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侯爵家次男は転生の夢をみる  作者: 半蔀
学院、初年度の騒乱
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リネルの言葉

 当初は暗い表情をしていたアニヤ女史であったが,調査を始めてしばらく経つと,すっかり私のことなど眼中に無くなった。机に本の山を形成して,その山々の間に小柄な姿を埋もれさせている。何やらぶつぶつ言いながら,手持ちの黒板に書いては消し書いては消しを繰り返している。

「これじゃないですねこっちの方が話として古そうです,あっ,でも,あっちと辻褄が合いません。うー」

 うんうん唸りながら書籍をめくる彼女の表情は真剣だ。だが,どうしても抜けたところがある。人が真剣な姿を笑うのは良くないことだ。しかし,彼女のひたむきな姿を見るとどうしても頬が緩んでしまう。彼女の小動物的な所がそうさせるのだろうか。

 何にせよ,こうして彼女ばかりに任せている訳にはいかない。私も追加の資料を探そう。このままでは今まで探してきた資料をアニヤ一人で捌いてしまいそうである。私の分も確保せねば。

「アニヤ君,私も資料を探してきます。ちゃんと休憩を取るのですよ」

「はいー」

 念のため彼女に声を掛けておく。アニヤは気の抜けた返事をした。そして,すぐに作業に戻ってブツブツと言いだした。すでに私がルシア・ブラドスキーだということすら認識していなさそうである。

 私は笑いをこらえながら,資料探しに向かった。


 我々が探しているのは,ハリーダンプキンの亜流の伝承である。老師が語ってくれた伝説は最も世間に流布したものであるが,もちろん,かの聖獣にまつわる伝承はそれだけではない。そもそも,賢者サナルカンが自分を助けた存在の正体を知っていたところからして,彼の時代にはすでに聖獣の話は知られていたと見るべきだろう。したがって,サナルカンの時代以前のハリーダンプキンに関する伝承やら伝説があるはずである。それを源流として,今にも伝わる傍流の伝承があるのではないか。私はそう考えて,サナルカンの生きた戦国時代よりも,さらに古い時代の資料を探していた。

 とはいえ,簡単に見つかるものではない。戦国より昔の資料は大半が戦火に焼かれてしまい,現在にまで残ったものは数少ない。そもそも絶対数が少ないのだ。しかも,古い資料ほど異なる年代の書棚に紛れてしまっていたりして,大変見つけづらい。

 私は,かつてブラドスキーの屋敷で,黒宰相に関する本を探していた時のことを思い出した。ここにアンが居たならば,どんなに助けになったことか。彼女であれば,精霊の力を借りて目当てのものを簡単に見つけ出してくれただろう。それにしても,今頃彼女たちはどうしているだろう。私はふいに家族のことを思い出して,なんだか物寂しくなってしまった。

「おや,これはルシア様ではありませんか」

 望郷の念にかられていた私に声を掛けたのは,隣国サルガーナの貴族リネルであった。彼は温和な表情を浮かべて私のもとへ歩み寄って来た。

「リネルさん。どうしたのですか,こんな所にいらっしゃるなんて」

 彼が現れたのには驚いた。まさか,資料室に私とアニヤ以外の人間が足を運んでくるとは思いもしなかった。

 私の疑問に,リネルは何やら困ったような顔をして答えた。

「はは,いや,少々,外が騒がしいものでして。ルシア様こそ,どうしてこちらに?」

「私は召喚術の課題を友人と取り組んでいるところです。それより,外が騒がしいというのは」

 私は彼が先程口にした言葉が気になった。私の質問に彼は何やら再び困った顔をして答えた。

「それが,龍人族の娘と貴族方が,また揉めたようで」

「またですか」

「ええ。しかも悪いことに,今回は怪我人が出てしまったようです」

「……はあ,ついに出てしまいましたか」

 リネルは心配そうな顔をしている。私はため息を禁じ得なかった。

 龍人の娘マリアナと貴族たちの(いさか)いが,日に日に激しさを増しているのは聞いていた。貴族たちの収まりがつかなくなって来たのだ。もはや,剣を取るのも辞さないという。怪我人が出るのも時間の問題だった。

