ユリア・フィッシャー
兄上から標的となる中立派の五人の名前のリストが届いた。この連中を切り崩すことができれば,ガルマトゥリエでの採決で我々は過半数を取ることができる。
リストの攻略は私と兄上とで分担することとした。私の標的は五人のうちの二人,ヴェスター兄弟である。ヴェスター伯爵家の双子の兄弟であるフルール・ヴェスターとフリール・ヴェスターとは私と同じく一年である。同学年ということもあり,私も話しやすいだろうという兄上の配慮だ。
ヴェスター伯爵家は広大な農園の経営で地位を築いた家だ。領地の大きさだけで言えば,オルランド王国でも五指に入る。政治的には保守派で,我が家とも派閥としては近しいものがある。それだけに,交渉はスムーズに進むかと思われたが,そう簡単には事は進まない。
「これはひどいですね……」
私はリネルに頼んで,ヴェスター兄弟の噂を集めてもらった。情報は割合簡単に集まった。いずれも,良い噂とは言えないものばかりだった。
「学院に入ってまだ数ヶ月というのに,平民の女学生への度重なる嫌がらせが報告されています。中には,その,無理やりされた者も,いるとか。もともと,領地でも女癖の悪さは有名だそうです。狙われるのは,抵抗出来ない身分の低い娘ばかり。これは,なんと,言いますか」
「クズですね。こんな下劣な人間が伯爵とは信じがたいことです。出来れば即刻退学にしてやりたい所ですが,この二人をアテにするしか今は手がありません。やむを得ません,交渉するしかないでしょう」
中立派の中でも,実家が政治的に対立しておらず,話の通じる相手といえば,兄上のリストの五人くらいなのだ。人として明らかに悪党な相手であっても,その立場は我々にとって重要である。
私はヴェスター兄弟に茶会の招待状を送った。こちらの意図は匂わせるように書いた。相手もただのお茶飲みの場ではないことは察するだろう。
茶会は少々急だが三日後とした。しかし,私はそれまでのんびりしていられる身分でもない。騒ぎを起こしている武闘派の貴族たちを抑えるための策を打たなければならない。
武闘派の者たちは皆,武門の志望であり,実家も軍関係の者ばかりだ。それゆえ,軍閥とは距離を置くブラドスキーの言葉は,どうしても彼らの心には響きづらい。ここは彼らをまとめられるだけの人望があり,この事態を憂う良識ある人間を探す必要があった。しかし,これにはそれほど苦労しなかった。
我が家とは派閥が異なるが,同じく保守派の貴族で,軍閥の重鎮フィシャー伯爵の娘ユリア・フィッシャーである。彼女は私より一個年上の二年の生徒だ。気の強い性格でリーダーシップもあり軍関係の子弟には強い発言力がある。やや短気なところが珠に傷だが,それを補っても余りある求心力がある。身内は絶対に守る姉御肌なところがあるらしい。血の気の多い連中の抑え役としては,これほど適任な人物はいないだろう。
あまり時間もないので直接会うことにした。いささか不躾だが,今回は急を要するので仕方がない。
「ごきげんよう,閣下。よい天気ですね」
リネルを通じて彼女を中庭に呼び出した。ちょっとした花壇があって気持ちの良い中庭なので,普段は数人の生徒が談笑しているのだが,今は他に人は居ない。どうやらリネルが気を利かして人払いをしてくれたらしい。
印象的な赤髪を揺らしながら現れたユリア嬢は,やや古風な衣装を身にまとって,中身の活力を少しでもその落ち着いた装いで抑えようとしているかのようである。それでも,彼女の存在感はちっとも薄れることはない。人目を惹かざるを得ないこの少女は,つり目ぎみの碧眼で相手を真正面から臆面もなく捉えるので,人によってはキツイ印象を受けるだろう。実際,彼女をこの場に呼びつけた私としては,彼女が不機嫌なのではないかと勘ぐって,思わず恐縮してしまいそうなほどである。
内心怯みそうな私など構いもせず,ユリア・フィッシャーは堂々とした足取りでこの場に現れた。
私も何とか言わねばならないので,当たり障りなく挨拶を返した。
「お呼び立てして申し訳ありません,ユリア嬢。事を急ぐものでして」
「ええ,聞き及んでおりますわ」
ユリアは委細承知と言わんばかりに頷いた。彼女の声色からは怒った様子も感じられなかったので,私は内心ほっとした。しかも,こちらの事情は把握しているらしい。これなら話は早い。
