れるくせに,こうしたことに対してはとことん怖気づく彼女であった。

「……あなたのことがよっぽど心配になってきましたよ」

「ルシア様……」

 彼女は再度情けない声を出して,ほとほと困りきったと言わんばかりの表情をした。仕事では頼もしい相手なのだが,プライベートはなかなか格好がつかない人だ。

「ひとまず,アニヤ君とは友達になりましょう。あなた,召喚術の授業はとっていなかったですよね」

「は,はい。魔術系の授業はあまりとっていないもので」

「では,とりましょう」

 召喚術仲間になってしまいさえすれば,アニヤと友達になるのは,ハリーダンプキンを召喚するよりも簡単だろう。アニヤの友達は召喚術の授業はとっていないから,話かけるチャンスはいくらでもある。中途半端な時期に履修することになるが,ルドゥロフ老師に頼めばなんとかなるだろう。召喚術を学びたい人間を彼は拒みはしない。

「で,でも,そんな急に」

「善は急げと言うでしょう」

「聞いたことないです……」

 いい加減なことを言うとそう返された。この世界にはそんな諺はないらしい。

 結局,熱心な私の勧誘の効果で,テトは授業に出ることを承諾した。彼女は押しに弱いところがある。

 これでアニヤと私に加えて召喚術仲間が一人増えることになった。そういえば,学院では同好会や研究会を三人から設立できたはずだ。ついでに召喚術研究会でも起ち上げてみるのも面白いかもしれない。

 私は,なぜかうなだれるテトを眺めながらそんな計画を立てるのだった。

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