依頼
私はミリエル嬢の研究室に向かっていた。姉上たちに聞きたいことがあったためだ。おそらく姉上も居るだろう。自分の研究室があるというのに,相変わらず我が姉は彼女の部屋に入り浸っているらしい。
「失礼します」
扉を叩くと気のないミリエル嬢の返事が聞こえた。とりあえず許可は得たので入室した。
「あ,ルシア様」
何やら作業をしていたらしいミリエル嬢が,机に座ったまま振り向いて出迎えてくれた。我が姉も居る。姉上は休憩用のソファに深々と寝そべって本を読んでいた。
「姉上,その格好は流石にどうかと思うのですよ。来客が私であったからよいものを」
「ここに来る人はルシアぐらいよ。だから平気」
姉上は本を読む手を止めずにそう言った。そもそも淑女としてどうかという話なので,平気も何もない。
「……まあ,いいとしましょう。それはそうと場所を空けて下さいよ,私が座れないではありませんか」
「えー。今いいところだったのに」
姉上はぶつくさ文句言いながらも,体を起こしてスペースを空けてくれた。
部屋の中は,前回来たときに言っておいたおかげか,ある程度片付けられていた。しっかり整理整頓できているとは言えないが,前よりかはましだろう。そのご褒美というわけではないが,私はお土産に茶菓子と茶葉を持ってきた。家のものに送って貰ったのだ。
流石にティーセットぐらいは用意したらしいので,お湯を沸かして持参した紅茶を淹れる。ちなみに湯沸かし器などといった便利なものはこの世界に存在しないので,普通は給湯室でお湯を分けて貰わねばならない。だがしかし,我々には姉上がいる。我が姉ロゼッタの手に掛かれば火の魔法を巧みに操ってお湯を沸かすことくらい造作もない。
「今日はどうしたのですか,ルシア様」
ミリエル嬢は,淹れたての紅茶を一口含むと,早速用向きを訊いてきた。
「お二人にお尋ねしたいことがありまして。精神に作用するような魔法についてのことなのですが」
「精神魔法?」
私が持ってきたお茶菓子を嬉しそうに頬張っていた姉上が手を止めて聞き返してきた。流石に魔法のこととなると俄然興味が湧くのだろう。
「ええ。たとえば,不特定多数の人間を興奮状態にするような魔法,といったものはあり得るでしょうか」
やや遠回しの質問になってしまったが,姉上は考え込むような表情をしながら答えてくれた。
「そうね……一般的に精神魔法は一人の人間を対象とするものが多いのよ。主に心の不調を治療するために使われるの。敵国の捕虜や犯罪者に自白させるために使われたりもするけど,それほど強力なものは使い手が限られるわ。ましてや複数人に対して精神に変調をきたすような魔法は,普通の魔術師にはまず無理だと思うわ」
「お嬢様の仰るとおり,今の精神系の魔法は一人の人間を対象としたものです。ですが,古い文献には戦士たちを鼓舞するような魔法が開戦前に使われたという記述もあります。どのくらいの効果があったものなのかは不明ですが,技術としては存在しうるのではないでしょうか」
「そうね,古代ルシーカの頃にはそうした魔法が使われたと聞くわ。ただ,今の時代,そうした魔法が使える人間は居ないと思う。興奮状態の程度にもよるかもしれないけど」
そう言って,ミリエル嬢の方を向いていた姉上は,その思案顔を私に向けてきた。
「そうですね,普段からは考えられないほど好戦的になる,とかはどうでしょう」
「そう……。もし,そうした魔法があるのだとすれば,使える存在は魔族ぐらいね」
「魔族ですか」
「ええ。私たち人族よりもはるかに長生きで魔法に長けた種族ね。他種族に対してあまり友好的でないから,魔族に会った人間はごくわずかだけどね。最後に魔族と思われる存在に人が接触したのは,記録上だと今から五十年前だそうよ」
「なるほど……」
私も魔族という存在については本の中でしか知らない。だが,存在しないという訳ではないようだ。人間にとっては五十年は随分昔のことかもしれないが,人間の数倍の寿命があると言われる魔族にとってはそれほど昔ではない。その記録上の魔族は今もどこかに存在しているのだろうし,魔族のコミュニティ自体存続している可能性がある。