立ち話も何だからと,私は中庭のベンチを勧めた。しかし,彼女は花壇を見たいからと着席を断った。馴れ合うつもりは無いということだろう。
色鮮やかな花壇の前に二人立ち並んだ。私は花々を鑑賞する暇もなく本題を切り出した。
「騒ぎを起こしている貴族たちは,みな軍閥貴族の者たちです。名誉を傷つけられたという彼らの言い分も分からなくはありませんが,それでも私兵まで持ち出してくるのは行き過ぎでしょう。今,ガルマトゥリエから布告を出させる準備をしておりますが,状況は不安定です。騒動が大きくなれば,塔の方々がどのように動くか読めません。それで,貴女にご協力を願いたいのです」
「私に,大騒ぎしている者たちを抑えよ,と仰るのですね閣下」
彼女の言葉には棘がある。それも仕方のないことだろう。
「不躾なお願いであることは承知しています。しかし,これは貴女にしかお願い出来ない事なのです」
「もちろん理解致しますわ。そして貴方様のご要望に添えるのが,このユリア以外には居ないことも」
彼女はその青い瞳で私を見据えた。
「私に選択肢はありませんわね」
ユリアは冷ややかな表情で言った。私の思惑などお見通しと言わんばかりである。
「……おっしゃる通り,貴女が断るはずはないことは承知の上で,お頼みしております」
「頼み事? ふふふ,それは,もはや,命令ではございませんか,閣下」
彼女は笑いながら私から視線を外して花壇へと向けた。逸らされてしまったその瞳には,私への軽蔑の色が浮かんでいるのだろうか。私は何だか居たたまれなくなった。
彼女の言うことは図星をついている。私はユリア嬢をまるで駒みたく都合よく扱っている。学院の平穏を取り戻すためとはいえ,彼女に対して,あまりに礼を失していた。急を要するからといって,一人の令嬢をぞんざいに扱って良い理由にはならない。
「たしかに,そう思われるのはもっともです。礼儀を弁えていなかったことについては謝罪を致します。ですが,それでも,この件は貴女に引き受けて頂かねばなりません。お引き受け頂いたあかつきには,私から心よりの礼儀を尽くしましょう」
だから,私は彼女に貸しを作ることにした。あまり賢い選択とは言えないかもしれないが,ここは私の無策の報いと思って苦汁は飲む他あるまい。
「ええ,仰せのとおりに。この件,ユリアがお引き受けいたしましょう。それでは,早速,一つお願いがございます」
こちらが貸しを作るや否や,彼女は権利を行使してきた。もしかしたら,こちらが彼女にとっての本題なのかもしれない。先程までの冷ややかな態度は,このためだったのだろうか。そうだとしたら,まんまと誘導された訳だ。
「なんでしょう」
私は努めて冷静さを保った風を装いながら答えた。
「今回の騒動,お恥ずかしい話ですが,私の知人にも関わっている者が居ます。多少血の気も多い人間ではありますが,私の忠告を無視してまで,このような馬鹿げたことに関わる人間ではないはずなのです。普段であれば,もっと冷静な判断がで出来るというのに,今回に限って言えば我を忘れたかのようです」
「周囲の熱に影響されて冷静さを失っている,ということでしょうか」
「もちろん,それもあるかもしれません。ですが,私には別の,はっきりとした個人の意図のようなものを感じるのです」
「……ユリア嬢,貴女の仰り様はまるで」
「ええ。まるで,何者かが煽り立てて,この騒動を惹き起こしているように思えてなりません。閣下には,出来ればその煽動者を探して頂きたいのです。もし私の勘違いであれば,それに越したことはありませんが……。突飛に聞こえるかもしれませんが,ユリアは気がかりでして。どうかご調査をお願い致します」
「それは,構いませんが……。ユリア嬢,貴女はじめから,これが狙いでしたね。普通に依頼頂ければ,私とて断りはしませんよ」
「ふふふ,おっしゃるとおりですわ。ですが,閣下のお頼みに,ユリアの腹の虫が少々騒ぎましたの」
つまり意趣返しということか。私の頼みは最初から断るつもりはなかったらしい。なかなか,一筋縄ではいかないご令嬢らしい。
「……降参です。今度貴女に頼み事をする時は,丁重なもてなしを心がけます」
「ええ,次があれば,ぜひそうして頂きたいですわ」
そう言って,彼女は悪戯気味に笑った。