「して,怪我をした人間は」

「貴族方の一人だそうです。幸運にも打ち身程度で軽傷とのことです」

「そうですか」

 少しホッとした。だが,安心ばかりもしていられない。

 怪我人が出たことで,貴族連中はますます勢いづくだろう。仲間がやられたことで,彼らは仇討ちという名分を得てしまった。そもそも喧嘩を仕掛けたのは彼らであるので自業自得なのだが,今の彼らにそもそもの原因など関係ないのだ。大義名分を得た彼らは,これまで以上にマリアナを攻撃するだろう。剣を取るという話も現実味を帯びてくる。もはや,今度は打ち身程度では済まないかもしれない。

「私のブラドスキーとしての勧告も効果なし,ですか」

「残念ながら」

 こうした事態に何時(いつ)かなると思っていた。だから,貴族たちを落ち着かせるために侯爵家の名前を出した。これ以上の暴力沙汰は避けるように勧告したのだ。

 家名を使った効果はある程度あった。

 貴族の社会は上下関係に忠実である。上位者の言葉に下位者は服するものだ。マリアナと対立していた貴族たちは,我が家より位の低い者たちばかりである。それゆえ,ブラドスキーの名前は効果があった。しかし,それも気休めにしかならなかったようだ。

「予想はしていましたが,思いの外,勢いを取り戻すのが早いですね。もう少し間が開くと思っていたのですが……」

 私はため息まじりにそう言った。

「それだけ,彼らの憤りは大きいということでしょうか」

「何に憤るというのでしょう。自分らの引き起こしたことだというのに」

 私は心底うんざりしていた。だから,思わず愚痴のようなことを言ってしまった。

「……憤りや憎悪には,理由などいらないのですよ。彼らにとってはマリアナという少女を攻撃することが目的なのです」

 リネルはいつもの温和な表情で言った。しかし,その口調はどこか突き放すような冷たさがあった。私は内心首をひねった。なんだか普段の彼から受ける印象とは異なる気がした。

「それは,言いすぎでしょう。今回は,彼らも頭に血が昇ってしまっています。冷静さを取り戻せば話の出来る余地だってあるはずです」

 ふと,リネルの口元が緩んだ。そして,彼の顔面から表情が抜けたように思えた。

 彼の瞳は相変わらずの温和さを持って私を見つめているように見える。表情は以前と変わらない。彼の紳士的な態度を反映したかのような柔和な笑みを浮かべている。だというのに,今の彼の表情は色彩を失ったように思えるほど,人間らしい感情というものが読めなかった。不自然な人工的な感情が,うす気味の悪い冷たさで,彼の顔面に現れているように思えた。

「人は他者を恐れずにはいられない。なぜなら,人間は不幸な生き物だからですよ,ルシア様。異質な他者への恐怖の規模は,もはや目を背けられないほどの大きさとなってしまった。彼らは憎しむことでしか彼女に対処できないのでしょう。そして憎しみの行き着く所は暴力でしかない」

「それは,いささか悲観的すぎるでしょう」

「悲観? そうでしょうか」

 彼はそう言って私の意見を否定した。彼は言葉を続ける。

「現に彼らはもはや歯止めが効かない。一度,燃え上がった憎しみの炎は,あらゆるものを燃やし尽くさねば,消えることはないでしょう」

「……リネルさん,貴方は一体,何が起こると考えているのです」

「お分かりでしょう,ルシア様。貴方なら,この事態の行く末など,気づいておられるはず」

 彼はそう言って,いつもの柔和な笑みを浮かべた。しかし,私にはそれが冷笑にしか見えなかった。

 何かを確信しているようなリネルの言葉は,まるで弔いの鐘の音のように厳粛である。鈍い音を響かせて,普段は目を背けている不変の理不尽を,否が応でも直視させる。

 私は続く言葉がなかった。彼の言葉の棘は貴族たちに反感を持っているためかとも最初は思ったが,彼の言葉から感じるのは,もっとずっと暗い認識である。人という存在に対する,ある暗い確信に違いなかった。

 彼の底が見えなくなった。彼は,一体,どういう人間なのだろう。

「……これは失礼を。ルシア様を困惑させるために申し上げた訳ではありません。ただ,事態は楽観できない段階まで来ている。そう申し上げたかったのです」

「それについては,同意です。彼らが馬鹿をしでかす前に,どうにか収拾をつける努力をしてみましょう」

「ええ,お願い致します。僕もお手伝いできることがあれば,喜んで微力を尽くします」

 リネルはいつもの雰囲気に戻っていた。先程までの彼が嘘のようである。

 それから,リネルは簡単に挨拶を述べると,何事もなかったかのような足取りで,資料室を出て行った。私はしばらく彼の去った方から目を逸らせなかった。

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