「どうかしたの」
考え込む私を不審に思ってか姉上が声をかけてきた。私は「何でもありません」と首を振った。
「もしかして,ルシアの学年で起こっている騒動,精神魔法を疑ってるの?」
姉上は誤魔化されてはくれなかった。流石に,こんなことを私が尋ねれば感づくか。
「……実は,おっしゃる通りです。普段の性格からは暴動に参加しないような人間でも,我を忘れたかのように騒動に加担していると聞きました。今回の騒動,もしかしたら裏があるやもしれません」
「その裏というのが魔族だと,ルシアは思うわけね」
「おっしゃるとおりです」
「あまり深い入りするのは危険よ。もし本当に魔族が居るのだとしたら,ルシアなんて,指先を動かすだけで殺されてしまうわ」
姉上は冷静な表情で恐ろしいことを言う。私は彼女の脅しに苦笑するばかりであったのだが,この脅しが効いたのはむしろミリエル嬢であった。
「そうですよ! ルシア様,お願いですから危険なことはなさらないで下さい。もし,ルシア様の身に何かあったらと思うとゾッとしません」
彼女は心配げな表情で私の身を案じてくれる。もちろん,私とてみすみすこの身を危険に曝すつもりはない。それに,事件の背後に魔族がいるというのは,今は突拍子もない話でしかない。今はまだ,それほど心配することではないだろう。
「先生には心配をおかけしますが,何も魔族と対峙せねばならないと決まった訳ではありません。可能性の一つとしてあり得るのではと思った程度です。それに,ご存知の通り,私には戦う力など皆無ですから,自ら危険に飛び込んだりはしませんよ」
「本当ですよ。本当に無茶はなさらないで下さいね……」
ミリエル嬢は寂しそうな表情で力なく言った。
皆が寝静まった頃の貴族寮。私は自室の窓を開けて夜風に当たっていた。
机の上のランプの光が柔らかに外に漏れ出るのみで,窓の外には月明かりにうっすらと浮かぶ学舎の輪郭が見えるばかりである。月に照らされた学院の立派な建物を見るのは趣があるが,こうして夜風に当たるのは気分転換のためではない。人を待っているのだ。
そろそろ時間である。と思ってすぐに,気配もなく窓の外に人の姿が現れた。屋根を伝って来たのだろうに,足音一つさせないというのは流石プロである。私が無言で頷くと,彼は室内に滑るように入ってきた。私は窓を静かに閉め切った。それで,ようやく,言葉を交わす事ができた。
「お初にお目にかかります,閣下。洋湖亭のルワンと申します」
赤髪のやや面長の中肉中背の中年男である。そこらの料理屋の主人でもしていそうな顔であった。一方で,格好は夜に紛れるような黒装束であり,その物々しさが彼の平凡な顔面に似つかわしくなかった。
名前と風貌は事前に連絡があった通りである。彼こそが,父上から紹介してもらったツテである,諜報や工作活動から暗殺まで裏仕事を何でもこなす組織,洋湖亭の一員であった。
「ルシア・ブラドスキーです。ご存知のとおり,父の紹介で貴方がたのことを知りました」
「ご子息の方にもご用命頂き,我々としても鼻が高いばかりです。さて,今回は初回ということで,こうして直接お会いさせて頂きましたが,今後はこちらから連絡員をお近くに配置させて頂きます。テトという名で閣下とも年の近い者です。御用の際は,そちらまでご連絡ください」
「近くに,ということは生徒として潜り込ませる訳ですか。そんなことが可能なので」
「我々にかかれば造作もないことで」
男は何でもないと言った顔つきである。
「なるほど。それにしても,手厚いですね。私一人のために専任をつけるなど」
男はにこりと笑った。商売の人間が客に見せるような外向きの笑みだ。
「旦那様には我々も大変お世話になっておりますから,閣下とも末永くお付き合いさせて頂きたく」
「分かっておりますよ。私も貴方がたのような存在が居てくれると助かります。では,早速依頼の話に移らせて頂きましょうか」
「ええ,もちろんでございます」
私はルワンに依頼の内容を伝えた。内容はヴェスター兄弟の説得材料を探すことを目的に,ヴェスター家を洗うことである。
私とリネルが兄弟の弱みを探すために調査した限りでは,兄弟の女癖は相当に悪く被害に遭った平民の娘は何人にも昇るらしいことが分かった。だが,被害の実態はなかなか掴めなかった。というのも,被害者の女性の記憶が曖昧で,被害時の状況を詳しく覚えている者が居なかったのだ。当人たちは誰に襲われたかをはっきりとは覚えてはおらず,加害者が誰なのか分からずじまいなケースがほとんどなのだ。兄弟の仕業であると分かったケースでも,高額の示談金で片を付けられてしまっている。したがって,事件の大半は,状況からして兄弟の仕業だろうと思われるが,女性たちが加害者を覚えていないこともあって,未解決のままに終わっている。
私達は被害者の記憶の混濁に注目した。魔法による可能性もあったが記憶を弄るほどの強力な魔法は行使が困難なので,私とリネルは真っ先に薬物の使用を疑った。意識を混濁させるほど強力な薬は確かに存在し,流石にこの世界であっても王国の法律で禁じられている。薬物の使用を疑うとなると,入手先はどこかという話になる。私は被害の頻度に着目した。もし,違法薬物をその筋の商人から手に入れているなら,被害の数が多すぎる気がしたのだ。薬品が切れたりすれば間が空きそうなものなのに,定期的に被害に遭う女性がいる。それで,闇商人から商品を小分けに購入しているというよりは,ブローカーから大量に仕入れて商品を保管していると考えられた。
もちろん,薬物使用は今の段階では確証のない仮定の話だが,証拠が出れば一連の話は裏付けられる。そこで,違法薬物のルートと薬物の保管場所を探してもらうために,彼ら洋湖亭に協力を依頼したという訳だ。
「なるほど,よくお調べになっている」
洋湖亭のルワンは感心したような声をあげた。
「さすがに,貴方がたに全部任せる訳にもいきません。とはいえ,こちらが調べられたことはこれだけです」
「十分にございます。……そうですね,五日ほどお時間を頂きましょう。その間に材料を集めて参ります。もちろん,途中経過は都度お知らせ致しますよ」
「ええ,なるべく早くお願いします。我々もあまり時間に余裕がないものですから」
「心得ております。さて,それでは,他にご用件なければこれにて失礼させて頂きます」
「そうですね,一件だけ。優先順位は低くて構わないのですが」
話を切り上げようとしたルワンを私は引き止めた。彼はちょっと驚いた様子を見せたが,すぐに快く「お聞かせ下さい」と返事した。
「魔族についてです。ここ最近,この王国の付近で流れている魔族に関する情報を集めて頂きたいのです。単なる噂でも良いので」
「魔族ですか……。ご依頼は承知しましたが,正直収穫があるとは……」
洋湖亭のルワンは語尾を濁らせた。意味のある情報は集まらないと言いたいのだろう。
「その場合は,私の思い過ごしだったと分かるので良しとします。とにかく可能性を潰したいだけですから」
可能性は低いと思うが,かと言って無視できない証言もある。ユリア嬢の懸念については調べておく必要があると思っていた。
「承知いたしました。では,早速仕事に取り掛からせて頂きましょう」
「期待しています」
男は敬々しくお辞儀をした。そして「失礼」と言って窓を開け,入ってきた時のように滑るように外へ出て行ってしまうと,あっという間に夜の闇に溶けていった。
私は彼が開けて行った窓を閉めると,机の上の明かりを消した。暖かな光が消え,暗闇が部屋を満たした。しばらくして目が慣れると,冷ややかな月明かりがぼんやりと部屋の輪郭を浮き上がらせた。私は月明かりを頼りにベッドに腰掛けた。
どこか逸る気持ちがした。結果が待ち遠しいというのではない。つい先程の男とのやり取りを思い返して,今更に緊張が身を震わせた。僅かでも歩みを間違えれば,たちまち道を踏み外すだろう。先程の赤髪の男を思い返した。彼の平凡な顔面にあった青い両の目を思い出した。その冷ややかさ,その徹底さ。青色の眼光は揺るぎなかった。もし,私がヴェスターの暗殺を命じても,かの男は躊躇なく実行するのだろう。洋湖亭の力は非常に強力だ。それゆえ,身を滅ぼしかねない諸刃の剣だ。
私は,目が冴えて眠れない頭を抱えて,決して間違うまいと心に誓うのだった。




